第4章 琥珀水晶の塔 前編

 1 


 琥珀水晶の塔への旅は、それまでのひたすら歩けばよいというものではなく本格的な旅の様相へと変わってきた。

 基本的には野宿をしながら街道を南下する。街道といっても森林や草原の中に轍が残っている程度のものではあるが、幸い人の往来は多く移動はしやすかった。みっこはこのときはじめてクリオの国には馬や牛のような大型の家畜が存在せず、結果庶民の交通手段としては路線バスのような乗り合い自転車(10名乗りで、内3名が順番にこぎ手にまわる)がよく使われることを知った。

 リンゴ曰く「クリオの国ではある程度の大きさの動物にはそれ相応の知恵がついてくる。車なんぞを引かせた日には差別的だと怒られてしまうじゃろうな」ということだ。

 また、クリオの国では【お客さん】に対して施しを与える文化があることも学んだ。路銀はそれなりにあるが、増える見込みがないことを考えると潤沢とは言いがたい。みっこ達は素直に好意に甘えながら無賃乗車を繰り返し、大きな切り株の中に作られた町や川の上に浮かぶ村などを通過した。

 旅のさなか、みっこは沢山の驚くべき景色に出くわした。まるで自分が小人になったかのような巨大な草木の森……光の雪が降り注ぐかのような、綿毛の畑。山が動いていると思ったら、巨大なカエルだったこともある。

 そうした中でも最もみっこを感動させたのはクリオの国の夜であった。

 みっこの世界の夜と違い、クリオの国の夜はとても明るい。というのも、空に巨大な月が二つも登っているためだ。

 ヌキゾ・ペルスカナは薄膜に覆われていたため気付かなかったのだが、初めて目にした時の感動をみっこは忘れないだろう。木陰から覗いた二つの巨大な月は美しさとともに確かな威厳と威圧感を備えていた。……のちにみっこはこの感情を「畏敬の念」と呼ぶことを知った。

「青い月が女、白い月が男だと言われているのじゃよ。クリオの国の住人はあまり神に祈ることをしない。が、何かあったときにはよく月に祈る」

 リンゴが言うのは、クリオの国では月は神ではなくある恋人同士が姿を変えたものとされるらしい。そうした一つ一つの知識を知るたびに、みっこはこの世界に興味がわいてくるのだった。

 達郎が社会の授業が好きだと言った時、みっこは正直「こいつの頭はどうなっているんだ」と思ってしまった。が、今なら達郎がなぜ社会の授業が好きだったのか……少し解る気がした。

「そういえば、琥珀水晶の塔って一体どんな場所なの?砂漠にあったように見えたのだけれど……この辺に砂漠なんてあるのかな」

 幾度めかの乗り合い自転車に揺られながら眼前で汗を流しながらペダルをこいでいるリョキスンに尋ねる。

「君はっ…人がっ……どういう状況かわかってて話しかけているのかっ…。全く自分勝手にもほどがある……!」

 リョキスンの叱責には多少慣れたものの、少し落ち込む。やがて当番を終えたリョキスンは文句を言いながらもレクチャーをしてくれた。

「琥珀水晶の塔は砂漠にあるわけではない。今我々は塩の海の沿岸部に向かっているのだが……さらに南下すると海岸が開け大砂丘に変わるのだ。大砂丘は外敵の侵入時には天然の防壁にもなる。海からの敵を見張るための施設が……塔の正体だったそうだ。今では罪人を収容する施設となっていると聞いている」

 みっこは驚いた。綺麗な名前に似つかわしくない建物らしい。

「罪人なんて……この国にもいるの?それに敵を見張るって……」

「敵云々は【愚鈍戦争】の最中の出来事だ。今から三百年以上前のことだな。ただ、罪人については残念ながらいるとしか答えられん。会った際に言った通りだ。気のいい奴が多いが善人しかいないというわけではないからな。……ただし戦中に比べれば罪人はかなり減った。塔にしてみても今では良家のおぼっちゃん学校の遠足場所にもなっていると聞く。危険な所ではなかろうよ。ましてやみっこは仮にもお客さんだからな。探索を申し入れても邪険にされることはあるまい」

