第10話
鉄甲のワイヤーアンカーで王の公務室と思われる窓から侵入したアサシンは、後ろ手に拘束したヒナと共に室内へ着地した。バランスを崩して前のめりに倒れそうになるヒナを、アサシンは無理矢理立ち上がらせる。
「いったぁッ! レディはもっと丁重に扱いなさいよね!」
「減らず口をベラベラと……怖くないのか、この女?」
なおもヒナは喚き散らしていたが、公務室の正規の出入口からジュデと共に姿を見せたイリアに「やっほー」と呑気な挨拶を飛ばして、ようやく静かになった。
ジタバタと暴れている間に、ヒナが隙を見て私の鍔の裏側に小さな丸い装置を取り付けたことに、アサシンは気づいていない。後ろ手に縛られながら、器用なことをする。人質にされた時から握り込んでいたようだ。こんなものを普段から隠し持っているのだから、末恐ろしい娘である。
私は依然アサシンに柄を握られたまま、薄暗い室内の状況を整理していた。
国のトップが揃い踏み。だが、王は跪き、悲壮な顔でアシェッド・サーペンタインを見上げている。
「なぜだ、アシェッド! なぜこんなことをする!」
「ご自身に非があるとは思わないのですか、無知で非力な王よ? エステリアの圧力に屈し、魔力の軍事利用に制限をかけようなどと考えるから、こんなことになるのです」
「うわ、だっさ……。ただのテロじゃん」
私の考えを、ヒナが代弁した。イリアを拘束しているジュデもアシェッドと組んでいると見て間違いない。この騒動は、魔力省とダリア騎士団によるクーデターらしい。
だが、説明がつかないことがひとつある。ただのクーデターなら、なぜイリアはこの場に連れてこられたのか?
その理由は、おそらくアシェッドの両脇を固める二人の男にある。好戦的な性格がそのまま顔に出ている短髪の男と、直立不動で視線だけを鋭く光らせている長髪の男。
あの二人からは、ゼウが森林地帯で遭遇したキディという女と同種の気配を感じる。
「元気な娘だ」
アシェッドは冷たい視線をヒナへ浴びせたが、彼女はいささかも怯まなかった。
「テロリストはお前とお前の兄なのだがな」
アシェッドの左側を固めていた長髪の男が、私に向かって右手を伸ばす。
「やれ、バーミリオン」
「ダメ!」
叫ぶイリアを、ジュデが肩を掴んで制止した。
バーミリオンと呼ばれた男が突き出した右手を開くと、私はアサシンの手を離れて中空へ浮き上がった。
——ほぅ……。
それは初めての体験だった。肉体や物質を媒介することなく、魔力を行使する。この世界の人類が数百年の時を費やしても未だ到達できていない魔力の未知の領域。
これは、魔法だ——。
宙に浮かされた私は、彷徨うようにダリア王の眼前まで移動した。ゴクリと息を呑むダリア王の前でしばらくゆらゆらと揺れた後、私の切先はまず隣で嗚咽をもらして震えていた数人の側近の喉を順番に切り裂いた。
王へ見せつけるように、ゆっくりと、一人ずつ。彼らは大きく目を見開いて私を凝視した後、ドス黒い血を滴らせながら前のめりに倒れ込んだ。
凄惨なその光景を目の当たりにした王は、「ひいぃ……」と無様な悲鳴を上げた。
私を操っているこの男、知性的なタイプかと思いきや、随分なサディストらしい。
「お別れの挨拶はよろしいのですか?」
バーミリオンの声を聞いて、私は確信した。森でキディと会話をしていたのはこの男だ。
「必要ない。あぁ、ただ……そうだな。少し痛めつけておいてくれ。バルトガは問題ないだろうが、エステリアの連中が調査に来た時のために、ディティールにはこだわっておきたい」
数回勢いよく振り回された私の剣先は、王の右腕と左足の太もも、そこから脇腹を斬りつけた。
「! あぁッ! あぁぁーッ!」
裂かれた宮廷服の至る所から鮮血が溢れる。王の悲鳴に、ヒナとイリアは同時に顔をしかめた。悪いが、ここは我慢してもらうしかない。
「待ってくれ、アシェッド! どうか、どうか慈悲を!」
「ダリア王よ。もはやあなたに用はないのです。私はあなたとイリア姫の命と引き換えに、人類の次のステップを手に入れる。あなたは魔物を城内へ引き入れ、混乱に乗じて王宮へ忍び込んだヒルビリーの賊に命を奪われるのです。体中の傷が、テロリストに屈しなかった勇気の証だ。民はあなたを讃えるでしょう。それが私からあなたへの慈悲ということで、どうですか?」
「バカな! よくもそんな……」
ダリア王の喉元を私の刃が真横に通過した。
王の瞳がぎょろりと私を見据えた後、首から吹き出した血が絢爛豪華な宮廷服を汚していく。王は他の側近と同様に、無様に前のめりに倒れ伏し、動かなくなった。
