第11章 煙と銀腹 後編

 2

 

 ガン、ガン、ガン、という音が嵐の空に響く。

 大時計の前には銀腹が周囲を見張る陣をはり、塔への突入口をこじ開けようと10名ばかりの部隊が開かない扉に群がっていた。

「戸が開いたら、偶数の小隊が中に入る。外で待機する連中は今の内に野営の準備だ。飯もたけ。遠くから見えるように大規模に。俺達がここから離れるつもりがないことを遠目にもわかるようにしてやるんだ。俺達は後で食う。お前らは先に食っておけ」

 ミズクは団員に指示を出し、自身も鉄の扉に向かう。

「どうよ。塩梅は」

 リューゼンが振り向き答える。

「妙です。鍵がかかっているわけでも無さそうなのですが、押しても引いても動かない」

 ミズクもさすがに鉄の扉を破る道具までは想定していなかった。

「そこまで丈夫な扉にも見えねえんだがな」

 そう言って戸に触れた瞬間。ミズクの身体全体に鳥肌がはしる。

 思わず手を離し、距離をとったミズクに団員は不思議そうな顔をしている。

(なんだ、今の感覚は?あれは扉の感触じゃねえ。あれは…)

 人の、肌。冷たく、ざらついた人の肌だった。

 すると、先程まで何をしても開かなかったはずの扉が、キいいと開いた。

 開けようともがいていた扉が開いたにもかかわらず、一様に皆無言だった。ミズクの様子と、いきなり開いた扉にどこかうすら寒いものを、皆感じていた。

「な、なにをしている。戸が開いたのだ。当初の予定通りだ。中に入る!」

 空気を切り替えようとリューゼンが激をとばし、開いた戸に滑り込もうとする。そこへ。

 暗闇の中から青白い少女の手が、リューゼンの手を掴んだ。

「ひっ……」

 リューゼンはとっさに手をひく。

 その瞬間、一同は見た。雷光に照らされた扉の隙間に、黒髪の白い顔をした少女がこちらを見つめていた。

「たすけて」

 か細い声がしたと思うと、少女の顔はすっと暗がりに溶け込んでしまった。後には真っ暗な扉の隙間のみが残っている。

「い、今のはなんだ?」

「お化け?」

 口々に不安を口にする団員を見て、ミズクは唇を噛む。

 銀腹魚団は、クリオの国のならずものの集まりだ。彼らは幼いころからお化けや霊魂というものが無いことを知っている。もし、そんなものがいるというのなら、真っ先に自分の元に化けて出ているであろう相手を沢山知っているからだ。

(だが、だからこそそういう類のものが本当にいたら……という話にはよええ)

 ミズクはまだ腰を抜かしているリューゼンの肩に手をおく。

「しっかりしろ、リューゼン。今のは目標の一人、みっこかカッコだ。バケモンの類じゃねえ」

 リューゼン。お前が団の空気を作るんだぜ。ミズクは視線で伝えようとしたが、リューゼンの瞳は虚空を舞っていてミズクを捉えることは無かった。

「今私が触れたものは――本当に生きている者だったのでしょうか?」

 団全体にざわめきが広がる。まずい。なまじ人数がいるのが良くない。集団に広がった不安をかき消すのは容易ではない。

「ハッ、じゃあなんだリューゼン。目標は何らかの事故で死んでいるとでも言うのか?おい、お前ら。もしそうなら俺達がするのはなんだ?」

 団員はおどおどと視線を下に落とす。

(くそったれ。普段群れてる奴らはこういう時に胆がねえ)

 ミズクは大声で怒鳴る。

「死んでるならそれを確認するまでが仕事だ!それがわかんねえのか」

 いつもならこれで、立ち直る。だが、まだ不安げな表情が消えない。ならば少し絡め手を使うべきか。

「——正直いうとな。妙な気配は俺もこの島からは感じていた。そこかしこからな」

 ミズクは声を和らげる。

「そりゃあ曰く付きの島だ。何かしら不思議なもんがいてもおかしかねえ。だがな。考えてみろ。お前らはたしかに色んな奴らの恨みを買っているだろうさ。でもこの島にいる連中に恨まれる筋合いはあるか?」

