第24話

「あぁ! い、いい痛いよぅ、ヒナちゃん!」

 イリアの悲痛な叫び声がリビングに響き渡る。

 ソファーにうつ伏せで寝転がるイリアの背中から顔を上げて、ヒナは気の毒そうにため息をもらした。

「こりゃあバッキバキだわ。よく今まで我慢してたね」

「あうぅ〜筋肉痛怖いよぉ〜……」

 ウィザードとジュデ。二度に渡る戦闘で私に肉体を酷使されたせいで、イリアの体に相当なダメージがあるらしい。妙な歩き方をしていたイリアを見兼ねてヒナが簡易な施術を施していたのだが、どうやらお手上げのようだった。

「ちょっとはマシになったと思うけど、あたしにはこれが限界。整体はゼウにぃの方が得意だから、晩御飯の後でやってもらえばいいと思うよ」

「え?」

 イリアはうつ伏せのまま上体を反らすと、台所で夕食の支度に勤しむゼウの方を振り返った。

 が、途端に顔を真っ赤にして両手で顔を覆い隠してしまう。

「むりムリむり無理! 泊めてもらってるだけでも奇跡なのに、マッサージなんかしてもらっちゃったりしたら気絶しちゃうから!」

 やれやれ……と、ヒナは腰に両手を当てる。

「じゃあまぁ、せめてゆっくりお風呂に浸かってね。自慢じゃないけど、うちのお風呂檜造りでちょー広いから」

「それは楽しみですね」

 ローテーブルを挟んで対面のソファーに腰掛けたソフィアが言った。

「聖魔神器でも、感覚器官への快楽やストレスは感じるのか?」

「フラガラッハ様、私の擬体と人間との間の生物学的な誤差は1%もありません」

 ドラウプニル……いや、フィリアがこちらを覗き込んでくる。

「……ひとつ確認なのだが」

「なんでしょう?」

「なぜ貴公は私を抱きしめているのだ?」

 フィリアは鞘に収まった私を深く胸に抱いていた。

「イリアやゼウ様のように、腰につけさせていただいた方がよろしいですか?」

「いや、そうじゃなくて……」

 心なしか、フィリアの息が荒い。

 あれ? 話すのは今日が初めてのはずなのだが、何かしただろうか?

「ドラウプニルよ」

「プニルとお呼びください」

「プニ……? あー、いや……フィリア、でいいかな?」

「まぁっ。そうですね、そう呼んでいただいた方が、フラガラッハ様をより近くに感じることができますっ」

 どうしよう。

 変なのはイリアだけではないらしい。

「ヒナ」

 その時、台所からゼウが顔を出した。

「できたから、運ぶの手伝って」

「はーい」

「あ、わたしたちも手伝います」

 ヒナに続いて、イリアとフィリアも立ち上がる。よかった……助かったぞ、ゼウ。

「いたた……」

「あ……」

 つんのめりそうになったイリアの体を、ゼウが前に出て支える。

 目が合った瞬間、二人は同時に飛び退いた。

「す、すすすいません!」

「いえっ……あの、今日はイリアさんは座っててください」

「ダメです、そんな」

「ヒナから、捕まった時に無茶してたって聞いてます。無理しないでください」

「でも……」

「いや……」

「はいはーい。初日からイチャイチャしなーい。らち明ないから、ガッツリ食べて、お風呂入ってみんなで寝よ?」

 料理を運んできたヒナが茶化して、二人は同時に顔を赤らめた。

「すご〜い!」

 隣室のダイニングテーブルに並んだ食事を見て、イリアは感嘆の声をもらした。

 肉厚のハムステーキに、ノンオイルドレッシングがかけられたトマトとレタスのシンプルなサラダ、その隣にはコーンスープが並んでいる。

「え? これ、全部ゼウさんが?」

 ゼウは気恥ずかしそうに頬をポリポリとかいた。

「そだよ。うまいんだよね、ゼウにぃの肉料理はさ」

「焼いただけだ」

「うちは食事も掃除も当番制だから、フィリアさんとイリアさんにも順番に担当してもらうからね」

「家事ならお任せください」

 フィリアの隣で、イリアは愛想笑いを浮かべた。

「どうした、イリア?」

「どうしよう、わたし、料理へたっぴなんです……」

 声のトーンと同時に、イリアの顔の角度も下がっていく。

「カフェを経営していたんじゃないのか?」

「厨房はプニルお姉ちゃん……じゃなかった、フィリアお姉ちゃんの担当だったので」

「あの……俺でよければ、簡単なものなら教えますよ?」

「ふあァァーホントですか⁉︎」

 イリアは顔を輝かせてぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。

「あぅ……でも、ほんとにへたですよ? フライパン爆発させてお姉ちゃんから厨房出禁になったくらいなので」

 今度は眉が八の字になる。

 相変わらず、忙しい娘だ。

「大丈夫ですよ。ヒナだって本人が言うほどうまいわけじゃないですから」

「おい」

「それに、フラガラッハを使えばどんなに硬い食材でもスパスパ切れます」

「おい」

 イリアたちが来て初めての夕食は、賑やかなものとなった。

「いっただっきまーす!」

「ゼウ様、このドレッシングは自家製ですか?」

「えぇ、オニオンとレモンを使ってあるんですが」

「今度キッチンで手際を見させていただいても? カフェのサラダメニューに使えそうです」

「ん? あれ? なんだかニンジンが増えてるような……って、あーっ! ダメだよ、ヒナちゃん、こっそりわたしのところに移したら」

「ち、バレたか……」

「苦手なものもちゃんと食べないと」

「いいの、イリアさん? そのニンジン、ゼウにぃの愛情がたっぷり入ってるのに」

「う……だめだめ、騙されません」

「お願い、イリアお姉ちゃん♡」

「あぁ、なんか、新鮮な響き」

 私はといえば、フィリアの腰と尻の間くらいの位置でむぎゅむぎゅと圧迫され続けていた。

 ふっと目を細めたゼウが、食卓の様子を眺めている。

 いつもより口数が多い。こんなに楽しそうにしているゼウを見るのは、初めてだった。

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