「ひどい……」
口に両手を当てて目を背けるイリアの隣で、ジュデは恍惚とした表情で王を見下ろしていた。
「素晴らしい。古い権力は廃れ、新しい時代が幕を開ける」
「国のトップが、よくこんなケツの穴の小さいことを考えるわね」
ヒナはアシェッドとジュデに侮蔑の言葉を投げつけたが、二人はそれを無視した。
ヒルビリーの男が、弾圧され続けた報復として権力者を暗殺する。アシェッドとジュデは、この後外の魔物を鎮圧することで王に成り代わるつもりだ。アンダーソン兄妹をテロルの実行犯に仕立て上げることで、プロパガンダに利用するつもりなのだろう。しかも、私は王都への入国許可証を作る際に、ゼウの所持品として登録されてしまっている。
人はわかりやすい物語に惹きつけられる。自作自演は政治の世界では駆け引きの古典的な手法のひとつだ。あながち悪い手ではない。
「優秀な魔力の使い手のようだな。殺すのは気の毒だが、大義のためだ。レイリアではロストテクノロジーが発掘され、すでに実用化に至っているとの情報もある。隣国の脅威に対応するためにも、魔力の軍事拡大は急務なのだ」
レイリアはダリア王国南部の縁海を挟んだ向こう側に広がる小大陸と国家の名称だ。外界との交流を拒む鎖国主義で、ラグナ大陸と干渉せず、干渉させない独立自治を主張し続けている。
レイリアの名を聞いた時、ヒナの眉がピクリと反応した。
「イリアさんをここへ連れてきた理由は何?」
「……残念だが、講義はここまでだ。楽しかったよ、ヒナ・アンダーソン。私は優秀なエーテル使いに敬意を払う。民衆に晒すのは兄の遺体だけにしておこう」
その時、アサシンの後方にある窓を破って、黒い塊が室内へ投げ込まれた。
砕けたガラスが散乱し、アサシンは思わず窓辺から距離をとった。床に転がった黒い塊は、フェイズ・スパイダーの千切れた頭部だったからだ。絶叫のまま固まったその口部から、白く濁った分厚い糸の束が窓の外へと伸びている。
その場の全員が窓の外を注視した。夜の帷はすでに下り、赤く燃える城下街を背景に、糸を伝って登ってきたゼウが姿を見せた。
「貴様! アンダーソ……」
「ヒナを離せ」
ゼウは室内へ飛び込み様、縦回転の強烈なバックキックをアサシンの頭部へ炸裂させた。アサシンの体はアシェッド目掛けて高速で飛翔したが、バーミリオンの手の平から発生した魔力のシールドに阻まれ、見えない壁に激突した後、床へ崩れ落ちた。
「仕事をしなさい、ジャスパー」
「はっ! やだね。ディフェンスはお前の専売特許だろうが」
ゼウは着地と同時に後ろ手に縛られたヒナの縄を手刀で切断し、解放されたヒナへ手にしていた小型のポシェットを手渡した。
「売上は?」
「入れてある。無茶はもういいか?」
「まだ。イリアさんがいるのは想定外。ちゃんと助けなきゃ」
「ゼウさん!」
イリアが上げた歓喜の声に、ジュデは憤怒で顔を歪ませた。
「イリアさん……」
イリアの頬のぶたれた跡。
それを認めたゼウの瞳に獰猛な気配が宿り、瞳孔が開いた。
「アンダーソン!」
ジュデが腰を落として腰のソードグリップに手をかける。直後、ジュデは驚異的なスピードで抜剣し、抜き身の刃をゼウへ向けて薙ぎ払った。並の手練では全く反応できない速度。
それを、ゼウの身体能力が上回った。
踏み抜かれた床が、ゼウの膂力の凄まじさを物語る。神速でジュデの懐へ入り込んだゼウは、ジュデの鼻先へジャストタイミングでカウンターの拳を叩き込んだ。
「ぶ!」
術式を使用せず、掌打でもない一撃は、しかしジュデの顔面を粉砕しながら全身を奥の壁までぶっ飛ばし、壁際にあった大理石の彫像を破壊しながら、なおもその体を壁面へめり込ませた。衝撃が室内を地震のように駆け巡る。
「が……! は……!」
白目を剥いたジュデが両膝をつき、尻を突き出しながら無様に倒れ込んだ。
「ゼウさん!」
イリアがゼウに向かって右手を伸ばす。ゼウもまた腕を伸ばした瞬間、バーミリオンが放った氷の刃が両者の間に走り、二人の接触を許さなかった。
「ははッ! すげぇーよ、こいつ!」
ジャスパーと呼ばれたもう一人の男がゼウの眼前に躍り出た。
「てめぇ、一人で全滅させる魂胆かぁッ⁉︎」
「!」
ジャスパーの全身が乱舞する。
パパパァンッ! と乾いた音が響いた。至近距離で矢継ぎ早に繰り出される突きの連撃を、ゼウは両腕で受け流した。
だが、数歩の後退を余儀なくされる。
「ヒャハッ!」
さらにジャスパーの追撃がゼウに迫る。
腹部を狙った中段突きに、ゼウは両手を合わせた。
——マズい。
