第15話「武装貨物船競争02:いよいよ開幕!」

(承前)


 〈八女やめ白折しらおれ・改〉のコックピットでは、緊迫した様子でまると加藤のやり取りが続いていた。

 レーダーには無数の岩塊が検知されている。

 操縦桿を握る加藤の表情に余裕はない。


「10時に3度、3秒後に5時回避2度」


 状況を分析して冷静にまるの指示が飛ぶ。


「10時回避――5時回避――」


 〈八女やめ白折しらおれ・改〉の前面には縮退物質による重力緩衝装置「物干し竿」が設置されたため、有視界航行は出来ず、レーダーとカメラによる操船になっていた。もっとも、この時代の航宙船の操船はだいたいにおいて有視界ではないので、それほど特異な状態ではない。だが、航宙士候補生の加藤にとっては何もかもが初体験であり、緊張して思うように体が動かないのだった。

 ちなみに船にならって面舵おもかじ取舵とりかじと云わないのは、航宙船が水面上を横から見た1次元的な指示ではなく、3軸の3次元操船であるため、不十分だからだった。

 航宙船では時計版に倣った1時から12時、及びそれに暗黙の角度ヨーと、必要に応じて傾きバンクを加えた指示方法が一般的である。


「判断遅れてるわよ。2秒後6時に回避2度バンク90度」


 加藤はまるの指示によって操縦桿を操作していく。だが、細かい判断は自分でやる様にとも言われている。ふと一瞬、緊張でレーダーを見る目がかすむ。だが次の瞬間、レーダーに大きな像が見え、慌てて操縦桿を倒す。


「そっちによけちゃ駄目!50m級の隕石が!」


 一瞬の判断ミスだった。


「うわあああああああああ」


 強烈な振動と共に〈八女やめ白折しらおれ・改〉に亀裂が入り、エアが漏れる。「物干し竿」が折れて縮退物質が周りのデブリを吸い寄せたまま、操縦席めがけて飛んでき――。


「ほらまた失敗した」


 まるは座席からぴょんと飛び降りて、加藤の膝に乗る。


「これがヴァーチャル・シミュレーションじゃ無かったら、本当に死んでるわよ。」


 未だにヴァーチャルなのは、まるがヘッドセットをせずに喋っていることからも分かる。ここは〈コピ・ルアック〉船内のフルダイブ・ヴァーチャル環境室の中だった。


「だって、だってですよ。隕石群の中を、それを引き付ける縮退物質をぶら下げて飛べだなんて、頭がどうかしてるんじゃないかと思うんですよ」

「だから、前面には障害物除去用のディフレクターが付いているでしょう。大きい隕石はよける、小さなものはディフレクターで弾いて行くって感覚で良いと思うのよね。速度がちゃんと出ていれば側面、背面から縮退物質に障害物を吸い寄せる心配はないわ」

「でも、基準によれば1mを越せば『大きい物』でしょう。船長には楽勝でしょうけど、僕にはあと数日でこれをマスターするなんて無理ですよ」

「うーん……技量的にはLamarckラマルクで学習しているんでしょう?筋力と瞬発力もトレーニングしているし、後は意識への統合だけ。私より人間の君の方が、よっぽど得意な事だと思うんだけど」


 それがいうほど簡単ならどんなに良いかと思う加藤であった。

 確かに頭では分かっているし、Lamarckラマルクに睡眠学習で叩き込まれた技術は、勘所さえ掴めれば反映できそうだという感じもする。でも、圧倒的に経験が足りない。

 〈渡会わたらい雁金かりがね〉による実地研修でも、いま一つという処で何かが掴めそうで掴めない。もう大会まで日も無い。彼の焦りはかなり頂点に達してきている。


<結局は固くなっているのよねえ。若い子にはありがちだけど>


 まるだって分かっていない訳ではない。だが、甘い顔をしていては育つものも育たない。かといって、ぎゅうぎゅうに詰め込んだって意味はない。褒められるところがあれば褒めて伸ばしたいのだが、そういう余裕もない。


<何かいい打開策はないものかしら>


 大会までの残り数日は厳しい。師弟共に悩みを抱える〈コピ・ルアック〉の航宙士達だった。


§


『面白そうな事してるじゃない』


 神楽は少し不満げだった。まるも頭の片隅ではちょっとは気にはしていたが、雑事が多いせいですっかり連絡を忘れていた。だから突然連絡してきた神楽に対しては、かなり後ろめたい感情が有った。おかげで普段の数倍毛繕いが捗っている。


