第9章 対決と脱出 4

 6

 

 下水道への入口を開けると、下へ向かう階段が続いていた。内部に明かりは一切届かず、あれだけ暗いと思った外でさえ振り返ると明るく見える。

 みっこは思わず息を飲み込んだ。ショーリの隠れ家からの脱出時も暗闇だった。だがあの洞窟はまだ自然の空気が混じっていたように思える。この下水は違う。完全な人工の暗闇。街が吐き捨てたものを流す暗部。

(ええい、私が怖気づいてどうする)

 そうこうしている間に周囲が明るくなった。ショーリがランプに火をつけたのだ。

「ほれ、この位置じゃまだ外からのぞきゃ明かりが見える。さっさと下に降りるぞ」

 先を進むショーリを追い、みっこは意を決して足を踏み出した。

 しばらく階段を降りると、左右に水が流れる水路に繋がっていた。水路は幅幅3メートル程の半円状となっており、整備のためか人1人が歩ける程度の幅の歩道がついている。

「やっぱり、匂いはするのう」

「そりゃ下水だからな。公衆浴場の水やら生活排水で薄まってるし糞尿そのままの匂いとまではいかねえが、くせえもんはくせえさ」

 背後から迫る気配がないかを気にしながらショーリが返す。

「風呂の水を流すのは理解できますが……し尿は肥料になるのでは?」

「そりゃ平地に開かれた村の発想だろ。壁で囲まれた都の中じゃどっちにしろ使えねえ。まあ近くで農業が盛んだってならそういう商いをする連中も出てくるだろうが、ここはクリオの中心だからな。食い物は外から集めてこれるからそこまで畑も広がってねえし」

「ほう、ショーリ。お主、なかなか知恵が回るのう」

「テントウムシに言われてもうれしかねえけどな」

 みっこはそうしたやり取りを聞きながら、単純に感心する。多分、物を考える時の土台になる知識の量が違うのだ。

(あっちに戻れても戻れなくても……もっと色んな本を読んどこう)

 そんなことを考えながら進むと、次第に水音が強くなってくる。みっこが怪訝に思っていると、ショーリが急に足をとめた。

「さて、ここからが本番だ。見てみな」

 みっことカッコは恐る恐るショーリの後ろから前を伺う。今までの狭い通路が終わり、広い空間が広がっている。体育館ぐらいのスペースに、左右上下様々なところから水が集まってきて地下湖のような様相だ。だが、行き先を探すも道がない。水面の先も見てみるが、あるのは壁だけだ。

「ここって、突き当たり?どっちに行くの?」

「そう見えても仕方ねえな。でもよーく耳を澄ませてみろ。壁の先から水音が聞こえていないか?」

 言われてみっこは音に集中する。たしかに、壁の先から音がする――ような気がする。

「わかりました!この先は、下り坂になっているのですね。見る限り、各方面からの汚水が集まって、最後は傾斜の勢いで外に押し流すといった作りなのでしょうが……」

 カッコの言葉にもう一度壁の方を眺めてみる。確かにそのとおりだ。よく見ると壁ではなく、くだり坂の天井部が見えているのだった。

「むう。あそこが下りとすると外から侵入できないというのも納得がいくのう」

「そういうこった。ここからじゃ見えにくいが天井は低くて急勾配、流れに逆らうのは厳しい。だが、外に出る分には流れに乗って外まで一直線だ」

 だが。ここから先は歩道がない。水深は浅そうだが、汚水の中を進まなくてはならない。それに傾斜が急ということはそれだけ危険でもあるということだ。

「まあ着の身着のまま脱出するってぇなら汚水の中を泳ぐしかねえわけだが、幸い今回は仕込みをする時間があったもんでな。イカダを準備してある。汚水は病のもとになるし触れねえに越したことはねえ」

 用意周到だ。そういえばこの男は琥珀水晶の塔でも入念に計画を立てて脱獄を果たしたのだった。

「ありがとう。まさかここまで準備してくれてるなんて……」

「へっ。お前さんから行き先を聞き出せれば良かったんだが、そんなタマじゃねえのは影切り森でよおくわかったからな。なら一緒に逃げてもらうしか手はねえ。お前らのためにやったんじゃねえ。徹頭徹尾俺自身のための準備だ。感謝されてもお門違いってもんだぜ」

