第11話
イリアとフラガラッハ様を連れ去った飛行船が再び闇夜に消えた後、身動きがとれない私は散乱して品位の欠片もなくなった公務室内をエコーで検分していた。
間違いない。ダリア王をはじめ、フラガラッハ様に喉を切られた側近たちも全員生きている。おそらく、フラガラッハ様があの場を切り抜けるため、意識を失う程度のギリギリの手心を加えたものと考えられる。
とはいえ、かなり際どい失血だ。応急処置をしないと助からない可能性が高い。
すぐに破壊されはしたが、ヒナ・アンダーソンが高音を発する装置を投げ込んだおかげで、公務室で非常事態が発生したことは外へも伝わっているはずだ。
問題は、誰が最初にこの場所へ現れるか。
幸運なことに、最初に姿を見せたのはゼウ・アンダーソンだった。高所からあれだけ遠くへ飛ばれたのにもかかわらず、数分後に再び外壁をよじ登ってきた。
「……………」
片手を床へつけながら、ゼウは室内の様子に視線を走らせた。わずかな歯ぎしり。口元にはうっすら血の跡が見える。内臓へのダメージがあるな。
ゼウの最大の弱点は、戦闘を生身の肉体で行なうという一点に尽きる。エーテルによる肉体のドーピングやコーティングができない状況では、まともに一撃くらうだけで命はないだろう。体中の無数の傷が、この男の苛烈な人生を物語っている。
ゼウはダリア王と側近たちへ歩み寄ると、背中のバックパックから薬草と軟膏を取り出し、応急処置を始めた。サバイバルに長けているのか、手際がいい。
ひと通りの処置が終わったところで、私はわざと低周波の振動を起こした。所有者のいない状況では、こんなことしかできない。
「イリアさんの……?」
ゼウは私を拾い上げると小首を傾げた。そうだ、よく気づいてくれた。オパールを思わせる遊色効果を備えた美しい色彩。普段は目立たないようシックな色合いに抑えているが、イリアからお願いされて、お前と会う時だけはこの虹のような色合いを維持していたのである。
「おぉ……!」
その時、開かれたままになっていた真正面の扉から野太い声が響いた。
「へ、陛下……!」
ドアの上部に頭が接触しそうなほどの巨漢が、震えながら室内へ足を踏み入れる。豪快な髭面に、身の丈ほどの戦斧と重装甲の鎧に全身を包んだその男の名は、バルトガ・フランクフルト。
最悪のタイミングだ。
「陛下ああぁぁぁーッ!」
熊のような両目から大粒の涙をぼろぼろと流しながら、しかしバルトガはダリア王へ駆け寄ることはしなかった。
当然だ。室内に顔中傷だらけの見知らぬ男が佇んでいるのだから。
「貴様……! 貴様がやったのかああァァァーッ!」
ただの叫び声が部屋中の空気をビリビリと震えさせ、ゼウに迎撃態勢をとらせた。ありがたいことに、そのおかげでゼウは私を左腕へ装着した。
「違う。この人たちはまだ生きてる。早く助けを呼んであげてくれ」
「へいがああァァァーッ! おいだわじやあぁぁーッ!」
ダメだ。ぼそぼそ喋るゼウの声量では、目の前の単細胞の男には全く届かない。
——お願い、時間を稼いで。
悪いが、エーテルを宿せないゼウには私の行動は感知できない。即座に私は準備に取りかかった。
生成箇所を有効範囲の最大限外側に設定する。大広間の二階——階段付近で倒れているアルトの傍。
「万死に値する……!」
泣きじゃくりながら、バルトガは目一杯振り上げた戦斧をゼウ目掛けて振り下ろした。
「……!」
横方向への回避を選択したゼウの判断は賢明だった。
万力のバトルアックスの一撃は天井から床までを叩き切り、壁に亀裂を生じさせながら外壁までを破壊するに至った。部屋どころか、王宮全体が揺れている。この揺れ方は、一階あたりまで斬撃の跡が走ったと見て間違いない。
「御免……!」
だが、再度の引き絞りを許すゼウではなかった。
バルトガの懐へ沈み込んだゼウの体が、プロペラのように俊速の横回転でブーストする。充分な速力を得た飛び後ろ回し蹴りは「ゴギャッ!」とバルトガの首元へ突き刺さり、巨体を右方向へ吹き飛ばした。
しかし、バルトガは数十センチを移動しただけで踏み留まった。ギャリギャリと摩擦音を響かせたブーツの焦げた臭いがする。
「こそばゆいわ……!」
バルトガのぐらついた上半身はゼウの眼前へ戻ってくる。
口の端から血が滴るのも気にせず、バルトガは不敵に笑ってみせた。
——手心を加えてどうにかなる相手じゃない……!
逃げの一手が通じる相手でもない。
どうする、アンダーソン?
「こんなところで時間を無駄にしている暇はないんだ……」
ゼウはすぅと双眸を細めた。
右腕はやや引き絞り、左の掌は前方へ。しかし全身は緩やかに、半身の構えでゼウはバルトガと正対した。
まさか……真正面から打ち合うつもりらしい。
「賊のくせに、肝が座っとるな」
バルトガは再び肩口へアックスを担ぎ上げた。がっちり身構えたこの体勢では、もはや不意打ちも通じまい。
「押し通る」
それでもゼウは、ぼそりと力強く言い放った。
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