第3章 旅のはじまり

 1


 夢を見た。大切な人が近くにいる夢。それが誰なのかはわからないのだけれど。あと少しで誰だかわかる――そんな時だ。みっこのまぶたをまぶしい朝の光が焼いたのは。

「ん……」

 少しずつ、目をあける。光に目を焼かれないように。丁度、今まさに山際の稜線から朝日が顔をのぞかせる所であった。

疲れもあったのでぐっすり眠れたのだが、初めての野宿である。体の節々が痛いし、固い。ぐぐっと大きく伸びをする。

「起きたようだな」

 急に後ろからかけられた声に思わず体を震わせる。後ろを振り向くと既にリョキスンが朝食の準備に取り掛かっていた。

「え、ええ。おはよう」

「おはよう」

 簡単な朝の挨拶の後は、何だか気まずい沈黙が訪れた。みっこは、リョキスンが苦手だ。きっと悪い人ではないのだろうけれど、自分のことを攻撃してくるような気がしてしまう。リンゴに対してはあまり気兼ねなく振る舞うことが出来たけれど、リョキスンと話す時は、なんというか、相手の目を必要以上に意識してしまうのである。

 どうしよう。何か声をかけた方がいいのだろうか。天気の話?それとも昨日のお礼を言うべき?

 思考がぐるぐる回りだし、結局みっこは動けない。

「起きているのならば、ぼうっと見ていないで準備を手伝いたまえ。昨日のように当たり前に朝食にありつけると思うなよ。働かざる者食うべからずはどこの世界においても鉄則中の鉄則だ。そこにある革袋に水をくんで来てくれ」

 ああ、怒られてしまった。みっこは悲しいような腹正しいような気持ちになりながら革袋に手をかけた。

「おい、お嬢さん。水をくんで来てくれるのか?くれないのか?答えてもいないのに勝手に私の袋を持って行かないでくれたまえ」

 貴方が取りに行けと言ったんでしょう!

 みっこはむすっとしながら、「行ってきます!」と返事をする。

 水場を探して周囲を見渡すと、鏡王の都が朝日の中で輝いていた。昨夜侵入したときにはその景観を落ち着いて眺めることは出来なかったが、こうしてみると綺麗な都だと思う。

 しばし見つめていると、後ろからまた声がかかった。

「きれいな都だろう。あそこはクリオの国でも指折りの景観だと言われている。あんな風じゃなきゃあ是非見学をしてみたいものなのだが、な。ちなみに――」

 そこの岩陰に沢が流れているから早く水をくんできてくれと、まるで心の中を見透かすかのように言われ、みっこは赤面しながら急いで駆けだした。

 みっこが水をくみ、リョキスンが昨日のスープを再利用したリゾットを作ったころ。リンゴがのそのそと目を覚ましてきた。まだ少し早い朝食を食べながら今後の相談をする。

「さて、導者のリンゴ君。君達はこのあとどうするつもりだ?」

「うむ。とりあえず情報を集めなくてはなるまい。まずは我々の支部にいこうと思う」

「ほう、引き潮の夢に?」

 引き潮の夢?それは一体なんだろう。そんなみっこの表情を察したのか、リンゴが補足した。

「そう。我々導者の集まる組織、引き潮の夢に、じゃな」

 リンゴによれば、かつてこの世界に訪れたお客さんの内、元の世界に戻ることの出来なかった者達が集まって作った組織で、既に千年近い歴史をもつとのことであった。

「クリオの国中に支部があるのじゃ。この近くだと、ヌキゾ・ペルスカナが一番近い」

「あそこか。私なら近寄らない街だな」

 リョキスンが珍しく困った顔をしたので、みっこは不審に思う。

「その、ヌキゾなんとかっていう街は、何か危険なことでもあるの?」

「ああ。臭いんじゃよ。あの街は」

 臭い。なるほど、それはみっこも嫌だ。

「鉱泉がわき出ているのだ。お陰で冬も暖かく過ごしやすいが、どうしても硫黄の香りが鼻をつく。慣れればどうってことはないのだろうが、私は慣れないね。……ヌキゾ・ペルスカナという名前はナジカ古語で【星角鹿のおなら】という意味だ」