 やや言い訳めいて聞こえるのは、みっこの都合のよい解釈なのだろうか。

「——それに、万全の策ってわけでもねえ。ここから先はそれなりの傾斜だ。途中で何かに弾かれて天井にでもぶつかれば命の保証はねえし、転落の可能性もある。それでも、行くか?」

 みっことカッコは顔を見合わせると、大きく頷く。

「行くよ。これは私達だけの思いじゃないから」

 ショーリは、そうかよ、と短く返すとランプを掲げた。

「こっちだ。イカダはこの先——」

 そこで、ショーリの表情が固まる。

「馬鹿な……なんでアンタがここにいる!?」

 驚きだけではない。怯えが混じっている。みっこは遅まきながら、ショーリの視線の先にいる者を捉えた。ランプの光の届かぬ暗闇から、足音もなく近付いてくるその男に、みっこは見覚えがあった。

「何も不思議なことはないでしょう、大泥棒ショーリ。私は貴方を捉え、クリオの法に処す義務があるのです。王都に潜伏しているという噂を見逃すはずはないでしょう」

 長身に、場にそぐわないシルクハット。パリッとした燕尾服に口ひげ。だが、優しげな垂れ目は今は笑っていない。怪しい眼光を携えている。

「……バルミさん?」

 みっこの呟きに彼はニコリと微笑み、答えた。

「お久しぶりですな。みっこさん。カッコさん。大泥棒を捕まえに参りました」


 7

 

 バルミ。琥珀水晶の塔の管理人。刑務所の所長。慇懃無礼なほど丁寧な物腰に見え隠れする、その役職に相応しい怖さ。今やバルミはそれを隠そうともしていない。表情こそ笑っているが、全身から漂う気配は以前出会った時と別物だった。

「お二人と出会ってから、私はずっと気掛かりでした。無事、元の世界に戻れるのかと。風の噂で全知王に捕らえられたと聞いた時には心底後悔しましたよ。私がショーリをしっかり管理していればそんな目にあうこともなかっただろうに……と」

「へへ、悪かったな、俺のせいで心労を増やしてよ」

「まったくです。だから思ったのですよ。やはりショーリは私が連れ戻さねばならない。そうしてお二人に謝罪をさせなければ、私の存在意義とはなんなのかと」

 ドサッという音がした。見ると、ショーリが荷物を地面に落としている。そして、その横にランプをゆっくり置いた。

「残念だが、その憎まれっ子の俺が今やお二人さんには必要らしいぜ。応援してるってぇなら、今回は見逃しちゃくれんかね」

 ギロリとバルミの目が光る。

「いいえ、そうはいきません。私は貴方を捉え、カッコ様が盗まれたものをお返しする」

「そうは言ってもバルミ殿。今は訳あって二人はショーリと協力しているのじゃよ。彼の力が必要なんじゃ」

 リンゴの言葉に、バルミは少し申し訳無さそうに言う。

「お二人で辿り着けないならばそれも運命なのでしょう。私はあくまで自身の仕事を遂行するのみ、です」

「あんたらしいな。正しくて真面目で優しくないお言葉、泣けてくるね。じゃあ、俺としてはあんたをのして先に進むしかねえなあ」

 次の瞬間、ショーリの姿が消えた。そして一呼吸の後、ザッという靴擦れの音。

 気付けばショーリはバルミのすぐ横にいた。右足がバルミの顔面に向けて放たれる。

 バルミは左足を軸に半回転するだけでその蹴りをいなし、空いた左腕をショーリの右腕に伸ばす。

 一方、バルミが自身の重心を崩そうとしている意図に気付いたショーリは、蹴りの勢いを利用しそのまま左足での回し蹴りにうつる。狙いはバルミの後頭部。一方、バルミは死角から迫っているはずの蹴りには見向きもせず膝を落として回避するとそのままショーリの方へ踏み込み、みぞおちに拳を叩き込んだ。

「ランプの光に死角を作った時点で、初動が読めますよ。奇策に走る傾向は変わりませんな」

 声もなくうめくショーリにバルミの長い脚が襲いかかる。ショーリは辛うじてそれをかわし、地面を転がりながら距離をとる。

 みっことカッコには正直何が起こったかがすぐにはわからなかったが、1つだけ理解できたことがあった。

(この人、すごく強い)

