第2章 不思議の国の通過儀礼 前編
1
水面を出た瞬間、みっこの体は思い切り空へと引っ張られた。いや、引っ張られたというより体全体が猛スピードで浮かびあがったという感じである。一瞬呆気にとられたみっこではあったが、上を向いてみて次第に状況を把握した。
「私、浮かんでいるんじゃない。とてつもなく高い所から落ちていっているんだ!」
何故空に?とか、眼前に広がる景色の美しさとか、そんなことは一切考える余裕はない。このままでは、地面に激突してしまう!……そう思った矢先。再び信じられないことが起きた。みっこの体が、空に着水したのである。
たしかに、水音がした。体全体に、水が当たったような感触もある。見た目は全く変わらない空だけど、落下速度も幾分遅くなったようだ。
みっこが体を動かすと、そこから小さな気泡があふれ出す。まるでソーダ水の中にいるかのよう。なんだか面白くなって、ひたすら空を両手でかいてみる。すると、プールで泳ぐよりも簡単に、体がフワリと浮かびあがった。今度はばた足。みっこは水泳は得意では無いけれど、まるで水泳選手のように体が前進する。気がつくとみっこは「空を泳いで」いた。
すぐには落下しないという安心感もあり、みっこは周囲の様子をはじめてしっかりと見渡してみる。どうもここは山岳地帯のようだった。といっても、みっこがテレビ等で見たことのあるアメリカとかヨーロッパのそれとは大きく違っている。なんだか絵本に出てきそうな。そんなとんがり尾根の山々が遠くまで続いている。
しばらく進むと、雲の隙間に、天をつくような巨大な山があるのが見えた。
「やった!このまま進めばあの山に着地できる……」
地面に降りるため高度を下げたらこの空の水から飛び出て落ちてしまうのではないか。それが気がかりとなっていたこともあり、みっこは新たな目的地の登場を喜んだ。
距離はまだかなりありそうだが、この調子ならば十分辿りつけるはずである。見えない水面をかく手に今まで以上に力をこめて、みっこは山へ一直線に向かっていった。
2
一時間ほどだったのだろうか。さすがに少し疲れを覚えてきた頃、みっこはようやく目標の山へと辿り着いていた。
水をかく手を少しずつ弱め、体勢を調節しゆっくりと足から着地する。一度足がついてしまうと、さっきまで宙に浮いていたのが夢だったかのような気がするが……体を動かすと気泡が立ち上がるところを見るとやはり現実だったらしい。
あまり早く歩くと体が浮いてしまうのではないか。そう思ったみっこは周囲を伺いながらぽとぽとと歩き始めた。
「それにしても、ここはどこなんだろう」
当面の命の危機が去ったこともあり、冷静になって考えてみるが、どう考えても普通の世界ではない。みっこは小さい頃よく読んでいた不思議の国のアリスを思い出していた。あの作品の中ではアリスはあと一歩で処刑されていた。今いる場所がどのような場所なのか。それがわかるまでは油断禁物である。
「まあ、そんな怖い顔しなさんな。お嬢さん」
いきなりおじいさんの声が耳元で響く。驚いて周囲を見回してみたが、それらしき人物はどこにもいない。
「いやいや、そっちじゃあない。ここだよ、ここ!君の肩の上だ」
言われるままに肩を見ると、そこには一匹のテントウムシがとまっていた。普通のテントウムシとは違い、まるでカブトムシのようなサイズではあるが……テントウムシ以外には見えない。
「うそ、あなたがしゃべっているの?」
半ば疑うように話しかけてみる。すると、テントウムシは「オーライ」とでも言うように片手(というのだろうか)を振り上げた。……どうやら本当らしい。
「信じられんのか?……まあ、お客さんにゃあそうかもしれんな。自己紹介しておくとしよう。わしは世にも珍しい三ツ星テントウのリンゴ。たまあにやってくるお客さんをクリオの国へ導くのがお仕事だ。お嬢さんは?」
「私は、みちこ。みんなはみっこって呼んでる。さっき、お客さんって言っていたけど、それって私のこと?あと、クリオの国って?」
テントウムシ……リンゴはうーんと唸ってから答えた。