 リョキスンのすまし顔とおならという単語がひどく不釣り合いな気がして、みっこは少しおかしく思う。

「さて。時間を大切にせねばならんのう!そろそろ出発せねばなるまい。ここからヌキゾ・ペルスカナまでは大人の足でも丸一日かかる」

「そうだな。では健闘を祈る」

 そういってリョキスンは手早く片付けを始める。

「む、一緒には行かんのか?正直わしはこんな体じゃ。みっこを助けてくれるとありがたいのじゃが」

「ごめんこうむる。臭い街なんぞ誰が好きこのんで行くものか。二回も食わせてやったのだ。それで充分ではないかね?」

 リョキスンは早くも全部の荷物を詰め終わったようだ。

 どうしよう。たしかにみっこはリョキスンのことは好きではない。でも、いて貰えれば心強いのもたしかだ。

「そこをなんとか頼めんかのう。ご存知の通り、引き潮の夢の資金は潤沢じゃ。無事みっこを送り届けることが出来たならそれ相応の礼はしよう」

「ほう。それは魅力的だな。だが……肝心のお嬢さんはどうなのかね?こちらで勝手に話を進めてもいいのか?」

 いきなり話題を振られてみっこは戸惑った。急にそんなこと言われても困る。

「解っていないようだから、一応言っておこう。君はこの世界に不運ながら招かれてしまった。そのことについて君には何の責任もない。だがな。本来ならば君の不運を助ける責任も我々には無いのだ。確かにリンゴはお客さんを助けるのが仕事だ。そういう意味では責任はあるだろうが……そもそも引き潮の夢という組織自体がある種の奉仕精神で出来た組織だ。つまり――」

 今の君は、他者の善意のおかげで生かされている――と、リョキスンは笑う。

「君の言動を見ているとね。まあ昨日の今日だから仕方ないのだろうが、自分のことしか考えられていない。自分の思考が最優先だし、相手との交流を楽しむ余裕もなさそうだ。そんな中で私のような毒を吐く人間と一緒にいるのは気を遣うだろう。だがね。君が本当に元の世界に戻りたいと思うのならば――君は他者を受け入れ、頼らなくてはならない。他者の善意を受け止め、頼ることでしか道は開けない」

 リョキスンの琥珀の目が、みっこを突き刺してくる。

「だからね。私は君の言葉で聞きたいのさ。私の善意に頼るのか否かを。私はおそらく君にとって嫌なやつだぞ。だがね。仕事として依頼を受けたなら責任は果たすさ」

 みっこはまだ大人と呼ぶには幼い。だが、リョキスンの言わんとすることは解るような気がした。リョキスンはこう言っているのだ。「他者の善意に甘えよ。そしてそれにちゃんと感謝せよ。それすらできないというのなら、諦めろ」と。

 喉が渇く。次の一言、何といえばいいのかわからない。思考がぐるぐると回り出す。

「みっこ。考えすぎる必要はないのだぞ。どう言えば伝わるかを考えるのではなく、今みっこがしなくてはならないのは、下手くそでもよい。伝えることじゃ」

 リンゴが肩でささやく。みっこは顔をあげてリョキスンを見据えた。

「お願いします。一緒に来てほしい。私、あなたのこと苦手だけれど、きっとあなたが必要なの」

 言えた。うまく伝えられたかは分からないが、言いたいことを並べられた。リョキスンはふん、と鼻で笑い、

「人に対してはっきりと苦手と言うものではないな。だが、依頼されたからには仕方ない。しばらくご一緒させて頂きましょうかね。お嬢様」

 ……と、皮肉な笑みを浮かべた。


 2


 ヌキゾ・ペルスカナまでの道筋は平坦ながら過酷なものだった。というのも、休憩が許されなかったためである。

「そら、お嬢さん。早く歩け。間に合わないぞ。ヌキゾ・ペルスカナの入り口は日没と共に閉まるのだ。暖かな布団で眠りたいのならば、足がすり減ってでも歩くのだ」

 リョキスンは正式に依頼されたということもあり、今まで以上にみっこに指示を出すようになった。歩き方がなっていない――水を一気に飲むな――相手の言葉には何かを返せ――。