「ショーリさん!」

 介抱のため近付こうとするカッコを、バルミが左手で制止する。

「下がっていて下さいませ、カッコ様。さもなくばお客様であっても一時拘束する権利が私には与えられております」

「で、でも……」

「そのとおりだぜ、ほっとけ嬢ちゃん。こいつは本気だ」

 ショーリは口元を拭うと、再び構えをとり、ランプの光が届きにくい闇と光の境界を陣取る。

「無駄なことを。この後に及んで小細工にはしる時点で、貴方はなぜ私に勝てなかったかのかを反省しきれていないようですな」

「あいにく反省は嫌いでね。こちとらまだガキなもんで、真っ向から成長してあんたを下すのさ」

 再びショーリが迫る。だがバルミの方が手足が長いこともあり、真っ向から打ち合うとまったく攻撃が届かない。

「ね、ねえ、リンゴ。これ、どんな状況?」

「むう。体格的にも経験的にもバルミ殿の方が有利という印象をうけるの。ショーリもそれはわかっとるのだろう。先程から手数は多く打ち込んでいるが、全て懐に入り込むためのもの。だがバルミ殿もそれを警戒しているが故に簡単には中にいれさせん」

「つまり簡単に言うと」

「現状ショーリが一方的に殴られておる」

「やっぱり?」

 みっこは戦いには詳しくない。地下水路の入口での動きはあくまで戦いではなく「人の意識をそらす」ことだけに集中した結果だ。そんなみっこが見ても、今の状況はショーリが追い詰められているのがわかる。一見互角の戦いに見える。しかし、よく見ると常にショーリがしかけ、それをバルミがさばき、最後はバルミの攻撃で終わっている。1つ1つの攻撃は決して強烈ではないものの、確実にショーリの体力を奪っていく。

「ショーリ。貴方はたしかに成長している。以前捕まえた時に比べ、先を見通した戦い方をするようになった。それは認めましょう。でも、まだ」

 ――諦めが、足りませぬ。

 バルミはそうつぶやくと、ショーリの攻撃を逆に自分の方へ引き込んだ。不意をつかれ体制を崩しかけたショーリの脇腹に、強烈な膝打ちがめりこむ。

「っが……」

 ショーリは地面を転がったあと、胃の中身を吐き出した。

「貴方の方が若い。速さも早さも全てが上。それでも貴方は諦めが悪い。だから、私に勝つことはない」

 バルミがショーリに近付く。

「私は自分に起きたこと、起きることを受け入れている。流れに身を任せている。私にとってこの戦いで攻撃をうけ、負けるかもしれないことすら既に想定の範囲内。故に、最小の動きで避けられる。当たっても構わないと思うからこそ、戦いの最中に力まない。対してショーリ、お前は欲が強すぎるのです。ああしたい、こうしなきゃ、こうなれば。頭の中は打算で一杯だ。だから力む。だから読まれる。攻撃を絶対受けたくないと思い、必要以上に大きく避ける。隙が生まれ、溜まっていく。私はそこをつく」

 バルミは起き上がれないショーリの腹を思い切り蹴り上げる。

「やめて!バルミさん!!」

 みっこは思わず叫ぶ。

「それは出来ない相談です。ショーリに諦めを伝えるのは私の役目。ショーリ、良く聞きなさい。貴方が立ち上がろうとするたびに私は全力で蹴ります。大人しく話を聞いていればその間は何もしません」

 ショーリは膝をついたままバルミを睨む。

「貴方には言ってなかったが、私も罪人なのですよ。妻と子、目の不自由な父を残して私はエルビザへ出稼ぎに来た。ですが素人商売はすぐに火の車。気付けば私は貴方と同じコソ泥に成り果てた」

 ショーリは何も答えない。みっこも、カッコも、リンゴすら、何も言えない。

「私は早く帰りたかった。だから模範的な囚人となった。仕事に励んだ。やがて私無には琥珀水晶の塔は回らなくなり、気付けば私は囚人でありながら所長となっていた。おかしな話でしょう?そんな私だからこそね。諦めの悪い者——運命を受け入れられない者が許しがたい」

「へ、ヘヘ……。なるほど、ね。あんたが、他の看守と違う雰囲気だった、理由、わかったぜ……。逃げちまえば、よかったじゃねえか。あんたも」

 バルミの蹴りがショーリを吹き飛ばす。

「話で気をそらした隙に立とうとしても無駄ですよ。見張るのは慣れている。私はね、運命を受け入れたのです。最初は仕方なく始めた所長でも、続ける内に責任が生まれる。守らねばならぬ者が現れる。すると、それなりに楽しさも生まれてくる。私は仕事に逃げた。そうして数年がたった頃ですよ。妻の死が知らされたのは」

