第10章 嵐と上陸 前編

 1


「遅いな」

 都から流れ出る下水の出口。半円状をした深い暗闇の中を伺いながら、ナギは呟いた。

 周囲にはナギ同様バルミに集められた選りすぐりの守り人が他に2人。残りの3人は入口を見張っている。

 クリオの国は基本的には治安はいい。ゆえに、各地に小規模な自警団はあれど国全体を包むような武力を持った組織は存在しない。少なくとも表向きは。だが、それでも犯罪は起こる。起これば犯人は確保しなくてはならない。しかし、自警団の性質上、犯人が国内を縦横無尽にかける場合対応は難しくなる。そうした際に頼られるのがナギ達のようなり人である。

 守り人はその名の通り、何かを守ることを生業としており、要人のボディーガードから貴重品の運搬、そして犯罪者の追跡とその仕事は多岐にわたる。

 ナギ達は基本的にはエルビザを拠点として活動している一団だが、その位置ゆえか琥珀水晶の塔がらみの仕事も良く受ける。今回は所長自ら陣頭に立っての指揮をとるとのことで、まだ若いナギはとても興奮していた。なにせ、所長のバルミの武勇伝は同僚から幾度も聞かされていたからだ。

 ――そんな人だし、いくら大泥棒相手でも遅れは取らないと思うんだけどな。

 ナギは爪を噛む。確認したい。だが、下手に明かりを灯して内部を照らせばどうなる?もしバルミがショーリを出口に向けて追い込んでいたとしたら、明かりを見た途端警戒されてしまうだろう。それは困る。何せ相手は大泥棒。バルミは遅れを取らなくとも、ここにいる3人がかりで遅れを取らないとは言い切れない。

 ゆえに、ナギは明かりも灯さず、爪を噛む。空白の時間を埋めるため。

 その時だった。

「……?おい、何か聞こえないか」

 同僚の呟き。ナギも耳をすますが、聞こえるのは下水の流れる音と時間とともに強まっていく風の音だけだ。

「洞窟の中からは何も聞こえないが」

 ナギの言葉を、しっ、と同僚が制止する。

「間違いない、バルミさんの声だ。上、か?」

 意識を空に向けると、たしかに人の声がする。ナギ達は暗雲立ち込める空を仰いだ。

 何かが光っている。星ではない。光る何かが風に煽られながら、こちらに向かって飛んでくる。声はその光から届いているようだった。

「ひいいい、お願いです!命だけは!命だけはお助けをぉぉ」

「おい、静かにしろい。お仲間にバレるだろうが!」

 言い争うような声。間違いない。何者かが明かりを持って空にいる。

 ナギ達は急いでランタンに火をつけ、空を見上げる。

 奇妙なものが、浮いていた。気球にしては歪な何か。そこからロープがぶら下がり、何人かがしがみついている――ように見える。

「あ、あれ、バルミさんだぞ……!」

 同僚のつぶやきに、ナギも再び目を凝らす。

 確かに、バルミだ。文字通り人間風船となったバルミに、ショーリと2人の少女がしっかと捕まっている。

「痛い、痛い!強く引っ張らないでぇ」

 悲痛な叫び声。何が起きているというのか。ナギが聞く限り、バルミはエルビザ周辺では一番の武芸者だ。そのバルミが、情けなく気球代わりに使われている。いや、今は何故はどうでもいい。バルミを助けなくては。

 ナギは急いで追いかけるも、風は強い。3人が浮かぶには浮力不足のようだが、それでも煽るような強烈な風に乗り速度はぐんぐん上がっていく。

「ナギ!止まれ!崖だ!」

 咄嗟の声に、頭よりも先に身体が反応した。お陰で、ナギの身体は砂利を滑りつつも、崖に落ちる前に踏みとどまる事ができた。

 もうためだ。明かりは手の届かないところへ行ってしまった。ナギに出来ることはない。

 その時、渾身の力を込めた叫びが周囲にこだました。

「守り人の皆さぁん……!!ショーリは、最早貴方がたの手に負える相手じゃあありませんんん……!私はもうダメです……無事にエルビザへお戻りくださァァい……!」

 やがて、灯りはパッと消え、後には黒い空と風の音だけが残った。ナギ達は、しばらく呆けたように空を見上げていたが、やがて起きたことの重大性に気付き、あたふたと動き出したのだった。

