第8章 全知王の宮殿 中編
3
体感では20分ほど歩いたか。みっこ達は円柱の並ぶ広場にたどり着いた。そこには全知王が座るとおぼしき大理石の円座と、みっこ達の人数分のイスが置かれているのみで、王の姿は見あたらない。
周囲を見渡し、みっこは気付く。
(イスが……リンゴの分をぬいても、一つ足りない?)
違和感を感じたころ、頭の中に声が響く。
『よくぞ来てくれた。異世界からの客人よ。私が全知王。クリオの国をすべる5王の内の一人にして、この世の全てを知る者よ』
次の瞬間、円座が輝いたかと思うと、そこには巨大な生き物が腰をかけていた。
純白の法衣。緑色の鱗状の皮膚。豊かで真っ白な口ひげ。つり目だが優しそうなその目には白目がなく、どこか潤いをおびている。そして3メートルを超えるのではないかという巨体。
(これは——恐竜人間?いや、なにか違う)
みっこは全智王が背に何かを背負っていることに気付く。
(亀。亀人間だ)
亀は長寿と聞くが、クリオの国でもそうらしい。
「お久しぶりですな。全知王。しばらく会わない内に随分仰々しいことがお好きになったようだ」
リョキスンが皮肉まじりに切り出す。
『宿無しか。久しぶりだ。私の趣味というわけでもない。なぜか周りがこうした凝った遊びを始めるのよ』
「だがまんざらでもない様子だ。暇つぶしにはなるのでしょう?」
『まあな。世界にはまだ多くの本がある。私はいつも未知を求めてページをめくる――だが、おおよその本にかかれている内容はどこかに書かれたものの2番煎じだ。物語でさえ、いくつかの類型にそっている。そうした退屈な私にとって、部下の悪ふざけと客人との対話以外に、面白いものなど無いのでな』
「あなたはいつもそう仰る。戦争もあなたの退屈しのぎですらない。以前舌戦乙女に言い負かされたのをお忘れか」
悠然と構えていた王の瞳に一瞬感情が浮かぶ。だが、黒目しかないその瞳から感情を読みとることはみっこには出来なかった。
『我が人生ただ一つの汚点を取り出して鬼の角をとったつもりか?——残念ながら私にとってあれはもう終わったやりとりの一つだ。今の私に影響を与えるものではない』
リョキスンが舌打ちをする。
「相変わらずの頑固者だ、あなたは」
『お前と私の仲だ。その無礼な口振りは不問に処してやる。というのも私の関心はそこの二人の少女にあるからだ』
感情の読めない瞳がみっことカッコを見据えている。
『とりあえず、皆イスにかけるがいい。聞きたいことは山ほどある』
「お、お言葉ですが、王様。イスが一つ足りません。どうすればいいでしょうか」
カッコがふるえる声で告げる。それもそうだ。リョキスンにとっては旧知の仲のようだが、それでも彼がクリオの国の最高権力者であることは変わりない。
(怖いよね。でも立ち向かうつもりなんだ)
ならば、自分も怯えるわけにはいかない。みっこはぎろりと全知王を睨む。
『イスなら、足りている』
「でも、3つしかありません。私達は4人と1匹。イスは4つ必要です」
『少女よ。必要ないのだ。——リオネル。よくやった。戻ってくるがいい』
次の瞬間リオネルが四つ足で駆けていき、王のひざの上に丸まった。
「き、きさま、裏切っていたのか!」
激高するリンゴ。対してカッコはやや悲しそうに眉をゆがめるも、全知王から瞳はそらさない。その心中を察してか察さずか、リオネルの気の抜けた答えが続く。
「勘違いしないでほしいのよ。おいらは正真正銘引き潮の夢の導者。いつもまじめに仕事をしてきたつもりよ。ただ、おいらは導者であると同時に、全知王様の飼い猫。ただの迷い猫だったおいらに全知王様は知恵を授けてくださったのよ。そして、元の世界ではとても見ることのできないようなものを沢山見せてくれた」
昔のことを思い出しているのか、言葉の節々にうっとりとした声音が混じる。
