第19話

 西門から外へ出た瞬間、私とゼウは同時に立ち止まった。

 天空に月夜を抱く大平原は不気味な静寂に包まれていた。祭討伐の中止命令で外壁沿いまで撤収した参加者たちが、全員凍りついたまま動かなくなっていたからだ。ベースキャンプはもとより、東へ伸びる交易街道の奥まで、地面から突起している全てのものが見渡す限り凍りついている。人間も、アーマー・モビールも、テントも、樹木さえも、ピンポイントで凍てつくオブジェへ変化させられていた。

「酷い……」

 この範囲の広さは、尋常ではない。

「! ちぃ……!」

「へ……?」

 突然、ゼウは私をお姫様抱っこで抱き上げると、後方へ大きくジャンプした。

 直後。

 私たちがいた場所から巨大な氷柱が出現した。ゼウが助けてくれていなければ、周りの討伐者たちのように一瞬で氷の彫刻にされていただろう。

 しまった。妹じゃあるまいし、妙な声が出てしまった。

「さすがです。これをかわしますか」

 外壁中央にあるベースキャンプの前方、王都へ正対する位置で、片膝をついたバーミリオンがこちらを見ていた。右手の平を地面に当てている。魔法を発動させているのは明らかだ。

「やはり生きていましたね、ゼウ・アンダーソン」

 バーミリオンがゼウと私へ穏やかに笑いかける。

「……………」

 ゼウは私を抱き上げたまま、つま先で数回跳ねた。

「飛行艇の方も何かあったようですし、うまくいかないものですねぇ、人生とは」

 表情を変えないまま、接地したバーミリオンの右手から魔力の束が大地の下を無数に走った。それは大蛇のように素早くうねりながら、ゼウの足元へ迫ってくる。

「いけない! ゼウさ……」

 氷柱が私たちを捕食しようと地面から迫り上がる直前、ゼウはごく短いショートステップで回避した。私たちの真横に、氷の柱がバリバリと音を立てて出来上がる。

「お見事。まだまだいきますよ!」

 わずかな前傾姿勢の後、ゼウと私は風になった。

 左右のステップにフェイントを織り交ぜながら、ゼウはバーミリオンへ向けて疾走した。氷の柱もまた待ち伏せをするかのようにゼウの真下から次々と襲いかかるが、ゼウのダッシュに追いつくことができない。

「ちょ……! ま、待ってください……!」

 対応できていないのは私だけだった。

 加速したゼウは眼前に迫ったバーミリオンへ鋭い飛び蹴りを見舞ったが、今度は氷の壁がバーミリオンの前面を下から遮断し、技の威力が殺されてしまう。

「惜しい。後少しでしたね」

 だが、すでにゼウはバーミリオンの後方へ回り込んでいた。

「なんと!」

 氷壁は背面へ対応できていない。ゼウの掌底はバーミリオンのがら空きの脊椎を直撃した。

「ごふ……ッ!」

 違和感があった。

 バーミリオンは黒い血を吐き出したが、その場から微動だにしなかった。逆に、攻撃を加えたゼウが一歩後ずさる。

 ゼウの右手が、凍りついていた。

「はぁ、はぁ……なんて威力だ……。これは、効きますね……」

 黒い血を撒き散らしながら、しかしバーミリオンは嬉しそうに笑顔を浮かべた。ゼウが打撃を加えた背面部分がパキパキと音を立て、薄い氷で覆われていく。

「ふ、ふふ……ちょっとした実験ですよ。私の全身は氷魔法のトラップでラッピングされています。あなたの技、直接触れられないと威力が鈍るみたいですね。私の内側まで回ってきていませんよ? これは大きな発見だ」