「まず一つめの質問からいこうかの。お客さん、こりゃまあ、君のことだな。この場合。たまあにやってくるんじゃよ。外の人達がな。それをこっちの世界ではお客さんと呼んでいる」
そういってリンゴは手で顔をかく。
「この辺でははあまり見かけなかったんだがな。そのせいでつい出遅れてしまったのだ。みっこが自分でソーダ水の空に気付いてくれたから良かったが、あのまま地面に激突されていたらわし仕事をなくす所だった」
そう言ってリンゴはカカカと笑った。とても笑い事では無いような気がするのだが、なかば混乱しているみっこはただ「そうなの」と頷いた。
「次に、クリオの国について、じゃな。今君がいる世界、ここの俗称がクリオの国じゃ。クリオってのが国名なのか、それとも人名だったのか。それすらこの国の人々は知らん。わかるのは58の秘密と279の不思議に包まれているということだけ」
「そんなに沢山……どんな秘密と不思議があるの?」
「それはまあ、おいおいわかるじゃろう。楽しみにしておきなさい。……さて、続きの楽しいお話は歩きながらといこうか。なにせ、時間が迫っている。ほれ、みっこ。ちょいと靴を脱いでみい」
「靴を?なんで?」
「いいからいいから」
みっこは首を傾げながらお気に入りのスニーカーを脱ぐ。
「靴下も?」
「靴下も、じゃ。」
脱ぐのはともかく、みっこは一度脱いだ靴下をもう一度履くのはあまり好きじゃあない。なんだか、さっきまで自分のものだった体温と汗が途端に汚くなったような気がしてしまうのだ。あの感覚は不思議なものである。
「早く、早く。時は金なりなのじゃよ。」
仕方なくみっこは靴下を脱ぐ。
「あ!」
靴下を脱いだみっこは息を飲んだ。……そこにあるはずの自分の足が、無い。くるぶしあたりから少しずつ色が薄くなり、最後は完全に消えてしまっているのだ。
「な、なに、これ!」
慌てふためくみっこを横目に、リンゴはカカカと笑う。
「慌てなさんな。ほら、足を手で触ってみなさい。感触はあるじゃろう?外からやってきたお客さんは、まだこちらの世界になじんでないみたいでな。放っておくと次第に体が透明になって、最後は煙のように消えてしまう」
「慌てるなって言われても、そんな話聞いたら余計あせっちゃう!」
「まあ、落ち着きなさい。この体が完全に透明になる前に、この世界のものを食べることが大切なのだ。」
そう言われてみっこは映画や昔話でそういう話があったのを思い出した。たしかおばあちゃんが説明してくれたのだ。
「ヨモツヘグイってやつか」
「うむ。詳しいことは知らん!……が、たぶん同じ原理なのだろう。さあ、時間がないことは理解できたかのう?」
みっこは大きく頷いた。
「ねえ、このあたりに食べ物はあるの?見たところ、岩山ばかりだけれど……」
「そう!それが問題なのじゃ。ここは山の北側。南側に行けばちょっとした果物がなっている木は沢山あるんじゃが……このまま進んでも二 日はかかる。辿り着く前にみっこは煙になっちまう」
あっけらかんと言い放つリンゴに苛立ちと焦りがこみ上げる。が、今みっこが頼れるのはこのリンゴだけなのだ。喉元まで上がってきていた罵声を必死でみっこは飲み込んだ。
「ねえ、ほかに食べ物がある場所はないの?」
リンゴは両手を組んで悩み出す。
「食べ物なあ。あるにはあるんだが……」
何だかとても思わせぶりな言い方だ。みっこは次第に不安になってきた。
「リンゴ、どこへ行けばいいの?私、このまま消えちゃうのは嫌!行けと言われればどこだって行くよ」
そう聞いて、リンゴはよし、と小さく頷いて、答えた。
「そうじゃな。四の五言っている余裕はなさそうだ。みっこ。これから我々は【鏡王の都】と言う場所へ向かう」
「鏡王の都?そこに行けば食べ物があるの?」
「都だからな。そりゃたんとあるさ。ただ、ちょいと曰くつきの都でな。とりあえず、向かいながら話すとしよう。こっちじゃ」
リンゴはみっこの胸ポケットを居場所と決めたらしく、ちょこんとそこに入り込んだ。ちょうど、胸ポケットからリンゴの上半身がはみ出ている形である。みっこは急いで靴下と靴を履き、彼の細い腕が指す方角へ歩き出していった。
3