 ショーリはうめきながらも、視線はバルミから離さない。

「私は、妻の死も所長になったことも全てが私の罪に対する罰なのだと感じました。家族を捨て離れた罪。コソ泥に成り果てた罪。家族を忘れ、所長にやりがいを感じてしまった罪。——罪には罰が必要です。それは太古から続く最も原始的なルールであり理です。だから私はそれを受け入れた。これが私の運命であり、琥珀水晶の塔の所長が私の終着駅だと。そして、ショーリ。今度は貴方の番なのです」

 バルミはショーリの顎をもちあげる。ショーリには、最早反撃する力がない。

「リボンを返すのです。私が捉えるべきは貴方のみ。わかっているのでしょう?彼女の持ち物を使い戻った所で貴方の望みが果たされないかもしれないことは」

 その言葉が、決め手だった。ショーリの膝ががくりと落ち、全身の力が抜ける。

「ショーリさん!」

 いてもたってもいられなくなったカッコがショーリに駆け寄る。バルミはそれを制止しない。わかっているのだ。決着は、既についている。

「——わかってたさ。あんたの言う通りだ。俺が帰っても、目的が達せないかもしれないことは」

 ショーリは立ち上がろうとするも、足の自由が効かないようだった。カッコが傷の手当をはじめる。

「……みっこ、俺の荷物の中から赤い液体の入った瓶を持ってきて、カッコに渡してくれ」

 みっこは言われる通りにする。

「ショーリ、リボンはどこにあるのです」

「俺の懐の中だよ。返すが汚えとかいうなよ」

 そう言ってショーリはリボンを取り出すと、カッコに突き出した。

「頼みがある。お前が元の世界に戻ったら――瓶のラベルに書かれた住所にいるおばさんにそいつを渡してやってくれ。息子からの薬だと」

 受け取ったカッコは目を見開く。

「そんな……。貴方が元の世界に戻ろうとしていたのは、お母様のためだったのですか?そのために、今まで――」

「うちの母ちゃんはさ、いわゆる不治の病ってやつだ。徐々に手足が動かなくなって死んじまう。こっちの世界に来るまでの俺は毎日母ちゃんの介抱ばかりでよ。一瞬思っちまったんだよ。母ちゃんの死に目に合うのも怖いし、今の生活も辛い。どこかに逃げたいってよ。その報いがこれさ」

 バルミも静かに目を閉じて、聞いている。

「でも、クリオの国で俺は目標を見つけたんだ。この国の秘密の1つ、赤魔女の秘薬。ありとあらゆる病をたちどころに治しちまうという薬のことを俺は全知王から聞いた。それから俺はずっと諦められなかった。薬を見つけ、母ちゃんに渡す。あの日一瞬でも母ちゃんから離れようとした罪滅ぼしに絶対にその薬を持って帰るんだと。でも」

 ショーリは笑った。軽々とした、爽やかな笑みだった。

「わかったよ。俺の仕事はこの薬を見つけて、お前らに託すまでだったんだ。だって、俺の帰れる時間は本来もう尽きていたんだからな」

「そ、それでも私のリボンを使えば帰れるはずだ……と、貴方はそう言っていました。なぜここにきて諦めるのですか!」

「おいおい、何であんたが怒ってるんだよ。しゃあ聞くぞ。あんた、何年生まれだ?」

 カッコは、答えられない。記憶がないのだ。

「俺はあんたの持っているリボンと全く同じもんを元の世界で見たことがあった。だから勝手に同じくらいの時代だと思ってたが……。そもそも全くの検討違いの可能性だってある。それにな。あんたの時代と俺の時代がたとえ近かったとしてもだ。意味はないかもしれないんだ。なんせうちのかあちゃんは難病だ。少しでも時期がずれれば――死んでるかもしれねえんだ」

 バルミが悲しげに口を開く。

「ですが、カッコ様。あなたは確実に自分の世界、時代に戻れる。そしてもしショーリの時代が近く彼の母が存命ならばあなたが薬を渡すことができる。更に言いましょう。赤魔女の秘薬がもし私の聞いた通りの品だとすれば、その薬は貴方の記憶も完全に元に戻してくれるでしょう。もし彼の母に渡すことが出来ずとも、ショーリの行動には意味が生まれるのです」

