第9章 対決と脱出 1

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 いつものように会合を終え。いつものように自分に考えられることを考えるうちに眠りに落ち。いつものように窓から差し込む日差しに起こされるはずだった。だが、みっこに目を開けさせたのは聞こえるはずのない音——遥か遠くにあるはずの海の音。周囲を見渡すと、なだらかな丘陵が広がっている。草花を揺らす渡る風が頬をなでて通り過ぎていく。外の風を浴びるのは大分久しぶりの気がした。

 海は、見えない。だが、たしかに潮騒が聞こえる。みっこはその理由について考え、そして「ああ、これは夢か」と気付く。

「みっこ。思ったよりも元気そうで嬉しい」

 落ち着いた声に振り向くとそこには山高帽を被った男。そう、夢を渡る男、カヌエが佇んでいた。

「カヌエ、さん?最近全然会えてなかったからもう他の人の夢に移ったんだと思ってた」

 みっこの言葉にカヌエは苦笑する。

「すまない。実際私は他の人の夢を渡っていた。君達をここから出すために」

 みっこは総毛立つものを感じた。来た。外からの動きが。それは予想とは少し違った形だったけれど、この機を逃す手はない。

「まさか、カヌエさんがそんな動きをしてくれているなんて思わなかった。本当にありがとう」

「いや、いいんだ。お礼を言うのはこちらの方さ。私はずっと後悔していた。一時の感情に突き動かされ夢の世界に渡ってしまった自分を。そしてそのために一人の女性に叶わぬ望みを抱かせてしまっているのかもしれないことを。けれどね。こちらにいるからこそ君達を助けるために動くことが出来た。私は自分の選択が少なくとも完全に間違いではなかったと、思うことができたんだ」

 カヌエはおもむろに足元の草むらに手を入れたかと思うと、ぐいっとそこから小さな机を取り出した。続いて、椅子を二脚。まるで四次元ポケットだ。

「さあ、朝までの時間は長いようで短い。本題といこう」

 みっこは頷いてカヌエと向き合う。

「3日後の夜。全知王との面談時。一瞬でいい。彼の心を揺らしてくれ」

「心を、揺らす?どうやってやればいいの?」

「心を動かすんだ。感動でも、衝撃でも、怒りでもいい。ともかく彼の揺るがない心に隙を作って欲しいんだ。そうすればその隙をついて私が彼を夢の世界に引きずり込むことができる」

 みっこは想像する。もし面談の最中に王が意識を失ったとすれば、周囲で様子を見ているはずの側近達はどう動くか。あの術は限られた空間の中に新しいルールを作るもの。それが彼の退屈さをしのぐ意味があるのなら、王は術外ではなく術内にみっこたちと共にいるはず。ならば倒れた王を助けるためには一度術をとかなくてはならない。

「そうなれば脱出の機会がうまれる……!」

 頷きながらカヌエは続ける。

「ちょうどその頃合いを狙い、外からも脱出のきっかけを作る。内と外。2つの動きがそろえばきっと脱出は夢物語じゃなくなる」

 でも、あの全知王の心を揺らす?どうやって?

 思考に沈みかけたところでみっこは頭をふる。それを考えるのは今じゃない。それは起きてからいくらでも暇がある。今すべきは、カヌエとの対話。

「ちなみにカヌエさんはどのくらいの間王を眠らせていられるの?」

 ふむ、とあごに手をあてカヌエは答える。

「おそらく彼が夢を見ていられる限りは。眠っている間は水も飲めないし、食事もとれない。体が悲鳴をあげてくれば、頭ものんびり夢を見てはいられなくなるだろう。我々のような人間と彼が同じような体力かどうかはわからないが、3日くらいが限度と思ってほしい」

 3日。少なくとも3日は全知王は指示を出せない。これはただ脱出するだけではなく、生命の大時計までたどり着かなくてはならないみっこ達にとって大きなアドバンテージとなってくる。

