終章 エピローグ
1
「みっこ、年越しそばできたよ」
1階から、母親の声がする。みっこは「はーい」と返事をしてから大きく伸びをした。
12月31日、23時15分。じき、今年も終わる。
(色んなことが起こりすぎた一年だった)
クリオの国で過ごした時間はみっこのこれまでの人生何年分の重みがあったのだろうか。その密度に比べて、湯河原先生と達郎との仲直りはあっけなく、本当にあっけなく片がついてしまった。湯河原先生は自分の一方的な責め方に反省しよくみっこの言葉を受け止めてくれたし、達郎に至っては「お前、そんなむつかしいこと考えてたんだな。すげえな。ぶたれたのはむかつくけど、俺もやりすぎた気がしてきた」とかなんとかいって最終的には「ま、これからも仲良くしようぜ」と微笑まれてしまった。どうやら達郎の中でみっこは「仲の良い友達」枠にいたらしい。
(私はそんなことあんまり感じてなかったのにな。そういうお互いの思いのズレって、難しいな)
みっこは握っていたペンを置き、ぐいっと伸びをする。夜更かしが許される日だからと、気合を入れすぎたようだ。血が通う感じが気持ちいい。
ふと手首のミサンガに目がいった。クリオの国での出来事が夢ではなかったことを証明するように、ミサンガが自己主張したのだろうか。
思い出すと、つい感傷にふけりたくなってしまう。みっこはそばを食べるために階段を降りた。
「ずいぶん熱心に取り組んでるのね」
母親がそばをテーブルに並べながら言うと、テレビを見ていた父親がそれに続く。
「おお、あれか。雑誌へのハガキ投稿、まだ続けてるのか」
余計なお世話——と思いつつ「けっこう面白いんだよ」と適当な返事をしておく。
みっこは毎月沢山のハガキを書いていた。ポエム、イラストも必要に応じて書いたりしたものの本当の狙いはカッコ達との合流である。
はがきのペンネームは当然みっこ。投稿内容は、かっことショーリであれば気づけるようなクリオの国のエピソードに関したものばかり。
正直、それが2人の目に触れるのかはわからない。けれど、何もしないではいられなかった。
(カッコ達はなんで私に会いに来てくれないんだろう?)
考え始めると、不安になってくる。そもそも2人は無事に自分たちの時代に戻れたのだろうか。もしかしたら全く違う時代、全く違う場所に行ってしまったのではないだろうか。
そんなことを考えていたためか、全くそばの味を感じないまま器は空になってしまった。
「お、除夜の鐘だな」
耳をすますと、ごおおんという音が聞こえてくる。生命の大時計のような。
みっこは近寄ってくる感傷を振り切るように器を流しへ片付ける。洗いものをしているとテレビから、カウントダウンが聴こえてきた。
「新年だぞ、みっこ。あけましておめでとう」
父親は少し酔っているのか随分上機嫌だ。あいにく、みっこは夜更かししても怒られないので大晦日は嫌いではないが、年の移り変わりにはあまり興味がないので、どんなテンションで返したものか迷ってしまう。とりあえず、無難に「今年もよろしくね」と伝えて逃げるように2階に戻る。
自室の扉を開けた瞬間、違和感を感じた。部屋の中から冷気が流れ込んでくる。とともに、懐かしい匂い。ハッカのような。これは――
「アブラカジリムシ……!?」
眼の前には大きく開け放たれた窓。冷気はそこから容赦なく入り込んでいた。いや、今はそんなことはどうでもいい。この香りの元はどこだ。みっこは視線を部屋中に走らせる。
ベッドの上に、それはいた。さも自分自身が部屋の主であるかのような鷹揚さで、その手を上げる。
「やあ、久しぶりだな我が君。色々君に伝えなくてはならないことがあったのでな。お邪魔させて頂いているぞ」
「リョキスン!!」
思わず抱きつきに行こうとした身体に、戸惑いで硬直していた頭のどこかがブレーキをかける。
とりあえず、落ち着こう。みっこは深呼吸をしながらまずは扉をしめて鍵をかけた。続いて、開け放たれた窓を閉じる。
「なんで窓開けたまんまなの」
「いきなり私を見つけたら驚くかと思ってな。心の準備が出来ただろう?それにしても中つ国は随分寒いぞ。暖炉も無いのにどうこの寒さを乗り切るんだね」
みっこは前と変わらないリョキスンとのやり取りになんだか拍子抜けしつつも安心してしまった。