 話をしている内に、乗り合い自転車は巨大な都市に辿りついた。塔への経由地である、交易都市エルビザである。

 エルビザは大砂丘の入り口に位置する都市であり、海に面した港市国家でもある。 

 前を見れば紺碧の空と海、左を見れば港街、右を見たなら地平線の彼方まで続く大砂丘。エルビザはそういう都市だった。白い壁が特徴的な街並みはただ活気があるだけではなく、その景観も評判なのだそうだ。

「ヌキゾ・ペルスカナはあくまで山間部の入り口であり湯治場じゃ。それに対し、エルビザはクリオの国でも有数の商業地域!ところかしこにクリオの国中から集められた食材が並ぶ朝市は圧巻そのもの、ここで手に入らぬものはない!……が、今は先を急ぐべきじゃろうな」

「おや、少女の情報を集める必要はないのか?我々は急いで来たとは言え、それでもここまで六日を費やした。少女はもう琥珀水晶の塔から帰ってきて、次の目的地をこ の街のどこかで練っているのかもしれんぞ?」

 リョキスンの言葉にリンゴはふふんと自慢げに答える。

「その辺はちゃんと確認済みじゃ。もし少女が塔から帰ってきた場合は、エルビザの入口で引き潮の夢のメンバーが待機して我々に伝えてくれることになっていた。それが無いということは……少女はまだ塔から帰っていないのだ」

 どうやらエルビザに滞在することにはならなそうだ。みっこは少しがっかりする。でも仕方がない。結局みっこ達は物資の補給だけすませると足早にエルビザを後にすることになった。


 2


 琥珀水晶の塔へ向かうためには大砂丘を越えねばならない。正直、みっこは鳥取砂丘くらいの規模を想定していた。が、大砂丘は遥かに広大で、その入り口からは琥珀水晶の塔はほぼ霞んで見える程度。足場の悪い中をあそこまで進むのかと思うと、歩くのに慣れてきたはずの足が重くなっていくのを感じる。

 不幸中の幸いだったのは、塔へのルートが繋がっているのはエルビザのみということであった。連絡路(といっても道しるべに鎖がついているだけで道なんかとうの昔に埋没しているのだが)に沿って進んでいけば、万が一でも少女とすれ違うことは避けられるはずである。

「全く……臭い街に行かされたと思ったら今度は砂丘越えか。虹渡り海岸にせよ生命の大時計にせよ、中つ国への門はヘンピな所にしか開かないというルールでもあるのかね」

 リョキスンが額の汗を拭いながらため息をつく。みっこはムッとしてしまいそうな所をぐっとこらえた。悪態はこの男なりのコミュニケーション方法なのだということが分かりつつあったからである。

「まあ、そう言うでない。リョキスンよ。じき日がくれれば多少過ごしやすくもなろう。旅に辛さはつきもの。それをどう楽しむかが一流の条件であろう」

 リンゴは鷹揚に告げるが、彼は基本的にみっこの胸ポケットに入っているだけである。リョキスンは「ご高説ごもっとも。全くリンゴ君には敵わんな」と皮肉を言いながら荷物を背負いなおした。

 リンゴの言う通り、日が傾きだすと大分移動はしやすくなっていった。熱さもそうだが、日差しが弱くなったために眩しさが消えたのが大きい。進行方向が東で太陽に背を向けながら進む形になったのも幸運だった。

 元々砂漠ではないこともあり、海からわたる風がひんやりと気持ちよい。砂に沈む足を必死に持ち上げ潮風と砂埃にまみれながら、一行は日が沈む頃に目的地へとたどり着くことができた。

 二つの月を背景に半ばシルエットと化してたたずむ塔は、その名の通りやや琥珀めいた色の水晶で出来ており、塔に反射した月光がキラキラと砂丘に複雑な模様の影を刻んでいる。八角形の塔は上方に行くにしたがってねじまがるかのようにその姿を変え、最上部では綺麗な三角錐になっているように見える。戦争のための施設として使用されていたのが嘘のような、美しい光景だ。