 みっこは昨日の筋肉痛もあり昼前には足が限界を迎えていたのだが、こうせっつかれると歩かざるを得ない。こうなってくると、祖母に無理やり連れていかれていた登山やハイキング(平気で40キロを歩かされる)の経験にただただ感謝であった。結果、一行はなんとか日が沈み切る前にヌキゾ・ペルスカナの門をくぐることが出来た。

「それにしても……近くに来たときから感じてはいたけれど……」

 みっこは思わずリョキスンを仰ぎ見る。

「ああ。臭いのだ。本来なら一分一秒たりともいたくない」

「街の人達は気にならないのかしら」

「きっとこの街の住人は鼻が長すぎるか全く無いのだ。まともな構造の鼻でこんな臭いに耐えられるものか」

「ふむ、だが街の住人はいたって普通の顔をしているようじゃな」

「なら話は単純だな。……頭の構造がおかしいのだ。おい、ところでリンゴ君。今日の宿は引き潮の夢が準備してくれるのか?」

「うむ。お客さんを一時的に生活させたりするための寮がある。支部に顔を出す前に今日はそちらに宿泊しよう」

 寮に向かう道を歩きながら、みっこは周囲の様子をうかがう。

 てっきりただの温泉街のような形の街なのかと思いきや、みっこの予想は大きく外れていた。ヌキゾ・ペルスカナは薄い膜のようなドームで覆われた、一種の温室のようになっていたのだった。

 街中の至る所から巨大な草木が生えており、まるで植物園のようですらある。気候も暖かいというよりもむしろ蒸し暑い。そしてなによりこらえがたいのが、やはり臭いである。

 ドームで包まれているがために硫黄の臭いも強烈だ。無論毒にならない程度の換気はされているようだが、それにしても臭い。巨大な樹木の内側をくりぬいた家に住んでいる者も多かったが、臭いが充満することはないのだろうか?

 周囲の住宅では既に夕食の準備にとりかかっているようで、料理の臭いが至る所から立ち込めてくる。残念ながら、硫黄の臭いとからまることで食欲をそそる……とはいかないのだが。

 その後、たどり着いた寮ではみっこにとってうれしい誤算があった。

「本当?本当にお風呂に入れるの?」

「小さな浴槽ではあるがな。何せここは鉱泉の街。湯にはことかかんのじゃ」

温泉だと思うと、臭いと思っていた硫黄の臭いも気にならなくなるのだから不思議なものである。みっこは二日ぶりの風呂を満喫した。

 そしてさらに人間というのは案外図太いということがよくわかったのは翌日であった。漂う硫黄の臭いがあまり気にならなくなってきていたのである。引き潮の夢の支部へ向かう頃には、硫黄の臭いと街中を漂う食事の臭いを別に感知できるようになっていた。

 昨日あれだけ文句を言っていたリョキスンも平然と朝食を食べているのを見て、みっこは吹き出しそうになる。

「さて、着いたぞ。ここが引き潮の夢、ヌキゾ・ペルスカナ支部じゃ!」

 リンゴが指さす方向には、巨大なツタというか豆の木というか、ともかく大きな木をくりぬいて作ったと思われる建物が立っていた。

「いらっしゃい。そろそろ来るころだと思っておったぞ。リンゴ」

 戸を開くなり、部屋の奥から声がかかる。

 教室くらいの広さの部屋に所狭しと本が置いてある。そしてその本に囲まれるように座っているのは子どもくらいの背丈しかない、小柄な老人だった。

「ほう。その服は、あんた中つ国の者かね。珍しいこともあるもんだ」

 老人は隙間だらけで櫛のようになった歯を見せながらカラカラと笑う。

「例えば中国。例えばミッドガルド。例えば芦原の中つ国……あんたらの世界では皆自分が世界の中心だと思っちょる。夜空をよーく見上げてみればそんなこと大間違いだと気付くだろうに!」