「とりあえず、靴は脱いで。あと下にお父さんとお母さんがいるから静かにね。いきなり知らない男の人がいるの知ったらびっくりするだろうから。それにしても、どうやってこっちの世界に?」
「前、私が宿無しと言われている理由を説明したことがあったな」
確かに聞いた。虹渡り海岸で、彼は自分がほかの世界から来たお客さん同士の子どもであり、ゆえに所属する世界がない、と漏らしていた。
「所属する世界がないということはだ。私には自分の世界とそれ以外の世界の区別が存在しないのだ。今までどうなるかわからずくぐった事自体はなかったが――私の目にはあらゆる世界、あらゆる時代に繋がる門が見えていた」
そこまで聞いて思い出す。ヌキゾ・ペルスカナの支部長がリョキスンに伝えた言葉。
「世界を崩壊させうる存在って、もしかして……」
「そうだ。私がその気になればあらゆる世界のあらゆる時代を行き来することができる。それが何を意味するかはわかるだろう」
みっこはSFはあまり得意ではないが、ある世界の過去と未来どちらにも顔を出すことができるということがどれだけその世界の歴史にとって大きな影響を与えるのかは想像できる。
「じゃあ、そんな危険をおかしてまで私に会いに来てくれたってこと?」
どうしよう。少し嬉しい。しかし頬を紅潮させる間もなくリョキスンが言い放った。
「ああ、今この時間に私がここにいることは予め決められたことだ。だから心配はしないでいい」
がっかりした様子を表に出さないようにしながら、みっこは続ける。
「それにしても、よく私のいる所がわかったね」
「まあ場所は知っていたからな。どこがみっこの部屋なのかわからず困っていたが、この国の子ども部屋は2階が多いと聞いていたのでね。幸い当たりを引いたようだ」
場所を知っていたというのはどういうことなのだろう、と聞く前に。
それにしても困った、とリョキスンがもらす。
「この世界にはさっき着いたばかりだが、おそらく真夜中なのだろう?色々と伝えたいことはあるのだが、それを聞いたみっこが大騒ぎしては周りに迷惑だ」
「伝えたいことって、例えば?」
「カッコとショーリの行方」
「知ってるの!?」
「ほら、大声になった。知っているとも。私はここに来る前にしっかり調べてきたのだ」
聞きたい。けれど一方で怖さもある。なぜ2人にまだ会えないのか。その理由を聞くことになるのかもしれないから。
「どうする。日と場所を改めることもできるが」
「いや、いい。今、聞きたい。教えて、リョキスン」
リョキスンはニヤリと笑みを浮かべる。
「了解した、我が君。さて、どこから話したものかな。ああ、そうそう。この場所を知っていた理由について触れておこう。私は以前君に言ったな。舌戦乙女と会ったことがあると」
「うん。あれは確かカエルの上で」
「そうだ。私はまだ子どもだったころ、舌戦乙女と――つまり君と旅をしている。当時の君は20歳前後だったと思うが、その時に色々聞かされた。やがて私がみっこと出会い共に旅をすること。私の手助けが必要になること。そして、旅を終えたあと私が会いに来ること。この家の場所もそのとき聞いたのだ」
ということは。リョキスンは全て知った上で初対面のふりをしてみっこにぞんざいな言葉をかけたということか。
「そうならそうと、素直に助けてくれても良かったんじゃないの」
文句を言うみっこにリョキスンは苦笑い。
「それが、未来の君からのお達しでね。子どもの頃の自分はとても幼いから、色々叩き込んでやってくれとな。それに必要以上に旅の内容は聞かされていなかったのだ。万が一結果を知ることで旅の内容が変わってしまえばクリオの国の歴史が変わってしまう……とのことでな。だから私としても内心ひやひやしていた。自分の関わり方で良いのかどうか。まあ、でもそんな心配は杞憂だったな。君は立派に成長した」
なんだろう、こう、素直に褒められると居心地が悪い。みっこは「それじゃ仕方ないね」と視線をそらす。
「ところで……さっき言ってたカッコとショーリの行方は?」
「ふむ。結論から言えば君は2人にもう会えない」
何となく、感じていた。だが、こうもはっきり言葉に出されるとやはり素直に飲み込むことが出来ない。
「そんな……なんで」