「きれい…!これ全部水晶で出来ているの?」

「そうだ。攻めてきた敵に対してクリオ国の強大さをわかりやすく伝えるため、こうした外見になったらしい。私も見るのは初めてだ」

 みっことリョキスンはしばし塔に見とれた。

「さあ、二人とも。感傷に浸る時間はないぞ。すれ違わなかったということはまだ中にいるか、それとも門が開いていて無事帰れたかのどちらかじゃ!いずれにしても急がぬ手はあるまい」

 リンゴの言葉に一同は頷いて、巨大なアーチ状の入り口へ歩を進めた。


 3


 塔の内部はもわっとした独特の暖かさに包まれていた。まだ使用している施設にも関わらず、人気は全くない。入口を入ってすぐの所は大きな吹き抜けとなっており、いくつもの柱が林のように屹立している。

上にいく道は?

 みっこは周囲をうかがうと、壁に小さな階段が張り付いているのを見つけた。手すりもなければ、支えすらない。ただ壁から水晶の板が張り出しているだけの簡素な階段である。  

 その階段は八角形の壁面にそって螺旋階段のように上層へ向かって伸びている。これを登れというのだろうか?その時だった。

「どなたですかな。本日はもう見学の予定はなかったはずです。盗人でしたらすぐに引き返しエルビザでお仕事をなさい。この塔にあるものと言えばわずかばかりの食料と社会の吹き溜まりに集められた者達の悔恨の呻きのみですぞ」

 いきなり上から声が響き、部屋の中央にすう―っと大きなゴンドラが下りてきた。ゴンドラにはまるでそのままパーティーにでも行けるのではないかというパリッとした燕尾服を来た背高のっぽの男が一人。

 みっこの見立てでは年頃は校長先生くらいだろうか。室内だというのにシルクハットを被り、口元にはいかにもな髭がくるんと丸まっている。目元は穏やかではあるが、刻まれた皺には長年の凄みを感じた。

「……ふむ。どうやら見学者でも盗人でもないご様子。まさかとは思いますが、遭難者の方でいらっしゃいますかな」

 そう言って彼はくるくる巻いた自身の口ひげをさすった。

「お初にお目にかかる。わしは引き潮の夢の導者、リンゴ。こちらはガイドのリョキスン。そしてこの少女がお客さんのみっこじゃ。どうもこちらの塔に帰るための門が開くのではないかという話でな。よければ中を調べさせていただきたい」

 リンゴの言葉に男は目を丸くしてみせた。どうも一つ一つの行動が役者じみていて場にそぐわない。

「これはこれは結社の方でしたか」

 そう言って男は両手をすっと前に差し出した。次に右の掌は地に、左の掌は天に向けたかと思うと、ぐるんと大きな円を描くようにそれぞれの腕を回す。さながら∞模様を描くかのように両の掌が動き、胸の前で合わさった。パンという乾いた音が塔内にこだまする。

「すみませぬな。これはこの塔内でのしきたりでして。塔に仕える者は挨拶としてこの所作を行わなくてはならないのです。まあ、初対面の握手のようなものですな。……改めてご挨拶させて頂きます。当施設の管理人、バルミと申します。それにしても、驚きましたな。ちょうど数日前にもこちらにお客様がいらしたものですから……。残念ながら、門はもう閉まってしまったようです。前のお客様も何も見つけられませんでしたからな」

 みっこはそれを聞いて不思議な気分だった。帰れなかったのはとても残念なのだけれど。かといってここですぐに帰れてしまうのを待ち望んでいたかというと、正直少し怪しかった。もう少しこの世界を見てみたい……そして、もう一人のお客さんに会ってみたい。そんな思いがどこかに残っていたのである。

「だそうだ。まあ最初から当たりを引けるはずがない。今後もこうした肩透かしは続くはず。心しておくがいい」

 リョキスンの言葉は相変わらず皮肉めいていたが、要はこう言っているのだろうか。旅は長い。心をしっかりもて、と。

 まさかね。とみっこは少しおかしくなってちょっと笑った。

 リョキスンは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにバルミに向き直った。

「そうか。それは残念です。ところで、先ほどお話しを伺った、我々より先にきたお客さんはどこにいるのです?帰ったのなら砂丘ですれ違ったはず。この塔のどこかで休んでおられるのですか?」