 老人の言葉はみっこには聞きなれないものが多かったが、なんだか昨日リョキスンに言われたことを再度指摘されているような気がして少し恥ずかしくなった。

「支部長殿。ご高説ごもっともかもしれんが、まあその辺にしておいて欲しいのじゃ。みっこはまだ幼い。皮肉を言っても仕方なかろう」

 リンゴが間を取り持つ。そのくらいの皮肉は子どもでも感じるとも言いたかったが、そこはぐっとこらえみっこは話の行く末を見守った。

「そうじゃな。まずはリンゴからの報告を受けるとしよう。その間に、お嬢さんは隣の部屋でどれでも好きな服に着替えなさい。おい、婆さんや!この娘の着替えを手伝っておくれ」

 やがてやって来た老婆は驚くことに支部長よりもさらに小柄で、みっこは彼らがたまたま小さいのではなくそうした種族なのであろうということに気が付いた。

 老婆に案内された隣室には簡素な作りのつなぎから妖精が着るかのようなフワフワのドレスまで、雑多な服が置かれており、さながら写真スタジオのようである。中にはアイドルの衣装と間違えそうなフリルのついたドレスもあり、思わずみっこの目が留まる。

「さて、お嬢ちゃんはどんな服が好みかしらね?」

 老婆はそういってアイドル風のドレスに手をかける。

「やっぱりこれかしらね?」

 たまったもんじゃあない。あんなものを着た日にはみっこはみっこではなくなってしまう。みっこは普段スカートですらはくのをためらうのだから。

 曖昧な笑顔で返答しながら、みっこは慌てて服を探す真似をした。放っておいたら老婆の趣味でとてつもなく派手な服を選ばれかねない。

 しかし、みっこはもっぱら親戚のおさがりを着ていたために自分で服を選んだ経験がなかった。正直、好きなものを選んでいいと言われると困るのである。かわいいなと思うものはあるし、この組み合わせがいいのではないかと思いはするのだが、本当に自分の美的感覚があっているのか、いかんせん自信が持ちきれない。結果、みっこはいつも無難な組み合わせに落ち着いてしまうのだった。

 結局みっこが選んだのは紺色のズボンに黄緑色の上着という、良く来ていたジーンズルックと同じカラーリングの服だった。黄緑色の上着はまるで映画に出てくるティンカーベルのようなひだがついており、みっこはそれが少し気に入った。

 老婆は「もっとはっきりとした色でも可愛いのに」と最後まで残念そうであったが、最終的にはよほどそのカラーリングが好きなのだろうと納得したらしい。

「さて、それじゃあさっきまで来ていた服はこちらに譲ってもらえるかしら?」

 老婆の話では、お客さんの服は貴重で非常に高価にやりとりされるらしい。今回みっこが着替えた服の代金や、この後支給される旅の用具などは元の世界で着ていた服で処理されるということだった。

「ところでお嬢ちゃん。さっきまで着ていた服で、思い入れが一番強かったのはなあに?」

 みっこは最初、老婆が何を言っているのかよくわからなかったが、着ていたシャツと答えておいた。

「わかったわ。じゃあ、これで衣装合わせはおしまい!隣の部屋で話の続きを聞いていらっしゃい」

 老婆はそういってさらに奥の部屋へと潜ってしまった。仕方なく元いた部屋へ帰ると、リンゴと支部長がげらげらと声を上げて笑っているところであった。二人の隣にはリョキスンもいたが、話に参加はせず退屈そうである。

 小さな体だというのに、よくぞこれだけ大きな声がでるなあ、とみっこが半ば感心していると、リョキスンがこちらに気が付いた。

「お二方。白熱しているところすまないが、お客さんが戻ってきました」

「おうおう、終わったようじゃな。今鏡王の都でのお嬢さんの機転を聞いておったのじゃ!いやあ痛快痛快!あっぱれの一言じゃ!」

 どうも支部長はリンゴとノリが近いらしい。みっこは呆気にとられながらではあったが、はっと気づき、控えめに「ありがとうございます」と返してみる。ちらっとリョキスンの方をみると彼は小さく頷いていた。

「さて。ではそろそろ本題といこうかの」

 支部長は居住まいを正してこちらをじっと見据えてきた。

「まず、嬢ちゃんが一番気になっているであろうことを伝えるとしよう。どうしたら元の世界に帰れるか……ということをな。クリオの国から元の世界に戻ろうと思うならば入ってきた時と同じように、別世界とのつなぎ目にあたる《門》をくぐる必要がある」

(でも、私が出てきた門は……)

 みっこの表情から察したのか、支部長が言葉を続ける。

「そうじゃな。今回嬢ちゃんがが飛び出てきた門はソーダ水の空のさらに上。とても辿り着ける場所ではない。となればじゃ。君が元いた世界に帰るためには、新たな門を探さなくてはならんのじゃ」

 みっこは支部長の声を頭脳内で反芻する。

 探す?