「ごめんなさいね、何しろ3日間も掛かるレースだから、多忙なあなたに時間を割かせるのも悪いと思ったのよ」

『何言ってるの、こんなをイベント見逃す方が問題よ』

「たしかに、茉莉はそうよね。お詫びと云っては何だけど、観覧航宙船の優待席チケットはまだ有るわよ」


 武装貨物船競争の観覧航宙船は、かなり高価な航宙船ふな遊びであり、ましてやその優待チケットは、参加する航宙船や協賛する企業にごく少数だけ配られるものだった。まるとしては最大限のお詫びのつもりであった。


『必要ないわ。直接遊覧権を購入したから〈桜扇子〉で行く事にしたわ』


 直接遊覧権は、自分の持ち船でレースを遊覧できる権利の事である。べらぼうに高いだけではなく、惑星〈メディア〉のどこかの政府にパイプがあるとか、それこそ十指に余るようなセレブリティの人々向けのものだ。


「やれやれ、お金持ちはやることが凄いわね」

『父の代からローマ政府とは取引が有ったし、前回報酬で頂いた異星人テクノロジー利権のお蔭で稼がせて頂いたもの。それ位は軽いわ』


 そう、先日スペースジャックされた、〈コピ・ルアック〉の奪回に協力してもらったお礼として、莫大な利益を生む異星人テクノロジーの利権を、神楽とイライジャに1つずつ、イライジャには更に重核子砲を1門。報酬として支払ったのだ。


<それにしたって、父親からの付き合いが有ろうと、いくらお金を積もうと、直接遊覧権を右から左に手に入れるのは至難の業よね……。あの得体のしれない「吉田」が何とかしてくれたに違いないわ。ちょっとしょぼくれたお堅いサラリーマンにしか見えないのだけど>


 まるが黙っているので、何となく話題を変えたくなった神楽は言った。


『まあ、どうせ頂けるなら次元時空エンジンとか、歴史改変度数探知装置ヒモフレディの技術だったら嬉しかったんだけど』

「あれは残念だけどダメ。異星人テクノロジーの『譲渡不可目録』に載っているのよね」

『まあ、理解はできるわ。時間改変なんて野放しにしたらどれくらいの利権を生むか分かったモノじゃないしね』

「それに今、次元時空転移装置は、『制限上限』に達していて、しばらく利用不可能になっているからねえ……」


 便利なものには必ず代償や制限がある。

 次元時空エンジンには、異星人ならではのリミッターが仕掛けられていた。

 歴史改変度数探知装置ヒモフレディによる時間軸の乖離かいりの判定が一定を越すと、紐付けされた次元時空転移装置は一定期間利用が出来なくなるようだ。


<エイハブ野郎とやり合った時に、思い切った時間改変をやっちゃったからね。でも1ヶ月の利用停止はちょっと大きいなあ>


 ちなみに、ピンインが使っていた次元時空転移装置も、彼がやった「悪戯」の所為で現在も利用停止中である。(8話参照、まるとお見合いした黒猫君は、元の歴史では老衰で普通の猫として他界していたが、今回の歴史では、延命薬物エリクシアを投与され、現存するように時間線を弄られてしまった)

 何しろ、すべての異星人テクノロジーには、取扱説明その他一切の資料が無かったから、秋風部長以下、技術部の残業を顧みない解析結果がすべてだった。もっとも、残業自体はまるが指示したわけではなく、主に技術部の連中がその知的好奇心から、連日暴走して徹夜を繰り返していたのである。あげく、健康を害する船員も出始める事態となり、まるとラファエル副長は彼らに対して残業の上限制限を加えたほどであった。

 それだけ技術部が入れあげていても、異星人テクノロジー品が動かなくなった原因とかはお手上げで、度々異星人の窓口である羽賀氏に泣きを入れていた。羽賀氏は故障やメンテナンスに関しては親切に応対してくれていた。次元時空エンジンが動かなくなった際には