 ゼウは凍てついた右手を無理矢理開いて手刀の形を作った。

 負けず嫌いなのか⁉︎ あれでは凍傷が悪化して指が使い物にならなくなる。

「斬」

 ゼウの袈裟斬りは空を切った。バーミリオンが、つま先に発生させた氷で滑るように避けたのだ。

 バーミリオンはそのまま平原の奥へ鮮やかに後退した。移動した地面に氷の道が出来上がっている。

「がは……くそ、死ぬほど痛い……。確かに、まともにもらったら一撃で終わりですね。あなたとは程よい距離感でのお付き合いの方がよさそうだ……」

「あの……降ろしてください」

 私は飛び降りるようにゼウから離れると、彼の右手を両手で包み込んだ。

 ——ヒールレイン癒しの雨

 氷を溶かし、すでに変色しかかっている皮膚を再生させる。

「もっと魔力の出力を上げられれば……」

 決してゼウのせいではないのだが、使い手が彼では私の魔力値の天井が低い。これでは軽症の治癒程度しか役に立てない。

「……できると思います」

「ふぇ……?」

 私はまたも、イリアのような声を出してしまった。

「おや? 使っていただけましたね、白魔法。やはりそこのあなたが白いエーテルの持ち主なのですね?」

 バーミリオンの声に凄みが増した。

「エレメント……!」

 前屈みになったバーミリオンから放出されるエーテルが急激に上昇し、溢れた魔力が両手の先へ高密度に濃縮されていく。

 私は全身総毛立った。

 とてつもないのが、くる……!

「あぁ……最高だぁ。最高の夜だ! アンダーソンもそこの貴婦人も、生きたまま持ち帰らせていただきます。解剖だ……探求しなければッ!」

「ごめん」

「はぇ……?」

 唐突に、ゼウは私を抱き寄せた。

 ——んな……っ⁉︎

 私の顔が熱く火照るのも無視して、ゼウは私のお腹と背中へ手の平を押し当てた。

「活」

 ドクン——と私の全身が脈打った。

 重たく鈍い衝撃が擬体の中を駆け巡る。

 次の瞬間——。

 私の魔力値が爆発的に活性化した。

「これ、は……?」

 溢れる。

 せき止めようとしても、溢れ出てくる。

 その魔力の総量は、私がイリアの腕に装備されている時を遥かに凌駕していた。

「龍脈の弁を開きました。力の流れが止まっていたみたいだったので……」

 ゼウの格闘術は魔力や生命エネルギーの流れを狂わせ、破壊する。その逆をやったということか?

 いや、ちょっと待て。

 この異常なほどの魔力値の上昇。

 この芸当、白魔法に匹敵するのでは⁉︎

「さぁ、逃げ場はありませんよ。王国ごと凍っていただきましょうか!」

 バーミリオンは片膝をつくと、再び両手を地面につけた。

「バリアブルフィールド……!」

 バーミリオンを中心に、強大な魔力を帯びた氷の領域が扇状に地面を走り、広がっていく。その有効範囲はとてつもなく、東西に伸びる王都カサレアの外壁全てをその中に収めている。

 ——あれに触れるのはマズい……!

「ここは任せてください!」

「了解」

 ゼウは何かを見つけて後方へ引き下がった。

 体内の魔力を練り上げる。

 ここまで大型の魔法を行使するのは初めてだが。

「やってみせる……!」

 私を中心に、地面から魔法陣が浮かび上がった。

「エレメント」

 強力な魔法の発現には、精霊をイメージする。

 純白の妖精は私の体を抜け出し、巨大な防御シールドを私の前面に展開した。

イノセントレイン慈愛の雨……!」

 そして、私はシールドを限界まで両サイドへ拡大させた。

「なに……⁉︎」

 ——奴の侵食よりも大きく、たおやかに。

 私のシールドもまた、王都の全域をカバーする。

 大地を駆けるバーミリオンの青いフィールドと、私の光の壁が王都外壁の手前で激突した。

 

 ズッ! ドッ!


 地鳴りが王都全域を揺さぶる。

 巨大な荒波がぶつかり合うように、バーミリオンと私の魔法は拮抗し、規格外の大きさのまま競り合いを続けた。

「いきます」

 斜め後ろから、ゼウの声がした。

 ベースキャンプで凍てついていたものを拾ったらしい、ロングスピアを片手に、ゼウは助走をつけていた。

 ゼウの右腕と踏み込んだ左脚から、ビキビキと音が聞こえた気がした。

 光の壁のぎりぎり手前から、バーミリオンに向かってスピアを投擲する。全力投球の槍は放物線を一切描かず、凄まじいスピードで衝撃波とソニックブームを起こしながら最短距離を突き進んだ。

