第8章 全知王の宮殿 前編

 1


「退屈なのよう」

 リオネルがあくびをしながら、呟く。

「リオネルも一緒に考えてよ。もうそろそろ全智王の宮殿に着いちゃうんだから、作戦の1つや2つ考えなくちゃ」

 リオネルはごろんと転がると、

「こういうものはなるようにしかならないものなのよう。それよりもゆっくり休んで体力を温存するのよう」

 思わず、みっこはムッとする。そもそも銀腹に追いかけられている際も、リオネルはさっさと抵抗を諦めて捕まってしまっていた。

(カッコがあれだけ苦労してたっていうのに!)

 一言いってやろうと思ったその時、リョキスンが言う。

「いい、みっこ。リオネルは彼の仕事に専念してもらおう」

 リオネルにはその鼻を使って、外の様子を探ってもらっている。とはいっても、外で何が起きたとしても現状ここから脱出できる要素はないのだが。

 リョキスンは窓のカーテンをずらし、隙間から外を眺める。

「——このあたりは見覚えがある。あと半日もいけば全智王の都だな」

 みっこ達は今、さながら宿の一室のような部屋の中にいる。室内には白と青を基調とした机と豪勢なソファ、一人一つずつのベッドが備えられ、トイレとシャワーは別室で備え付けられているという手の込みようだ。そしてその大きな部屋を自らの背中にのせて進んでいるのは、以前旅先でも見かけた巨大なカエル。

 巨大カエルは器用に両足をつかって地を這うように移動しているらしく、荷車は全く揺れない。知能はあるらしく、護衛の銀腹魚団とときたま何かを話している。そんなときは声の振動が部屋に伝わり、一同は落ち着かない時間を過ごすことになる。

「カエルに車をおんぶさせて、まわりから文句は出て来ないの?」

「それなりにいい給料がでるのだろうさ。奴隷のように働かせるのは論外だが、職務としてなら問題ない」

 リョキスンの返答に、一体こんな巨大なカエルが給料を得てどのようなものに使うのだろうと思ってしまったが、その疑問そのものがこの国では差別的なのかもしれないと思い、みっこはとりあえず納得しておくことにする。

「さて――話がそれたが、本題にもどろうか。あと半日で我々は全知王の宮殿に着く。宮殿は警備が厳しく、脱出することは困難だ……とショーリからの情報だ。そんな中から、我々はなるべくなら全員が。最低でもみっことカッコは脱出を計らなくてはならない。妙案のある者は?」

 かっこが手を挙げる。

「王が飽きるようにつまらない話をする――というのは如何ですか?何十日も話を聴いても仕方ないと思わせるんです」

「恐らく、無理じゃ。全知王は長命な種族ゆえか時間感覚が我々と違う。例えつまらなく話したところで、彼にとって大した違いはない。せいぜい明日は面白い話がでてくるといいな、くらいのもんじゃろう」

 リンゴの言葉にカッコはそうですか、と眉をよせる。

「当然、泣き落としが通用する相手ではない……んだよね?」

 みっこは一応聞いてみる。

「そうであれば、ショーリのような犠牲者は出ていないだろうな。かつては人道的な名君だったが……今の奴は知識の中毒者だ。彼からすれば、この不思議に満ちたクリオの国で生きていけるのだから相手も幸せだろう、くらいに考えかねん」

 ――本当に、もうろくしやがって。

 ぼそっとリョキスンがぼやいたのをみっこは聞き逃さなかった。

「もしかして、リョキスンは全知王と昔会ったことがあったりする?」

「む。鋭いな。昔……そう15年ほど前に一度面会している。その頃はここまで非常識な振る舞いはしていなかったのだが、な」

 リョキスンはみっこの顔をじいっとみつめる。

「な、なに?」

「ん。いや、なに。ちょうどみっこくらいの歳の時だったかなと思ってな。あとは一緒に面会に臨んだ同行者がいたのだが――今のみっこを見ると少し彼女を思い出す」

 みっこはギクリとする。15年前に何があったのかはわからないが、今のリョキスンの言葉には特別な感情が感じられた。

「その方は、どんな女性だったのですか?少し、気になります」

 みっこの気持ちを代弁するかのように、カッコが続く。みっこが横目でカッコをみやると、彼女はくすりと微笑んだ。

(……読まれてる)