「なぜなら君と彼女達は生きた時代が違うのだ。私もこの国の歴史には明るくないが、それでもクリオの愚鈍戦争のような時代がかつてあったことは知っている。2人は、その時代に産まれた」
腑におちる所が、あった。カッコの年不相応な生活スキル。どこで身につけたのかわからなかった槍の扱い方。何かのドキュメンタリーで見たが、太平洋戦争の頃は本土決戦に備えて女性や子どもは竹槍の訓練をしていたようだった。それに名前だ。戦中は勝利に関わる言葉が多く名前に使われたという。
「かつこはつまり勝子で、ショーリは勝利だったのね。そう言われればショーリの隠れ家にはレトロなものばかり集められていた」
「漢字とやらは難しくてよくわからんが、2人の名前についてはそのとおりだ。ちなみに、元の世界に戻ったあとの2人について興味はあるか」
無いわけがない。みっこは先を促した。
「実は2人は全く同じ時代の出身というわけでもないのだ。ショーリは戦争の本格化する前。かっこは本格化し町が火にやかれるようになったあと。数年の誤差があった。また2人が生命の大時計で見つけた目印は多少時代がずれていたらしい。そんなことが重なってか、2人は戦後まもなくの焼け野原に帰ることになったようだ」
「そんな……じゃあ病気だったっていうショーリのお母さんは?」
言ってからリョキスンはその話をショーリから聞いていないことに気づく。だが、リョキスンは本当に全て知っているようだった。
「難病だったというショーリの母親か。戦争の激しくなる前に親戚の手で閉鎖病棟に移されていたようだ。だが幸いというかなんというか――。実は診断が誤診でな。難病ではあるし身体の動きはにぶくなっていくが、命そのものがすぐに奪われる病ではなかったようなのだ。そのためにショーリ達が持ち帰った薬によって母親は健康を取り戻したと聞いている」
「良かった。ところでリョキスン。今思ったんだけれど、もしかしてこの話って……」
「む?そうだ。直接本人達から聞いたのだ。ここに来る前に」
「ど、どういうこと?だって2人がどこの時代の人間かなんて……」
「宿無しを甘く見ないでほしいな。誰がどの世界のどの時代の人間かは何となくまとっている空気の色でわかるのだ。ショーリのおかげで目印さえあれば狙った時代にたどり着けるらしいことはわかっていたからな。あとは同じ空気をまとった遺物を探して門をくぐればいいだけだ。そのあたりはリンゴがとても協力してくれた」
リョキスンの話によると、あの騒動のあとリンゴは引き潮の夢の支部を全知王の都にたてそこの長におさまったとのことだ。
「ついでに伝えておこう。あの亀と猫のことだ。亀の方は思うところあったらしくてな。王を退き旅に出た。猫はそれについていったぞ。下手くそな字で書かれた謝罪の手紙を私とリンゴに寄越してからな」
あの全知王とリオネルが……。みっこは別れる直前のリオネルの様子を思い出す。
「王もリオネルも、何かが欠けたまま年をとってしまっていたからな。それを取り戻す自分探しの旅というわけだ。まあ腐っても知ではクリオの国で一番の男と元引き潮の夢の導者。旅に支障はなかろうよ。むしろ問題だったのは王にべったり依存していた都の政治だ。色んな意見が出たものの結局長年の経験とバランス力が求められてな。今はリンゴがそのまとめ役となっている」
みっこは唖然とする。リンゴが王様?なんだか想像できない。
「正しくは王様ではないがな。まあただリンゴはあんななりだ。支える有能な人物が必要とのことでな。リンゴの希望もあり、今はバルミさんが補佐している」
「バルミさんまで!」
「ああ。彼はみっこにとても感謝していたぞ。お陰で娘と身体の不自由な父にも会うことができたとな」
「なんだか、色んなことが変わりすぎて何がなにやらだよ」
「あのなあ。他人事のように話しているが、これらの変化の中心は全て君なんだぞ」
「そ、それはそうなんだろうけど、あの時は眼の前のことに夢中だっただけだしさ」
「世の中が変わる時なんてのはそんなものなのだろうさ。眼の前のことを少しでもよく解決しようとした結果が大きな波に変わるのだ。ところで……さっきからかっこ達の話は中途だが続きはいいのかね」
「いや。聞かせて。お母さんが助かったところまでは聞いた」