「ああ、時間改変にはリミッターが有るのですよ。誰かがずっと自分に都合よく時間改変ばかりしていたら、世界がおかしな風になってしまうじゃないですか」


と、しれっと話してくれた。

 融通が効くんだか効かないんだかよく分からないのが異星人テクノロジーだった。最早科学では無くて何かの魔法の類の様だ。20世紀の何処かのSF作家だったかの名言に、


      「十分に進化したテクノロジーは、魔法と区別がつかない」


とかいうのが有ったが、まさにそんな感じである。それにしても理屈や機序のわからない技術はちょっと勘弁してほしいと思うまるであった。


 すると、神楽がまるでその心を読んだように話を振ってきた。


『そうそう、テクノロジーと云えば、羽賀筆頭参事官……だったかしら』

「ええ、羽賀さんだけど、何?」


 丁度考えていた羽賀氏の事を神楽が振ってきたのには、さすがにまるもドキッとした。


『私が直接遊覧権を購入した件をどこで嗅ぎつけて来たんだか、あなたの知人という事でコンタクトを取ってきたのよね。遊覧に同席したいんですって』

「あら羽賀さんも来るのね。珍しいわ、遊びごととかに首を突っ込んでくるような人ではないのに」


 まるは本気で意外に思った。ぶっちゃけて言ってしまえば、通商圏の筆頭参事官と云えば、21世紀でいう国連事務総長に、実務権限が付いたようなものだ。

 それが羽賀参事官と来たら、そんなお偉い酸とはとても思えない。ひょうひょうとしてフットワークは軽く、神出鬼没。まるでどこかの風来坊の様だ。それでいて、的確に事態解決に必要なツボは抑えてくる。半分異星人だからだろうか?


『それがね、何でも、彼が異星人に関わる組織に関わっているから、異星人が競技に参加しているので、その視察も兼ねて直接遊覧権を入手した先を当たっていた。という事らしいのよ。私があなたの知り合いだって云う事で、優先的に声を掛けてきたみたい』

「あー……。納得したわ」

『このお話し、受けていいかしら』

「良いんじゃないのかな。普段は一般市民に迷惑を掛ける人ではないし、もし迷惑を掛けられたら一杯ふんだくってやればいいし。商売のチャンスと思えば」


 まるは話しながら頭を巡らしていた。


<羽賀氏がタダの視察?また何か面倒事が絡んでいそうな予感がするわね……>


§


 大きな競技会の舞台裏は、だいたいにおいて様々な思惑が渦巻く魑魅魍魎の世界だと相場が決まっている。そして、今回の武装貨物船競争もご多分に漏れず、様々な思惑が渦巻いていた。


 〈EXTR183〉――地球人類の俗称は「帝王グソクムシ」、口さがない連中からは「宇宙ダンゴ虫」とも呼ばれている。地球の高圧の深海海底に生息する「ダイオウグソクムシ」によく似ていることからの命名だ。ただし地球の等脚目と違い、極低温でも柔軟さを失わないある種のポリマーで体が構成され、外骨格は生体合成された未知の合金でできている。

 成体は2メートルの巨体で、6対の複眼を持ち、頭部が90度曲がって立ち上がった際に正対できるようになっている。身体は長い4対の作業脚と柔軟に曲がる背中を持つ。

 巨大惑星の中の高圧低温の液体メタンの中で生息し、生息空間が地球人類の生存領域とは重ならないため、地球人類と同じ領土中に彼らの生息惑星の状態に改造された惑星を複数持っている。

 政治形態は不思議と地球人類と同じような過程を踏んで成熟しており、地球人類との関係はおおむね良好で、面白い事に地球人類の創作物、特にアニメーションとSF映画が大好きである。

 そして、彼ら自身も創作物を作り、戯曲や絵画などは地球人社会でもそれなりに人気があるものがある。それぞれの領域での特化した科学製品や創作物が、二つの種族の主な交易品である。

 だが残念なことに、彼らの船に地球人類が入る場合は耐圧服を、地球人類の船に彼らが入る場合は低温与圧溶液服を必要とするため、なかなか直接的な交流は進んでいない。


 ただ〈EXTR183〉の社会も一枚岩ではなく、人類というブヨブヨで高温で細長い生き物を不気味な怪物と称する一派もおり、過去数度、そういう一派による地球人客船への襲撃事件などが起きている。