「だから今度はおいらの番なのよ。王が望むのであれば、その客人を王都へ案内するのよ」
悪びれた様子も、開き直った様子もない。心のそこから言っている。
「リオネルは——カッコに悪いっていう感情はわかないの?」
みっこの言葉に、リオネルは耳をかきながら言う。
「みっこはともかく、カッコには元の世界に戻る動機がないのよ。それは一緒に旅をしていて感じたのよ。ならば、この世界で楽しく生きていく道もあると思ったし、それは全知王様の元へ行くことでこそ可能だと思ったのよ。感謝こそされ、怨まれる言われはないね」
みっこは色々なことが腑に落ちたような気がした。なぜリオネルは何かにつけて単独行動をとりたがったのか。一緒に旅をしながら緊迫感がないのはなぜなのか。彼の仕事は銀腹とみっこ達の接触を実現することにあったのだ。
道中、みっこはリオネルと特別仲が良かったわけではない。でもたまには冗談を言いあったりしたし、そのしっぽを握らせてもらったりした。でも、そうした間も、彼は私達を裏切っていたのだ。カッコを、裏切っていたのだ。
「おちついて。みっこ。リオネルには裏切ったという感覚が多分ないの。熱くなったら、負け」
カッコが静かに、みっこの怒りにふたをする。
「腹ただしいがな。奴はまだ自己中心性の時期を出ていないようだ。自分の考えしか理解できない。いつか拳骨をくれてやるとして――俺たちが今相対すべきは全知王だ。話をするなかでなにか打開策を考えるぞ」
そしてリョキスンはなんだかんだみっこの思考を支えてくれる。みっこは急激に頭の中が澄んでいくような気がした。
『さて、私の飼い猫との話は終わったか?ではこれより私、全知王によるもてなしの宴を開かせていただく』
王が指をならすと、広場の中心に大きな円卓が現れる。シルクのテーブルシーツの上には肉に魚、野菜にスープ、所せましとクリオの国の美食が並んでいた。
変化はそれだけではなかった。先ほどまで夕方だったのに、太陽が海の底へ一気に沈み、かわりに煌々と照る二つの月が会場を照らす。また、少し離れた海が左右に割れたかと思うと、そこから室内弦楽団が現れ、音楽をかなではじめる。
『イグニシオ・ヴイ・ナス』
全知王の言葉をきっかけに円柱や机の上に並んでいた燭台に火が灯される。数分としない内に殺風景な対談の場は豪華絢爛なパーティー会場へと姿をかえていた。一同は落ち着かない気分のまま円卓に並んだグラスをとり乾杯をする。
『あらためて、本日は我が城へ訪れてくれてありがとう、客人達よ。まず、宿無しリョキスン。お前の宿無し故の冒険譚はいつか聞いてみたいと思っていた。楽しみにしている』
リョキスンも帽子をとって頭を下げる。
「お手柔らかに」
『さて、続いて最古の、そして最小の導者リンゴ。私は君の話をぜひ聞いてみたいと思っていた。本業とのかねあいもありまさかこうして合間見えることができるとは思っていなかった。私は僥倖だ』
「陛下。私であればいくらでも陛下のために時間をとりまする。ですが、後ろの少女2人は元の世界に戻るための期限が迫っている。どうか聞き取りは手短にすませていただけないものか」
『それは無理だ。なぜならこの2人の少女はとても珍しいモデル。聞きたいことは山ほど、いやこの星ほど存在するのだ』
「——あなたは、自分の知的好奇心のためになら私達が元の世界に戻れなくてもいいとおっしゃるのですか?私は王というものは弱者に手をさしのべるものと思っていました」
みっこはなけなしの勇気をもって言葉をふりしぼる。
『なるほど。君はどうらや勘違いをしているようだ』
王はワインを一口飲んで言う。
『私の知的好奇心、そしてその結果積み上げた智の結晶はもはや私個人の財産ではない。クリオの国全体の財産なのだ』
ドン引きの一同を無視して王は続ける。