「そうだったな。ともかく2人は戦後の焼け野原に降り立った。そしてショーリの母に薬を渡し、母の回復を見届けたあと今度はカッコの実家探しを始めたのだ」
戦後の混乱がどのようなものだったのかはフィクションの中でしか見たことが無いが、祖母がたまに話してくれたのは覚えている。
「大変だったんだろうね……2人は無事に実家を見つけられたの?」
「見つけられた。というのもカッコには捜索届が出されていたからな。戦争のごたごたでその他大勢の行方不明者の捜索なんざ記録すら残っていなかったようだが――幸い彼女は有力者の娘だったようでな。別ルートで情報が各地に廻っていたらしい。ただ問題があった」
「時差、ね」
「そのとおりだ。彼女がいなくなってから約3年がたっていた。それにも関わらず、成長期の娘が全く変わらない姿で現れた。家族からすると喜び半分、気味の悪さ半分といった状況だったらしい。カッコの件は神隠しとして周囲に騒がれた。これも有力者の家系としてはあまり望ましくない状況だ。そこで対策が取られた。——君は便所に落ちた子どもをどうするか聞いたことがあるか」
「べ、便所?拾えばいいんじゃないの……?」
「それがな。この国では便所はあの世と繋がっている場所で、そこに落ちるということは半分あの世に染まってしまったことを指したようなのだ。そこで、あの世からさらなる勧誘を受ける前に名前を変えるというケースがあったそうだ」
名前が呪力をもつ、という話はみっこも聞いたことがある。名前を付け替えるということは一種の生まれ変わりであり、それによって悪いものを一掃するという発想があるという。
「つまり、こういうこと?カッコの神隠しもあの世に近付いた縁起の悪い事件だった。だからカッコは……名前を変えることになった?」
リョキスンは頷く。
「そうだ。名前も変わり、ついでに字も変わった。親戚に養子に出されたのだな。生家からしてみれば厄介払いでもあったのかもしれんが」
今の時代とは考え方が違う。決してカッコをないがしろにしたというわけでも無いのだろう。だけれど、みっこにはやりきれない気持ちが残る。あれだけ苦労して、元の世界に戻ったカッコを待っていたのがこれなのか。
「だがな、みっこ。お前が知っているかっこはそんなヤワな娘ではないだろう?」
確かにそうだ。みっこは思い出を振り返る。カッコは一見大人しくて、清楚で。でも一度決めたら絶対に引かない芯の強さと状況に応じて動きを変える柔軟性を持っていた。
「そんなことではへこたれなかったのね。かっこは」
「そうだ。むしろ彼女は生き生きとしていたそうだぞ。当時を見ていたショーリの談ではな」
「それで?カッコはそのまま幸せに暮らしたの?」
「一つだけ、問題があったようだ。ショーリのことだ。まあ私はどういう流れでそうなったのかは知らないが……カッコはショーリに大分入れ込んでいたらしいじゃないか」
そういえばそうだった。元の世界に戻って結婚するみたいなことを言っていた。みっこは思い出し笑いをする。
「だがな、いくら親戚といえど名家には変わらんわけだ。どこの馬の骨かわからぬ男との交際をそう許可するはずはないだろう?」
「そうか、戦後って言ってもまだまだそういう格式みたいのはあった時代だもんね」
「そういうことだ。そこでみっこ。カッコはどうしたと思う?」
決まっている。みっこは即答した。
「私の知っているカッコなら、ショーリと駆け落ちする」
「正解だ。では次の問題だ。駆け落ちした2人はどこを目指したと思う?」
どこを?そんなのわかるわけが――そう言いかけてみっこは口をつぐむ。リョキスンは意味のない質問はしない。こう聞いてきたということは、ヒントがあるということだ。2人が目指す場所。地名。記憶の中にヒントがないか。
その時。みっこの中で数々の点が唐突に繋がった。
「うそ。まさか」
「気付いたようだな。そうだ。2人が目指したのは埼玉県飯山町。当時はまだ村だったが……かつてみっこに教えてもらった場所だ。2人はそこで生業を見つけ、結婚しやがて家庭を持った。そして時は流れ。2人は孫にも恵まれた。その孫がみっこ。お前だ」
祖母は、良家に生まれ。祖父と恋に落ち駆け落ちをし。名前はかっこではなかった。それは改名したからだ。では祖父は?