 〈EXTR183〉の社会はいくつかの国家に分かれている為、地球人類と同じく全体を代表する中央政府の様なものはないが、それぞれの事件の当事者国からは極めて丁重な謝罪と補償が行われていた。まあ、反対派に関しては地球人類も大同小異ではあったが、地球人類が彼らの領域への襲撃を行うには、彼らの領域はあまりに過酷であり、大事には至っていないだけであった。いずれにしろ、双方の生命体の交流反対派は、少数ではあっても深く根付いているため、不安は完全に払しょくし切れているとは言い難く、両生命圏の間の平和に、一抹の暗い影を落としていた。


 今回のレースに関していえば、参加チームに交流反対派が潜入しているのではという噂が数度流れていたが、何度かの調査でそれは否定されたため、問題なしとして参加が認められた。だが、本当に問題が無いのかというと、そうでもなかった。


 反対派の潜入者は存在していた。


§


 まるは羽賀氏に連絡を入れて事情を聴いた。


『まるさんが仰る通り、単なる視察ではありません。〈星の糧〉で出場する〈EXTR183〉に、地球人類交流反対派の工作員が居るという情報が流れてきているため、予防策を講じるのが私の今回の目的です』

「相手の目星がついているのなら、レース参加前に何とかできるのじゃない?」


 羽賀氏はその無表情に近い顔に少し苦笑を浮かべた。


『残念ながら、目星がついたというのには程遠い状態ですね。現在絞り込みをやっているのですが、彼らの参加人数は100人程も居ますので、レース開始には間に合わない感じなのです』

「うーん……せめて敵がどんな手を打ってくるか分かっていたら、対策を講じることもできるのでしょうけどねえ」

『全くです。現状では土生谷はぶや君に向こうのシステムに侵入してもらって、情報収集と状況の解析をしてもらっているという感じです』

「あら彼、もうそんなに働いているんだ」

『ええ、彼は有能ですよ。良い人材を紹介いただいて有難うございます』

「うちのシステムをあっさり丸め込んだ手腕とかがあまりに鮮やかだったので、地球人圏に置いとくのは危険すぎるんじゃないかなとも思ったのよ」

『ええ、彼の能力は真価を発揮できれば銀河に通用します。彼、まるさんの所に侵入した時より既に数百倍のテクニックを身につけていますよ』

「うわ、空恐ろしい――。その彼も追跡できないとか、敵も相当な手練れなのね」

『とにかく、総力を挙げて調査中です。何か分かったらまた連絡しますね』

「了解。ありがとうございます」

 何だか洒落にならない展開になって来たなぁとまるがため息をつきながら通信を終わろうとしていると、羽賀氏がふと思い出したように付け加えてきた。

『あ、まるさん。あと一つ』

<何よまだあるの?>

 ただでさえ頭を抱えそうな問題が明らかになったので、まるはこれ以上は今は聞きたくない感じだったが、必要な状況を把握しておくのも大事なことだ。

「なんでしょう?」

『〈連合通商圏〉の〈ミシシッピ〉と、〈織田コンツェルン〉の〈黒船〉ですけど、何やら共謀を考えているらしいですね。土生谷はぶや君が調査ついでに引っかかって来たからと報告してくれていました』

「本当ですか。もう何だかあちこち変な火種が有りますね……情報有難うございます」

『こちらも続報が分かり次第伝えますね。直接、土生谷はぶや君に連絡を取らせましょう』

 う、それはちょっと嫌かも、と思ったまるだったが、多忙な羽賀氏の手を割いていただくのも問題だ。

「わかりました。お願いします」

『ではまた』

 通信を切った後、まるは四足でぎゅーっと伸びをして、それから大欠伸をした。顔中を口にしたような、周りに人が居たら伝染してしまうような強烈な大欠伸だ。

<問題山積なうえに、加藤君の教育か。ほんとに大変だわ……>


§


 衛星〈メディア〉の〈メディア・ローマ帝国〉の首都〈ヌオーヴォ・ローマ〉にある高級リストランテ〈テルメ〉の奥の部屋を貸し切り、〈連合通商圏〉の武装貨物航宙船〈ミシシッピ〉のデイビッド・スコッティン船長以下数名と、〈織田コンツェルン〉の織田会長以下数名が卓を囲んで食事をしていた。薄切りのグアンチャーレで巻かれた温野菜にバーニャカウダを付けて齧りつつ、織田会長は渋い顔をしていた。