みっことリンゴが歩きだしてかなりの時間がたった。リンゴは鏡王の都についてなかなか話したがらず、みっこの両親はどんな人だ、とかみっこの世界はどんな世界なんだ、とかそんな話ばかりであった。
みっこは多少やきもきしたが、そこまで言いにくいことをこちらから聞くのもはばかられ、気長にリンゴの話を聞くことになった。
「さて、楽しいお話をもっとしたい所じゃが、そろそろ話しておかねばな」
日が次第に傾き始めた頃、ようやくリンゴは鏡王について話し出した。
「そもそも、鏡王という呼び名は俗称でな。正式名称は、キリナムカ十四 世。山岳の都と呼ばれたバルエラ王国の最後の王じゃ」
山の北側ということもあり、この時間になってくるとだいぶ冷えてくる。みっこは洋服の袖をのばして少しでも体の露出を減らそうと四苦八苦しながら、答えた。
「その王様が、何で鏡王と呼ばれるようになったの?」
「いい質問じゃ。王は賢明で人望のある、比類無き王であった。だが、ある鏡を手に入れたことから、王は変わってしまう」
「鏡?一体どんな?」
「不思議な鏡じゃ。名のある鏡職人がその人生の最後に作ったという一品。驚くことにな。その鏡は、比喩でもなんでもなく……生きていたのじゃよ」
鏡が、生きている。みっこはシンデレラに出てくる魔法の鏡を想像した。
「その鏡は寂しがりやでな。自分の家族を欲しがった。そして、そのために王を鏡の虜にしてしまった。王はそれ以来鏡に言われるまま新しい鏡を作り続け、やがてその鏡は都中を埋め尽くした」
「だから鏡王の都っていうのね。でも、鏡が沢山あるだけなら問題はないんじゃないの?」
「うーん、なんとも説明が難しいな。まあ、直接見る方がいいだろう。ほら、見えてきたぞ。あれが鏡王の都じゃ」
リンゴが指さした方向を見ると、夕焼けに照らされた山脈の間に都の影がはっきりと見えた。
さあ、いくぞと足を踏み出した時、みっこは靴紐がほどけていることに気付き、足に手を伸ばした。
「あっ」
紐を結ぼうと伸ばしたその右手は、指が四本しか無かった。小指が、根本からすうっと透明になっている。
「むう、こりゃいかん!ちょいと急がなきゃならんな」
りんごの声にわずかに混じった焦りにみっこの鼓動も思わず高まる。
「ええ、もちろん。煙になるのはごめんだわ!」
みっこはいてもたってもいられず駆けだした。
4
都の入り口に辿り着いた頃には、陽はすっかり山際に沈んでいた。
僅かな赤い残照が周囲を照らしてはいるものの、それもすぐに失われることだろう。みっこはすっかり透明になりつつある右腕にかすかな光を透かし、名残惜しそうに空を仰いだ。
夜が、くる。その黄昏時の夕闇には場違いなほど、鏡王の都は底抜けに明るくライトアップされており、まるで夜の気配を拒もうとするかのようでもあった。城下町を包む壁にしつらえられた門の前まで来た時、リンゴが唐突に口を開いた。
「さて、これから我々は都に入るわけだ。そこでみっこ!この都で一つ気をつけて欲しいものがある」
その口調は今までとは違い、ずいぶん緊張した様子が見られる。これはただごとではなさそうだと判断し、みっこはリンゴに向かって深く頷いた。
「うむ。この都の中ではな。鏡に気をつけねばならない。鏡になるべく映らないようにするのじゃ」
「鏡に?さっきの話と何か関係があるの?」
「論より証拠。中に入ってみればわかるじゃろう」
リンゴはそういうと胸ポケットの中に全身をうずめてしまった。みっこはしばらく迷ったが、左手の小指が透明になりはじめたことに気付き、意を決して門を開ける。
門の中の様子はみっこが想像していたものとは大分違っていた。鏡王の都なんていう古風な名前がついていたので、古めかしい街を想像したのだ。だが、目の前に広がっているのはパステルカラーで彩られた遊園地のような街並みであった。
大通りには沢山の店が並び、色とりどりのガラスで着色された水銀灯の明かりが商品を照らし出している。ただし、華やかな街の様子と裏腹に、大通りには人っ子一人歩いていない。それが、ひどく不気味だった。
みっこはおそるおそる店の中をのぞき込んでみる。色とりどりの洋服が飾り付けられおしゃれな店内ではあるのだが……やはり、誰もいない。
