第9話

 西地区の街並みが血と炎に包まれる中、アルトは前方の魔物を蹴散らしながらイリアと生き残っている街の住民たちを誘導していた。

「イリアさん! お父上は⁉︎」

 軒先のカフェテラスが無惨に破壊された「ぺぺ」の中へ、イリアは駆け込んだ。

 だが、入口でイリアの足は止まってしまう。

「う……」

 背後を警戒しながら中を覗き込んだアルトが言葉を詰まらせる。

 店の奥、厨房付近の壁に寄りかかりながら、イリアの父だった男はうなだれ、絶命していた。左胸が大きく抉れている。即死だっただろう。

「イリアさん……酷なようだが、今は避難が先です。レオ師団とダリア騎士団の本隊が来れば、魔物も一掃できるはず。遺体の回収はその後です。悲しんでいる暇はない」

 イリアは泣くことも、悲鳴を上げることもしなかった。ただ大きく目を見開いて、引きつった笑顔を浮かべているだけだ。

 これは、良くない兆候だ。間違いなく、あの時の記憶がフラッシュバックしている。

《状況はどうだ?》

「いいわけないだろ。王宮はすぐそこだぞ! ダリア騎士団の連中はなぜ応援に来ない!」

 アルトは耳を手で押さえながら悪態をつく。

《王の護衛が最優先らしい。こっちの増援はもうすぐ到着する。お前はイリア・ラーチェルの保護を最優先に》

「この非常時に……!誰の指示だ!」

《ジュデ団長からの特命だ》

「くそ! これだからお坊ちゃんの集団は!」

《よせ。この会話は騎士団の連中にも聞かれている可能性がある》

 通信を終え、アルトは動かないイリアの手を強引に引っ張った。だから、彼はイリアの父が人の形を失い、水のようにバシャリと溶けたところを目撃しなかった。

 ——愛しい我が子よ、よくもってくれた。

「走って!」

 魔物を素早く斬り落としながら、アルトが懸命に退路を拓く。ここまでほとんど無傷なのは賞賛に値するが、彼のエーテルは底をつきかけている。

 それでもなんとか、二人は王宮前の広場まで到達した。

「よくご無事で」

 入口を固めていた二人のレオ師団の団員が道を開いた。

「この人をジュデ団長へ送り届けたら、すぐに戻る」

 王宮の広場は逃げ込んできた市民で溢れ返っていた。パニックになっている人間が大半で、団員たちの避難誘導もうまくいっていない。

「失礼、通してください」

 イリアの手を引いたまま、アルトは人の群れを掻き分けて奥へと進んでいく。

 だが、広場の中央付近まで来たところで、左手の城壁が轟音と共に崩れ去り、悲鳴とパニックは加速した。瓦解した壁の境界線を超えて、単眼の巨人が広場を見下ろしている。

「くそ、魔力が……!」

 ひとつ目の巨人——サイクロプスの一番近くにいる団員はアルトだった。彼は臆することなく、ロングソードを中段に構えた。

「ここはまかせろ」

 優雅な声が広場に響いた。

 群衆から歓声が上がる。サイクロプスの真正面に歩み出たジュデ・ランバートは、アルトとイリアへ微笑みかけると下がるように指先で指示を出した。

 サイクロプスが無造作に腕を振り上げる。

 それは一瞬の出来事だった。緩やかな動作で抜剣した直後、ジュデの腕が軽くしなったように見えた。直後、サイクロプスが振り上げた腕は根元から切断されていた。

「?」

 サイクロプスがなくなった腕の先を眺めている。何をされたのかわからないのだろう。

「終わりだ」

 ジュデの剣がまたしなった。速すぎて、やはり切先を肉眼で追いかけることはできない。

 巨人はまるで気づいていなかった。今度は自分の頭から足先までがキューブ状に細かく切断され、遊びに失敗した子供のブロックのように一瞬で崩れ去ったことに。

 ——強い。

 聖剣リジル。

 聖魔神器ではないはずだが、斬撃に魔力を乗せて真空波とするジュデの剣の腕は、騎士団長の名に恥じない実力だった。

「各員、魔物はかなりの数が入り込んでいるが、西地区に限定されている。市民の避難は王宮ではなく北と東地区への誘導を優先せよ」

 ジュデの号令で、止まっていた団員たちと民衆は再び動き始めた。

「助かりました、ジュデ団長」

「礼には及ばない。よくイリアさんを守ってくれた」

 ジュデは優しくイリアの手を取った。

「お父上は?」

 イリアは小さく首を横に振った。

「そうですか。それは、残念です……」

 ジュデはイリアの手を引いて、王宮の方へと歩き始めた。

「とにかく、今は奥へ急いで。アルト君も。バルトガ師団長からの伝言を預かっている」

「団長から、でありますか?」

 アルトの口調に疑問符がつく。外壁を境にジャミングが走っており、討伐祭が行なわれている北部平原とは連絡がつかなくなっていたからだ。街路に設置されたモニターも、今は何も映っていなかった。