「おじいちゃんの名前は……かつとし」
かつとし。つまり、勝利。
「ショーリの方が神隠しの年数は長かったからな。同じく縁起を担ぐ必要があったのだろうよ。せめて読みだけでも変えたというわけだ」
祖母の言葉が脳内をこだまする。
私はみっこに沢山助けられたの――
みっこのそういう所私に似ちゃったのよねえ――
もう、祖母も祖父もいない。他界した。生命の大時計での別れは、今生の別れだったのだ。
不思議と悲しさはなかった。祖父については記憶は正直無いのがさみしいが、2人共幸せそうな老後だったと聞いている。悔いがなかったのかはわからないが、自分の人生を生きたのだと思っている。あるのはただ、そう、もう二度と会えないという寂しさだけだ。
「だからもう2人には会えないって言ったのね。よくわかった」
「そうだ。正確には君はもう2人には会っていたんだ。産まれた時から、何年間も、彼らと同じ時を過ごしていたのだ」
「……リョキスン、まだ私は依頼主?」
「正確には違うな。約束は君を元の世界に戻すまでだ。だがな」
リョキスンはみっこの頭に手を置く。
「私にとって君はいつまでたっても尊敬すべきマスターなのだ。依頼があるなら言うがいい」
「泣かせて」
「了解だ、我が君」
みっこは泣いた。リョキスンにしがみついて泣いた。泣きつかれたみっこはそのまま眠りの淵へ誘われた。
夢の中でカッコとショーリが手を繋いでこちらを見ている。しばらく微笑んでいた2人は軽く手を振り背を向け……そのまま遠ざかり、やがて見えなくなっていった。
2
翌日、目が覚めるとそこにリョキスンはいなかった。夢を見たのだろうか?だとしたら、とてもがっかりだ。みっこはすがるように周囲を見渡す。すると、机の上に見慣れない紙が置いてあるのに気付いた。
紙からはなんだか懐かしい匂いがする気がした。おそらくクリオの国の紙なのだろう。
「あっちの紙って、あんま白くないんだよね」
誰へともなく呟きながら、みっこは書かれた内容に目を通した。
『みっこへ。さすがあさになると君のちちははくるかもしれず、いちどさる。君のすきな木の上で、君をまつ』
みっこでも読めるように所々日本語が混じっており、たどたどしいひらがなはリョキスンのすました様子と似つかわしくなく思わず笑みがこぼれる。みっこの好きな木の上とくれば、心当たりは一つしかない。
みっこは動きやすい服に着替えると、普段から別のリュックにまとめてある「冒険セット」を背負い玄関を飛び出した。
大分明るくなってきてはいるものの、日の出には早いらしい。そのためもあってか新年を迎えたばかりの町からは人の息づきは感じるものの、通りはがらんどうになっている。突き刺さるような朝の空気に体を震わせながら自転車にまたがると、みっこは全速力でその場所を目指した。
学校に向かう途中のアスファルトの道を離れ、道路脇の柵を乗り越える。木々の間を縫うように、先へ先へ。最初の分かれ道を右。続いて左。これを3回繰り返し、最後は強引に前へ突っ切る。突如視界が開け、あの
「やあ、思ったより早かったな。もっと朝寝坊するかと思ったが」
頭上のツリーハウスからリョキスンが顔を出している。
「クリオの国に行ってから、おかげさまで生活習慣が整いまして。というかリョキスン、そこはわたし用だよ。大人が入るには向いてないと思うんだけど」
「それは失敬。人目を隠れて休める場所をここ以外未来の君から教わっていなかったものでな。だが思いの他しっかり作られていて驚いた」
そういいながらリョキスンは軽やかに木から飛び降りると、肩を回したり首を回したりし始めた。
「まあ広さは確かにみっこ用だな。身体がほぐれん」
「しばらく見ない間に年をとったんじゃない?」
「ふむ、認めたくはないがそうかもしれんな」
なかなかストレッチを終えないリョキスンに、我慢できずにみっこは疑問を投げかける。
「ねえ、リョキスン。わざわざ私を呼び出したってことはまだ何か話があるってことじゃないの。キザな貴方のこと。用事が済んだならそのまま去ってそうなものなのに」
リョキスンはうむ、と小さく頷いた。
「キザかどうかはともかく、頭の勘は鈍っていないようだな。実はその通りだ。みっこ、私は君が舌戦乙女だと伝えたな」