「本当は詳細を打ち合わせられればと思うのだけれど、私も今回の動きがどのようなものになるかは掴みきれていないんだ。現状を協力者に伝え日時を整えるだけで精一杯。あとの動きは基本各々に任せるしかなかったものだから」

「ううん、自分達だけじゃどうにもならなかった。本当にありがとう。絶対、この機会を無駄にしない。私、頑張ります」

「ならば、よかった。——そろそろ夜明けだ。幸運をいのるよ」

 次第に視界が白じんでくる。波の音が遠ざかる。眩しさにまぶたを閉じ……再びあけるとそこはもうすっかり見知った客室の天井だった。

 いてもたってもいられず、みっこはベッドから跳ね起きた。

(さあ、考えろみっこ。この情報をどう共有する?どう王を揺らす?そして、どう大時計のカラクリをごまかす?)

 この部屋に来てからというもの、歩きながら本を読んだり考えたりするのがすっかり染み付いてしまった。いつも以上にせわしなく部屋の中をまわりながら、思考を加速させる。

 もっとも情報共有をしやすいのは会合が終わった帰り道。しかし、あそこでの会話は十中八九すべて周りに聞こえている。具体的な期限などを示せば警戒させてしまうに違いない。下手な暗号などを使っても、王がその解法を知っているかもしれない。あの部屋での情報共有は危険だ。

 その時、入口を叩く音がした。

「お客様。ご朝食の準備が整いました。お運びしてもよろしいでしょうか」

「あ、はい。どうぞ」

 答えると、失礼しますと会釈をしながら衛兵が食事の置かれたカートを引いて入ってきた。手際よく机の上に食事を並べていく彼の姿を眺めながら、みっこは一つ思いつく。

「朝ごはんを食べたあと、また中庭に行ってもいい?王様が教えてくれた黄色のカエルが見てみたい」

「朝食後ですね。少々お待ち下さい」

 衛兵は取り出した手帳を確認する。

「もし都合が悪そうならお昼でもいいけれど……できれば涼しいうちの方がいいんだ。その方がカエルも動きまわってそうだし」

「なるほど。そうですね、朝食後すぐでよろしければ、しばらく中庭をご案内できるかと思われます」

 みっこが頷くと、彼はニコリと笑って手帳に記録をつけた。みっこは彼が空のカートを引いて帰っていくのをみつめながら考える。彼は間違いなくいい人だ。いつも礼儀正しく、みっこの言葉に対しても誠心誠意対応しようと心がけてくれているのが感じられる。おそらく彼は絶対にみっこの気分を害すようなことはしないだろう。仕事なのだから当然なのかもしれないが、常にこちらの感情を先回りし、なにこれと手を焼いてくれるに違いない。けれど。

(きっと私が出会ったのが彼みたいな人だったら、今の私はないんだろうな)

 何はともあれ。みっこは衛兵の様子を見て確信する。中庭だ。中庭を使ってきっと皆にメッセージを伝えられる。みっこは朝食を急いでかきこむと、重たいお腹をさすりながら中庭に向かった。しばらくカエルを捕まえるふりをしながら水辺で遊ぶ。衛兵はというと、微笑ましそうに遠目に見守るばかりである。その隙をついて、みっこは地面の上に「三ヨル」と書き残した。落書きの模様に見えるよう少しカムフラージュをする。

 いつだったか、焚き火を囲んでみっこの世界の文字について話したことかあった。まだカッコとリオネルが合流する前のことだ。曰く「漢字は難しすぎて非効率的」やら「同じ言葉をなぜ三種類もの言葉で書く必要があるんじゃ」など散々な言われようだったが、「覚えるならカタカナ」という点は共通していた。みっこは漢字も簡単なものもあると主張し、一、二、三と伝えたが、今度は「単純すぎる」「考えた奴は二重人格」だのと言われ「じゃあどうせいちゅうんや」と閉口したのを覚えている。