「何とか委員会を黙らせて其方の搭載艇の、〈スライダー〉の装備についてのツッコミはさせない様にしましたが、危なっかしいですなぁ」

 おっかなびっくりタコのアッフォガードをつついていたデイビッド船長は、多少きまり悪そうに手を引っ込めて応えた。

「申し訳ないですな。〈スライダー〉のエンジンは明確なレギュレーション違反ではないですが、公式に認められている重力緩衝器を用いたものではないですから」

「ワープドライブを使ってはいけないというレギュレーションはあっても、重力制御装置を使ってはいけない、というレギュレーション制限はないですからな」

 そう、〈コピ・ルアック〉も実は重力制御装置自体は持っていて、使ってもレギュレーション違反ではない。ただし重力制御技術自体は異星人からのオーバーテクノロジーであり、現在まだ流通はしていない。だが、他がリスクとなる縮退物質による重力緩衝装置を設置しているのに、そういうチートで参加することは少なからず問題視されることになる。そうなると、不要な事を根掘り葉掘りと聞かれて、ここでの密約自体が問題になる事態に発展しかねない。もっとも、「密約をしてはいけない」というレギュレーション規定も無いので、そのうえで何かレース妨害などを企てない限りは本来は問題ない事ではあるのだが。

「とにかく、現状で問題視すべきは公募の残り、例の『宇宙ダンゴ虫』連中と『猫うん珈琲』ですかな。シード組に関しては〈カイザー7〉が怪しいですが、まあ敵ではないでしょう」

 そういうとヌオーヴォ・トスカーナ産のワインをぐっと煽った。


§


 武装貨物船競争は衛星〈メディア〉上空の特設宇宙ステーションから始まり、〈ペリカン太陽系〉各所に設置されたチェックポイントを回りながら3日間での総合タイムを競うものだった。

 一日目はスタート地点から〈タロス〉のリングに設置された直径5kmのトンネル状のチェックポイントまでは本船で、そこから搭載艇に乗り換えてリングを抜けて衛星を巡り、先回りした本船で搭載艇を回収して、高重力のために開拓されなかった巨大地球型惑星スーパーアース〈ウルカヌス〉上空のチェックポイントまでで、すべての行動可能な船が到着した時点でその日のレースは終わりとなる。

 二日目は、到着した時間分の時差でスタートし、〈ウルカヌス〉のチェックポイントから本船を使って、恒星ギリギリを巡っているために表層が溶けて惑星全体に溶岩の川が流れる〈ファイヤーマーキュリー〉の軌道を抜けた後、濃密な岩石帯である「アステロイド密集帯」を巡り、人工惑星〈聖護院〉上空のチェックポイントで終了。搭載艇の出番が無い唯一の日である。

 三日目も同様に時差スタートで、人工惑星〈聖護院〉から搭載艇で出て、再び「アステロイド密集帯」を巡り、別途先回りした本船と合流後、メディア上空のチェックポイントに戻る。

 という壮大なコースになっていた。基本的にはワープエンジンの使用は認められないが、例外として搭載艇を発進させた後は、再び搭載艇を回収するまでは、本船側はワープエンジンの使用が認められている。お互いの船や所有・占有者のいる天体を直接攻撃することは許可されていないが、岩石などを攻撃することは認められており、その余波で他船を妨害することも認められている。本船、搭載艇いずれかが操船不能となったチームはその時点でリタイア。チェックポイントを抜かしてしまってもリタイアである。なおレース期間中の必要物資は最初の出発時に本船にすべて積み込むこととなっている。その他細かいレギュレーションがたくさんあり、大会規定マニュアルは印刷するとちょっと厚めの冊子になるほどだった。

 にも関わらず、結構な抜け道があるのは結局、官僚の既得権の行使というか、袖の下というかによって人為的に作られているというのが大方の見方ではあった。


「あーもう、わかんないっ」

 面倒くさい大会規定を追いかけていたまるは根気が切れてエアロ・コンソールを投げ出した。表示は書類の様に空中に散乱したかと思うと、ふっと消えた。

「私が代わりにやれれば良いのでしょうけどね」

 ラファエルが苦笑いをしながら、まるに深皿に水を入れて持ってきた。

「ありがとう、表向きはあなたが船長なのだけど、正式な大会だから、代理で通すわけにも行かなかったしね」

 そうなのだ。通常の業務は代理人で通せるのだが、正式な大会登録などでは正式な船長を明記する必要があり、まるが大会規定を把握している必要があるのだ。彼女はラファエルが持ってきた深皿の水をぺちゃぺちゃと飲んで、上を向いて、それから憂鬱そうに目を細める。