『昔は私も客人が元の世界へ戻る手助けをしていたこともある。だがな。不公平ではないか。クリオの国はあまさずすべての不思議と秘密を見せ、肝心の彼等のもつ異世界の技術、思考、文化——それらは全く入ってこない。それではクリオの国にとって客人がやってくる利益がない。ならばどうする?彼等から聞き取れる異文化、技術、それらを全てまずこの全知王が吸い上げる。その記録は王都に残り、クリオの国に新しい発展をもたらすだろう。そして、運悪く元の世界に戻れなくなった者達には、元の世界の経験を活かした仕事を王都にて提供する。実際、王都にはこのクリオの国で所帯を築き、自身の世界に伝わる昔話を本にまとめ出版することで生計を建てているものもいる。彼はいつも私に手紙をよこすぞ。『一時は陛下を怨みました。ですが、今となっては何の取り柄もない私に客人であるという利点を活かして豪奢な生活をさせて下さった陛下に感謝しかありません』と。引き潮の夢に今まで任せていてどうなった?彼等は帰れなかった母国への思いをもって同じような境遇のものを救おうとする。貴重な知識と技術をもっているかもしれない客人を、な。わかるか、少女よ。私は方針を変えたのだ。クリオの国を訪れることができた幸運な客人に、元の世界では決して味わうことのできなかった生活を提供する。そしてその見返りとしてその知識を、経験を提供してもらう。これで双方ともに損がない』
「その人が本心を表に出してないだけかもしれないじゃない」
『そうかもしれぬ。だが、結果的には、両者にとってそれが一番の幸福であったことをのちに歴史が証明するだろう』
やりとりをしながらみっこは思う。
この男は、人の気持ちがわからない。あるのはすべて理屈づけられた自身の欲望——「未知を知りたい」、それのみだ。
「お察しの通り、こういうタイプがもっとも手強い。理屈で答えを出しているのではなくて、感情を理屈で正当化する奴だ」
小声で耳打ちするリョキスンの声に、みっこも「ようくわかった」とだけ返した。
『さて、ではまずは会食をしながら話を聞かせてもらおうか。なに、時間はたっぷりある。要領を得なくてもいい。君達の世界のことを、教えてくれたまえ』
こうして、長い長い聴聞の第1回目が始まった。
4
(ありえない!あの亀、ほんっとおうにあり得ない!)
みっこは久しぶりの風呂に口元まで体を沈め、あわをぶくぶくさせてみた。
面会は始終王の手のひらの上で回されていた。カッコが
「記憶がないので、陛下にお話できることはありません」と言ったなら、
『話をしている内に記憶が刺激されるかもしれん。気長に待とう』とのたまう。
幾多の質問責めで頭がこんがらがったみっこが、
「そんなこと知らないです!」と怒ったそぶりを見せても、
『少し疲れたようならば、今度は私からも話をしよう。クリオの国の秘密だが――』と延々話し出す。
さすがのリョキスンも呆れて閉口していた。
そう、全知王は、徹底的に空気を読まない。人の感情を気にしない。そして、絶対に会合そのものを諦めない。話していてわかったが、彼は「お客さん」の一挙一頭足から情報を味わっている。みっこが発した幼い怒り、記憶のないカッコの物憂げな表情、何か策を練ろうというその微細な努力……それら全てを彼は極上のおかずとして楽しんでいるのである。
「情報が底を付けば諦めるなんて簡単な話じゃないんだ」
みっこは初日にして、この会合のからくりが見えてきていた。招かれた客人はみな「全知王の知的欲求を満足させる」ことで早期に解放されると考える。それによって進んで多数の情報を提供する。だが、実際は王の見ている情報はそれだけではない。招かれた客人がどのような人間なのか。どのような思考をし、どのような感情を見せるのか。それら全てが彼にとっての刺激なのだ。
(当然、そうした情報をもとに職業の斡旋をしたりしてるのも本当なんだろうけど。気にくわないヤツ!)
