第12章 最後の障害 前編

 1

 

 ミズクがケムリを吐く少し前。

「も、もう無理……腕、動かない」

「むう、大仕事じゃったの」

 銀腹が地下に向かったその後。みっこはケムリによって隠されていた右の扉から姿を現すと、急いで土を集めて左の扉を埋め始めた。

 最初はケムリが手伝ってくれたが、途中でケムリはかき消えてしまった。

(動力が壊れたんだ!)

 ケムリが解放されたことを心底喜びつつ、そこから先の作業は地獄だった。雨合羽を袋がわりに土をあつめ、ひたすら扉の上に積み上げる。

 そうして、なんとか扉を土で動かなくすることに成功した。

「せっかくのきれいな景色だったけど、大分荒らしちゃったね」

「まあそう気に病むこともなかろう。苔は強い植物じゃ。地形が多少かわろうが、すぐに元の姿を取り戻すじゃろ。それよりもじゃ。ケムリがいなくなったということは、入口を塞ぐものももういない。いつ銀腹が入ってきてもおかしくないぞ」

「そうだね。五十人くらいは地下に閉じ込められたけど、銀腹の話だとまだ外に結構いるはずだし……。このままじゃカッコとショーリが塔に入れない」

 その時、ギイイイと扉が軋む音がした。

(銀腹!?)

 みっこはとっさに積み上げた土の後ろに隠れる。どうする。部屋に入ってすぐに扉に積み上げられた土に気付くはず。これを取り除かれれば折角地下に閉じ込めた銀腹も復活。みっこもすぐに捕まって試合終了だ。

 内心諦めが広がりだした頃。気の抜けた声が部屋に響いた。

「わあああ、綺麗ですねえ。この光は蛍でしょうか」

「蛍というより蛾の仲間だ。自身が光ることで他の虫や異性を引き寄せる……ってなんじゃこりゃ。左の扉は土で埋まってるぞ」

 みっこは土からばっと顔を出す。間違いない。カッコとショーリだ。

「カッコ!ショーリ!!」

 思わず抱きついてしまう。

「みっこ!まだ門をくぐらずにいたの……?」

 みっこは起きた出来事を伝えようと思うも、はっと我にかえる。

「カッコ、ショーリ、外に銀腹がいなかった?」

「いたぜ」

「じゃあ、早く上に行かなくちゃ―—」

「大丈夫、みっこ。しばらく彼らは動けないから……」

 二人の話によれば、なかなかの大立ち回りがあったらしい。

 まず、ショーリは湖付近に何人か銀腹がうろついていると予想をつけた。

「長期戦になるなら舟を押さえとかないとだからな。時計側との連絡は松明なりでつくだろうし、数人は見張りをしてるとふんでたぜ」

 案の定、3人の見張りが舟に張り付いていた。

「そこで私の出番です」

 カッコが見張りの視界にわざと入ることで、見張り2人を村の中に誘い込むことに成功する。

「地の利を得た上で2人ならわけはねえ。後ろから近付いて、くいっとね」

 こうしてショーリはまんまと銀腹の服を手にいれることに成功した。

「総勢100人近かったってのが裏目に出たな。そのくらいの人数になると互いの顔を把握しきれてねえことが多いんだ」

 そしてショーリは平然と炊き出し中の部隊に近付き――

「お前らに隠れ家で使った平衡感覚を無くす薬あったろ。あれをしこたまシチューの鍋にぶちこんだ」

 煙状にして使うよりも粉末のまま使う方が効果は高いらしい。

「悩んだのは、効果が出るまでの時間差だな。シチューを食った奴がいきなり倒れるんじゃあ全員にくわせらんねえ。なるべくゆっくり効果がでるように他の薬との飲み合わせを考えて――そうしたら大笑いだぜ」

 ショーリが薬を入れる前にシチューの味見(薬を入れる際に違和感なく溶け込むかの確認)をしている時のことである。一人の男が近付き、声をかけてきたそうだ。『おい、お前。号令の前に抜け駆けするのはご法度だぜ』、と。つまり。

「笑えるだろ?あいつらあんな悪の集団ぶっときながらよ。全員でいただきますをしねえと飯を食わねえんだぜ!」

 そのお陰で外にいた銀腹のほぼ全員がほぼ同時にシチューを口に運び。

「それで、今も外でごろごろ転がっているのです」

 カッコが結ぶ。

「あいつら、みっことカッコの情報は持っていたが俺についての調べが甘かったな。炊き出しを見せつけるつもりだったんだろうが、あいにく変装侵入はこちらの十八番ってね。で、見た所お前らの方もうまくやったみたいじゃねえの」

