第9章 対決と脱出 2
3
どどどどど……という水の音が四方から響いてくる。岩山から吹き出す滝が周囲をぐるりと囲んでいる泉。その真ん中に浮かぶ小島にある朽ちかけた神殿にみっこ達はいた。
最早屋根も落ち、夜空の瞬きを邪魔するものはない。元は純白の大理石で出来ていたらしい柱や彫像も砕け、苔むし、自然の中に埋没している。そんな中、取ってつけられたかのような会食用のテーブルと、その上に並べられた数々の料理だけが不釣り合いに浮き出ていた。
『さあ、諸君。本日の会合を始めよう』
柱の陰から全知王がぬっとその姿を表したのをきっかけに、草陰から数多の光がふわふわと浮き上がり周囲を舞った。蛍に似ているが、光量は段違いだ。1つ1つの光が小さな提灯のように暗闇を照らす。
王は行き交う光の中を悠然と進み、上座に置かれた椅子に音もなく腰掛けた。みっこ達もそれぞれ席につく。光源がいくつも彷徨うために料理の影がまるで生きているかのように伸び縮みする。見知った人の顔でさえ、何やらいつもと違う表情を映すような気さえしてくる。
『さて、何から話を聞いたものか』
グラスにワインを注ぎながら呟いた全知王に、みっこが先手を打つ。
「王様。今日は私から話をさせて。貴方の意見を聞いてみたいことがあるの」
『いいだろう。その中に私の知らない知識が含まれていることを望む』
みっこは大きく息を吸って、話を始めた。
「私は中つ国では多分変わり者だったと思う」
人の考えていることがわからなかったこと。世界にあるルールがわからず混乱したこと。淡々と。されど粛々と。みっこは自身の短い人生を振り返り、感じていた違和感を語っていく。
「前、クリオの国は元の世界から心が離れている者を引き寄せるって言っていたでしょう?私、今なら納得できる。私は世界に怯えていた」
意外だったのは、王が思いの他真剣に話を聞いているように見える所だった。黒い瞳でじっとみっこを見据え、言葉の先を待っている。
『興味深い。今まで内面を語る者はあまりいなかった。続けるがいい』
どうも、と小さく会釈し、みっこはギアを上げていく。
「なんで世界に怯えたかといえば、わからないから。だから私はその怯えを取り去る知識を外に求めていたと思う。本をよく読んでいたのはそういうこと。王様、こんな私は間違っている?」
全知王は一拍息をはき、答えた。
『お前は正しい。知は力だ。困難を乗り越える力をくれるものであり、一度身につければ失われない財産でもある。財産を持たぬものは不安を抱える。かつてのお前のように』
みっこは頷く。その通りだと思う。だからこそ、みっこは王に問わなければならない。
「それでね。私思ったの。王様ももしかして同じ部分を持っているんじゃないかって」
言った瞬間、全知王のまとう空気が変わったのがわかった。
(食いついた)
みっこは両の手をぐっと握りしめながら、次の言葉を紡ぐ。
「なぜそこまで知に囚われるの?私が聞いているのは、今の王様が何を考えているかじゃない。昔、幼かったころ。世界が知らないものだらけだった頃の王様が何を感じていたかを聞きたいの。なんで舌戦乙女とのやりとりのあと、知を囲い込むようになったの?それは、不安が強まったからじゃないの?対処法がわからない、敵わない、知が追いつかない。そんな相手を前にして、自信が揺らいだからじゃないの?」
『……何が言いたいのだ』
みっこは全知王を睨みつけ、答える。
「臆病な王様。貴方は間違っているよ。だって怯えを取り去る知識は外に求めるものじゃない。自分の中に潜らないと見つからない」
ふん、と鼻をならし王は反論する。