 バルミはひくっと片眉をあげ、それが……と申し訳なさそうに話し出す。

「ちょっと困ったことになっておりましてな。直接見て頂いた方が早いかもしれませぬ。こちらのゴンドラへお乗りください。監視層にご案内いたしましょう」

 何があったというのだろう。みっこ達は顔を見合わせ小さく頷くとゴンドラへ乗り込んだ。

 みっこは高い所は嫌いではない。ただしそれは自分が飛び出しでもしない限りは必ず落ちないという安全が確保されている場面についてである。

 ゴンドラはひたすら不安定だった。所々綱がひっかかりガタンっとゴンドラが揺れるのなんか、生きた気がしなかった。

 そんなみっこの様子に気付かぬリンゴはひたすら蘊蓄を語り。リョキスンはにやにやとそれを眺め。バルミはひたすら顔色を窺い慇懃無礼なまでに気を使った。

「あ、ありがとう、バルミさん。でも大丈夫。大分慣れてきました」

 みっこは放っておくと歌でも歌って気を紛らわそうとしかねないバルミを左手で制し、周囲を見渡した。

「このゴンドラは元から備え付けられていたの?」

 バルミの意識を切り替えるために、とりあえずの質問をしてみる。

「はい。かなり早い段階から備え付けられていたようです」

「では、あそこの階段は?」

「あれは、非常用の階段です。また、敵が攻めてきた際にはこのゴンドラから階段上の敵を攻撃したと言われています。さらに、万が一上層で反乱でも起きた際には、このゴンドラを切り落とし少しでも下層におりる時間を稼ごうとしたとも聞いています。いずれにしても、過去の戦乱を物語るものですな」

 説明を聞いている内にゴンドラは低いうなり声と共にその動きを静止した。監視層に着いたのである。

「着きましたな。足元に気を付けてお降りくださいませ。こちらでございます」

 監視層は先ほどまでいた柱の広間とうってかわって、刑務所のような様相を呈していた。中央に大きな吹き抜けがあり、壁面にそって何階層かにわたり個室が設けられている。個室の数はおそらく百では足りないだろう。吹き抜けの上部は天窓のように磨き上げられており、そこから差し込む月光が優しく塔内を照らしていた。要所要所に備え付けられたランプと月の灯りのみに照らされた光景は、無機質な中にもなにか温もりを感じさせられる。

 みっこがしばし我を忘れた次の瞬間。

「おい、新入りか?もう限界だ!早く俺の所に来い!」

「お願いです、お月様、私はもう十分悔いました!このままここで朽ちていくのはあんまりです!!」

「てめえ!どれだけ待たせるんだ!次は君かもと言ったのを俺は忘れていないぞ!早くここから出せ!!」

 罵声に哀願、恫喝に慟哭……雑多な声が一斉に響き、塔内の透明な空気を一掃した。

「な、な、なんじゃというんじゃ。さっきまでは静かだったじゃあないか」

 リンゴの声にバルミはあくまでいつも通りに答える。

「当施設では特定の任期というのが無いのです。それぞれの個室に入ったら、後任が来るまでは出られません。そのため個室に近寄る者がいると後任がきたと勘違いして、ああしてみっともない姿を晒してしまうのです。まったくお客さまもいるというのに、何たる有様!ここだけの話、ああして騒ぐ内は当施設から出すわけにはいきませんな。なにせ」

 ――諦めが足りませぬ、と。バルミはあくまでいつも通りに、過熱した塔内の空気から比較すると冷たすぎるくらいに、言い放つ。

 みっこは、やはりこうした施設の長ともなればただのいい人のはずはないだろうと、なんだか怖くなってしまった。それにしても。

「後任が来るまで出られないって、不思議なシステムだね」

声をひそめながらリンゴに聞いてみる。

「戦争中のなごりじゃよ。ここは敵に対しての監視塔。また、エルビザなど周囲の都市に月光や日光を反射させた信号で情報を伝える役目も担っておったからの。見張りが逃げては元も子もなかろう?誰かと交代するまでは部屋から出られんように作られているようなのじゃ」