(あれから二人はカタカナはある程度読めるようになっていたし、伝わるはず……)

 みっこはその後しばらく黄色のカエルを追いかけると部屋に戻って次の課題にとりかかる。あの鉄面皮の王をどう崩せるか?まずは、いつものように歩き回って考える。フルーツをかじりながら考える。お風呂の中で考える。そうして結局、何も浮かばないまま夜になり会食の場に招かれる。

 今日の会食は砂漠の真ん中だ。どこまでも続く砂丘を二つの月が照らしている。夜空を見上げると、輝きながら空高く飛ぶ銀色の魚が光の粉のようなものを散らして遠ざかっていった。みっこは眼の前に超然と居座る全知王に視線を移す。白目のないその目からはなんの情報も入ってこない。何かヒントを聞き出したい。そう思えば思うほど、思考が空転し、言葉が宙を泳ぐ。

『焦っているな』

 不意に漏らした王の呟きに、心臓が波打つのを感じる。そう、焦っている。だって本番までにはあと2回しか会食はないのだから。

 思わず表に出そうになった感情を押し込めるようにみっこはハーブティーを飲み干す。

 「焦ってるに決まってるじゃない。うちに帰れなくなるかもしれないんだし」

 声が、震えそうになるのをぎりぎりで抑え一息に言い切る。

 王は、ふむ、と小さくうつむき、再びその真っ黒な目を向けた。

『違うな。今のお前の様子は明らかに昨日までと別物だ。元いた世界に帰れないという理由だとしたら、なぜいきなり今日変わる?』

 目を、そらせない。そらしてはいけない。だが、反論する言葉が出ない。浮かばないのではなく、出せない。出せばそこには必ず動揺が浮き出てしまう。

『——そうか、わかったぞ』

 どくん。心臓ではなく、全身が波打つのを感じる。

『猫の目嵐か』

 なにそれ?

 思わず口に出そうになった言葉をすんでの所で呑みこむ。みっこの頭は混乱していた。猫の目嵐?どう反応するのが正解?逡巡するほんの一呼吸の間に、動いたのはリョキスンだった。彼は大げさにかぶりをふると、ニヤリと笑って言い放つ。

「王ともあろう方が、存外時間がかかりましたな」

 全知王はフンと鼻を鳴らす。そこでカッコが話を合わせる。

「ああ、猫の目嵐というんでしたか。あれは」

 王からは見えないが、カッコの掌はぐっと握り込まれている。平静を装ってはいるが、内心はみっこ以上に混乱しているに違いない。

『そうだ。この時期になると訪れる、強い力を持った嵐だ。中心は嘘のように晴れ渡ることからその名がついた』

 ここでみっこはやっと王の勘違いの中身がわかった。じきにこの地に嵐がやって来る。そうすれば生命の大時計までの旅路はより困難になる。彼はみっこの焦りを、そう捉えた。

(なんだ、間違えるんじゃん。全知王)

 そう気付いた瞬間、何だか面白くなってしまった。さっきまでの緊張が裏返る。

「私はよそ者だから詳しい時期はわからないけどね。もうそろそろだって気付いたらそりゃ焦るってもんでしょう」

 みっこはリョキスンとカッコに目配せする。

(ありがとう、シナリオが繋がった)

「そんなわけだから、そろそろこの会合も終わりにしない?話の種も尽きてきたし」

 わざと、苛立ったように畳み掛ける。先程のリョキスンとのやりとりを見て気付いた。

(この亀、意外と感情的だ)

 全知王は鼻を鳴らすと、大きくのけぞって鷹揚に答える。

『駄目だな。そちらの娘がなくした記憶の中身……そしてお前が何を隠しているのか。まだ我が知的欲求は満たされていない』

「なんて言ったところで、結局ただのワガママじゃない。というか、全知王っていうのならカッコの失くした記憶を取り戻す方法くらい知ってなさいよ」

 王の見せたほころび。それがみっこを奮い立たせていた。彼は鉄面皮じゃない。全知でもない。ただの、人より少し物知りな亀だ。

 みっこは刺すように王の目を睨む。その黒い瞳に、感情の波がたつのをみっこは見逃さなかった。この機を逃さない。今、彼の心を揺らしきる策はない。けれど、今だからこそできる、次に繋がる策は思い付いた。