 その様子を見て、リンゴが申し訳なさそうに言った。

「うむ。門がどこに開いているのかは、我々引き潮の夢でも全ては把握出来ておらんのじゃよ」

「門のタチが悪いところは、その世界の住人にしか見ることができないということだ。しかも常に開いているわけではなく、開かれている時期が限られている。その場所を把握するのは、クリオの国の住人には難しいのだ」

 なるほど。そうなるとやはり足で探すしかないということか。みっこは納得する。

「さて、ではお嬢さん。よく考えてみてほしい。わずか百日の滞在時間で、この国を隅々探すことが出来るじゃろうか?」

 それは……難しいのではないだろうかと思う。

「ご明察じゃな。そこで重要になってくるのが、お嬢さんがこちらの世界にやってくる直前に見たであろう風景なのじゃ。お嬢さん。よっく思い出してほしい。こちらの世界にやってくる前に、何か変わった景色を目にしなかったかの?」

 言われるままに記憶をたどる。風景……変わった……

「あ!もしかして……」

 心あたりがあった。

「私がこちら側に来るときに通った泉に、綺麗な景色が映っていた!」

「それじゃ!ちなみにどのような風景だったかは覚えているかね?」

「確か……砂漠に立っている水晶みたいな塔と、虹の橋、あとは草原に立っているとっても大きな時計!」

 支部長が手をパンっと叩きにっこり笑った。

「でかした。お嬢さんが見た景色はな。現在クリオの国に開いている、あるいは今後開くであろう門の場所を示すものなのじゃ。つまり、お嬢さんがみた景色を廻るのが今の所一番の帰国への近道ということになる」

 続いてリンゴがふむ、とうなずきながらみっこの肩でつぶやく。

「水晶の塔というのは、おそらく琥珀水晶の塔のことじゃろうが……。リョキスンよ。虹の橋と、草原の大時計というのに心あたりはないかのう」

「おそらく虹渡り海岸と命の大時計だろう。距離もあるし、有名とは言い難い。知らなくても無理はないな。無論、最も近いのは琥珀水晶の塔だ」

 ということはつまり。

「次の目的地は琥珀水晶の塔ということね」

 みっこの言葉に支部長はゆっくり頷いた。

「行先は決まったな。では最後にわしから大切なプレゼントをしておこう。おい、婆さんや。準備は出来たかね?」

 すると、奥の部屋から「はいはい」と言いながら先ほどの老婆が駆けてきた。腕には大きな荷物を抱えている。

「さあ、受け取りなさいな。お嬢さんの旅に必要なものが入っているわ」

 受け取った荷物は至る所にポケットのついたベストと、肩のみではなく腰や胸でもしっかり重量を支えられるリュックであった。言われるままに着けてみると、ランドセルよりも体にフィットして動きやすい。

「それとね。これも渡しておくわね」

 手渡されたのはミサンガのような布の腕輪だった。

「この腕輪は?」

「これは絶対に無くしてはいけない腕輪よ。あなたの着ていた服から作ったわ。元の世界に戻るための、道調べになるものね。これが無くなったら、お嬢さんの居た所へは戻ることが出来ないかもしれないの」

 それは大変だ。みっこはすぐに腕にきっちりと結びつけながら聞いてみる。

「この腕輪を無くしてしまうと元の所へ戻れない、というのはどういうことなの?」

質問に対し、支部長が答える。

「門は異なる世界を繋ぎはするが、どの時代、どの場所を繋ぐかは気まぐれなのじゃよ。ただし、元いた時代、場所のものを身に着けていればそれが手掛かりとなって比較的近くに繋がることができるのじゃ。その腕輪が無ければ、せっかく元いた世界に戻っても数百年たってしまっているなんてことにもなりかねん」