「でも見た限り入り口に扉とかは無くて開け放しみたいだけど……」

「そうじゃな。でもこの部屋にはおそらく極地術きょくちじゅつがかけられておる」

「極地術?」

「うむ。限られた範囲にだけ、好きなルールを設定できる術じゃ。部屋に2人いる時しか外との出入りはできない、というルールなのじゃろう」

「解除はできないの?」

 すると、前を行くバルミが代わりに答える。周囲がざわつく中、みっことリンゴのひっそりとした会話にも注意を払っていたことになる。

「昔は出来たらしいのでございます。ただ、極地術はもはや過去の遺物。使いこなせる者自体が最早ほぼいないのです。クリオの国では罪人は珍しいもの。一度入れば出られないこともあります。お客様についても……」

 ――くれぐれもクリオの法を犯すことのないよう、お気を付けくださいませ。

 そう言ったバルミの声に薄ら寒い何かを感じ、思わずみっこは身をすくめる。

 そんなやりとりをしながらも、囚人の罵声が飛び交う中一同は歩みを進めていく。

「さて、バルミ殿。先ほどお客さんについては見た方が早いと仰っていましたが……。一体何が起きているのですか」

 リョキスンの言葉に答えるかのように、バルミはある個室の前で足をとめた。

「お待たせいたしました。こちらでございます。——お客様!お元気ですか?新しいお客様が現れたのでお連れいたしましたぞ」

 みっこはバルミの横から個室内を眺め、そして息をのむ。

 最初に感じた印象は囚われの姫君。

 壁一面に広がる窓から見える月光に照らされた水平線と、その前に佇む少女。窓から入ってくる風に一本の三つ編みにした長い黒髪を揺らしながら、彼女はゆっくりこちらを向いた。

 まるでかつて読んだ昔の少女漫画に出てくるヒロイン像そのものだ。長いまつ毛と大きな瞳。可憐で儚げな一方で、そのしっかりとした眉と着ている赤いワンピースは内に秘めた強い意志を物語っているようにも感じる。

 なるほど、聞いていた通り年の頃はみっこと同じか一つ上といった所だろう。だが、纏っている空気が違う。浮世離れしたというか、まるで妖精か何かのような。

 みっこはしばらくの間、彼女から目を離せなくなった。そんなみっこに彼女は優しく微笑み、静かに口を開く。

「ええ、良くして頂いていることもあり元気です、バルミさん。日中の熱さは多少堪えますが、夜の景色がすべてを帳消しにしてくれています。……ところでこの方達は?新しいお客様と仰っておりましたが……」

 言葉遣いまでもが同世代とは思えない。仰るなんて単語、みっこは多分大人になっても使いこなせないのではなかろうか。

 みっこの中で膨らんでいた、もしかしたらこの苦楽を共にすることで親友が出来るのではないか?という期待が雲散霧消していくのをかすかに感じつつも、みっこは彼女に向き合った。

 ほら、何か言うのよ、みっこ。こういうのは第一印象が大切。このまま黙っていればバルミさんかリンゴが話はじめてしまって、また受け身な自分を晒してしまうことになる。その前に何か、先手を打てるような……

「はじめまして、お嬢さん。わしは導者のリンゴ。こっちがわしの担当するお客さん、みっこ。こちらはガイドのリョキスンじゃ」

 みっこの葛藤は一瞬で打ち砕かれた。思わずリンゴを恨めしい目で見てしまうが、おそらく第三者にこの複雑な心の動きはわかるまい。そう思っていると、リョキスンが横で耳打ちした。

「君は不器用な奴だな。典型で始めるべきところで妙に知恵を回したかと思えば、知恵を回さなければならない場面で典型に拘っていたりする」

 前言撤回。彼にはお見通しらしい。

「ご丁寧にありがとうございます。私、かつこです。友達にはカッコと呼ばれていた記憶があります」

 カッコは「あだ名、少し似ていますね」とみっこに笑いかける。背景に花が描かれそうな笑み。みっこもひきつった必死の笑顔で対応する。

「バルミ殿。これが貴方の言っていた困った事態というやつですか。つまり……何らかの事故でお客さんが幽閉されてしまい、出すことが出来ない」

 リョキスンの言葉にバルミは髭をさすりながら答える。

「はい。全くその通りなのでございます。……皆さまは、盗賊ショーリをご存知ですかな」

 みっこは当然知らない。リンゴとリョキスンに目配せると、二人も首を横に振った。

「この近辺では有名な大泥棒だったのですよ。五年ほど前から活動しはじめましてな。昨年の冬、なんとか捕まえることに成功したのですが……きゃつめ、お客様が導者と離れている隙をついたのです」