『知ったようなことを言う。私は常に思索にふけっている。この城は、この都は、そのために最良の環境を作り出している。私が長年積み上げた思索がお前よりも浅いというのか。舌戦乙女との会合については素直に負けを認めよう。だが、それによって湧き上がったのは不安ではない。全知であると思い込んだ自分の慢心への悔恨だ。そして同時に確信だ。やはり、知は力だということについてのな。私が持たぬ視点、持たぬ知識、持たぬ理論!それらによって私は苦汁をなめた……。だがその苦さを糧に、我は学んだのだ!より知を蓄えること……それこそが私のすべきことだ。全知王として、二度と知で負けぬこと!それが私に求められている責務だ!』
一つ一つの言葉の圧が、周囲の空気を歪ませる。全知王は最早隠すまでもなく苛立っていた。千余年を生きた重みが、言葉に強力な説得力を持たせている。だが、みっこはその圧に真正面から対峙するのをさけた。
(そうか、リョキスンがいつも飄々としていたのも一つの対処法なんだ)
「随分苛々しているのね、王様。でも私は貴方を怒らせたいわけじゃない。私は貴方に自分では気付いていない何かを伝えたいだけ。いわば貴方の知らない知を伝えようと思っているだけよ」
知、という言葉を聞き全知王の苛立ちに隙が生まれるのを感じる。みっこはその隙を見逃さない。
「私が伝えたいのはね。自分の中にある知を見つけるためには一人じゃ限界があるってこと。人は自分であることを捨てられないよ。どんなに頑張ってもやっぱり私はみっこ以外の何者でもない。だから、私は一人では自分の背中にあるほくろには気付けない。それに気が付くためには他の目が必要なんだよ。意見をくれる存在が必要なんだよ。かわいそうな全知王。貴方は全知王であるために自分がただの亀であることを忘れなくてはいけなかったんじゃないの?貴方の周りに私の仲間のように貴方自身を別の角度から捉えてくれる仲間はいるの?——部下は沢山いるんでしょうね。でも、貴方は愛されているの?この城はおかしいよ。都も変だよ。みんな貴方に怯えているみたい。ねえ、貴方には――」
気づくとみっこは涙を流していた。なんでかはわからない。涙で揺れる視界で、しっかり全知王を捉え。みっこは最後の一言を言い放つ。
「貴方には、自分の本当の名前を呼んでくれる人がいるの?」
全知王が目を見開く。そして、その巨体がぐらりと傾いた。
(やったの!?)
みっこは涙を拭って鮮明になった視界で再度王を見据える。
ゆっくりと、彼の体が傾いていく。目は開かれているが光がない。傾きはさらに強まっていき。
(倒れる……!)
そう誰もが思った矢先。
ドンッという大きな音とともに全知王はテーブルに手をついた。
倒れない。あと少し、というところで踏みとどまっている。次第に瞳に光が戻ってくる。
『……何か、したのか?この目眩——術を隠し持っていたか』
王はじろりと周囲を見渡し、怪訝な顔をする。
『おかしい。術が使われたような痕跡はない……だが、いずれにせよだ。みっこ、お前が企んでいたのはこれか。私を動揺させることで発動する罠だったのだろうが……。私は揺らがない!それが王としての責務だ』
やられた。みっこは素直に舌をまく。全くの見当違いの言葉ではなかったはずだ。だが、彼の心そのものの弱さを、彼が背負った王としての外皮が、責任感が。心の崩れを引き止めた。次の手が、ない。
『どうした。そこまでか?私には名を呼んでくれる者は必要ない。なぜなら私は王だからだ。それでいい。私の人生は、それでいいのだ』
王はむしろみっこの言葉を糧にして、より思い込みを強くしてしまったように見えた。
(毒が薬に裏返った……!)