「あー、宣誓とかにも出なきゃいけないのよね」

「ですね。まあ、人型プローブでも使って出てください。私と一緒に並んでいただければ良い筈ですし」

「大会事務局には掛け合ってみてるけど、身分を読み上げる部分は省略しても良いけど、同席はしろって言われたしね。でも、今ある人型プローブって、あれかぁ」

 まるは猫耳コスプレみたいなプローブのことを思い出してちょっと頭痛がした。

「まあ、国営の大会ですしね」

 ラファエルは苦笑いをしていた。現在は彼の国籍は独立武装貨物航宙船〈コピ・ルアック〉だが、もともとは出身国の大会、さもありなんではある。

「で、加藤君の仕上がり具合はいかがですか」

 まるは大欠伸をして見せた。欠伸をしたり毛づくろいをしたり、顔を洗ったりは猫が困った時の定番の仕草ではある。

「そこが本当の一番の頭痛の種かなあ……」

 加藤は努力をしていた。そして成果が表れていない訳でもなかった。ただ、時間が足りない。彼の練度を短時間で上げる方法があればいいのだけど。

「せめて次元時空エンジンの制限が終わっていたら、過去に戻って修行して、元の時間に戻ってくるっていう荒業が使えるんでしょうけどね」

「そうですね…………あれ。ちょっと待ってくださいよ」

 ラファエルは何かを思い出して通話をした。

「秋風部長、ちょっといいかな」

『はい、何でしょう副長』

「次元時空転移装置で制限が終わっているもの、ないしは使えるものはもうないのかな?」

『ありますよ』

「え?」

 まるは船長席から転げ落ちそうになった。

「あるの?」

『コンパクト型の1号機と、〈渡会わたらい雁金かりがね〉搭載の次元時空エンジンは使用制限で使えませんが、まだコンパクト型の2号機がありますよ』

「2号機?」

「目録にも書いてあったと思いますが?」

「ああああああ、そうよ。目録には2台って書いてあったわ!ちょっと加藤君呼び出して!私は技術部に直行するわ」


 まるは秋風に、現状では加藤の訓練時間が足りないので、過去に戻って10日分訓練を追加したいこと、その為の物資と環境をそろえる必要があることを説明した。

「まず、二人を次元時空転移させることは可能です。ですが、問題は船と食糧ですね」

 秋風は次元時空転移装置を取り出して説明した。装置はまるのカムフラージュポケットに収まりそうな位に小さい。

「これで転移可能なのは、装置を中心として、最大直径5.5mの空間です。2人の10日分の食料位だったら持って行けますが、〈八女やめ白折しらおれ・改〉も〈渡会わたらい雁金かりがね〉も運ぶことは出来ません」

「うむむむ、どこかから〈コピ・ルアック〉に潜入して使うとか……」

「10日間も見つからずにこの船に潜伏し続けるのは不可能でしょう。ばれたらそれこそ深刻な時間改変ですし」

「お二人で何処か離れた星の人の来ない場所に降りて船を調達するとか」

「無理よ。訓練に使えそうな船を調達したら、やっぱり時間改変を引き起こすわ」

 喧々諤々とまると秋風が話していると、いきなりFERISフェリスが割り込んできた。

『お話し中失礼します』

「なに? FERISフェリス

『その件ですが、わたくしに妙案が有ります』

「どんなの?」

『それはですね……』


§


 加藤の時間旅行による特訓は7日目に入っていた。

 波打ち際でおっかなびっくり水に前足を伸ばして、やって来た波からたたたっと逃げながら、まるは加藤に話しかけた。


「だいぶ様になって来たじゃない」


 まるは加藤の膝にぴょんと乗ってウインクした。


「はい、ありがとうございます!」

FERISフェリスに感謝ね。うまい方法を考えてくれたわ」


 まるたちは無事に過去に来て特訓を進めていた。

 目の前には惑星〈白浜〉の砂浜が広がっている。


「未開のビーチに降りるというのは色々考えたわねえ。しかもここは土岐さんの私有地の一部だし」


 そう、土岐氏は〈白浜〉に別荘地域を持っている。その大半は未開拓で手つかずであり、少々滞在してもばれることはない。それでも念には念を入れて、光学迷彩を使っている。先ず発見されることはないだろう。