 カッコがあとを続ける。

「導者と手分けして門を探している時のことでした」

 カッコの話を要約するとこういうことのようだった。

 うめき声が聞こえた気がしてそちらを見ると、部屋の中に二人の男がいた。一人は顔面蒼白(にみえたらしい)であたふたとしている看守の服装をした男。もう一人はみすぼらしい恰好で地面に横たわり、うめき声を出しながらわずかにケイレンしている男。

 何事かと尋ねたかっこに、看守の服装をした男は「持病の発作であるが、薬はここには無い。取りに行くので、その間病人の様子を見ていて貰えないか」と言う。カッコはそれを受け入れて部屋の中に入っていった。

 みっこはそれを聞いた時、素直に感心した。わずかな時間とはいえ、彼女は倒れている男の命を預かる覚悟を決めたということだからだ。

 さて、部屋に入ったカッコはまず男の顔色をうかがおうと彼の肩をつかみ話かけた。

 だが、なにやら様子がおかしい。反応がないのは仕方ないとしても、まず肩が固すぎる。うめき声はするが呼吸の気配がない。

 まさか、と思い男をぐるんとひっくり返してみる。すると、案の定それは木で作られた木偶人形であった。

 人形にはヒモがくくりつけてあり、引っ張るとカタカタと動くようになっている。先ほどのケイレンは看守の服装をした(後になって似てはいるが荒い作りだったと気付いたとも言っていた)男が見えない角度で紐を引いていたということらしい。

 うめき声についてはリョキスン曰く「西の山地で採れる《振動石》を使ったのだろう」とのことだった。振動石は原理はわからないが常に小刻みに振動しており、状況によってはムウムウと呻いているような音も出るとのことだった。

 それにしてもそのショーリという男、毎日訪れる見学者にターゲットを絞り作戦を練ってこれだけの準備をしていたというのだから、なかなかの策士である。

「木材はどう手に入れたのかしら?」

「下手をすれば一生を過ごす施設ですからな。多少の趣味は認めているのでございます。部屋の隅にいくつも木像があるでしょう。あれはショーリが彫った物なのです。ここ最近急にああしたものを作りだしたのですが……」

 みっこの疑問にバルミが即答する。部屋の隅には仏像のようなものがずらりと並んでいた。なるほど。おそらく脱出方法を考えて以来地道に材料を調達したということなのだろう。

「それにしてもじゃ」

 リンゴが怒気をはらんだ声で言う。

「導者は何をしていたというのじゃ!この塔に来るのであれば事前に危険がないか調査しておくべきであろう。それに導者の役目は常にお客さんの傍におることじゃ。それをなんじゃ、今も近くにおらんではないか!」

 いくつか自分を棚に上げている点もある気はするが、概ねみっこは納得する。カッコの導者は一体どこにいるのだろう?リンゴはしばらくああだこうだと理想の導者論を語っていたが、次第に疲れたのか落ち着いた。

「すみません。私が言えることではないのかもしれませんが、あまりリオネルのことを悪く言わないでやって下さいまし。彼は一生懸命ではあるのですが、少し抜けているのです」

 絶妙なタイミングで入るカッコのフォロー。そして、そのフォローを待っていたかのように、導者、リオネルが戻ってきた。

 第一印象は、アラビアンナイト風の服をきた巨大二足歩行猫である。

 でっぷり太った茶色い素肌(というのもへんな話だが)に直接ベストを着て、下半身にはダボダボのズボン。頭には小さな帽子まで被っている。背丈はみっこと同じくらいあり、普通の猫と比較すると非常に大きい。