みっこは唇を噛む。ここまでなのか。もう心を揺らす言葉はないのか。ならばせめて。
(心を揺らせるかとか関係ない。言いたいことを言ってやる)
そうしてみっこの口を出た言葉は意外なものだった。
「でも、王様。それじゃ余りにも寂しくない?言っとくけど、そんなんじゃ女の子にももてないんだかんね!」
自分で言っていてしょうもない内容だと思う。だが、それを受けた王の反応もまた意外なものだった。
体が、傾きかけている。一瞬だが、目の光も消えていた。その様子を見て、みっこ達は顔を見合わせる。
「王様、もしかしてもてないの気にしてる?」
みっこの言葉に我に還った全知王は、ふんと鼻をならす。
『下らないことを……私は王だ。反感を持つ者もいよう。孤独もあろう。だが私の庇護のもと私を必要とする数多の民に比べるまでもない。異性も同様だ。私はその他大勢の女に愛されることに価値を見出さぬ』
言葉が上滑りしている。聞いていたカッコが思わず口を開く。
「その他大勢ってことは、特定の誰かにはやはり愛されたいのでしょうか……」
再び王の体が傾きかける。
(これは面白いことになってしまったぞ)
みっこは作戦だとか大きなことは一度おき、単に興味本位で質問を重ねていく。どんな女性がタイプなのか。初恋はいつなのか。今恋をしているのか。その度に王の体はくらくらと前後左右に揺さぶられる。
「ねえ、王様。全知王たるもの聞かれたことに答えないのは義に反するんでしょ?答えなさいよ。私と違って自分のことも深くふかあく思索なさっているんでしょ?」
リョキスンが堪えられず笑い出す。
「そうか、そういうことか全知王!」
いきなりのことに全知王だけではなく、みっこ達までぎょっとする。
「いやはや、恐れいった。そういうことだったのか。みっこと貴方のやりとりを見ていて——わかってしまったぞ貴方の変貌の理由が」
リョキスンはみっこを振り返り、言う。
「みっこ、君も気付けるはずだ。彼は他人と触れ合うのも知識を介さないと出来ないような臆病者だが、そんな男でも恋をした。いや、今も恋をし続けているのだ。そしてそれゆえに、彼はこの15年躍起になって更なる知を求めた」
みっこはリョキスンの言葉をゆっくり噛み砕く。そして、わかった。みっこの読みはある程度あたっていたのだ。だが、根本を見逃していた。王は確かに臆病で、知によって武装をしていたのだろう。だが、彼がこの15年執着していたのは「不安」や「知」では無かった。
『違う、それは妄想だ。言うな!』
王が狼狽すればするほどみっこの予想は確信に変わる。
「全智王は——舌戦乙女に恋をした!?」
次の瞬間。一際大きく王の体がぐらついた。
そうだったのか。みっこは眼の前で倒れかけている哀れな男を見て考える。全知王は舌戦乙女に恋をした。だが、舌戦乙女は彼に振り向かないばかりか、彼を否定した。
(王が求めていたのは——舌戦乙女の消息!そして、多分再会……!同じ世界の出身と思われる私達に執着したのも、それが理由!)
王はぐらぐらと揺れながらも糸一本で意識を保ち続けている。まだ、揺らし足りないというのか。これ以上どう揺らせばいいのか。その時、リョキスンが立ち上がって告げた。心底意地悪な顔をして。
「全知王、この舌戦は最早貴方の負けだ。前半の知を巡る討論でさえ貴方は揺らいだ。後半はいわずもがなだ。そんな貴方に旧知の者として大切なことを教えてやろう」
リョキスンはみっこを指差し、言う。
「さあ、刮目しろ全知王!そして感涙にむせぶがいい。貴方がそうまでして会いたかった舌戦乙女は、ここにいる」
言葉の意味を理解できず、みっこが目を回しかけた頃。カッコが唖然として開いていた口に気付き、慌てて口を覆ったころ。リンゴが何か言おうと試みて諦めたころ。
全知王の巨体が完全に傾き、地に沈んだ。
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みっこの頭は、混乱していた。
全智王が倒れた。本当に?というか、私が舌戦乙女ってどういうこと?いや、今はそれよりも——
まるでいくつものノイズが走るように考えがまとまらない。
「行くぞ、みっこ。君が作ってくれたんだろう、この機会は。ものにするぞ」
リョキスンの声に、みっこは我に還り優先順位を考える。今しかできないこと、それは脱出。そしてそのために必要なことは――——
(情報の伝達!)
そうこうする内に、周囲の景色が徐々に溶け出した。術が溶け出している。
「みんな、聞いて!詳しいことを話している時間はないけど、全知王はしばらく目を覚まさない。王の様子を見るためにこのあと術が解除される。その時が最初で最後の脱出のチャンス!」
みっこはスカートの裏に隠した靴に履き替えながら状況を伝える。
「この日に何かをやらかすと思っておったが……想像以上じゃ。あっぱれ!」
リンゴが周囲を飛び回り、みっこの肩にとまる。
カッコとリョキスンはというと、それぞれ懐から何かを取り出していた。リョキスンは部屋を飾っていた装飾品から集めた銀の鎖を束ねたもの。先端にはペーパーウェイトがくくりつけられている。一方のかっこは、右手に「椅子か何かから切り出したと見られる獣皮に紐を結びつけたもの」を、左手にはズッシリと重みのある木の実を握りしめていた。
(伝わってた……!中庭のメッセージ!ちゃんと、準備をしてくれていた!)