 みっこは顔が赤くなるのをリョキスンに悟られないよう、興味なさげに窓の外を見るふりをした。

「口のたつ女性だった。彼女にかかれば、屁理屈が理屈になってしまう。まあ、その彼女のことはこの窮地を脱したあとにいくらでも話す時間はある。今は、全知王の手から、いかに逃れるか、だ」

 話をそらされたようで落ち着かないが、たしかに今は時間がない。みっこは頭を切り替えるようにする。

(ショーリとのやりとりを伝えた方がいいのかな。でも下手な期待をさせてしまうだけかもしれないし――)

 そんなことを悩んでいると、リオネルが言った。

「クリオの国はいい所よ。カッコは元の世界の記憶が無いのだから、おいらと一緒にこの国で暮らせばいいし、みっこもカッコと楽しく暮らせばいいと思うのよ」

「ふざけとるのか!お主、それでも導者のはしくれか!」

 リンゴが体に見合わぬ怒声をあげる。今までで一番、怒っている。そう、みっこは感じる。

「そうはいうけれど、リンゴにはこの状況を解決する方法が思い浮かぶのかね。引き潮の夢の導者の役割はなにも本人を元の世界に戻る手助けをするだけじゃないのよ。この世界で生活ができるよう働きかける……心の準備をさせるのも大事な仕事の内なのよ。可能性もないのにいつまでも帰れるかもと思わせるのは、おいらからすれば逆にお客さんに失礼なのよ」

 リオネルは転がったままじろりとリンゴをねめつける。リンゴも、そう言われては言葉がでず無言でリオネルと睨み合う。

「可能性はある。絶対に」

 口を開いたのは、リョキスンだった。

「可能性はある。理由はうまく説明できんが、私の言葉を信じてほしい」

「そんなこと言って、いつものリョキスンらしくないのよ。なにを根拠にそんなことを言うのよ」

「同じような状況を打開した人を知っている」

 この言葉には、皆はっと息をのむ。

「だが、私が知ってるのはうまく切り抜けたという結果だけだ。それ以外の詳細は――わからない」

「そんなの無責任なのよう!」

 これ以上無いくらい無責任な猫が言っても説得力にかけるのだが、リオネルが食い下がる。

「私は今、こう思いはじめている。もしかしたら今は材料が足りていないだけなのではないか?実際にあちらに着いてから事態が動くこともあるのではないかと。まあ、それにしても今の内に考えられることは考えておくにこしたことはないだろうが……」

 そして、リョキスンはみっこの頭をぽんとたたいた。

「私は、案外この小さなご主人さまが、また何とかしてくれるんじゃないかとも感じているのだ」

 みっこは目を白黒させてリョキスンを見上げる。本気だ。冗談でも慰めでもない。

「わ、わたしい?」

 声がひっくり返る。

「少なくとも自分から銀腹のもとに戻ってきたのは、元の世界に戻るのを諦めたからでは無さそうだと感じていたからな。少なくともみっこは脱出できると踏んだ。なら、私もそれを信じる」

 リオネルはぽかんと口をあけたまま呆然としていたが、一言「じゃあ頑張るのよ」とそっぽを向いてしまった。

「あ、あの。たしかに戻ってきたのは諦めたからじゃあないけれど、別に特別考えがあったわけじゃあ」

 再び頭にぽんと手がおかれる。今度はカッコだ。

「いいのよ、みっこ。今の私には、自分からこの状況に飛び込んできた……そう、挑戦してきたあなたが一緒にいるということ自体が力になるの。私も、まだ、諦めない。一緒に頑張ろう?」