「そしてこれか。取り外せるならそういってほしかったわ」


 目の前には3.5m四方ほどの四角いブロック状のユニットがある。ユニットのドアの奥にはカプセルが3つ設置されている。


『考えた私、えらいっ』


 と、白猫ふぇりすが云う。そう、持ってきたのは「フルダイブ・ヴァーチャル環境室」と、FERISフェリスのコアユニット。其れと10日分の食料と海水浄水機だった。ついでに言うなら、アレクシア料理長と太田航宙士、それにドーラ砲術長も一緒だ。割とぎゅうぎゅうになりながら、ヴァーチャル環境室のユニットと、4人と一匹、それにギリギリまで削ったFERISフェリスのコアユニットを詰め込んで次元時空転移してきたのだ。


「美味しい食べ物と、優秀な先輩2人がついての特訓環境なんて、なんて贅沢な」


 まるが云うと、太田が笑いながら返す。


「いや、私も今回の操船はかなり心残りが有って、特訓のおさらいをしたかったですし」

「10日以上も船長が外で暮らすなら、私が栄養管理しなきゃと思いましたしね」

「といいつつ、二人ともビーチを満喫しているようにしか見えないわよ」


 二人は水着で砂浜にパラソルとベッドを出して優雅に寝そべっている。


「これくらいは役得ですよ」

『他にもついて来たいって言ってた人は一杯居ましたね。必要性と選抜でお二方に決まったわけですが』


 地上のビーチで遊べるという餌で、なんと80人からの船内応募者が出た。その中から、特に技量などでのアピールが響いた2人にしたのは事実だった。


「それに、新鮮な魚や食材が手に入るのも魅力ですからね」


 アレクシア料理長は船内以外での食材の料理を作りたくて飢えていた。白浜には地球原産の生き物もたくさん入植されていたが、この星のエキゾチックな生き物も多数現存している。