みっこの表情を見て言いたいことは伝わったのか、カッコはニコリと微笑んだ。
「なんだかすごいことになっちゃったみたいね。でも、一つだけ言える。みっこのおかげで、スカッとした!元気、出た!」
カッコは皮に木の実を包んだと思うと、紐部分を握って頭上でそれを振り回し始める。
「スリングショットか。有り合わせの材料で良く思いついたものだ。みっこ、気にかかることはあるだろう。必ず私の口から説明する。だから、今は……」
――——走るぞ。
リョキスンの呟きを合図に、みっこ達は一斉に駆け出す。最早術は半分以上が消え、出口の扉が姿を現しつつあった。景色が変わっていくと同時に、響いていた滝の音が薄れ代わりにざわめきが聞こえてくる。
全知王様が倒れられた……一体何が……奴らが逃げる……だが術を解かねば王のお手当が……
概ね想定どおりだ。彼らはこの事態を予想していなかった。準備ができていなかった。それがとっさの判断を単純にし、また判断するまでの空白を生む。もともと出口の扉はすぐ側にあった。みっこ達を止めるものは、部屋にはいない。
「あんなに歩かされたのに、実際は随分近くにあったのね」
みっこはなんだか腹がたち、勢いよく扉を戸を蹴り開けた。円柱のそびえる大広間だ。
(ここには衛兵が何人かいたはず……)
みっこは瞬時に周囲を見回すが、不思議なことに周囲に人気はない。何かが起きている騒々しさは伝わってくるのだが、いるはずの衛兵がいない。
「おかしいな。好都合には違いないが」
リョキスンは目を閉じ音に集中する。
「——我々が以前入ってきた入口で何かが起きているようだな。その騒ぎの鎮圧に衛兵が集められてしまっているようだ。内部が手薄になっているのはありがたいが……我々が知っている唯一の脱出路が使えないな」
さて、どうするか。思考を巡らせようとしたその時。柱の影から、みっこ達を呼ぶ声があった。
「こ、こっち。私についてきて」
赤茶けた髪に、伏し目がちな瞳。城内でたまに見かけたコックの服を着ているが、まさしくそれは虹渡り海岸のリヤノに他ならなかった。彼女は鍵のかけられた扉を開け、一同を中に押し込む。どうやら中は食材の貯蔵庫らしかった。入口の鍵をしめ、リヤノがふうと息をはく。
「ありがとうございます。まさかリヤノさんが助けに来てくれるなんて……」
みっこの言葉を遮るようにリヤノが掌をむける。
「……時間、無い。最低限のこと、歩きながら説明する。……準備をしながら、よく、聞いて」
リヤノはじゃがいもの入った樽の後ろから、見慣れたリュックを取り出した。みっこのリュックだ。リョキスンとかっこのものも、ちゃんと用意されている。皆がそれぞれの荷を背負い、準備ができたのを確認すると、リヤノは貯蔵庫の奥へ進みだした。
リヤノの言葉によると、この瞬間に備えてリヤノはしばらく前から調理場で働いていたという。
「……今この城の正門には引き潮の夢が徒党を組んで押しかけている、わ。今回の、みっことかっこのケース……明らかなルール違反……そうした主張で、全知王と、謁見させろ……と、衛兵との武力衝突も辞さない覚悟……最前列は、ムギファウという人」
みっこはエルビザで出会った赤鬼のような姿を思い出す。あの体ならば、安心だ。
「でも、それなら私達も正門へ向かった方がいいのではないでしょうか?混乱に乗じて保護してもらえれば――」
「だめ……王城から伸びる橋、一部取り外されて、いる…。対応に出ている衛兵に、多分……捕まるわ。……そこでここ」
見た所、随分細長い食料庫だ。作りとしては珍しくも思う。
「これは、もしかしてただの食料庫ではなく通路ではないのかね?お嬢さん」
「……そう、よ。リンゴさんの、いうとおり。ここ、は……通路。行き先は……湖を超えた先に、ある調理場」
「なる程な。この城が火気厳禁というのであれば連日の会食で出てきた料理はどのように作っているのかと不思議に思っていたが――あくまで城のある島が火気厳禁であり、その外は対象外ということか。外で調理したものをこの通路を使って運んでいるというわけだ」
つまり、ここを抜ければ関門の一つであった湖は越えられる。一気に脱出が真実味を帯びてきた。
「でも、ここからが、問題……皆が逃げたことが広がれば、じきにここも捜索、される。それ、に。調理場は、外と城を直接繋げるいわば急所……城側の衛兵は、騒ぎの鎮圧に向かったけど、調理場の入口、はそれなりに、厳重な警備、ある」