「ごめんなのよー。カッコを助ける手がかりがどこかにないかと塔内を調べて回っていたのよー。遊んでたわけではないのよー。信じて欲しいのよー」

「そう言いつつ、おぬしの口元には何かの食べカスが取りきれておらんぞ。つまみ食いでもしておったのではないか?」

「違うのよ。これはおやつのようなものなのよー。お腹がすいたら舐めようと思ってご飯のあとふかずにとっておいたのよ。えらいのよ」

 リオネルはリンゴに弁明をしたあと、かっこに向き直る。

「ところでカッコ。この人達は何なのよ?」

 リオネルは長い舌をべろんと出して口元の食べカスを拭き取りながら聞く。

「リオネル、この方はお客さんのみっこさん。こちらがガイドのリョキスンさん。そして今貴方が話していたのが、引き潮の夢のリンゴさんです」

 リオネルはしばらく目を白黒させていたが、状況を理解したらしく急にかしこまりだした。

「こ、これは驚きなのよ。あのリンゴさんと出会えるとは思わなかったのよー。それに」

  リオネルはぎょろりとした目でみっことリョキスンを見る。

「すごいのよ。こちらのお客さんからはカッコと同じ臭いがする。あーた(あなた)、カッコと同じ世界の同じ国から来たね?それにそっちのお兄さんは……臭いがしないのよ。噂で聞く宿無しリョキスンじゃあないかね」

 驚いた。ただの変な猫ではないらしい。文字通り、鼻が利くようだ。

「あーしはリオネル。引き潮の夢の導者なのよ。仲良くしてほしいのよ」

 そう言ってぺこりと頭をさげた。

 その後、一通りリオネルとの情報共有を終わらせると、一同は頭を抱えることとなった。

「どうやって、カッコをここから出せるのかしら?」

 現状ではリョキスンにせよリオネルにせよ、誰一人としてカッコの代わりとなってこの塔に留まることができる人物はいない(リンゴはリオネルが責任を取る形で残るべきとも主張したが、本人はどこ吹く風であった)。

 バルミが言うには、この塔は最小限の人数で運営しているため、看守を身代わりに割くことも出来ないということである。

「無論、これはこちらの責任。いざとなればこちらで誰かを代わりに部屋に入れるしかないとは思っておりますが……その場合はエルビザからやってくる交代の職員がくる十日後までこちらで過ごしていただかなくてはなりません」

 申し訳なさそうにバルミが言う。彼としても苦しいのだろう。

「十日も貴重な時間を使うわけにはいきません。なんとか別の方法を考えるしかありますまい」

 リョキスンの言葉にバルミが答える。

「はい。我々としても今後のことを考えれば、この部屋の仕組みを理解しておきたい所です。一緒に知恵をしぼらせていただきます」

 さて、とは言ったものの。具体的にはどのような手段をとればいいのだろうか。ああでもない、こうでもないと皆で話し合うが、いいアイディアは浮かばない。

 結局その日はお開きとなり、みっこ達は看守の休憩部屋にて休息を取らせて貰うこととなった。

「なんだ、休憩部屋と言うからどんなものかと思えば……通常の独房に板で壁を作っただけの作りか」

 リョキスンは窓にもたれかかりながら、明らかに不満気だ。

「仕方あるまい。元々この塔には必要最小限の施設しかなかったと聞く。こうして部屋が当てがわれるだけまだマシというものじゃ。それにしてもまいったのう。次の門へ向かって出発したいというのに、お客さんが囚われの身とは」

 う―んと腕を組み「どうしたもんかの」と思案する横ではリオネルが大きなお腹をたゆませながらすでに半分寝かかっている。

 みっこは窓の外に広がる光景に目をやった。波の打ち寄せる音が人っ子一人いない砂漠のような海岸に響いている。海面には半分ほど沈んだ白の月が映り込み、まるで海に満月が浮いているかのようだ。

 やがて白い月が水平線に完全に沈んでしまえば、窓から差し込む光はさらに青く、静かなものになっていくだろう。冷たいくらいに美しい光景。この光景をかっこは一人で眺めながら、何を思っているのだろう。