 もう一押し。

「おれたちゃ罪深い人間だろうさ。だがな。この島においては何も悪いことはしちゃいねえ。堂々としてりゃいいんだよ。俺達はただ、仕事をしに来ただけなんだからな」

 唇を結び、リューゼンが立ち上がる。

「そ、そうでした。私としたことが冷静さを失っていました」

 ミズクはニヤリと笑いリューゼンの背を叩く。

「気にするな。正直俺も怖くないわけじゃあない」

 団の空気はある程度立て直した。今を逃せば中には入れまい。

「行くぞ。俺が先頭、リューゼンが最後尾をつとめろ。言っとくが、まだ怖がって入れねえっていうならお前ら銀腹に居場所はねえぞ」

 最後の一睨みをきかせて、ミズクは戸の中に滑り込んだ。

 入ってしまえば、思ったよりも明るい空間だ。幻想的と言ってもいい。団員達はそれぞれ感嘆の声を上げながらホールへ入ってきた。

「先に進むルートは……」

 ミズクは周囲を見渡す。左手の壁に古びた扉があるのが見えた。

「左の壁に入口。先へ進む――」

 振り返ったミズクの目に映ったのは目を丸く見開いて口をぱくぱくさせる部下の姿だった。

「なんだってんだ一体」

 再び扉に目をやったミズクは全身が総毛立つのを感じた。

 少女がいる。髪が少し短くリボンがない。目標の一人、みっこに違いない。だが、いつ扉をあけた?

(俺がさっき見た時には確かに扉はしまっていた…)

 少女の声がする。口はほとんど動いていないのに、部屋全体から声が聞こえてくるような違和感がある。

「入ってきちゃったね。おじさん達も私と一緒。もう、出られないよ」

 団員がざわつく。リューゼンが扉を確認し、焦った様子で報告してくるのが聞こえる。

「だ、団長。扉が、開きません!さっきまでと同じです」

 ミズクは冷や汗が出るのを感じながら少女と対峙する。

「おい、嬢ちゃん。もう出られないってのはどういうことだ?」

 少女は天井を指さす。

「天井に何かあるのか?」

 仰ぎみたミズクは息をのんだ。天井一面に巨大な女の顔が映っている。真っ白な肌に長い髪。やけに目と口が大きな女だ。その目には白目がほとんどなく、感情を感じさせない。その目と口がぐにゃりと歪んだかと思うと、けたたましいほどの笑い声が響いた。

「ひいいい!!」

「バケモンだぁあああ」

 大首の嬌声と団員の悲鳴が入り混じる中、ミズクは少女を向き直り問いかける。

「随分手の込んだ極地術じゃないか。ここにあらかじめかけられていたものか?」

「極地術じゃないよ。ほら」

 女の顔と嬌声が消えたと思いきや、いきなり団員の持っているナイフや剣が宙に浮かんだ。しばらく宙を舞った後、一斉に動きを止め地面に落ちる。

(極地術はあくまで本人の意識に訴える……物には作用しねえ)

「まいったな、マジモンの幽霊がいるってか?この塔に」

 少女は静かに頷く。

「この塔は命を集める。そのせいで普段なら見えないはずの、何もできないはずの幽霊が集められて力を持ってしまったの。彼らは怒ってるわ。自分達の縄張りを脅かした私やあなた達を許さないと言っている」

 ミズクは確信する。銀腹魚団として働いて十数年。一番得体のしれない事態に遭遇している、と。

「さっき、嬢ちゃんは俺達に助けて、といったような気がしたが気のせいか」

 少女は首を横にふる。

「つまり、俺達が手を貸せば何か事態は好転するのか」

 少女は首を縦にふる。その様子に、団員達が息をのんだのが伝わってくる。

「しかたねえ。教えな。その方法を。あんたを捕まえようにも自分たちが出られないんじゃ仕方ねえ。一時共闘だ」

「——ついてきて。人手がいる。それにここよりは安全」

 少女は音もなく戸を開け、先へと消えてしまった。

「だ、団長。今の少女は」

「ああ。目標の一人だ。俺達よりは事情を把握しているらしい。どこまで本当なのかはわからねえが、この空間に極地術じゃ説明できない何かがいるのは確かなようだ。俺は先へ進むが、ここに残りたい者はいるか?」