 納得はいく。あれ、でも。

 みっこはふと浮かんだ疑問を口にする。

「私の体自体は目印にならないの?」

 今度はリョキスンがそれに答えた。

「お嬢さんの体は、あの果実を食べた瞬間からこの世界のものになっているのさ。透明から元に戻れたのはそういう事情だ。だからその腕輪、くれぐれも慎重に取り扱うがいい」

 話を聞きながらみっこは『浦島太郎』を思い出していた。あれはもしかしたらクリオの国に行っていたということなのだろうか。

「さて、こちらからの話や渡すべきものは以上じゃ。あとの支援は導者リンゴが行ってくれるじゃろう。他に何か気になっとることはあるかの?」

 支部長の言葉に、リョキスンがすっと手をあげる。

「支部長殿。先ほどみっこを見た時に珍しいと言いましたな。中つ国とやらからやってくるお客さんはそんなに珍しいのですかな」

 リョキスンの言葉に支部長はぴくりと片眉をあげる。

「人数でいえば普通じゃな。門の出現数はそれなりにあるはずじゃ。兄さん、お名前は?」

 宿無しリョキスンです、という自己紹介を聞くと老人はにたりと笑みを浮かべた。

「ほう!主があの宿無しか!噂は聞いているぞ。切れ者だという話も本当らしいな。ご明察の通り、中つ国から来るお客さん自体はそう珍しいものでもない」

「ならば、珍しいという言葉には何か別の意味があるということですな?」

 リョキスンの言葉に支部長が頷く。

「四日前かの。お嬢さんと同じ世界、おそらく同じ国から来たお客さんが訪れたのよ。ちょうどお嬢さんと同じくらいの年頃の少女でな。おそらく国も同じなのではないかの。今頃は琥珀水晶の塔に向かっているはずじゃ。中つ国からのお客さん自体は珍しいものでもないが、こう立て続けとなるとなあ」

 リョキスンは「やはりな」、と不機嫌そうに鼻をならし、リンゴとみっこは顔を見合わせ呆気にとられる。

 日本から来たお客さん。しかも、自分と同じくらいの女の子が、いる?

「そ、そりゃすごい。そんなこと、わしの長い導者経験上でも初めてじゃ。それにしてもリョキスンよ。随分いやな顔をしているの」

「当たり前だろう。リンゴ君。こんな話を聞いて、私の雇い主でもあるみっこ殿は何を考えるかわかるか?」

 そんなことは決まっている。みっこは躊躇せず口に出した。

「私、その子に会いたい!一緒に元の世界に戻りたい」

 リョキスンは「ほらな」と言いたげな目でリンゴをみやる。

「まあ、でも自分の意見をすぐに口に出せたのは及第点だ。無論どうなるかは相手次第ではあるが……目的地が同じだと言うなら協力して損は無かろう。そうと決まればすぐ出発だな」

 みっこはどきどきしてきた。旅の目的がはっきりしていく。やるべきことが見えてくる。立ち止まっていては見えないものが見えてくる。そんな感覚、今まで感じたことが無かった。そうか。こうした感情も、表に出すべきなのかもしれない。

「ねえ、リンゴ。リョキスン。私、今ちょっと楽しい」

 突然のみっこの告白にリョキスンは苦笑いの呆れ顔。リンゴはきょとんとした様子。そんな中支部長は大きく手を叩いて笑い続けた。

「面白いじゃあないかね。この状況で楽しいとは!まるでかの【舌戦乙女】の口癖のようじゃな。嬢ちゃんは案外大物に化けるかもしれん。リンゴ。しっかりガイドを務めることじゃな。そしてリョキスン。君にも協力してもらうことになってしまい申し訳ない。だが君の経験はお嬢さんを助ける手立てになるじゃろうて!わしからもお願い申し上げる。……ただし、じゃ。リョキスンよ」

 支部長は居住まいを正し。

「君は、注意せねば世界を崩壊させうる存在じゃ。ゆめゆめ注意を怠らんように」

 と、言った。……世界を崩壊させる?どことなくほんわかとしたこの世界にそぐわない言葉に、みっこは違和感を覚えながらリョキスンを見上げる。彼は口元にいつものような皮肉な笑みを浮かべて、「それは私の依頼主次第ですな」と答えた。

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クリオの国奇譚 @skazka

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