 そうだ。塔に入ってきた銀腹は外の助けなしに出られない。そして外の助けはしばらくは来ることが出来ない。みっこ達に立ちふさがる最大の壁はこれで無くなったことになる。

 みっこはふと空白感に襲われる。

 これで、終わる?あとは階段を登れば。門をくぐれば。この旅が終わる?みっこには実感がまったくわかない。今までは眼の前のことをひたすら乗り越えていくだけだった。ゴールに向かうため、ひたすら走るだけだった。だが今こうしてゴールテープを切るだけの状態になってみて思う。

(私は、この旅が終わるものだって本当には理解できてなかったのかもしれない)

 リンゴと。カッコと。ショーリと。そしてリョキスンと。みっこを支えてくれた人々と別れる。そして下手をすればもう一生会うことはないのかもしれない。

 だが、この思いを口にするべきではない。みっこはそう思う。彼らのおかげで繋がった道筋なのだ。このゴールのために皆がバトンを渡したのだ。ならばこの思いを受け入れて、胸をはってゴールするのがみっこの役目だ。

「ねえ、みっこ。何かおかしくない?」

 カッコが心配そうにみっこの手をとる。

「どうしたの?別に変わったことは……」

 心の底を見透かされたかとドキリとしながら、返すみっこに、カッコは神妙な顔で答える。

「私、さっきからあの蝶を見ていないの。少し前まではどこかしらに塔の上へ向かう蝶が見えたのに」

「そういえば――」

 どこにでもいたためにあまり注意を払わなくなってきていたが、たしかに妙だ。

 みっこは塔の上に繋がる扉を開けてみる。開いた扉の先は上りの螺旋階段だ。中央が吹き抜けており大分上まで見ることができる。にもかかわらず、蝶は一匹も見えない。

「もしかして、私がこの塔の動力を壊したから?門が開く条件のようなものが無くなってしまったとか……」

 リンゴを見ると、むうと腕をくんでいる。

「大体の門は人の思いが渦巻く場所の近くに現れると言われておるからのう。この時計がケムリとなった人々までも集めていたことを考えると、その力が無くなった今門が開く条件は失われつつあるのかもしれん」

 それを聞きながらショーリが呆れ顔でいう。

「どうやってこんな時計の動力をブッ壊したのかとか色々気になるけどよ。そういうことなら急ぐぞ。ったく全知王のプライドはぶっ壊すしバルミは解き放つし――今度は大時計の呪いを解くとか一体なんなんだお前は」

「ご、ごめん。こんなことになるとは思ってなくて」

「あー、別に怒ってねえから。すげえなって話だよ。本当。とりあえず登るぞ。蛇口をとめたからってすぐに排水溝から水が流れ出るわけじゃねえ。動力壊してまだそんなにたってねえってなら、可能性はあるだろ」

 一行は急いで階段を登りだすも、流れてくる雨水のために非常に滑りやすくなかなか先へ進めない。塔上部は大きな窓が四方にあいていることもあり、内部には容赦なく雨と風が舞っている。足元が悪いこともあり、気をぬくと突風に煽られ中央部の吹き抜けに落ちてしまいそうだ。

 みっこはなるべく壁に手をつきながら進む。階段自体はそう幅があるわけではない。もし一人でも滑り落ちれば、皆引きずられていく可能性すらある。

「最後の最後まで意地汚い作りだね。手すりぐらいつけておいてほしいわ」

 下を見ると、もうかなりの高さまで来たことがわかる。落ちればまず助からないだろう。高さに比例して強くなっていく風に容赦なく煽られながら、3人(と1匹)は互いを助けあいながら最上部を目指した。

 どれだけ登っただろうか。やがて、みっこは気付いた。香るのだ。何かしらの花の香りが。猛烈な風の中、どんな強烈な匂いも吹き飛んでしまいそうな状況だというのに。その匂いは階段をふみしめるごとに強くなっていくように感じる。