 手を挙げるものはいない。

(さっきの女の顔は効いたな。出来れば俺も二度と見たくねえ)

「なら全員で行くぞ。人手がいるとも言っていた。何か手があるってえなら早く終わらせちまおう」

 ミズクを先頭に、リューゼンを最後尾に。銀腹魚団が全員扉の先へ進み人気の絶えたホールの中で。ひっそりと、一つの人影が動き出した。


 3

 

「ショーリさん!これ…」

 カッコが一冊の本を大事そうに抱えながら駆け寄ってくる。

「これは……特に日焼けもしてねえしホコリも被ってねえな。100日は経ってないような気はする」

「しかも、この表紙。私見覚えがある気がするんです。この大きな目の女性の絵」

「ああ。名前は忘れたが少女用の雑誌だったはずだぜ」

 ショーリは本を手にとると、背表紙や裏表紙を観察する。

「……多少のずれはあるが年代的にもおそらくいけるはずだ。これで印は揃った!」

「ならば、私達は銀腹が帰るまで身を隠すのですね」

 ショーリは注意深く窓に近付くと、カバンから小さな望遠鏡を取り出した。

「あいつら、長期戦に持ち込むつもりだな。これみよがしに炊き出しを始めてやがる」

「では、身を隠したところで仕方ありませんね。最早強行突破をするしかないのでしょうか」

 淡々と返すカッコに呆れながらショーリが返す。

「正直、さっきまで俺もそうするしかないかと思っていた。俺が囮になってお前だけでも返すしかないと」

「あら、そんなの許しませんよ」

「さっきまでって言ったろうが。あいつら、俺を甘く見てやがる。おかげでなんとかなりそうだぜ」

 ショーリは望遠鏡をたたむと、ニヤリと笑う。

「急ぐぞ。作戦開始だ。あまり残された時間はねえ。その本絶対に無くすなよ」

 その言葉にカッコの目が輝く。

「私も一緒に行っていいのですね!」

「ああ。むしろあんたがいねえと上手くいかねえ。どうせ付いてくんなっていっても来るんだろ?なら手伝え」

 カッコは心底うれしそうに、頷いた。


 一方、扉の先へと進んだミズク達は弧を描く通路を延々と歩かされていた。

(螺旋状に地下へ向かっているようだな)

 前を行く少女を見失わないよう、歩調を早める。

(随分歩きなれているな。この苔むした足元の悪い中でこの速さとは)

 案の定、後ろの方では早めた歩調に対応できなかった部下が転んだりしているようだ。

「落ち着け!道自体は一本道なんだ。はぐれることはない!」

 それにしても。ミズクは思う。

(こうも景色が変わらないと、俺達は一生この螺旋から出られないんじゃねえかって気になるな)

 昔村にいた老人が言っていた。クリオの国にはそうした永遠に続く回廊があると。

(そこにおびき寄せる罠ってか?随分気持ちが弱ってるもんだなミズク)

 意識的に口角を上げる。

 やがて、長かった回廊が終わり、再び鉄の扉が現れた。中から聞こえる奇妙な声に、団員達が怖気づいているのが見ないでもわかる。

「ここよ」

 恐怖も躊躇も全く見せず、少女は扉を開いた。

「ほう。これはこれは」

 中は広い空間となっており、一切の照明がない。手にした照明を掲げながら少女についていくと、壁一面に埋めつけられた黒い塊のようなものが現れた。

「驚いた。こいつは古代ナジカ族の得意とした呪石じゅせきだ」

「呪石?」

 珍しく少女が言葉を返す。

「ああ。極地術のようなもんだが…特定の石に時間をかけて術を彫り込んでいくんだ。すると、その石自体が永続的に術の効果を持ち続けるようになる。ルールを扱う極地術と違い、具体的な力を持たせられるのが便利な所だ。この場合なら、生命力を集める、その力を動力に変えるというわけだな」

「この石を壊せば、大時計の呪いがとけるはずなの」

「こいつを壊すのか」

「出来ないの?」

「出来るさ。——したくはねえけどな」

 ミズクは若い頃ナジカの文化に魅せられ、クリオの西方を駆け巡っていた。破壊され力を失った呪石はいくらでも見つけたが、ここまで大きくしかも稼働している呪石はクリオの国でもそうはあるまい。