「そういうこった。バルミさんよ。俺の役目は、ここまででいいんだな」

「そうですよ、ショーリ。貴方は充分頑張った。どうですか、諦めた――受け入れた気分は」

「——思いのほか、悪かねえ」

 ニコリと笑みをたたえたバルミが、ショーリに手をのばす。ショーリも苦笑いとともにその手を掴もうとする。

「ダメです!!」

 場が全て丸くおさまりかけたその穏やかな時間を、カッコが割ってぶち壊した。

「そんなの、ダメです!!納得いきません!!私はショーリさんにこそ元の世界に戻ってもらいたい!!リボンは御返しします!」

「な……あんた頭おかしいのかよ?俺がいいって言ってんだよ!元々あんたのリボンだろ?早く受け取れって!」

「イヤです!私決めました。貴方と一緒じゃなきゃ帰りません!」

 そのままショーリとカッコは喧嘩を始めてしまう。バルミはおろおろとしながら口を開く。

「し、しかしカッコ様。ショーリは運命を受け入れたのです。それに目印が1つで2人の人間が門をくぐった時、何が起きるかは誰もわからないのですよ!」

 カッコはキッとバルミを睨む。美少女の睨みほど、圧のあるものもない。百戦錬磨のバルミが、思わず居住まいを正す。

「……私は、バルミさんのように自分の運命を受け入れていたつもりでした。なにせ元の世界の記憶が無いのです。戻ろうと思う気持ちも無かったし、ああ、私はきっとここで暮らしていくのが運命だったんだと、本気で思っていたんです」

 カッコは、涙を流しながら続ける。

「でも、みっこ達と旅をする中で気付いたんです。私は受け入れたんじゃない、諦めようとしていたんだと。次が見えなくなって、今いる所が終着駅だと思おうとしてしまっていたんだと。バルミさんもそうだったんじゃないですか?次が見えなくなってしまった。だから受け入れたと思おうとしたんじゃないですか?」

 バルミは答えない。

「受け入れることと諦めることは、似ているけれど違うんです。諦めはやれることをを全てやったあとに起きること!まだ次に向かう場所がある限り……現状を受け入れたとしても諦めるのは早いんです!正直、私も元の世界に戻るべきなのかわからない。記憶が戻ってもいいことはないのかもしれない。でも私にもやりたいことができたんです」

 カッコはショーリを抱きしめ言う。

「私はみっこと同じ世界、同じ時間を生きたい!そしてこのショーリさんのことを、もっと知りたい!だから諦めません!そして、ショーリさんにもまだ諦める前にやれることがある。だから、諦めさせません!!」

「お、お前何勝手なことを――」

 カッコは目を背け、ぽつりと言った。

「私、あなたに恋をしてしまいました……。一緒に、帰りましょう」

 これにはバルミもみっこも(見た目ではわからないけれど多分リンゴも)開いた口がふさがらない。頬を赤く染めながらショーリを抱きしめる彼女はまるで教会に飾ってある聖母像のようだ。

「ば、ば、ば、馬鹿野郎!下らねえこと言ってねえで早くリボンを受け取って行っちまえ!それに俺はガキには興味ねえんだよ!」

「今はガキです。でもショーリさんだってまだ大分お若い。あと数年もすれば私だって女です!追いつきます!」

 そんなやり取りを見ながら、バルミが心底楽しそうに笑い出した。

「いやはや……私の負けですな。これだけカッコ様に張り付かれては、ショーリのみを連れて行くのは難しそうだ」

「おいおい、あんたまで何言い出すんだよ……。てかこいつ何とかしてくれよ……」

 バルミはしゃがんでショーリと目を合わせる。

「いいですか、ショーリ。カッコ様のお陰で貴方には次の道が現れた。捕えるのは、そのチャレンジが終わってからでもまあいいでしょう。今は導者のように、しっかり、カッコ様をエスコートするのです。そしてもし帰れるのであれば……自分の世界に帰りなさい」