 一方その頃、西の空で。

「いよおおし、うまく抜けた!後は風に乗れるだけ乗って距離を稼ぐだけだ!」

 ショーリが叫ぶ。喜びからではない。風の音が大きすぎて、叫ばないと聞こえないのだ。

「この風ならば、一晩で影切り森を抜けるあたりまでは行けるじゃろう!全知王が復活するまではまだ3日……銀腹が動くにしても我々の方が先に着く!それにしても、バルミ殿!!名演でしたのう!!」

「いえ、私はみっこ様の用意した台本に乗ったまでのことでございます!」

 下水道を出た後、みっこ達はまず風の方向と、守り人のいるであろう場所を確認した。風船で逃げるのは予定通りだが、バルミが無理矢理攫われたという状況を守り人に見せなくてはならないためだ。結果的にはうまい具合に守り人の上を通り抜けることができた。

「これでバルミさんは悪党ショーリに誘拐されたようなもの!このまま姿を消しても、しばらくしてから塔に戻っても、怪しいことはないはず!」

 正直、風船の浮力次第ではうまくいかない可能性があった。だが嵐の強風もあってか結果的には丸薬1つで全員が移動できたのは嬉しい誤算だった。

「バルミさん、風船になったせいでお腹が見えてしまってますが、寒くないですか?」

 かっこは風ではためくスカートを必死にまとめながらもバルミの身を案じている。

「私は大丈夫です。丸薬のせいなのか、身体がポカポカするくらいですよ!」

「それで、このあとはどうする!?生命の大時計が目的地とは聞いたが……このまま突入するのか?」

「それは無理!この人数で島に乗り込んでも、多分すぐに命を吸われて動けなくなっちゃう!それに、バルミさんは途中で分かれて故郷に戻らないといけない」

 みっこの言葉にバルミが涙ぐむも、その涙はこぼれるより早く風に乾いて消えていく。

「なんにせよ今は飛ぶのに集中じゃ!この風、この暗さ!木々にでもぶつかれば大怪我しかねんぞ!」

 そう。みっこ達は必ずしもぷかぷか高さを保って飛んでいるわけではない。風に乗って浮かび上がっているものの、どちらかといえば紙飛行機のような形で緩やかに落ちている。風の力をうまく浮力に変えたり、時には地面を蹴ったりしたりして飛距離を稼がなくてはならない。

「なるべく平地を行けるよう、方向を変えてくしかねえ。幸い影切り森はこっちから見ると崖の先に広がってるから、上手くすれば木々に引っかからずいけるかもだな。いずれにしても!今日は寝られねえぞ、カッコ!みっこ!」

 2人は強く頷いた。


 2

 

 激しい西風だった。まだ雨は降ってきていないものの、空を覆う雲はより分厚く、時折フラッシュを炊いたかのように稲光に照らされてその異様を見せつけてくる。眼下には空とはまた違う、吸い込まれそうな影切り森の暗闇。一行は2つの闇の狭間を、辛うじて高度を保って流れていく。

 影切り森に着くまでは高度が下がるたび地面を蹴って対応が出来た。だが、一度森の上に出てしまえばその手は使えない。地面を蹴るよりも先に、森の木々に絡め取られる。そうなれば無論、無傷とはいくまい。

 そんな中でも何とか飛び続けることが出来たのは、ひとえにカッコのスカートのお陰だった。彼女は自らのスカートを風受けのウイングとして使うことを提案したのだ。

 スカートの右端をショーリが。左端をみっこが掴み、風向きに応じて角度を変える。初めは提案に「女がはしたねえことすんじゃねえ」と躊躇したショーリだったが、「私のような子どもは相手にしないのでは無かったのですか」と押し切られた。

「ったく――こんなことをしなくても、丸薬とやらはもう1つあるんだろう!?そいつを俺がのみゃ良かっただけなんじゃねえのか!?」

 ぼやくショーリにかっこが返す。

「ショーリ様。らしくありませんわ。落雷こそ無いものの空には稲光。そんな中、風船が2つになったために高く上がりすぎればどうなるか……。私達は黒焦げになるわけにはいきません」