(へへ、らしくねえなミズク)

 ミズクは団員を振り返り指示を出す。

「お前ら!この壁に埋め込まれている黒い塊がバケモンをおびき寄せる大元だ。こいつを壊せば、俺達は無事外に出られる。気合いれろよ!」

 ずっとびくびくしていた団員は、目標が明確になりやおら勢いづいた。こうなると集団は強い。

「呪石は硬度自体は高くねえ!刃をたてんじゃなくて、鉄製の柄部分を使え」

 いつだったか。こうして集団を率いてナジカの遺跡の発掘をしていたのは。なぜだったか。銀腹魚団に入り、人狩りのような仕事をし始めたのは。

「おもしれえな」

 ミズクの呟きにリューゼンが反応する。

「どうしたのです、団長」

「いやな。皆でこう、一つのものを砕くってのが久しぶりでなんだか楽しくてな」

「はあ」

 そうこうする内に、ずっと響いていた蠢くような音が弱まってきた。

「嬢ちゃん、そろそろだぜ」

「うん。頑張っておじさん」

 (頑張って、か。仕方ねえ、おじさん頑張っちまうかね)

 ミズクは渾身の力を込めて、手にした剣の柄を叩きつける。そこから生じた亀裂はみるみる内に周囲に広がり――そしてゴウンという最後の一唸りをあげたのち呪石はその役割を終えた。団員の歓声が上がる。ミズクは汗だくになりながら、口元が緩むのを止められなかった。

「嬢ちゃん、これで良かったか」

 少女はにこりと笑って、言う。

「ありがとう、おじさん。呪いを解いてくれて」

「よせや。保身のためだ。それに俺はこのあとあんたを縛って全知王に連れてくんだぜ」

 ズキリと、胸に刺すものがある。なぜだ。今まで何度もやってきた仕事だ。今頃になってなぜ。

 すると、少女はミズクの手を取った。ひんやりとした手だ。その手が次第に透明になっていく。

「お前、まさか……!はは、やられたな。最初から掌の上だったってわけかい」

『おじさん、やりたいことをやったほうがいいよ。私はもうケムリになるけれど……おじさんはまだ身体が、命があるんだから』

 少女の姿はそのまま薄くなり、やがて何もなくなった。

(くそが、幽霊のくせに最後に好き勝手いいやがる)

 リューゼンが近寄ってくる。

「団長、これは一体?」

「ああ。あれは本物のみっこじゃねえ。俺たちゃ幽霊が成仏するお手伝いをさせられたってわけさ。いずれにしてもこれで扉は開くんだろう。戻るぞ」

 螺旋を上る間、部下たちは皆興奮冷めやらぬようだった。

「俺達は幽霊を成仏させたんだってよ」

「たまにゃあいいことしたじゃねえか」

(さっきまでびくついてたくせにいい気なもんだぜ。単純な奴らだ)

 だが、そう思いながらも。

 ミズクは呪石の破壊をしながら確かに思った。人を追うのではなく。憎まれるのではなく。こうした仕事で生きられたらと。そんなことを考えている内に、螺旋状の回廊を上りきり、一行は古びた扉の前に立っていた。

(らしくねえ感傷にひたるのもここまでか。この戸をあけたらまた元の人狩り稼業ってね)

 扉に手をかける。——開かない。

「だ、団長、これを」

 よく見ると扉にたどたどしい文字でメッセージが書かれている。

『石を壊してくれてありがとう。でもごめんなさい。扉はもうしばらく開きません。愛しのみっこより』

 ミズクは腹を抱えて笑う。

「やられた。完敗だな!このみっこっていう嬢ちゃんは大した策士で強運の持ち主だぜ。たまたま集まった幽霊、銀腹、そして自分の3つのカードを切って、最適解を出しやがった!」

「団長、これからいかがいたしましょう」

「どうもこうもねえよ。仲間が気付いて出してくれるまではここで待機だ。にしても、そうねえ。これから、ねえ」

 ミズクはタバコに火をつけながらリューゼンを横目に見る。

「なあリューゼンよ」

「な、なんですか団長」

「お前、発掘とか興味ない?」

 ミズクはいたずらっ子のように微笑み、大きなケムリを吐いた。

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