第12章 最後の障害 後編

 2


「やれやれ、子どもを追い詰めると思いも寄らないことをするから怖いものだ」

 リョキスンは猛烈な風雨にさらされながら呟いた。

 みっこ達のいる最上部から10メートルほど下った場所。両足をロープで縛られたまま、リョキスンは逆さに吊るされている。

「まったく、逆さにつるすなら耳に穴を開けといて欲しいものだ。これじゃそう長く持たないぞ」

 幸い両手は自由だ。何とか腹筋を使ってロープを掴み登れないか試みる。が、ロープの先にあやしいきしみを感じリョキスンは動きをとめた。どうやら階段の壁に備え付けられていた燭台かなにかにロープを巻いているらしい。派手に力をかければおそらく燭台ごと落ちることになるだろう。

「助けを待つしかない、か。これじゃ私がお姫様だな」

 リョキスンは頭をかく。正直、状況は絶望的だ。下手に動かずとも強風に揺られていればやがて燭台は壊れることだろう。

(だが、はここで私が死ぬとは言っていなかった。だからまあ何とかなるのだろうさ)

 閉じた目の先に浮かぶのは、何度もリョキスンを導き、助けてくれた女性の顔だった。

 一方その頃。頂上ではリオネルが自分の手柄を褒めてもらおうとする子どものように状況を説明していた。

「あーしは皆を好きなのよ。傷付けることなんてできないわ。だから、あーしがやったのはリョキスンをぶら下げただけ。自分だけでは絶対に引っ張り上げられない場所にリョキスンを置いてきただけ。でも、このまま放っておけばロープを結んだ燭台が壊れてリョキスンは死んでしまうのよ。引き上げるのを手伝ってほしいのよ」

「リオネル、あなたなんてことを……!」

 カッコが駆け出そうとするのをショーリが静止する。

「まて。この門はもうじきに消滅するはずだ。あの野郎を引き上げるのは俺一人でできる。あんたこの世界に来てから何日たった?もう次の機会はねえだろう?行け」

 どうする。みっこは頭を動かす。ショーリはああは言ったが、カッコはショーリと一緒でなければ帰らないだろう。つまりここでショーリが動いてはいけない。かといって2人に動くなといって納得するか?それは無理だ。

(だから、今はこうするしかないんだ)

「ショーリ、カッコ。一つ手がある。協力して」

 その言葉を聞いて、動き出そうとしていた二人がとまる。頷き、みっこの言葉を待っている。

 みっこは二人に近づき、ぼそぼそと口を開く。

「おい、風の音で聞こえねえぞ」

 ショーリとカッコは更にみっこに近づく。その瞬間。

「ごめんね、2人とも。あとは任せて」

 みっこは体当たりをして、無理やり門に2人を押し込んだ。

 2人が、あっけに取られた顔で鏡の向こうに吸い込まれていく。別れは、一瞬だった。

「みっこ、あーたなんてことを!」

 リオネルが普段は閉じがちな目を大きく見開いて怒りをあらわにしている。いや、怒りだけではない。カッコと別れた悲しみもあるのだろう。獣の慟哭。

「みっこ、お前さんというやつは」

 リンゴがみっこの手の上でため息をつく。

「これでいいの。カッコと違って私はまだ少し猶予があるわ。万が一この扉に入れなかったらまた次を探す」

 リオネルが文字通り獣の形相で詰め寄ってくる。

「あーたはそれでいいかもしれない!けどあーしにはわかるのよ。あーしとあーたじゃ、リョキスンを持ち上げることは出来ないのよ!つまり――」

 リョキスンは死ぬのよ、と。膝から崩れ落ちたリオネルは呟く。

「あーたのせいよ!あーたのせいでリョキスンは死ぬのよ!」

 わめくリオネルにみっこは近づく。そして。

「うるっさいなあ!!もう!!自分でやったことでしょ!あんたがやんなきゃなんないのは文句を言うことじゃないでしょ!!」

 いきなりの大声に、リオネルも虚をつかれる。

「ダメ元でリョキスンを助けにいくとか!助けられなくても謝るとか!なんか考えて動け!仮にも引き潮の夢の導者なんでしょ!!」

 みっこは窓に駆け寄る。幸いまだリョキスンは落ちていない。

 今から階段を降り、引き上げる?それは無理だ。力が足りない。では、せめてどこか安定する場所に結びつけるのは?リオネルとみっこの身体にロープをまきつければあるいは――。いや、だめだ。リョキスンはああ見えて筋肉質だ。みっことリオネルの体重で支えられる保証がない。失敗すれば3人で落ちるだけだ。

「なによ、なによ。偉そうなことを言っといて、あーたにも何もできないじゃないのよ!」

 みっこはきっとリオネルを睨む。

「そうだよ、リオネル。私にはリョキスンを助けられない。だから私は唯一リョキスンを助けられるかもしれない人に頼る」

 みっこは左の掌の上のリンゴに、そっと右手を重ねる。

「お願い。リンゴ。リョキスンを助けてあげて」

 手の中から、声が聞こえる。

「任せておけ、みっこ。狙いははずさんでくれよ」

 みっこは大きく頷いた。

「何をする気なのよ」

 リオネルが焦りだす。

「こうするの!!」

 みっこは窓から半身を乗り出して、リョキスンめがけてリンゴを投げつけた。

「こんな風の中、リンゴが飛べるはずないじゃないのよ!!この人殺し!いや、虫殺しーっ!!」

 リオネルも窓から身を乗り出し、眼下で揺れるリョキスンと、そこになんとかしがみついたリンゴを見やる。その瞬間。ロープをかろうじて支えていた燭台は崩れ。あっけなくリョキスンとリンゴは暗闇の中に消えていった。