 みんな、自分を過大評価しすぎだ。みっこは思う。自分はそんな力があるわけじゃあない。なにせ、虹渡り海岸ではカッコと自分を比べて勝手に落ち込んでいたくらいなのだ。学校でもいつも自分の考え一つ伝えることが出来ないでいた。勝手に周りを敵にして、逃げた結果今ここにいるの。この旅だっていつもリンゴやリョキスンに助けられてばかりでやってきた。決意はして戻ってきた。でも、みんなの期待をかけられてしまうと、申し訳なくて仕方ない。自信がない!」

 心の中に浮かんだ言葉は、気付くと勝手に口から滑り出していた。ああ、言ってしまった。きっと皆ガッカリしている。いや、呆れて笑っているかもしれない。あのときのクラスメイトのように――。

 すると、三度みっこの頭の上にぽん、と何かが乗ってきた。

「みっこ、言えとるじゃないか。気持ち」

 リンゴが笑う。

「その通りだ。最初は水場がどこかすら聞けなかったのにな。勘違いしないでほしい。みっこに責任を押しつけるつもりはない。言いたかったのはな。私はこのメンバーの中で、もっとも土壇場勝負に強いのは君じゃないのか……と思っているということなのだ」

 リョキスンが続く。

「みっこ、あなたが自分を信じきれないならその分私達があなたを信じる。あなたはリョキスンやリンゴを信じられるでしょう?」

 みっこは無言で頷く。

「だったら、みっこを信じている皆を、信じてみてもいいんじゃないかな」

 ああ。

 みっこは思う。

 この人達は、期待しているんじゃない。私のことを、信じてくれているんだ。もっと単純にいえば。

(私のことを、大事に思ってくれてるんだ)

 そう思うとなんだかわからないけれど、涙がとまらなくなる。ぬぐっても、ぬぐっても、次から次に。

 みっこは今までどこかで自分の感情を表に出すことを怖がっていた。

(たぶん、それは怖かったんだ。周りが受け止めてくれるかどうかが)

 だからどう言葉を伝えるべきか、自分の思いがどのようなものなのか。ちゃんと伝えられるという自信ができるまで外に出すことが出来なかった。

(今なら、私は達郎に自分の気持ちを言えるんだろうか。湯河原先生にちゃんと自分の言い分を伝えられるんだろうか?)

 そのためには、この魅力にあふれた国を離れもう一度戻らなくてはならない。そう、みっこは思う。

「ありがとう。覚悟、決めた。あらためてだけれど。正直、あてがないわけじゃないの。でも、それは本当にわずかな可能性だから私はそれだけにかけたくはないと思ってる」

「やはり、何か考えはあったわけか」

「もし、下手な希望を抱かせてしまうくらいなら……って思っていたけれど、それは皆を信頼しきれてなかったのかもしれない。ごめんなさい」

 ああ、思ったことをそのまま口に出せるというのはなんと楽なことか!

「実は――」

 みっこはショーリとのやりとりについて伝えようとした。

「まて、みっこ」

 リョキスンが制止する。

「こんな場所だ。冷静に考えれば、どこで銀腹が聞いているかもわからん。その話はしばらく君の中で留めておいてほしい」

 みっこはその言葉に違和感を感じる。周囲には人の気配はない。そもそも、リョキスンが本当にそれを考えていたなら、今までの作戦会議もしなかったはずなのだ。彼の瞳は周囲を探るように動いている。

(何か、気付いたんだ。そして、それは今言えないことなんだ)

 みっこも察する。

「わかった。しばらくは私の中で留めとく。あとは、正直出たとこ勝負だと思うのだけど……材料が欲しい。私やカッコの知らない情報。王はどんな人なのか。都はどんな場所なのか。側近にはどんな部下がいるのか」

 みっこは焦点を切り替える。今後の策をねるのではなく、今ある情報を共有する。

(それがきっとまた土壇場の力を私にくれる)