「リョキスンさん。カッコをあの部屋から出すために良い方法はないのかしら」

「お嬢さん。君は仮にも私の依頼主。さん付けは不要だ。私も今それを考えていたが……どうにも手が浮かばないのだよ。素直に時期を待つというのは楽ではあるが、こんな所で十日も過ごしたら干からびてしまうな」

 そう言ってリョキスンはよっこらせと体を起こす。

「状況を整理しようじゃあないか。かっこの囚われている部屋には極地術というやっかいな術がかかっており、部屋に二人以上いるときしか中から外へ出ることはできない。これは、確かな前提なのだね、リンゴ君」

「うむ、その通りじゃ。先ほどカッコが見えない壁に阻まれて進めなくなっているのも見たし、間違いはなかろう」

 そうなのだ。先ほど思考錯誤していた時に、何度かカッコに外に出てきてもらおうとした。しかし結果は先述の通りであったのである。

「別の壁を破壊して彼女を出せないだろうか?」

「極地術はあの部屋全体を包んでおるのじゃ。壁があろうとなかろうと、定められた範囲から外にでることはできないじゃろうな」

「窓からはどうか。この部屋もそうだが、極地術がかかっていない部屋もあるようだ。そこの窓からロープなどを使って彼女を連れだせないか」

「壁面は弧を描いていて、ロープを投げ込むには向いておらん。仮にできたとしても、彼女はまだ幼い少女。落ちれば生きてはいられないこの高さの中、つるつると滑る壁面を伝って移動ができるじゃろうか?それに万が一窓に出ることは出来ても入れないという極地術がかかっていれば、おしまいじゃ」

「ふむ。その可能性は否定できないか。では、誰か一人が身代わりとして部屋の住人となり、十日後に連絡をとりあって合流することは?引き潮の夢の連絡網を使えば、互いに連絡をとりあうことは可能なのではないかね」

「それは可能じゃ。だが、我々がこの先目指す辺境方向には部署のある街がないぞ。もし合流できたとしても十日以上の時間は必要じゃろうな。まだここで時期を待った方が早いじゃろう」

 リョキスンはふうっと息をつくとパイプに火をつける。

「これは……無理だな。鉄壁だ。私は一足先にエルビザで待っているから、十日後に合流しようじゃないか」

 冗談とも本気ともつかぬ様子でリョキスンが言う。

(たしかに、普通に考えて出られるとは思えない。けれど、今リンゴが言った前提は何かひっかかる)

 みっこは思考を巡らせる。あと少し。あと少しで何か糸口が見つかる気もするのだが、あと少しがつかめない。

 敵の侵入に備えて作られたゴンドラ。その上層に位置する監視層では見張りは一人で外には出られない。百を超える見張り部屋…

「何か考えているようだな、お嬢さん」

 リョキスンはお見通しである。

「少し…だけ。まとまったらちゃんと伝えるね。あと、リョキスン。私に呼び捨てをさせるなら私のこともお嬢さんはやめてほしい」

「ほう、言うようになったじゃあないか。では私は君を何と呼べばいいのだね?」

「みっこでいいよ。……うん。よし、決めた。私、ちょっと外に出てくる、バルミさんに色々聞いてみたいことが出てきたから」

「バルミさんに?……せいぜい気を付けることだ。彼はいい奴とは思うが、お人よしではないような気がする」

「そんな気は……するかな、たしかに」

「それでも、行くか」

 リョキスンの琥珀の瞳がみっこをじっと見据えている。見つめているのではない。見据えている。

「うん。そうしたほうが、いいと思うから」

 それを聞くと、彼はごろんと寝ころんだ。

「まあ、みっこの手腕に期待しているさ。私は一足先に休ませてもらうとしよう」

 気付くとリンゴもリオネルもいびきをかいて眠ってしまっている。

 一瞬、躊躇する。無理に今日聞かなくとも、明日皆といるときに聞けばいいのではないか?

 みっこは雑念を振り払う。機会は大切にしないといけない。思い立ったが吉日だ。それに。

(リョキスンは私を信用して付いてこない……気がする)

 みっこは気持ちが変わる前にと急いで部屋を出た。背後から小さく、「せいぜい頑張りたまえ」と聞こえた気がするが、勘違いかもしれない。

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