「全知王、私と賭けをしない?」

 みっこの言葉に全知王を含む全員が目を開く。

「白状する。私はあなたが言う通り、大きな秘密を抱えてる。私が賭けに負けたらそれをあなたに教える」

 ―—本当はそんな秘密ないけどね。

 みっこは全知王から目を離さない。女は嘘をつく時目をそらさないということを全知王は聞いたことがあるだろうか?いや、多分彼はそれを知っていてもこの場では活かせまい。

『ふむ。秘密の中身がどの程度のものかは知らんが……お前はどうも他の客人と違う。無下にするのも勿体ないかもしれん。賭けの内容を言ってみろ』

「内容は単純。嵐があろうとなんだろうと、私達は必ずこの城を脱出する。その後、貴方が私達を捕まえることができたら貴方の勝ち。私達が無事元の世界に戻るか、戻れずに門が消えるまで逃げ切っていれば私達の勝ち」

 この言葉に一番反応したのはリンゴだった。何かを言おうと片手を振り上げたところをリョキスンが静止する。彼は視線でみっこに「続けろ」と促してくる。みっこは軽く頷き次の言葉を放つ。

「賭けに私達が勝ったなら――今後私達に指図しないで。どう?そっちに有利すぎて不安?やめる?」

 王は、質問に答えない。

『この賭けに、何か意味があるのか?賭けに勝って元の世界に戻ってしまえばおまえ達が勝利から得るものがない。時間切れで門が閉まればお前達は正式にこの国の住人——私の庇護を受ける方が賢明ではないか?』

 怪訝に眉根を寄せる全知王。

「わからない?全智王。そっか、本に書いてないことだもんね。この賭けで本当に得られるのはね。私達のやる気。この賭けに勝ったとき、貴方が味わう『約束してしまった!もう聞くわけに行かない!一体その秘密とは何だったんだ?』と苦しんでる姿を想像すると、何が何でも勝ってやろうって気分になれるの」

 全知王は再び鼻を鳴らす。みっこはそれを見て確信する。間違いない。彼は苛立ちを隠そうとしている。

『下らない感情だ。たかが1つ知らないことが出来たから何だというのだ?私の知はその程度で揺らがない』

「……矛盾してるよ、全智王。知らないことを見過ごせるなら、何で貴方は私達を手放せないの?それに」

 みっこはくすりと笑う。

「ああ、おかしい。王様の今の言葉!矛盾してるだけじゃなくて……賭けに負けるのが前提になってる!」

 リョキスンがニヤニヤ笑う。リンゴは小さな手で拍手をし、カッコは大きく頷いている。その様を見て、全知王が初めて目を見開く。何かを言いかけたその時。遠くから響く鐘の音。会合の終わりを告げる音。王は目を閉じ、鐘の音が完全に消えたのを確認したところで口を開く。