 見てられない、とリオネルは顔を背ける。

「——リョキスンもリンゴも死んだのよ」

 リオネルからはもう怒りも悲しみも感じられない。ただ抜け殻のように呆然と。その場に立ち尽くしている。

「あーたのせいよ。あーたのせいよ。あーたのせいよ。あーたの……」

「だから、うるっさいよ。元はといえばロープで吊るしたのは貴方でしょうッ!」

「こんなことになるはずじゃなかったのよ。だって、皆リョキスンを助けないはずがなかった。実際にあーたが邪魔をしなければ、リョキスンも、リンゴも、カッコもここにいた……だから」

「なら、貴方の考えが浅かったんじゃない。もっと皆が幸せになる別の方法に気付けなかった」

 きょとんとするリオネルにみっこは目線を合わせる。

「——貴方は私達を裏切らなければ良かったの。それか、私達に思い入れなんかもたず、全知王に従っていればよかった。貴方は欲張りな上に、自分勝手な浅い考えしか持てなかった。自分が傷つきたくないから、私達と全知王どちらも選べず、裏切ったことすら気付かないふりをしてしまった。だからこうなったの」

 淡々と述べるみっこをリオネルはめつける。

「さっき、責任をとるしかないって言ってたね。じゃああーしはどうしたらいいのよ。カッコは行ってしまった。リョキスンとリンゴは死んでしまった。あーしはどうすればいいのよ。もう取り返しがつかないじゃないのよ」

「……とりあえずリョキスンとリンゴには謝るしかないでしょ」

 みっこはリオネルに手を差し伸べる。

「どんな理由があっても、悪気はなくても、相手を傷付けたならまずは謝るしかないんだよ。……私はそれをするために、元の世界に帰るの。だから、リオネルも謝ろうよ。だってほら」

 みっこはリオネルの顔を窓の外に向けた。

 そこには、暗闇の中ふわりと風に煽られながら漂う何かがあった。

「リョキスンとリンゴは、ちゃんと生きてるんだから」

 リオネルの視線の先には、たしかにリョキスンと手に抱えられたリンゴがいた。リョキスンはまるで風船のように膨らんでいたが。


 3


 頭に血が登る。これが辛い。風で壁に叩きつけられるのは受け身次第で多少ましになるものの、血の流れは自分の意思では止められない。

「いっそ気を失ってしまったほうが幸せかもしれんな」

 そんなことを考え始めたころ。誰かが上から覗き込んでいるのが見えた。

(みっこ、か?何をしている、早く門をくぐれ)

 するとみっこが何かを投げつけてきた。それはリョキスンの服にしがみつき、顔に向かって近付いてくる。

「リョキスン、しっかりせい」

「リンゴか。随分ひどい怪我をしているじゃないか。大丈夫か」

「話はあとじゃ。口をひらけ」

 リョキスンは言われるまま口をあける。そこに丸い何かが放り込まれた。

「ああ、なるほど。大したものだ、我が君は」

 リョキスンを支える燭台が崩れ、彼が落下をし始める瞬間。リョキスンは丸薬を飲み込んでいた。

 ズルリという音をたて、ロープが宙を舞う。浮遊感とともに身体がまっすぐに落ちていく。だが、その速度は次第にゆっくりになっていき……やがて下降は上昇に転じた。丸薬の効果が出て、身体が浮かび始めたのだ。

 リョキスンは足元のロープをほどいて先端を輪にすると、塔の壁面についている時計の文字盤めがけ投げつけた。長針にロープがからまり、風に舞っていた身体を多少制御できるようになる。

「なぜそんなことをするんじゃリョキスン?このまま風で流れていけばよいじゃろうに」

「いやなに、我が君に別れの挨拶をしたくてね」

 ロープを支えに塔から大きく離れないよう少しずつ頂上を目指していく。

「なにやら言い争いの声が聞こえるの」

「なに、お得意の舌戦だろう。リオネルに勝ち目はないな」

 やがて、跪いたリオネルとそれを支えるみっこの姿が見えた。

 みっこは2人に微笑みかける。

「お別れだね」

「ああ、そうだな。最後の別れにはみっともない姿になってしまったが」

「私はいつも小憎たらしかったリョキスンが膨らんでるのを見れて良かったよ」

「ならば膨らんだかいがあるというものだ」

 みっこはリオネルに視線を向ける。どうやら頭が状況についていかないらしい。

「リオネルは、まだ謝れないみたい」

「仕方ないさ。自分の否を認めるのは心にゆとりがないと出来んのだ。そんなことより、門が大分霞んでないか。そろそろ行きたまえ」

 みっこは頷き、門の前に立つ。

「ありがとう。リンゴ、リョキスン。私、2人のこと大好き」

 リンゴはオーライというように手を降る。リョキスンはニヒルに口元を上げるが、いかんせん風船なので様にはなっていない。

「そうしんみりすることも無い。また会うこともあろうさ。なにせ君は――」

 門に飛び込む瞬間、リョキスンの言葉がこだました。

「君は舌戦乙女なのだから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る