それは聞いた。正直実感はわかないが。
「さて、そこでだ。舌戦乙女についてクリオで語られていた話を思い出して欲しい」
リンゴが話してくれた内容を思い出す。
曰く、舌戦乙女は、この国の不思議の一つでもあり、同時に秘密の1つ。
曰く、弁舌を武器にクリオの国を渡り歩き、その出現は神出鬼没。
曰く、最古の記録は今から500年前、最近では15年前。長命な同じ人物なのか?それともよく似た別人なのか?はたまたどこかに舌戦乙女の称号を引き継ぐ一族がおり、この世に混乱が訪れたときに活躍するのか?それら一切がわかっていない。
「まさかとは思うんだけどさ」
「うむ」
「あれ、全部私なの?」
「ご明察。公式に残った記録だけでも舌戦乙女の出現は6つの時代にまたがっている。つまり、みっこ。君は最低でもあと6回はクリオの国に赴く運命ということだ。わはは」
「ちょ、ちょっとまってよ!簡単に言うけれど、大昔に行ったりなんてどうやって……」
「そこで私の出番なわけだ。私は全ての門を見ることができると言ったろう?つまり過去のクリオに繋がる門を見つけることも出来るのだ」
「私には見えないよ」
「私と一緒に門をくぐればいい。どうもクリオの国に行く分には門が繋がる時代は固定されているようなのでな。門が見えずとも共に入りこむことは出来るそうだ」
「なんか私はあんまり詳しくないんだけどさ。あんまり時代に関わらない方がいいんじゃなかったっけ。ほら、なんとかパラドックスっていうやつ」
「なんとかパラドックスとやらは知らんが、君がクリオの国を訪れることは最早歴史であり必然となっている。むしろ行かなければ歴史がどうねじまがるかわからん」
みっこは大きくため息をつく。舌戦乙女は確か戦争を解決したりするのではなかったか。一体自分がどう動けばそんなことが出来るというのか。
「ははは、悩んでいるなみっこ。だがな。お前が既に成したことだって十二分に歴史を変える事件なんだぞ。昨夜言っていただろう。君は眼の前のことに夢中になっていればいい。クリオの国はまだまだ君の見ない多くの不思議と秘密を持っている。私と舌戦乙女の道を行くならば、それはまあ退屈しない人生を約束しようじゃあないか」
勝手なことを。みっこは腕をくんでうーんと唸る。
——行かなくてはならないのだろう。そうしなくては何がどう変わるかわからない。みっこが存するにはクリオの国を通じてかっことショーリが結びつくことが必要なわけで。それは多分舌戦乙女の活躍したあとの世界だからこそ可能なわけで。
やらざるを得ないことはわかっているのだが。あともう一押し動き出す理由が欲しい。そうみっこが思ったころ、リョキスンが目線をカッコにあわせてこう言った。
「なに、君だけがその重荷を背負うことはない。君の負った運命の重さを私も共に背負わせてくれ」
なんだそれは。まるでプロポーズのようではないか。みっこは思わず目をそらす。参った。リョキスンにはいつも感情をかき乱されてきたけれど、今度のは今までの比ではない。
その感情が恋とかそういうものなのかはみっこにはまだよくわからない。けれど。
(もっとリョキスンと旅をしたい)
だから、みっこは。
差し伸べられたリョキスンの手を取った。
「わかった。貴方の力が必要なの。これからも手を貸して。リョキスン」
リョキスンの口元にはあの冷笑はない。琥珀の目で優しく微笑み、彼は言った。
「了解した、我が君」
その時、木々の合間をぬって眩い光が2人を照らした。初日の出である。
昨年は本当に色んなことがあった年だった。正直人生の中でこれ以上の密度ある時間はもう来ないと思っていたけれど。
(今年はもっと大変なことになりそうだな)
困ったな、とは思う。でも不思議と、不安感はない。自信というものが多少はついたのか、単に一人ではないからなのか。自分に起きた変化をあれこれ考えながら、みっこはリョキスンと朝陽をずっと眺めていた。
クリオの国奇譚 終
クリオの国奇譚 すみはるたまき @skazka
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