「多少、荒事になりそうだ」
「そう。だから、時間が、大事。なるべく、警備薄い所を抜ける。あそこの扉、抜けたら、走るわ」
「……リヤノさん、一つだけ、いい?何でここまで……だって、リヤノさんは虹渡り海岸でカヌエさんを待つって言ってた」
みっこの言葉に、ずっと張り詰めていたリヤノの目がふっと優しくなる。
「私、おじいちゃんに、叱られたの。『食材の配給も来るんじゃ、目が見えなかろうが死にゃせん』って……『お前がわしを理由に大きなものを諦めた、その事実の方がわしの心を殺しかねん』って。だから、私はみっこを追いかけた。そのお陰で…今ここにいる。あの人のすぐそばに」
リヤノの目が再び鋭くなる。見据える先には金属製の扉。
「……行きましょう。私から、離れないで。まず、キッチンを突っ切る」
ギイイ、という音をたてて扉が開いた先に広がるのは、まるで戦場だった。様々な食材が宙を飛び交い、何人ものコックが所せましと駆け回る。明らかに不審な格好をした一行が厨房に現れたというのに、誰一人として気付く者はいない。
「今は、まだ宮殿の混乱が、伝わってないから……だから、今のうち」
リヤノに導かれるままに、3人と1匹はキッチンをぬける。大きな通路を避けるため、普段は清掃員が使っている配管の張り巡らされた部屋を越え、出入り口近くのごみ置き場へ。
ごみ置き場には様々な食材の切れ端が山のように積まれており、既に異臭を放ち始めていた。
「なんともひどい場所だな」
リョキスンはあからさまに嫌そうな顔をする。
「仕方ないよ。人が嫌がるような場所を通らないとすぐ見つかっちゃうし……」
「惜しいの、みっこ。奴が嫌がっているのはこの場所ではない。恐らくこのあと起こることじゃろう」
リンゴのニヤニヤした顔にリョキスンはチッと舌うつ。
「このあと?」
みっこが考え始めたころ、答えがやってきた。大きな台車に人が4人は入れそうな木箱が2つ。内1つにはごみが積まれている。つまり――
「お気づきの、とおり。この箱に、入って。ゴミの、搬出に紛れて、外にでる。臭いのは、我慢して」
みっこはリョキスンがヌキゾ・ペルスカナでも悪臭に文句を垂れていたことを思い出してクスリと笑う。
「私は大丈夫。街全体が臭い場所だって翌日には慣れるもんだしね」
まず箱に入ったみっこにかっこが続き、最後にリョキスンが渋々鼻をつまみながら後を追う。3人が小さくうずくまるのを確認し、リヤノはゴミの入った木箱を重ねた。
一度木箱の上が閉じられてしまうと、周りは真っ暗で互いの顔もまともに見られない。木材の間からわずかに光の筋が入ってくる程度だ。
「……ゴミは、外の焼却炉に運ぶの。そこで燃やしたときの熱を使って、宮殿で使うお湯をわかしてる」
リヤノが台車を運びながら説明してくれる。3人とそれなりの量のゴミを運んでいるにも関わらず、その声は息切れ一つない。日頃虹渡り海岸の管理に務めているお陰なのだろう。その時。
「おい、そこの娘。止まりなさい」
思わず体がすくむ。どうやら調理場の入口付近まで来たようだ。良くは見えないが、周りに何人か衛兵がいる気配がする。
「今は外に出るのは控えなさい。宮殿内で脱走者が出ているとのことで、この後厨房も閉鎖するようにとのお達しだ」
「……でも、ゴミ捨てないと一杯。衛兵さん達のご飯、作るのにも差し支える」
「そうは言ってもだな。上からの命令なんだ」
困ったような声を出す衛兵に、リヤノは少しずつ距離をつめる。
「私も、上からの命令……従わないと、怒られる。とってもとっても、怒られる。でも、貴方は『この後厨房を閉鎖する』といった。今は、まだ、怒られないかもしれない」
何と言う屁理屈。眉根を寄せて悩む衛兵に、リヤノは台車を寄せて言う。
「わかった。じゃあ、この生ゴミのニオイを嗅いでみて。貴方が、耐えられるものなら私たちも我慢する」
衛兵が息をのむ気配がする。
「……いいだろう」
無言の時間。わずか数秒の出来事だったのだろうが、ひどく長く感じる。やがて。
「うぉえっ……」
衛兵は箱から離れて大きく呼吸している。
「い、一体何を調理したらこんなにひどい匂いになってしまうんだ」
「おいしいものよ」
リヤノはそう言って台車を押し始めた。
(……乗り越えた!)