 最早2人の力関係は逆転していた。みっこはこんな状況にも関わらず、それが面白くて仕方がない。たまに襲ってくる不安を打ち払うように、大声で笑う。

「すごいね!私達——敵同士だったはずなのに今は文字通り一丸になって飛んでいる!こんなの全知王だって想像できなかったはず!」

 みっこは風向きの変化に合わせて握ったスカートの角度を変える。下がりかけた高度がまた少し持ち上がった。

「危なかったの。これでまだ少し飛べる……それにしても、もう都を出てかなりの時間がたっている。もうじき影切り森を超えるはずなのじゃが」

 リンゴがみっこのポケットからわずかに顔をのぞかせ、叫ぶ。

「暗くて良くわからないね。ともかく今は高度を保ち続けるしか――」

 そう言った矢先。みっこは周辺の変化に気付く。心なしか、視界が明るくなってきているような。

「!みんな、前を見て!右端の、雲の切れ間!」

 分厚い雲のミルフィーユ。その隙間に僅かにあいたほころびから、小さな光の筋が見える。儚い一本の線だった光はやがて塊となり、真っ黒な森の木々と雲を照らし出した。夜明けが訪れたのだ。 

 綺麗だった。雲と森に挟まれて、その光はいつもの朝日よりも遥かに小さく弱いはずなのに。希望に満ちた夜明けと言うにはあまりに不穏な景色だと言うのに。その光は何にもまさる美しさを感じさせた。

「絶望の中でこそ希望はより一層きらめくもの……ですか」

 バルミの呟きはどこか清々しく、いつもの作り物めいた言葉とは違っていた。

「このあたりは見覚えがあるぞ。首吊りの木の側だ!この少し先に霧の古戦場と呼ばれる開けた場所があるはずだ。森の出口も近いが、高度を保つのも正直限界……そこに着陸するぞ!」

 ショーリの言葉が一同を我に返らせる。明るみを帯びた視界の中に、確かに緑の平原が広がっているのが見えた。スカートの向きを調整しながら、徐々に速度と高度を落としていく。何とか自転車で立ちこぎをしているくらいの速さまでは遅くなったものの、どうやらこれ以上は限界のようだ。

「あとは足で地面を擦って速さを落とすしかねえ!強くつけすぎて足の骨折るなよ!」

 地面が近付く。足が地面に触れる度に高度が上がりそうになるのをギリギリで抑えつつ、速度を更に緩めていく。かかとが地面にあたってから先の出来事は一瞬にも数分にも感じられた。

 きしむ膝の感触。足の裏で擦り切れる草の香りと、立ち込める土煙。土の中に広がる泥の味。自分の口から発せられるうめきのような音。やかて体がぐん、と引っ張られみっこは地面に転がった。

 痛みは感じ無かったが、着地の衝撃ですぐには体が動かない。なんとか首をもたげると、すぐ隣にカッコがうつ伏せに倒れていた。

(ショーリとバルミさんは?)

 みっこはそこで自分とカッコがロープを握っていないことに気付く。風船になったバルミは大人1人くらいなら浮かせてしまう浮力があったはずだ。焦って空を見上げるも、そこにもバルミ達は見当たらない。

 みっこは急いで立ち上がろうとするも、足が笑ってしまいうまくいかない。何とか這うようにカッコに近付き、その体をゆする。

「カッコ!大丈夫?」

 彼女は小さくうなづき、仰向けになる。

「い、いまさら震えがきちゃって……でも大きな怪我はないと思う。みっことリンゴさんは平気?」

 みっこはその言葉に血の気が引くのを感じながら恐る恐る自分の胸ポケットを触る。幸い砕けたリンゴの体に触れることはなかったものの、あるべき場所にリンゴがいない。

「リンゴ!ショーリ!バルミさん!」

 周囲を見回せど、一面風になびく草原ばかり。やはり飛んでいってしまったのか。 

 みっこが諦めかけた頃、どこからかくぐもった声が聞こえてくるのに気が付く。

「みっこ、こっち!」

 動けるようになったカッコが手を振っている。近付くとそこには大きな窪みがあり、その底でロープに絡まったショーリとバルミがロープをほどこうともがいていた。

「地面を滑っている間にロープがそこの木に引っかかったみたい。そのお陰で空に飛んでいかなかったのね」

 カッコが指差す先には草に隠れるように途中から折れた木の幹があった。引っ張られるような衝撃はこの木にロープが引っかかった際のものだったのだろう。

 とりあえず2人は無事だった。ロープと格闘している様子を見るに大きな怪我もなさそうだ。みっこはロープをしっかり木に結び直す。これでバルミが風に流されてしまうこともないだろう。だが、リンゴがいない。