 ジュデは振り返らずに歩を進める。

 何かが、おかしい。

 ——イリア。

 私の呼びかけに、イリアは応じなかった。ただ虚ろな表情でジュデの後についていくだけだ。非常事態と記憶のフラッシュバックで思考が停止してしまっている。だが、今は直接声をかけるわけにはいかない。

「三階です」

 豪奢な吹き抜けのフロアが広がる王宮内に破壊の跡は見られなかった。

 だが、静かすぎた。明かりも灯いていない。王宮内だけ避難が迅速すぎる。

 ジュデは壁沿いの階段を上がっていく。コツコツと、ジュデとアルトのブーツの音だけがフロアに響く。

「そうだ、アルト君」

 三階に到達したところで、ジュデは振り返った。

「君はヒルビリーの出身だったな?」

「? えぇ、そうですが……」

 それはあまりにも自然な動作だったので、アルトもイリアも反応することができなかった。

「え……?」

 テーブルのティーカップを口元へ運ぶような優雅さで、ジュデはアルトの腰からロングソードを引き抜き、彼の胸をひと突きにした。

 先ほどと同じだ。剣はジュデの手元で加速して、切先がどう動いたのかまったく見えなかった。

「ジュデ、団長……」

 アルトの口から鮮紅色の血が溢れる。肺がやられている。それでも、アルトはわずかに身を捩って左胸への致命傷を回避していた。

「ここから先は高貴な者だけの領域だ。残念だが、穢れた人間にはご退場願おう」

 ジュデがロングソードを引き抜き、アルトの胸から鮮血が滴った。

「ジーナ……」

 ジュデに胸を押されて、アルトは後方へ倒れ込んだ。二階部分まで、滑るように力なく転がり落ちていく。

「い、や……いやあぁぁッ!」

 イリアはそこで初めて悲鳴を上げた。

 だが、引きつった笑顔はそのままだ。

「イリアさん、汚ないものをお見せした非礼をお詫びします。なに、キッチンに出る小蝿が死んだようなものです」

「何を、言っているの……?」

「迎えが来ています。我々は王のところへ行かなければ」

 ジュデの手を、イリアは乱暴に払い除けた。

「いや……助けて、ゼウさんッ!」

 パンッ! と乾いた音が鳴った。

「いけませんね」

 放心状態のイリアの頬を、ジュデは滑らかな手つきで撫でた。イリアをぶったその手で。

「どうやら、穢れた獣に毒されているようだ。だから私は反対だったんだ。こんなまどろっこしいことはせず、あんな男は討伐祭の前にさっさと殺しておくべきだったのに」

 ジュデの思考はすでに、まともではない。だが、おそらくそのことに本人も気づいていないだろう。

「まぁ、いい。躾は主人の義務でもある。これから私とひとつになれば、あんな男のことなどすぐに忘れる」

 自分を庇うように両手を胸に抱いて、イリアは一歩後ずさった。その手をジュデが乱暴に掴む。

「さぁ、姫。皆が待っています」

 あまりの握力に、イリアは顔を苦痛で歪めた。

「歩けッ!」

 ビクリと震えて、イリアはジュデに従った。

「いい子だ……。愛していますよ、イリア姫」

 ジュデは前方の荘厳な扉を押し開いて、イリアを中へ招き入れた。

 公務室らしい、格調高いテーブルや革張りのソファーが中央に配置されたその部屋は、ぺぺの店内の二倍ほどの広さがあった。だが、前方の大型モニターは破壊され、王や側近の人間は部屋の隅へ追いやられ、跪かされている。

「ようこそおいでくださいました、姫」

 怯える王を対面から見下ろしていたアシェッド・サーペンタインが、イリアの方を振り返った。

 無感動な眼差し。こいつもまた、ジュデと同じように……。

 長身の男が二人、アシェッドを警備するように、直立不動で両脇を固めている。一人は好戦的な笑みを顔に貼りつけ、もう一人は理知的な落ち着きで周囲を警戒していた。服装は大陸北部の伝統的で質素な寒冷色の民族衣装で、それがこの煌びやかな王宮には似つかわしくなく、異質な雰囲気を醸し出していた。

 どちらも人間には内包できない量の魔力をその身に宿している。〝奴ら〟で間違いなかった。まさかこいつらと手を組む人間がいるだなんて、正気の沙汰ではない。

「ちょっとぉッ! なんなのよ、いきなりこんなとこ連れてきて! いい加減、さらった理由くらいちゃんと教えなさいよね! これ犯罪なんですけど! あたしエラソーな人たちがいる場所って大っ嫌いなんですけど⁉︎」

 窓際で後ろ手に拘束された若い女性が一人、室内の重く緊迫した空気を金切り声でぶち壊していた。

 その女性はイリアと目が合うと、「やっほー」と呑気な挨拶を返した。

「うそ……ヒナ、ちゃん?」

「えへへ。なんか知んないけど、捕まっちゃった

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