 みっこの頭脳は、今までにないほど速く動き始めていた。


 2 


 全智王の都は、壁で囲まれた直径2キロメートルほどの巨大な円形をしている。

 東西南北にはそれぞれに門が開かれており、クリオの国の主要な地域につながる街道の起点となっている。

 愚鈍戦争のころに小高い丘の上に築かれた高さ20メートルを越える城壁は、長い歴史の中でツタが絡まり苔むしており、城壁の上部通路は緑豊かな空中庭園として住民に解放されている。

 つまり、遠くから見た都はまるで緑の小山のように見える。

 そしてその壁の中の中央部。湖の上に築かれた巨大な大理石の建造物こそ、全知王の居城、通称【世界図書館】である。世界中で出版された書物はここに集まり、また全知王が客としてもてなした「お客さん」の語った記録もすべて保管される。まさしく、クリオの国の智の中心だ。

 ゆえに、居城の中では一切の炎の扱いが禁じられている。衛兵はいるが、彼等が最も警戒するのは外部からの放火であり、世界図書館に入るためにはそれこそ気の遠くなるような審査を経なくてはならないとのことだ。

 その中で、全知王は知識をむさぼり思想にふける。湖面をきらめく光の反射を眺めながら行う午睡が、彼に今まで幾多の天恵を授けてきたと言われ、その時間は都全体が喪に服したかのように静かになるそうだ。

 彼は、少なくとも1500余年を生きている。もともとは先代の従者でしかなかった彼はその長寿と卓越した記憶力により知を蓄え、それによって常人では不可能な未来を見通す力を得た。もっとも、最近はその切れは鈍くなっているとも言われているが――。

 彼の衰退を明らかにしたと言われる事件が、かの有名な「舌戦乙女」との舌戦での敗北である。彼女は全知王に招かれながら、その日の内に城を後にしている。そして、彼女が去ったあと、全知王はそれまで考えていた「隣国との開戦」を撤回するのだった。

 どのような対話がなされていたのか、これについてのみ記録はないという。だが、全知王が決定を覆したのはこの一度のみであるという事実から、「全知王は舌戦乙女に論破され、自説を撤回せざるを得なかったのだ」とみる者は多い。

 ――そして、丁度その頃からであった。全智王の「お客さま」への対応が変わり、今のような囲い込みが行われるようになったのは。

(つまり、全知王は合理的な判断ができる人物ではあったけれど、今はどうかはわからない、ということね)

 みっこは噂の4つの門の1つ、都の東側にもうけられた「蛇の門」の青い翼が生えた蛇のレリーフを眺めながら思う。

 一行は都付近でカエルの背中からおろされ、普通の客車に移された。もう寝泊まりは必要ないということだろう。豪勢な内装ではあるが、大き目の馬車といった様相だ。ただ、動力はクリオの国ではなじみの自転車方式なので、目の前を銀腹魚団の面々が交代で汗を流しながらこいでいる様子は少しおかしかった。

「この人達も仕事でやってるんだね」

 そう考えると、どうも憎みきれなくなってくる。

 王都の中を行き交う人々が、みな客車に気付くと頭を下げる。中には、拝むような仕草を向ける人もいる。華やかな都なのに、客車の移動にあわせて雑踏を行き交う人々がまるで祈りのような動作をするために、みっこはその不調和に不気味さすら感じてしまう。

「私、こんな視線を知ってます。表向きは笑顔だったり、憧れだったりするけれど、本当は哀れんでるような、目つき」

 カッコが呟く。

「ああ。私も昔訪れた村であんな目をみた。あれは、生け贄に捧げられるものに向けられるまなざしだ」

 リョキスンの言葉が重くみっこの心に突き刺さる。生け贄。そう、まさに今のみっことカッコが置かれた立場は王の知的欲求のための生け贄だ。

(そんなの、ばかげてる。一人の欲求のために他人の人生が左右されていいわけない)