「カッコ、リンゴがまだ見つからないの。少し周りを見てくる」

 そう伝えてみっこは改めて周りを見回した。

 森の中にポッカリと空いた草原だ。ところどころに朽木が立っている他には何もない。さきほど僅かに覗いた朝日は既に雲にのまれ、暗澹とした雲の流れが空を包みこんでいる。どこか生気を感じさせない景色である。

 みっこは足元に気を付けながら、さきほど倒れていた場所へ向かう。

「リンゴ!どこにいるの?」

 地面を転がっている間に落ちたならこのあたりにいるはずだ。だが、見つからない。

 みっこは鼓動が早くなっていくのを感じた。もしリンゴが見つからなかったら?もし見つかったとしてももう動かなかったら?もし――

 ぱんっと音を立てて両頬を打つ。胸の中に湧き上がる不安が頭を侵食する前に、スイッチを切り替える。

(頭で考えろ。私達は確かにここを転がったけれど……その前にロープが引っかかった時の衝撃があった)

 みっこは再び折れた木に立ち戻る。

(私達は朝日に向かって流されていたんだ。ロープをしっかり絡ませていたから、バルミさんが木に引っかかった衝撃のあと、少し時間差をおいてロープがほどけあっちに吹き飛ばされた)

 あの小さな体だ。最初の衝撃が走った際に吹き飛んでいたのかもしれない。万が一にも踏みつけないよう、細心の注意をはらいながら別方向を探す。

「みっこ、ここじゃ」

 不意に足元から聞こえた声。視線を移すとそこには痛ましい姿のリンゴがいた。身体は埃にまみれ、羽は片方はみ出たまま戻っていない。よく見ると足も一本欠けている。

「ああ、リンゴ!大丈夫?」

 うまく歩けずにいるリンゴを見かねて、みっこは両手で優しくすくい上げる。

「様子が気になってポケットから顔を出してしまったのが良くなかったのう。吹き飛ばされて転がっている内にこのザマじゃ」

 カラカラ笑うリンゴ。

「痛くないの?早く手当を……」

「いいんじゃ、みっこ。ワシは虫。羽がもげたり足が外れる位の痛みは耐えられる。むしろこんな仕事をしておきながら、今まで五体満足でいられたことに感謝するくらいじゃ」

「でも、この羽じゃ」

「うむ。もう飛べんな。一瞬浮いたとしても、体を持ち上げるのは無理じゃ」

 やはりそうか。みっこは愕然とする。私がしっかり守っていれば。別の方法で脱出していれば。そもそもリンゴに出会わなければ。彼の足も、羽もこんなことにはならなかった。

 頭の中が自分を責める声で満たされる。みっこの理性は「そんなことを考えても仕方ない、他に道はなかった」と告げている。しかし、みっこの心がそれを受け止めることができないでいる。

 その様子に気付いたリンゴが、残った細い腕をみっこに向けて突き出す。

「みっこよ。これはわしが選んだ道。わしが望んだ選択の結果。みっこが抱えることはないし、むしろ勝手に抱えてくれるな。わしは後悔していない。元々この仕事を最後に、導者は引退するつもりでいたんじゃ」

「引退なんて、なんで」

 みっこはリンゴの小さな黒い瞳を見据える。

「本当はな。わしはもう導者として限界だったのよ。ソーダ水の空で出遅れたこと。リョキスンに何度も不手際を指摘されたこと。毎回みっこのポケットに入らせて貰っていたのも、全部昔のわしでは起き得ぬことだった。それでもみっともなく導者にしがみついていたのは――やり切ったと思える仕事が欲しかったからじゃ」

 リンゴは続ける。

「わしは、残したかったのだ。リンゴという小さな導者がいたことを。小さくとも、不向きでも立派な導者となれるという実績を。だが、そんなチャンスは訪れなかった。わしは常に安全なお客さんをあてがわれ、そして最終的にはあの人気ない山脈にまわされた」

「で、でも、リンゴは最小にして最長の導者って有名だったじゃない」

「あれはな、決して褒め言葉ではないのだ。ムギファウのような表裏のないものならばともかく、一般的には言葉通りの意味なのじゃよ。小さく、にも関わらず現場に留まっている年寄という。まあおかげで沢山のお客さんに会うことが出来たわけだ。そして何より」

 ――お前さんに会えた、と。少し照れくさそうにリンゴはつぶやく。

「いいかみっこ。わしはみっことの旅を書に記すつもりでおる。最小にして最長の導者の最後の大仕事としてな。だからそんな顔をせんでおくれ。わしは今最高にいい気分なんじゃ。この大冒険に付き合うことができて、な」