 ショーリは何か言おうとするも、飲み込んで頷く。

「こっちへ来なさい。この地下通路には様々な隠し通路があるのです。そちらの危険なイカダを使わずとも、外に抜けるルートが1つだけ残っています」

 バルミはそう言うと先に進みだした。

「んなバカな……この大泥棒ショーリが下調べしても見つからなかったんだぜ?本当にそんなもんが――」

「ありますよ。私はかつてよく使いましたから」

 呆気にとられる一同を振り返り、バルミは言った。

「私はショーリより年季の入ったコソドロだったのですよ。甘く見ないで頂きたい」

 バルミの口元がニヤリと歪む。闇の中を暫く進むと、僅かにランプの光が反射する場所があった。

「ここですな。ヒカリゴケが目印です」

 バルミが地下水路の一角のレンガを少しずつずらし、人1人がやっと通れる程度の穴があいていく。

「ここを通れば、丘の中腹にある墓地に出ます。この通路は私以外知るものはいないはず。さあ、行きなさい」

 リボンをどっちが持つかでもめているショーリとカッコはまだ少し落ち着くのに時間がかかりそうだ。リンゴが必死に仲裁しようとしているが、難航している。みっこはその隙にずっと気になっていたことをバルミに問いかけることにした。

「バルミさんは、この後どうするんですか?」

「そうですね。水路の本来の出口に控えさせてる部下と合流し、塔に帰りますよ。何も変わりません」

「私、さっきのカッコの話を聞いて思ったんです。バルミさん、一緒に逃げませんか。家族の所へ戻りませんか」

「ほう。それは魅力的な提案ですな。——ですが私には囚人と所長という2つの立場がある。しがらみがある。それらを断ち切って逃げることを世間は許しますまい。貴方がたのように、次の道が私にはありません」

「それなんですけど……あるかもしれないんです。貴方の立場を守りながら家族と会う時間を作れる方法が。その後で塔に戻るのであれば当然それはバルミさんの自由とは思うけど」

 ふむ、とバルミは顎に手をあてる。

「鋭いみっこ様の言う事です。信じたい気持ちはやまやまですが……。私の今まで積み上げてきた囚人としての、所長としての立場を賭けるに値するとは思えませんな」

 口調は柔らかいが、バルミの意思は硬い。

「じゃあ、私がバルミさんのクイズを解いたって言ったらどうですか。信頼、できますか」

 バルミの表情が固まる。

「琥珀水晶の塔にまつわる、最後の秘密ですか」

 みっこは頷く。

「いいでしょう。聞かせて見て下さい」

 あの時はわからなかった。でも、今は視野が広がったからか。あの塔にあったもう一つの違和感に気付くことができる。

「琥珀水晶の塔はたしかに監視塔ではなくて積極的な攻めの拠点でした。でも、あの塔はクリオの国が建てたものではなかったのではないですか?つまり今でこそクリオの国のものとされているあの塔は――愚鈍戦争の最中に敵が建てた拠点だったのではないですか?」

「……なぜ、そう思うのです」

「だって海岸線はあんなに広いんですよ。敵がどこに舟をつけるかわからないんじゃ、折角塔に攻撃できるしかけがあったとしても活かされないじゃないですか。でも逆の立場ならあの塔の構造は生きてくる。なにせクリオの国にとって最も自国に近い所に作られた敵基地なのだから。砂丘の至る所からあの塔めがけてクリオの兵が押し寄せたはず。そしてそれは……」

 ――あの塔から狙い撃ちにできたはずです。

 みっこが言い終わると、バルミはむうと低くうめく。

「お見事ですよ、みっこ様。私が墓まで持っていこうと思っていた秘密だったのに……明かされてしまいましたな」

 ですが、とバルミは続ける。

「そのクイズの答えがどう私の今後に影響するのです?」

「わかりません。ただ、私に言えるのは琥珀水晶の塔はクリオの国にとっては罪人です。攻撃者です。でも今はその呪いから解き放たれてクリオの守り手として存在している」

「……つまり?」

「バルミさんももう、罪人としての自分から解き放たれてもいいんじゃないでしょうか。たとえ一瞬だとしても」

 バルミは、答えない。

(ダメ、か)

「おい、みっこ!なんとか話がまとまったぞ。2人は穴に入った。あとは我々だけじゃ」

 リンゴが飛んできて、肩にとまる。

「すみません、変なこと言って。……私、行きます。お元気で。行こう、リンゴ。ポケットに入って」

 そうして穴の中に入りかけた時。後ろから声をかけられた。

「お待ち下さい。私も、ご一緒させて頂きましょう。もう少し、もう少しだけ、あがいてみますかね」

 ――信頼してますよ、みっこさん。

 そうウインクするバルミに、みっこは満面の笑みで頷いた。

「ついてきて下さい。穴の中で、作戦を伝えます」

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