「避けろ、ゼウ!」
私は思わず叫んだ。
「ボンッ!」
ジャスパーの拳は、ゼウに接触した瞬間高密度に圧縮させていた魔力を爆発させた。衝撃波が室内を揺さぶり、ゼウは爆速で後方へ吹き飛ばされた。
ゼウの体は壁を突き破り、さらに室外へと放り出されていく。
「ゼウにぃ!」
「いやッ! ゼウさん!」
ヒナが窓から身を乗り出すが、イリアはバーミリオンに氷の剣を喉元へ当てられ、身動きがとれない。
インパクトの直前、ゼウはバックステップで衝撃を殺していた。直撃ではなかったはすだ。
「ヒナッ! フラガラッハッ! 頼むッ!」
数メートル離れた場所を落下しながら、ゼウが叫ぶ。ヒナは手にしていたあるものを、ゼウの落下地点目掛けて放り投げた。
——名前を呼ばれた……。
私の鍔のあたりが「トゥンク」とときめいた。
「任された! けど……!」
振り返ったヒナに向かって、真正面のジャスパーが拳を固める。
「やっば……」
さすがのヒナからも笑みが消えた。
だが。
「なにッ⁉︎」
ジャスパーの拳がボコリと音を立ててドス黒く膨らんだ。ゼウに一撃を叩き込んだ左腕だ。
「ガ……ッ! アァァーッ!」
ジャスパーの顔が苦痛に歪む。黒い膨張は生物のように手首から肘を駆け上がった。
「油断しましたね」
バーミリオンが氷の剣でジャスパーの左腕を肩口から切断した。行き先を失ったゼウの術式は、切り離された腕を喰らい尽くした後、風船のように破裂し、霧散した。
「いでええぇぇぇーッ!」
ジャスパーはのたうち回りながら、近くに倒れ伏していたアサシンへ左腕の切断面を向けた。
「や、やめてくれ……!」
断面から魔力の束が触手のように伸び、怯えるアサシンの全身を捉えた後、腕の根元まで引き込み始めた。
「あ、ぁ……!」
「いてぇよぉおぉぉーちくしょおォォォーッ!」
それは捕食と言ってよかった。
魔力の触手はアサシンを完全に飲み込むと、繭状の球体を形成、それはやがて腕部へと形を変え、ジャスパーの左腕に接続した。
左腕が再生した瞬間、ジャスパーの側頭部にアサシンの断末魔の表情が瘤のように浮かび上がり、怨嗟の念を叫びながら、やがて消えていった。
「ヒャ……ハハ! すげぇーよ! いてぇぇよぉッ!」
「バカめ、これではアンダーソンの生死が確認できないではないか」
「死ぬかよ、あの程度で! あいつはオレが直々に殺してやる!」
ヒナはイリアと私へ交互に視線を送った。
「行け! ヒナッ!」
ヒナはわずかに頷いた。
「ごめん、イリアさん!」
「逃しませんよ」
バーミリオンが手をかざすよりも速く、ヒナはポシェットから取り出した小型の装置に設置された紐を引き抜くと、それを部屋のど真ん中へ投げ込んだ。
直後、けたたましい警報音が室内に響き渡った。耳を塞いでも耳障りに感じる金切音だ。その不快な音は、王宮の外と階下にも届いているだろう。
「どういうことだ。魔道具の類はバーミリオンのジャミングで使えないはず」
ところがどっこい。
呟きながら、ヒナは窓から外へ飛び出し、闇に紛れて姿を眩ませた。かつて存在した「機械」と呼ばれるロストテクノロジー。魔力とは異なる技術体系はヒナが開拓したレイリアとの秘密貿易により得たもので、それをアシェッドやバーミリオンたちが知る由もない。
連中の注意がヒナへ集まっている隙に、イリアは不可解な行動に出た。
左腕のブレスレットを外して、それを散乱した床の物陰に隠したのである。そして、彼女はブレスレットへそっと哀しそうに笑いかけた。
「さよなら……お姉ちゃん」
その言葉を、私は確かに聞いた。
なぜだろう?
私は、その時初めて。
イリアを〝美しい〟と思った。
「まぁ、いい。死体がないのは気に食わんが、この状況さえあれば、エステリアの優秀な調査団はあの兄妹を犯人と断定するだろう」
さて……と、アシェッドはヒナが放った装置を踏み潰し、私とイリアを見下しながら口元を綻ばせた。
「嬉しい誤算だったな。まさかヒルビリー風情が聖魔神器を所持していたとは」
壊れた窓の外、月が照らす闇夜に巨大な飛行船が姿を見せた。今までなんらかの力で全貌を隠していたのだろう。この世界では、船が空を飛ぶことも、その姿を隠すことも、未だかつてなかったことだ。
「招待しよう、我が城へ。存分に語り合おうじゃないか」
イリアは私を手に取り、胸元へ引き寄せた。
その時——。
イリアの記憶の欠片が流れ込み、私は彼女がここへ至るまでの全てを理解した。
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