 みっこは小さく頷くと、リンゴを優しくポケットに入れる。

「わかった。改めてよろしくね、リンゴ。あっちに皆がいるの。合流しよう。リンゴのためにもこの旅を大団円で終わらせないとね」

 この旅を、リンゴに後悔させない。みっこは強く思いながら歩き出した。


 3

 

「で、どうすんだ?」

 ショーリが火で炙ったキノコをかじりながら言う。

 時刻はおそらく昼過ぎ。とは言っても空は暗雲が立ち込めており時間の感覚は無くなりつつある。

 あのあとみっこたちは雨風を防げる場所を探し、まずは仮眠をとった。バルミはどこかに結んでおかないと風で吹き飛ばされそうだし、何より体力が限界だった。4、5時間は眠ったのだろうか。本音を言えばまだまだ寝たりない。だが、せっかく掴んだアドバンテージを無駄にするわけにもいかない。みっこは眠い目をこすり、一同の会話に耳を澄ませた。

「うむ。これから我々は星乙女の湖を渡り、生命の大時計に向かわなくてはならん。それにあたり、解決せねばならない問題がいくつかあるのう」

「具体的にどんな問題があるのです?」

「まず、生命の大時計はその動力として島に上陸した者の命を吸い上げるということじゃ」

 いまいち要領を得ないバルミとショーリにカッコが昔話も含め説明を補足する。

「ずいぶん趣味のわりい島だな。正直行きたくねえぞ。俺達は少人数。すぐに干からびちまうんじゃねえか?」

「そのために、一応手は打ったの」

 みっこは全知王との賭けについて説明した。全知王が賭けに負けないために追手がやって来るであろうこと。もしみっこ達が島に上陸すれば、彼らもそれを追い上陸してくるであろうこと。

「成る程。追手達が島にいれば負担は分散されるというわけですね。確実に追手を差し向けさせるために全知王のプライドを刺激して賭けを成立させるとは――」

「あんまり深く考えてたわけじゃないの。それに、結局解決しにくい問題が残ってるし」

 みっこ達は島に上陸しなくてはいけない。だが、そのためには追手がいなくてはならない。一方で、先に追手が島に着いていれば。島に繋がる橋は封鎖され、舟に乗って近寄る隙も与えては貰えまい。賭けの成立はたしかに上陸したあとの保険にはなった。しかし、依然として眼の前に広がるのはわずかな隙間でしかない。