 みっこは過去全知王を言い負かしたという女性、舌戦乙女を思う。その言葉は今まで何度か耳にしていた。その時はただすごい人がいたのだというくらいにしか思わなかったが、今となっては彼女にお祈りをしたいくらいである。

 いけない。考えが弱気だ。ここから先をどう切り抜けるかは自分次第なのだ。みっこはそう気を引き締める。とはいえ。

(舌戦乙女っていう人がどういう人なのか、ちょっと気になるな)

 みっこは思う。王城に着いたらどうなるのだろう。もしかしたらリンゴやリョキスン、リオネルはさっさと退場させられるか、もてなされたとしても別室でもう話すことは叶わないのかもしれない。ならば、聞きたいことは聞ける内に聞いておかねばならない。

「リンゴ、舌戦乙女って、どんな人なの?今までも話には出ていたけれど、あまり細かいことは聞いてなかったから」

 リンゴはみっこの胸ポケットから顔を出して、話し出す。

「舌戦乙女は、この国の不思議の1つでもあり、同時に秘密の1つでもある、類まれなる女性じゃ。自身の弁舌を武器にクリオの国を渡り歩き、その出現は神出鬼没。なにせ最古の記録は今から500年前、最近では15年前。長命な同じ人物なのか?それともよく似た別人なのか?はたまたどこかに舌戦乙女の称号を引き継ぐ一族がおり、この世に混乱が訪れたときに活躍するのか?それら一切がわかっておらん」

 すると、リオネルが久しぶりに口を開いた。

「おいら、見たことあるのよ。嫌な女よ。黒髪に黒い目。冷たい目つき。まだ子どもだったおいらをじろりと睨んだのを忘れられないのよ」

 リオネルはじろりとみっこを見つめる。

「そういえば、みっこもカッコも黒髪に黒い目ね。どことなく雰囲気も似てた気もするし。同じ世界の出身だったのかもしれないね」

 舌戦乙女と、自分が同じ世界の出身?——もしそうなら勇気もわくのだが。

 みっこがため息をついたとき、客車がごとんと音をたてて停まった。扉が開き、銀腹の声が響く。

「王城付近では車輪の音が全知王の思索を邪魔する可能性がある。ここからは徒歩で移動して頂こう。私についてきてくれたまえ」

 客車からおりると、そこは都と王城を繋ぐ橋の真ん中だった。話には聞いていたが、淡いグリーンの大理石でできた王城が昼の強い日差しを反射している様は圧巻だった。そして同時に物音一つたたないのではないかというような静けさは、王城というよりも神殿のようにも感じられた。

 気が付くと、銀腹もいつもの鎧ではなく正装に着替えている。香をたいたのか、独特の臭いも今は消えている。

 どうやら、自分達が臭いのは知っていたようだ。案外銀腹も人間臭い。

 みっこは歩きながら周囲の状況を確認する。

 湖の上にまるで浮くかのように建てられた王城はまるでデパートのようなスケール感を持っている。ただし、閉息感をなくすための意匠なのか、至る所にバルコニーや空中庭園、吹き抜けが存在し、外への脱出路となりそうな場所は意外と多い。

(そもそもこの王城自体が、孤島なんだから王城自体は開けていても問題ないんだろうな。たぶん何か起きたときのことよりも、この城は……)

 ―—全智王の思索のためだけを考えて作られているのだ。

 そう、みっこは思う。ならば、盲点もあるのではないだろうか?きっと物音を嫌う全知王のこと。場内にも必要以上に兵隊をおくといったことはしたがらないのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、大理石の柱が並ぶ大回廊を進む。周囲には王城の住人達とおぼしき人々が音もたてずに歩いている。種族、身分、それぞれ全く違った人々ではあるものの、共通している点がある。それは、彼等の目がなにも捕らえていないということだ。彼等は、思索の中に生きている。

(私達の、夢みたいなものなのかもしれない。この城は——)