そう、誰もが思ったその時。聞き慣れた声が響いた。
「ひどい匂いなのよ。そのゴミはさっさと捨ててきてほしいのよ。ただし」
いつも間延びしていた声がすっと引き締まるのがわかる。
「下段の箱は置いていくのよ」
(リオネル……!)
リオネルの言葉に周囲に衛兵が集まってくるのを感じる。リヤノが何か誤魔化そうとしているようだが、リオネルには顔が割れている。今更何を言っても通じない。
衛兵達の手によって、上段の箱が取り除かれ3人と1匹は外に出される。みっこは瞬時に周囲を確認した。
(今いるのは……厨房の玄関にあたる場所ね。眼の前にリオネル、私達の周りに衛兵が6人……)
道は外へ続いているものの、通路の幅があまり大きくない分強行突破は難しい状況だ。
「久しぶりだな、裏切り猫くん」
リョキスンが鼻をつまみながら言う。
「どうも臭くて仕方ないと思ったが……どうやらゴミの匂いではなかったようだな。多分君の性根の匂いだ」
動き出そうとする衛兵を右手で制止しながら、リオネルが答える。
「相変わらず口が悪いのよ、リョキスン。オイラはお仕事を優先順位をつけて頑張っているだけ。みんなと一緒よ」
「リオネル。一時とはいえ、貴方は私の導者でした。その間にあったことは、全部嘘だったのですか?」
悲しそうに告げるカッコに対し、リオネルはきょとんとした表情で返す。
「嘘なわけないのよ。オイラが最初カッコにあった時は導者として。途中から全知王さまの命令を受けたとはいえ、旅は旅。仲間は仲間。オイラの中で皆は大切な仲間のままよ」
リオネルはそこで少しうつむき、言う。
「だから、わからないのよ。そこまでして元の世界に戻らないでずっとこっちで楽しく旅をすればいいのよ。オイラは皆と一緒にいたいのよ」
みっこは改めて実感する。リオネルには悪いことをしたという意識がないのだ。全知王の命令は引き潮の夢のルールよりも重く。彼自身の願いは他の人の願いより重く。彼の中の自分ルールにのっとれば、彼は何も悪いことをしていない。
(さすが、全知王の飼い猫ってわけね)
とは言ったものの、さすがにこの状況をどう切り抜ける?策が、ない。
「なにをボサッとしてるのよ。6人もいるんだから、1人は城から応援を呼んでくるのよ」
リオネルの言葉に1人の衛兵がみっこたちを囲む輪から離れる。その時。
「5つ数えたら目をとじろ」
みっこ達にしか聞こえないくらいの音量で。誰かの声が聞こえた。
ふと周りを見ると、皆もその声を聞いたようだ。意味もわからず、心の中で数を数えながら目を閉じる。次の瞬間。閉じている瞼を突き破るくらいの光を感じると同時に、リオネル達のうめき声が聞こえた。光の波は数秒続いたあと、嘘のように消え去り、みっこ達はおそるおそる目をあける。
そこには、目を押さえうずくまるリオネル達。そして、先ほど輪から離れた衛兵だけが直立不動のままじっとこちらを見据えていた。
「よう、お姫様。助けに来てやったぜ」
彼は兜を脱いで放り投げる。兜はリオネルの頭にあたり、裏切り猫は「むがっ」という声を残し気を失った。
衛兵はニヤリと笑い、顔についた付け鼻や付け髭をベリベリと取り払う。
「大泥棒……ショーリ!!」
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