「追手が馬鹿正直に追ってこないで俺達が力尽きてから捕まえにくる可能性だってあるわけだしな。俺ならそうするぜ」

 そう。ショーリが言う可能性も十分ある。命を吸われると言ってもすぐに死んでしまうわけではないのだろう。動けないくらいに弱ってきたところで後を追うのは合理的だ。

「そうですね……一体どうしたらいいのでしょう」

 カッコが手持ち無沙汰に枝にさしたキノコを火の周りに踊らせる。

「それ以上炙ると焦げ付くぞ」

 ショーリの声に我に帰ったカッコは急いでキノコを口元に運ぶ。かじりつくにはキノコは熱すぎたようで、カッコは「ひゃん」と小さくうめき慌ててキノコから口を離した。

 しばし、皆でキノコをかじる。脱出に際し、手元にあった食料はそう多くは無かった。結果、周辺で見つけたキノコを炙りながら、わずかな干し肉を分け合って食べている。

「昨日までの食事を考えると、天地の差だね」

 みっこはリンゴと苦笑しながらやっと冷めてきたキノコをかじる。

「へっ。城の料理なんざ頼まれても食いたかねえな。今俺が食いたいのはよ」

 ショーリはそこで一瞬、躊躇し、意を決したように後を続けた。

「——煮干し出汁のしっかり効いた、味噌汁だからな」

 その発言にカッコの目が輝く。

「ショーリさん!一緒に帰る気持ちになられたのですね!」

「勘違いすんなよ。俺の優先順位はまずあんたとみっこが無事に戻れること、だ。でもよ」

 可能性があるなら、そりゃ戻りてえよ。

 初めて聞こえたショーリの本音だった。カッコはショーリの手をとる。

「大丈夫です!3人寄れば文殊の知恵、何か方法はあるはずです。一緒に帰りましょう。そして祝言を……」

「あのな、距離が近いんだよ!ガキが色気づくんじゃねえ!」

 赤面しながら手を払うショーリに、思わずみっこは笑ってしまう。

 そんな中、一人だけ顎に手をあてて神妙な顔をしている男がいた。まだ膨らんでいるため残念ながら様になっていないが、その眼差しは真剣だ。

「む、バルミ殿。何か考えておるのかの」

 リンゴの声に、はっと我に返ったバルミはゆっくり口を開く。

「ええ。今回の島上陸の件。たしかに難題ですが、私それを解決できるやもしれません」

 一同の顔が上がる。

「おいおい、一体どんな手があるってんだ?あ、わかった。もう一回風船で空から攻めようってか?」

「いえ。おそらく今後風がさらに強まるわけですから思い通りの場所にたどり着くことは出来ないでしょう。それに上空も命を吸われる範囲に入っている可能性もありますな。私の考えは非常に単純です」

 そこで初めてバルミはニヤリと笑った。含みの無い、笑顔。強いていうならいたずらを思いついた子どものような。

「私の旧知の友の力を借りましょう。丁度この近くにいます。彼の力があれば、島に上陸し、追手が来ても来なくても島での行動が可能になるはずです」

 バルミは作戦の全貌を話はじめた。

 

 時は移る。場も移る。みっこ達の悪巧みが始まってから2日が過ぎた頃。星乙女の湖には百人近い武装した兵士が周囲をぐるりと包囲し警戒態勢を敷いていた。じゃらかしゃん、じゃらかしゃんという音が人気のない湖に響き渡る。——銀腹魚団である。そして、その指揮をとっているのはアラビア風衣装の二足歩行猫。リオネルだった。

「これで、安心なのよ」

 満足そうに頷くリオネルの隣には、両手を縛られたリョキスンがいた。

「ご機嫌そうで何よりだ、子猫ちゃん。だがみっこをあまり甘く見ない方がいいぞ」

 拘束による疲労はありながらも、その眼光はいまだ鋭くリオネルを穿つ。リオネルは鼻をならして答えた。

「一体どうやって?島への唯一の入口だった橋は今壊したのよ。そして湖の周りはぐるりと銀腹が守っている。もし舟で上陸しようにも、すぐに見つけられるのよ。それにこの天気」

 空は厚い雲が渦巻き、雷鳴が轟いている。風は吹きすさび、普段は穏やかなはずの湖面はまるで生きているかのように波打っている。

「猫のカンが告げるのよ。そろそろ大雨がやってくる。本格的な猫の目嵐の始まりよ。王都を離れたときの風船もこの風じゃ使えない。バレないように泳いで上陸するのもこの波じゃまず無理よ。つまり」

 この賭けはあーし達の勝ちなのよ。

 勝利宣言をするリオネルにリョキスンは失笑。

「む。じゃあリョキスンはみっこ達がどうやってここに来るというのよ」

「残念ながら私にも皆目検討がつかんね。なにせあの依頼人は既に私の手に収まらなくなっている。きっと想像もしない手を打ってくるさ」

 リオネルは話にならないとばかりに首を振り、どっかと椅子にこしかけた。

 ぽつ、ぽつ、という音が雨よけの布から響き出す。

「予想通りよ。大雨到来。嵐の始まりよ」

 リオネルの言った通り、雨はすぐに強さをまし、横殴りの猛烈な嵐となった。

 その時である。リオネルの耳がピクリと動く。

「何よ、この音」

 リョキスンには何も聞こえない。だが、彼は確信している。

「リオネル様!大変です!」

 びしょ濡れの銀腹が息をきらせながら近付いてきた。リオネルはそれを制止して答える。

「ちょっとそこまでにするのよ。あーた達のニオイはあーしの鼻にはきつすぎるのよ」

「そ、それは失敬。ですが、一大事なのです」

「一体、何があったのよ」

「カエルです」

 ぽかんとした表情のリオネル。

「カエルが、どうしたのよ」

「ですから、カエルが来たのです!湖の西から一直線に!ほら、聞こえませんか?」

 今度は、リョキスンにも聞こえた。何か大きなものが水に入った音。音の方を向くと、雨で霞む視界の先に小山のような影が見えた。

「奴らはオオガエルに乗ってきたのです!既に湖に侵入されました!橋を壊した今、すぐには追いかけられません!!」

 思考停止状態のリオネルの横で、リョキスンの口元がこれ以上ないくらいに大きく歪んだ。

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