 みっこはふと思い出す。訳あってみっこに付いてきたはずの「夢を渡る男カヌエ」は今どうしているのだろう。疲れて夢を見る余裕もないような日々だったからか。彼とは虹渡り海岸以来会えていない。

(これまで沢山の人とすれ違ってる。誰かの夢の中に、移ったのかな)

 そんなことを考えていると、銀腹が立ち止まった。

「私がついて行くのはここまでだ。この扉を越えてから先は招かれた者以外は立ち入ることの出来ない聖域。扉を越えたらひたすらまっすぐすすめ。全知王様がいらっしゃる」

 リョキスンがからかうように返す。

「ずいぶん自由にさせてくれるんだな。我々がおとなしく目的地に向かわないとは思わないのか?」

「別にしたいようにするといい。私の仕事はここまでだ。ここから先おまえ達がどうすごそうが、関係ないのでな。だが、一応伝えておく。ここから自力で脱出できた奴はいない。あまり変な期待はしないことだ。——さあ、時間も有限だ。そろそろ扉の先へ行ってもらおうか。」

 せかされるまま一行は扉をあけ、中に入る。

「……どうだ?妙な期待はしない方がいいと、思えてくるだろう?ではな。別にあんたらに恨みはない。めったにないことだが――全智王の気まぐれで元の世界に戻れることを祈ってはいるよ」

 みっこ達が眼前に広がる景色に呆然としている間に、男は消えていた。扉の閉まる音がする。

「ねえ、カッコ。なにが見える?」

「……多分、みっこと、同じ、ものかしら」

 目の前には一本の長い桟橋。左右には、夕暮れの迫る水平線。上にはどこまでも広がる藍色の空に、かすかな夕日に照らされる茜雲。

 風が、わたっている。そして、桟橋にあたる波の音。

 紛れもなく、そこには海が広がっていた。

 そして、桟橋のはるか先に。円柱で囲まれた広場が見える。

「おそらく、あそこに全知王がいるのだろうな。それにしてもいやはや……これはさすがに驚いた」

 リョキスンが頭をかく。

「前回来たときには、普通の廊下と謁見の間だったはずだ。いずこかに眠っていた秘術なのか、それとも既存の極地術の組み合わせなのか。いずれにせよ、これではたしかにまっすぐ進むしか道がない」

 リョキスンの言葉を聞いてみっこはこれが現実の光景ではないことを知った。

「極地術に似たようなものがあるのは聞いたことがある。限られた範囲にまやかしをはる。じゃが――この規模のものとなると、うーむ、もはや芸術といった方がいいのう」

 そのとき、後ろで水音がした。見ると、カッコが海におちて波に揺られている。

「カ、カッコ!大丈夫?」

 みっこが急いで手を伸ばす。波が思ったより速い。かろうじてカッコの指先を掴むことができ、少しずつ桟橋に彼女を寄せる。

 再び桟橋に上ったカッコはぜえぜえ言いながら呟いた。

「まるで……本物の海です。錯覚なのかもしれないけれど、本当におぼれるかと思いました」

 その全身はびしょぬれで、どこか潮の香りもする。とてもこれが幻とは思えない。

「無事でよかった!カッコ、極地術はな。限られた空間にルールを作り出すものじゃ。たしかにこれはまやかし。だが、ここに海を作り出すというルールが成立している以上、偽物であろうが何だろうが、術内にいるわしらにとってこの海は実際に存在しているものとかわらんのじゃよ。ほれ、琥珀水晶の塔を思い出してみるといい。あのとき、実際には壁なんてなかったにも関わらず、術内にいたかっこにはたしかに壁が存在したじゃろう?」

 つまり、この海を越えて脱出するすべはないということか。みっこは正面を見据える。

「なんだか、気にくわない。強制的に歩かされるなんて、そんなのゲストに失礼だ」

「同感だな。まあ奴にはそうした感覚はないわけだが……常識的ではないことにはかわりない」

 みっこはぎゅっと両手を握りしめて、言う。

「行きましょ。くそったれの顔を見に」


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