「生き物を食べたりして、バタフライ効果(蝶が羽ばたいたら気象が変わるとか、僅かな改変が大きな結果を生むこと)とか出たりしない?」


 まるが心配して聞くと、


「逐一時間改変をチェックしていますから問題ありませんよ」


 そういいながらアレクシアは、先程海からドーラが引き上げてきた巨大な蟹のような生き物をチェックしていた。


「よし、これはえらの部分以外は問題なし。有用なアミノ酸も含んでいるから美味しい筈」

<ま、楽しそうならいいか>


 そして、10日目を待たずして8日目の終わりに、加藤はヴァーチャル環境でノーミスでの操船が可能になっていた。


「やったじゃない」

「はい、船長!有難うございます!」


 まるはだが、何となく居心地が悪そうに次に言葉をつなげた。


「ここまで苦労させて何なんだけど……ね?」

「はい?」

「危険性が高いので、重力緩衝装置を使った状態での惑星〈タロス〉の輪への侵入は、数年前の大会から禁止されちゃってるのよね」

「え……えっ?」


 加藤の目が点になる。


「ごめんなさいっ、私もレギュレーションマニュアルに細かく目を通す暇が出来て初めて分かったのよ」

「ええええええ――」

「その代り、君の操船技術はプロ級になったし、私もマニュアルに十分に目を通せたしで」

「それはそうでしょうけど。ちょっとひどいですよ船長」

「〈タロス〉の輪潜りの際は、重力緩衝装置なしだから、かなり低速で飛ぶことになるかもね」


 まるが謝罪しているところ、ヴァーチャルルームに、「ふぇりす」が入ってきた。


『船長、船長』

「何?」

『本来連絡が来るはずはないんですけど、外部から連絡が来てます』

「ちょっと待って、どういうこと?」

『例の土生谷はぶや氏ですよ。どうやってか時空を戻った私たちにコンタクトを取ってきています』

<うわー、異星人テクノロジー怖い。もう因果律も糞も無いわ>

『ご無沙汰ですね、まる船長』

「はーい、エイハブ船長」

『時空トンネルを使ってご連絡差し上げています。ちょっと警戒したほうがよい事象が判明しましたので』


 土生谷はぶやは、まるの皮肉にも全く動じる感じが無い。


「なにかしら。〈連合通商圏〉と〈織田コンツェルン〉に関わること?」

『正に然り。彼らはレギュレーション範囲内でかなり無謀な事を考えているようですね』


 土生谷はぶやからの連絡は、まるに帰還してからの突貫作業を要求するものだった。


「う……。分かったわ、何とか対処して見ましょう」

『では成功をお祈りしておりますよ』


 通信が切れた後、まるは頭を後ろ足で掻き毟った。


「うわああああああああああ」

「どうしました船長?」


 太田航宙士は頭を抱えているまるに呼びかけた。


「とっても面倒くさいことが判明したわ。太田君と加藤君には追補で今日一日新しい状況に対する訓練をしてもらって、それから撤収して『現在』にさっさと『ブレンド』しましょう。『現在』の方の時間は縮めようがないから、対処が間に合えばいいけれど」


§


 時間旅行から帰還し、『ブレンド』早々にまるは技術部に赴いて、何やら秋風に指示を飛ばした。時間旅行に出てから、今回の時間線での出発数分後の事だった。技術部は真っ青になったが、まるからの事情説明を聞いて事態は急変。全員が突貫での徹夜態勢に入った。


「さあ、私たちは開会式の準備をするわよ。FERISフェリス、人型プローブのメンテナンスは大丈夫?」

『ええ、人前に出ておかしい印象を与えない程度には修正しておきました』


 装着すると、猫耳は収納可能になっていて、尻尾も隠せるようにされていた(でもどちらも除去はされていなかった)。上級船員服を着て身なりを整える。既に船長服を身に着けたラファエルがやってきて、人型のまるをエスコートする。

 レース自体は明日からだが、開会式に向けて〈コピ・ルアック〉は、他の船と並んでスタートラインに停泊した。1km前後の巨大な船が並ぶさまはまさに壮観で、〈EXTR183〉の〈星の糧〉の300mでも十分に大きい筈なのだが、小舟が混じっているように見える。

 やがて、大会委員会がやってくると、開会式のリハーサルが始まった。


§


「吉田あああああああああ、急いでよ!夕刻には開会式なのよ!」


 〈桜扇子〉は、羽賀氏をオブザーバーに迎え、〈ペリカン太陽系〉に向けて、超空間ゲートへ向けて出発しようとしていた。神楽はゲートのタイミングがずれたことでイライラしているのだが、出発が遅れたのは神楽が別の船で一度〈ペリカン太陽系〉に訪れ、直接観覧権の手続きをした帰り、まると直接対話するためにステーションで時間を喰っていた所為でもある。


「神楽社長、あわてなくても開会式には間に合いますよ」


 羽賀氏はちょっと困ったような笑顔を作って神楽を宥めていた。


「いいえ、それでは申し訳ないですわ。大事なお仕事もあるのでしょう?」


 吉田はその隙に、操縦室と連絡を取り、出発を決めた。


「では、出発いたします」


 神楽は憮然としてそれに答えた。


「さっさとね」


§


 〈EXTR183〉の〈星の糧〉の中では、ちょっとした問題が起きていた。船員が一人、体の自由を奪われている。恐らくは意識も無いだろう。


「悪く思うな」


 彼らの言葉でそういいながら、別の個体は船員を格納庫に軟禁してブリッジに向かった。

 正直、地球人から見ると、彼らの個体差は分かりにくい。大きい、小さい、色が薄い、濃い、後は目の位置が若干違うとかだが、遠目になるともう全部同じにしか見えない。だが、彼ら同士では当然姿かたちが違えばわかるはずだ。しかし、周りの船員は別に気にも留めていない。何らかの方法でカムフラージュをしているのだろう。名無しでは話がしにくいので、この個体を仮に「ジェイク」と呼ぶことにしよう。ジェイクはブリッジに到着すると、何食わぬ顔で船内の状態異常なしの報告を行い、それから、式典参加の列に加わって、低温与圧溶液服に袖を通した。


§


「リハーサルでトチっちゃったわよ。なんで私に台詞が有るの。」


 まるはプローブのまま腕組みをしてむくれていた。


「仕方ないですよ、大会の運営委員会から『本来はあなたが船長なのだから、少しは役割をこなしなさい』って通達されたんでしょう?」


 ラファエルは笑いながら言う。


「う……」

「とにかく、開会式本番は4時間後です。みっちりおさらいして置いてくださいね」


 様々な思惑をのせて、武装貨物船競争は始まろうとしていた。


(続く)

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