「リンゴ、この街おかしい」
みっこは胸ポケットから出ようとしないリンゴにむかって小さく囁いた。リンゴはもぞもぞと手足を動かしながら答える。
「そう。おかしいのじゃよ。でもな。確かにこの街には人がいるんじゃ。……そこに鏡があるのが見えるかの?」
リンゴが手で示した方向を見ると、店内の右手の壁に大きな紫色の鏡があるのが見えた。
鏡の面は横を向いておりみっこ達からはそこに映っているものは見えない。
「見えるけど……。あれがどうかしたの?」
「うむ。なるべく自分の姿が正面から映らないよう注意しながら鏡の面を見てごらん。いいか、注意しながらじゃぞ!」
そこまで言われると見なくてもいいのではと思ってしまうが、みっこはリンゴの気迫に押され、恐る恐る鏡に近付きのぞき込んだ。鏡には店のカウンターが映し出されている。
「あ!」
みっこは息を飲んだ。そこには、カウンターに退屈そうに頬杖をつく女の人が映っていた。急いでカウンターの方を向くも、そこにはやはり誰もいない。
みっこは鏡に映らないよう鏡の下をくぐり、今度は店内が見える角度で鏡をのぞき込んだ。そこには洋服選びに夢中な女性や、その横で眠そうにしている少年、多くの人々が映し出されている。
「リンゴ、これどういうこと?」
「見てのとおりじゃ。彼らは、鏡の中で生活しているのだよ!お、あそこの洋服をみてごらん」
みっこがそちらを眺めていると、一着の洋服ががたがたと揺れ、勝手にカウンターへと向かっていった。すると今度はカウンターから紙袋がひとりでに現れ、洋服を飲みこんでいく。
「鏡の中で起こったことはこっちの世界にも影響するのね。それにしても、何でこんなことに?」
「さっき言ったじゃあないか。王を虜にした鏡は寂しがりやだったと。仲間を作るだけでは満足しなかったのじゃよ。鏡は一人、また一人と王国の住人をその中に取り込み、閉じこめてしまった。住人達は自分達が鏡の中にいることにすら気付いていないかもしれん」
なるほど。なかなかに不気味な話である。リンゴがあまり話したがらなかった訳がわかるような気がした。もしこの話を聞いていたら、この都に自分は来たがらなかったかもしれない。
「ともかく、食べ物を手に入れなくっちゃ。どんなものでもいいの?」
「そうじゃの。とりあえず食べ物であれば大丈夫」
みっこは店内の様子を再度伺う。鏡はどうやら先ほどの紫色のかがみ一枚のようだった。正面に映ることが無いよう、ほふく前進のような形で外へでる。
なるほど、これは大変だ。都にくれば食べ物くらいすぐに手に入るとは思ったが、一つの店に入って出てくるだけでこれだけ気を使うのだから!
みっこは汗をふきながら立ち上がろうとした。
「みっこ!そのままじゃ!」
いきなりリンゴが制止する。みっこはちょうど空気いすのような姿勢で止まった。
「そのまま。そのままゆっくり後ろを振り向いてみい」
みっこはおそるおそる後ろを向く。ちょうどみっこの頭のすぐ上。カラフルなモザイク模様に見えた壁の中に、手のひらほどの鏡が埋め込まれていた。ぱっとみただけでは鏡があるようには見えない。あきらかに悪意の感じられる配置である。
「な、なにこれ!なんでこんなわかり辛い所に鏡があるの?」
みっこの問いにリンゴが答える。
「鏡は寂しがり屋でな。王国にやってきた旅人も虎視眈々と狙っているということじゃ」
「なんであなたが誇らしげなのよ・・・」
みっこは憮然とした態度でつぶやくと、そのまま姿勢を維持しながら鏡から遠ざかった。
「……リンゴ、食べ物が売ってそうなお店はどのあたりにあるの?あなたなら鏡に映らずに先を進むことができるはず。見てきてくれないかしら」
みっこがそういうと、リンゴはポケットの中で身震いした。
「そりゃ、できるかもしれんが……むう」
「大丈夫よ。空高く飛べば」
リンゴはしばらくぶつぶつ独り言を言っていたが、やがて覚悟を決めたのか胸ポケットから飛び立っていった。
さて、とみっこは腕をくむ。こうしている間にもみっこの体は透明に近付いてきている。煙になるとリンゴは言ったが、それはどういうことなのだろう。ものを考えたり出来るのか。それとも完全に煙になって、散ってしまうのか。……冗談じゃあない。それは死んでしまうのとかわらない。