「ねえ、みっこも感じている?花の匂い」

 カッコが荒い息を吐きながら問いかけてくる。

「うん。わたしはクリオの国の花に詳しくないからどんな花かはわからないけれど……なんだかキンモクセイをもっと爽やかにしたような感じの匂いがする」

 その言葉にショーリがうろたえるように応えた。

「おいおいどういうことだよ。俺にも感じられるぞ、匂いが。こりゃトコハル花だ。もっと南にしか咲いてねえし、時期も違う!」

「落ち着けショーリよ!門が近いのだ。時間はたったと言えどお前の身体は元々中つ国のもの。残ったどこかが感じとっているのだろう。門の気配を」

 リンゴの言葉を証明するかのように、程なくして、階段は唐突に終わりを迎え。一行の前に簡素な扉が立ちふさがった。匂いの元は明らかにこの先にある。

「開けるよ」

 誰へともなく呟いて、みっこは扉を開く。それは自分への言葉だったのかもしれない。

 ギギ、という鈍い音をたて。戸がゆっくり開き。その先にあるものが見えてくる。

 まず最初に見えたのはおびただしい数の蝶。それは部屋の上部に吊り下げられた巨大な鐘のまわりを渦をまくように回転し、どこかに吸い込まれていく。そして蝶の向かう先には。

「これが――元の世界に戻る、門?」

 うっすらと銀色に光る、鏡のようなものがそこにあった。大きさはちょうど教室の入口の引き戸くらいで思っていたより大きくない。しかし、これが探していた門であることはみっことカッコには直感でわかった。

「ショーリさん、あなたには門は見えていますか?」

「正直はっきりとは見えねえが、何かしら空気の歪みのようなもんがあるのはわかるぜ。どうやら、まだ閉じてなかったみたいだな」

 あの鏡に入れば、この旅は終わる。いよいよ、別れの時だ。

 みっこは浮かんでくる涙を必死にこらえる。そうだ。まだ絶対に会えないと決まったわけではない。

「本当は、ゆっくりお別れしたかったね」

 先に口を開いたのはカッコだった。

「私、元の世界がどんな場所かは正直よく覚えてない。けれど、帰った先にみっこやショーリさんがいるのなら……怖くない、かな」

 みっこは堪えきれなくなって、カッコに抱きついた。お互いずぶ濡れだ。正直汚れてもいる。けれど、みっこはなんだかとても懐かしくてあったかいものを抱きしめている気がした。

「私、カッコに会えてよかった。必ず、また会おうね。私の家は埼玉県の飯山町っていうところにあるの。私もかっこのこと探すから」

 言葉が、足りない。伝えきれない。どう伝えたらいいかもわからない。けれど一つだけはっきりしていることがある。もう、行かねばならない。

「——行くぞ、カッコ。続きは、あっちで会った時だ。町までわかってりゃ大丈夫だ、俺が連れてってやる」

 カッコは涙を浮かべてショーリの手を握る。

「さて、ではみっこ。わしを下におろしてくれ。なーに。飛べはしなくとも風にのって降りるくらいはできる。嵐が去ったらここからおさらばじゃ。わしのことは心配するでない」

「リンゴ、ずっとありがとう。私、あなたのこと忘れないからね」

 カッコはリンゴをポケットからそっとすくって、頬ずりをした。

 その時だ。

「みんな、あーしに挨拶のせず行ってしまうなんて淋しいのよ」

 扉の先からぬっと。

 リオネルが現れた。

「あーしが嫌われてるのはわかってるのよ。でも、あーしは皆のことを好きなのよ」

 リオネルが近付いてくる。ずぶ濡れだ。ふっくらとした毛並みもズボンも、今は小さく濡れそぼり、眼光だけが爛々と光るその様子は不気味な怪物のように見えた。

「だから帰らないでほしいのよ。きっとあーしと皆は仲直りできるのよ。だって今まで全知王様が間違ったことはなかったんだもの。時間がたてば、この国に残ったことを喜ぶ日がくるのよ。そして、そのとき皆を引き止めたあーしの愛に気づくのよ」

 みっこ達は口を開けない。ひたすら自分中心の言葉を投げかけてくるリオネルに憐れみすら湧いてくる。

「おいデブ猫。俺はこの2人と違ってお前にはなんの思い入れもねえから言ってやる。お前、みじめだぜ。これ以上2人の中で嫌な思い出になる前に、黙れよ」

 リオネルはショーリの言葉を無視するように続ける。

「わかってるのよ。2人はこんな言葉じゃ止まらないのよ。だからあーしもやりたくはなかったけど、あんなことをしなきゃならなかったのよ」

 ぞわり、と。悪寒がみっこの背筋を走る。

「リオネル、あなた何を……」

 答えるかわりにリオネルは窓の先を指さした。

「この塔の途中にある窓から、リョキスンを吊るしてきたよ」


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