『——時間だ。私を苛立たせようと思ったか?無駄なことを。知は全てを支えるものだ。私自身の感情でさえも例外ではない。つまり私は……』

「待ってよ。そんな話が聞きたいわけじゃない。演説の前に賭けにのるかそるかだけ決めて帰って」

 これはみっこにとっても賭けだ。この賭けに全知王がのってくれば、大きな障壁が一つ崩れる可能性が出てくる。動きを止めた王の瞳を見据えて、みっこは待った。

『……よかろう、のってやる。賭け事など下卑た遊びとは思うが――なけなしの抵抗に付き合うのもまた王の仕事かもしれぬ』

 そう言い残し、全知王の姿が足元から消えていく。

『だが、覚えておくがいい。そもそもこの城を出ること自体まず不可能、ましてや生命の大時計まで辿り着くことなどまともな方法では無理ということを』

 王の姿が完全に消えるとともに、砂漠の先に扉が生まれ光が差し込んでくる。 

「大した雄弁だったな、みっこ」

 わざとらしく手を叩きながらリョキスンがやってくる。

「初めて出会った時と同じ人間とは思えんくらいだ。口は悪くなったのはいささか不安だが……成長したな、我が君」

「お褒めに預かり恐悦至極。口が悪くなったのも含め日頃の指導のおかげだと思う」

 真正面から褒められた気恥ずかしさもあり、みっこは視線をそらす。

「でも、本当にすごかったよ、みっこ。私もう気分が良くなっちゃった!」

 カッコがみっこの手をとりぶんぶんと振る。いきなりの上下運動に、カッコの肩の上にとまって腕を組んでいたリンゴは慌てて飛び上がり、みっこの頭の上に避難してきた。

「だが、みっこよ。大見得を切ったのはいいが……何か策があるのかの」

 リンゴが小さく耳打ちする。

「大丈夫。ここから先は賭けの連続だけれども、勝ち目はゼロじゃない。今日の会合でその自信がもてた」

 みっこは扉を出る前に、誰もいない砂漠に向かって振り返る。

「聞いているんでしょ。王様にそのお付きの魔法使いさん。私、スイッチ入っちゃった。何日かかるかわからないけど、必ずほえづらかかせてあげる」

 返答はない。風が砂を運ぶ音だけが響いている。だが。何故かみっこには戸惑う人の気配のようなものが感じられたような気がした。

「ねえ、ところでカッコ。扉を出る前に聞きたいことがあるんだ」

「え、なあに?」

 神妙な顔をしたみっこにつられ、眉根をよせるカッコに気恥ずかしそうにみっこはつぶやく。

「……ほえづらって、どんな顔なんだろうね」


 2


 対決の前日を、みっこはひたすら思考整理に当てた。それは全知王との会合中も同様だった。まるで自分が2つに分かれているような感覚だ。表面では作りもののみっこがひたすら王の言葉を受け流し、感情を逆撫でる。だが、みっこの思考のほとんどは常に別のこと――つまり『どうすれば全智王を揺らせるか』にあてられていた。

 みっこが何かを考えていることに、リョキスンやカッコは気付いたようだった。状況に応じ王の気をそらし、彼らはみっこの思考を促した。

 今やみっこは確信を得ていた。

 (全知王を化け物か何かと思っていたから今まで糸口が思いつかなかったんだ)

 みっこは自分の人生を振り返る。

(私は頑固で、人の気持がわからなかったな)

 達郎の件もそうだが、似たようなことは幼稚園の頃からよくあった。幼いみっこにとって世界はどこか他人行儀で不思議な場所だったのを覚えている。

 ルールが、わからない。漫画やアニメでは思い切り泣き、笑う。わかりやすい。言葉や行動も大きい。わかりやすい。でも、そのわかりやすいものを真似たみっこは何故か周りから浮いてしまうのだ。

(だから私は自分の中で世界のルールを知りたかったよ)

 何が正しくて、何が間違いか。人と話すときはどのような顔で、どのような言葉で、どのように振る舞うのが正解か。

 みっこはそれらを漫画やアニメから学ぶことは避けた。どうも、それらの行動を鵜呑みにして実際に行うと人は変に思うらしかったから。みっこは本を読んだ。本は文字で心の動きが書いてある。漫画のようにオーバーな表現があったとしても、絵が伴わない分真似しにくい。

 今だからわかる。みっこも知を求めていた。人との間で傷つかずにいる最適解。1つ1つの言葉尻や理屈に振り回され、思考がオーバーヒートばかり起こしていたものの、つまるところみっこが求めていたのは「否定されないこと」だったのだ。

(そう、少なくとも私にとって知ることは自分を守るためでもあったんだ)

 みっこはカッコと赤い夢について論じている全知王を見つめる。

(王もそうだったとしたら?知を欲しがる彼の根っこに、とても弱いものが隠れているとしたら?)