いてもたってもいられず、みっこは天を仰ぎ、待った。やがて、みっこのスカートの端から見える膝小僧が透明になった頃、どこからか羽音が聞こえてきた。
「リンゴ!遅いよ。もう足が透明になってきてる!」
「そう言わんでくれ。なかなか大変だったんじゃ。ともかく、わしについてきてくれ」
みっこはうなずき、リンゴの背を追った。なるほど、リンゴは注意深く鏡の配置を覚えてきたらしく、的確にみっこを案内した。
「すごい、リンゴ!あなたってとっても頭が良かったんだね!」
「うむ、悪い気はしないのう。……ただ、問題はここからなのじゃ」
そういうと、リンゴはぴたりと立ち止まる。トンネルのような狭い路地だ。その先にはライトアップされたきれいな果物屋が見える。
思わず駆け出そうとしたみっこを、リンゴが制止した。
「こら、気をつけんか!よくみい。あの壁を!」
みっこは言われるままにトンネルの壁を見つめる。そこにはなんと、壁一面に鏡がちりばめられていた。とてもではないが、この全てに映らないよう進むのは不可能だ。
「リンゴ、これじゃあ近付けないわ!他のお店はないの?」
「あるにはあるが、どこも近付けそうにない。何より、ほかの店は少し遠すぎる」
これは難題だ。どうすれば鏡に姿を映すことなくこのトンネルを通過できるというのか。
そうこうしている内にもタイムリミットは迫ってくる。恐る恐るシャツをめくってみると、お腹も透明になってきていた。現状で透明になっていないのは、左の二の腕までと顔から胸にかけてだけ。
どうしよう。いよいよ煙になる覚悟を決めろと言うことなのだろうか。体が無くなることも怖いけど、自分の意識が無くなるということの方がみっこには怖い。なんとか、手は無いものか。
みっこは頭をゴシゴシとかきむしる。もはや頭をかいているはずの手すら見ることが出来なくなってしまった。残るは首から上、頭のみ。
「みっこ、もうこうなったら最後の手段じゃ。鏡に取り込まれるしかない。そうすれば果物を食べて煙になるのは避けられる」
「ええ、そうしたいけれど……その場合私どうなるの?」
「おそらく、この都を出ることは出来ん。当然、元の世界に帰ることも出来まい……」
リンゴは頭を両手で抱えて悲痛な叫びをあげた。たしかに、煙になるよりは大分マシだ。でも、もう帰れないというのはいただけない。どうしよう。もう頭だけしか残っていない。
その時、みっこの頭に一つの名案が思い付いた。この手しかない。決意すると、みっこは急いで服を脱ぎだした。上着はもちろん、下着も靴下も全部脱ぎ捨てる。
「どう、リンゴ?顔以外どこか透明になっていない所はある?」
リンゴは少し戸惑って答える。
「いや、見えるのは顔だけじゃ。服なんか脱いで、どうするんじゃ?」
「こうするの!」
みっこは周囲を注意深く伺い、固定されていない鏡を二つ持ってきた。
「いい?リンゴ。よく見ていて。こうしたら、私の体は鏡に映るかしら」
みっこは二枚の鏡の裏を顔に向け、頭を挟むようにした。
「なるほど!顔は鏡で隠れている……。体は全部透明だから鏡には映らん。それなら行けるかもしれん」
リンゴは鏡に映らないよう物陰に隠れながらそう答えた。
そうと決まれば迷っている暇はない。みっこは鏡のトンネルのどの角度からも映らないよう手にした鏡で顔を守りながら、ゆっくりトンネルを通過した。
「やったわ、リンゴ!」
「おめでとう、みっこ!でも注意するんじゃ。今持っている鏡にもそうだが、もしそこにある果物を今すぐ食べてしまったとしたら、鏡に映らず帰るのは至難の技じゃぞ!」
なるほど、的確なアドバイス。みっこはリンゴにお礼を言いながら、洋梨に似た果実を選びとり口にくわえると、トンネルの中を戻った。
「さあ、こんな都にはもう用はないわ!入り口まで急ぎましょ!」
みっこは脱ぎ捨てた衣服を拾うと街の入り口目指し全速力で駆け出した。
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