みっこは湯からあがり、ふかふかのバスタオルで体を包む。いい匂いがする。ラベンダーのような香り。不意に、家で使っていた柔軟剤の香りを思い出す。
みっこは、別に両親と特別仲良くしていたというわけではない。良くも悪くも常識人な両親は、みっこの必要以上に深く考える性質をわかってもらえないことでやきもきもさせられた。それでも、今のみっこは思う。
(家に、帰りたい。クリオの国は素敵な所だ。みんなと別れたくない。でも、あっちの世界のみんなとももっと話さなきゃいけないことは沢山ある)
みっこは備え付けられていたバスローブをまとい、どっかとソファに腰掛ける。
部屋には、みっこ一人きり。大理石の壁に、白を基調とした家具が並ぶ。白い円卓の上には所せましとフルーツや木の実、パンなどが置かれ、大きく開いた窓からは湖に反射する王都の明かりが華やかに輝いている。まるで、豪華なホテルのスイートルーム。元の世界でも、こんな豪勢で優雅な空間にいたことはない。
おそらく、同じような部屋がそれぞれに割り当てられているのだろう。リンゴにまで同じ待遇がされているのかは気になる所だが、案外リョキスンあたりと同じ部屋にいるのかもしれない。
みっこは窓に近づき、手をかざしてみる。なにもないはずの空間だ。だが、手のひらが窓枠を超えようとすると、目に見えないやわらかなものが、「ぶにん」とその手を押し返してくる。
(極地術か。そりゃそうよね)
みっこは部屋の中をくまなく探るも、やはり出口のようなものはない。唯一外部へとつながる扉は鍵がかかっているだけではなく、とびらの先には衛兵が控えているのを部屋に入る際確認している。
(正攻法で脱出するのは、無理——となると、なにか変わったことが起きないとなのかな)
みっこの頭に、ショーリの顔が浮かぶ。彼は今頃どうしているのだろう。彼の手には元の世界に戻るための鍵がある。もしかしたら自力で情報を集めてもうクリオの国にはいないのかもしれない。
(ショーリが言ってた、絶対に帰らなきゃならない理由って、何だったんだろう……)
今度、もし会えることがあったら聞いてみよう。ふと、そんなことを思った。
風呂に入ったためか。それとも不毛な会談の疲れか。気が付くとみっこは強烈な眠気に襲われた。
(——カヌエさん、どうしてるかな。それに、リヤノさんは……)
思考は途切れ、みっこは夢の世界へ旅だった。
同刻。みっこのいた部屋に比べると幾分質素だが、十二分に豪勢な部屋にリョキスンとリンゴはいた。
「ほう、さすが上質な酒をおいてる。リンゴ、君は飲まないのか」
「わしは、酒とタバコはやらんのじゃ。幼虫の頃に決めたのでな。それよりリョキスンよ。王はみっことかっこを離す気は毛頭なさそうじゃぞ。本来なら必要ないはずのわしらまで解放せずにいることが証拠じゃ」
「その通りだな。万が一でも、外部からの助けがくることは避けたいということだ。——だが」
リョキスンはボトルを一気にあけて言う。
「それは、この状況を中から崩すのは難しくとも、外から崩す可能性は十分にあるということも意味している。王は知っているのだ。この宮殿が、十二分な警備をするには少なすぎる人数で回っているということを。……無論、王の周囲には会食の時のように、怪しい術師が万全の警備をしいているのだろう。絶滅寸前の術師をどこからかき集めてきたのかはわからん。だが、こうした客室一つ一つまであのレベルの術で覆えるほど人材が豊富とは思えん」
リンゴはふむ、とあごをこすりながら答える。
「たしかに筋は通っている。王は思索のために静謐な空間を至上としているようじゃからの。そもそもあんな術が使えるのであれば、むしろ内部の情報を知っている者が少ない方が安全というものじゃ。警備含め、通常の宮殿よりは手薄に違いない。だが、外部からの助けは、現状みこめんぞ」
リョキスンはにやりと笑う。
「なに、まずはこの豪勢な生活を楽しませてもらおうじゃないか。リンゴも王に聞きたいことがあれば存分に聞くといい」
「リョキスン、お主何かあてがあるのかの?」
「私にはない。だが、覚えているか?荷馬車の中でみっこが言いかけたことを。あの時はリオネルの動きが怪しかったために話題をそらしたが……私はやはりこの状況を打開する鍵はみっこが握っているのだと思うのだ」
そういってリョキスンはごろんとベッドに横になる。
「リンゴ。これは長期戦だ。焦ることはない。みっこを急かすものでもないし、ゆったりと構えよう。動くべきときに動ける準備をしながら、意識を鋭敏に保っておくことが我々の当面の仕事だ」
リンゴはふうと嘆息。
「リョキスン、お主ずいぶんみっこを信用するようになったの」
その言葉にリョキスンはあくびをしながら返す。
「私は最初から彼女を信じている。出会った時から。いや、出会う前からな」
「……?リョキスン、そりゃどういう意味じゃ」
返答の代わりに聞こえてきたのは安らかな寝息。リンゴは再び嘆息。
「この秘密主義者め。まったく・・・」
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