 ―—それは、彼を崩す鍵にならないか?

 最早みっこは全知王を恐れていなかった。受け止められるという心境の変化が、みっこの態度を否定ではなく受容に傾けた。

「……わかったよ、全知王。私はあなたの本音を引き出してみせる。皆が完璧な王を求める中、私だけはあなたをただの亀として受け止めて、理解してあげる」

 会合が終わりオーロラになって消えていく全知王を見上げながら、みっこはつぶやいた。

 

 翌日は、雲が空一面を覆いなんとも不穏な天気だった。吹き付ける風が獣の呻きのような音を響かせる。

「猫の目台風が近付いてきているようですね。あと2日もすればこの付近も猛烈な雨風にさらされるでしょう」

 朝食の片付けをしながら、衛兵が教えてくれた。

 みっこは昨夜、あえて夜ふかしは避けた。思考する時間はいくらあっても足りないが、もし今日脱出ができたとすれば動き回る体力が必要だ。

 万全の策を用意したい。そう思いつつも、どこかで完璧を諦めた。

(どうも私はリョキスンとかショーリみたいに計画どおりに何か進めるのは向かないみたいだし)

 みっこはこの旅で気付いた。自分の性根としては万全な計画をして、安心してことを進めたいタイプだ。けれど自分の適性は、ある程度種をまきつつも土壇場で何かを組み上げていくことにあるようだ。むしろ考えすぎると思考がぐるぐる周りだして、方向がずれてしまうことがある。

(それに計画の完璧を諦めるってことは現場での対応が臨機応変になるってことでもあるわけだし)

 みっこはそう自分に言い聞かせ、着替えを選ぶ。

 脱出に成功すれば、必ず走ることになるだろう。ならばあまりひらひらした服は着たくない。入城時に荷物袋は預かられてしまったものの、衣服やミサンガはそのままに部屋に通された。だから前着ていた緑の服も、クローゼットにかけてあるが。

(流石にこれを着たら何かあるってわかりやすすぎるよね)

 ヌキゾ・ペルスカナで初めて服を貰った時のことを思い出す。名残惜しさはあったが、背に腹は変えられない。

 悩んだ結果、緑のズボンだけクローゼットから引っ張り出す。久しぶりにはいたズボンは体の一部のように肌に馴染んだ。次にズボンを隠すようにふわりとしたグレーのスカートを重ね着する。スカートの裏には履きなれた靴を紐でくくりつけて隠した。上半身は比較的タイトなやはりグレーのカーディガン。薄緑の大理石の城の中ではやや目立つ色合いだが、黄色や赤よりはマシというものだろうとみっこは自分を納得させる。この格好ならば、パッと見は会合用の服に見えるだろう。

 最後に、ズボンのポケットに路銀になるかもと朝食時にくすねた銀のスプーンを入れる。なんとも貧弱な装備だが、あとは腹をくくるしかない。

 会合の時間が近づくにつれて、心臓がおかしな動きをしはじめる。漫画等では鼓動が早くなるが、むしろ血の気がひくような、胸を締め付けられるような感覚の方が強い。

(やっぱり本だけで全部知るってことはできないもんなんだな)

 みっこはともかく部屋の中を歩きまわりながらクリオの国の昔話が書かれた本を開く。いつもの動きをしたためか次第に違和感は落ち着いてくる。みっこはこの一連の動作の中で、自分が自分の心と体をある程度支配できているという自信すら得ることができた。

 そうして、みっこが心と体の平静を取り戻した頃。風がより強まり窓を揺らし始めたころ。日が完全に山際に沈み、夜の帳が降りたころ。——最後の会合の幕があく。


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