 もはや人間の技ではない。

「ッ⁉︎」

 ゼウのスピアがバーミリオンに直撃したのかどうか、しばらく私にはわからなかった。

 接触する直前、またしても地面から発生した氷の壁が立ちはだかったが、槍はその分厚いシールドを突破した。だが、威力は軽減されている。

 同時に、王都全域を呑み込もうとした青い侵食は私の白いシールドだけを残して砕け散った。

「手強い」

 ゼウは素直に感嘆した。

 氷の壁を突き抜けた槍は、バーミリオンの左の眼球に先端だけを刺し込んだところで停止していた。

 薄い氷のバリアが、眼部に入り込んだ穂をパキパキと音を立て、包み込んでいる。

「武器にも術を練り込めるとは、油断も隙もない。でもざんねぇ〜ん、私の魔法の方が上のようだ」

 厄介だ。

 バーミリオンの全身には見えない氷の層があり、物理的な攻撃はおそらく自動で防御される。加えて、アウトレンジからの氷による魔法攻撃。近接戦闘特化のゼウとは抜群に相性が悪い。

「私の自慢の魔術を防がれたのはいささかショックでしたが……」

 ゼウの槍を防いだ氷の壁が五つの柱に分かれ、さらに地上へと迫り上がった。

 違う。

 あれは壁ではなく、手だ。バーミリオンに刺さった槍を握り潰し、伸ばした岩のような腕を大地に着ける。

「エレメント」

 バーミリオンの声に呼応して、奴を中心に大型の魔法陣が出現する。その円からゆっくりと這い出した氷の巨人は、バーミリオンを左肩に乗せ、平原を揺らしながら直立した。

 サイクロプスの比ではない。その大きさは、王都を防護する外壁に匹敵する。

「私、痛いのは苦手なんですよ。代わりに、ゼウさんの相手はこのヨトゥンにがんばっていただきます」

「フィリアさん」

「ひゃっ!」

 ゼウに腕を引っ張られる。

 アイスゴーレムは固めた拳の腹を戦鎚のようにこちらへ向かって打ちつけた。私の白き壁はその一撃でガラスのように叩き割られ、巨拳の圧力で「バゴムッ!」と地面が陥没する。砕けた大地はゴーレムの接地箇所から瞬く間に凍りついた。

 ゼウと私は、その拳をサイドに避ける形で飛び出した。

 私たちが乗っているのは、ゼウがベースキャンプから拝借してきた『自転車』だった。

「なんです、それは……?」

 バーミリオンが呆れに近い声を上げる。私だって同じ気持ちだ。

「正気ですか⁉︎」

 荷台に跨りながら、私は思わず訊いてしまった。

 心外だ、とでも言いたげな表情でゼウが振り返る。

「俺はいたって真面目です」

 ゴーレムの振り下ろしがもう一撃。

 ゼウがペダルを踏み込むと、「ゴウッ!」と音を残して自転車はありえないスピードで加速した。

「びゃああぁぁぁッ!」

 全力でゼウの腰にしがみつく。ゴーレムの拳は私たちを捉えきれず、地面に氷の穴をもうひとつ穿った。

 あぁ、もう! 私はこういう戦闘行為に慣れていないのだ。感情の制御が追いつかない!

 ゼウはゴーレムを中心に反時計回りに旋回し始めた。化け物じみた速度だった。

「王都から引き離そうという魂胆ですか? いいでしょう、まずはあなたたちを屈服させていただきます」

 ゴーレムがゼウに釣られて向きを変える。バーミリオンは再び魔法攻撃の準備に入っている。

「何か策はあるのですか⁉︎」

「……時間がほしい」

 激しくペダルを漕ぎながら、ゼウはじっとゴーレムとバーミリオンを凝視していた。

 ——何を観察しているの?

「時間を稼げばいいんですね?」

 不恰好だが、仕方がない。

 私は荷台に跨ったまま、左手を空へかざした。

「エレメント」

 魔力を左手に集中させる。精霊を人間の卑しい武器へと変化させる。白い魔力の結晶は左手から左右に伸びると、弓の形となって顕現した。

「ケルビムの弓」

 私が唯一できる白魔力の攻撃転嫁。

「面白い。私の氷魔法とあなたの白魔法、どちらが優れているか勝負といきましょうか!」

「あなたなんかに構っていられません。妹は絶対に助けます……!」

 私は右手に顕現させた浄化の矢を、ケルビムの弓で引き絞った。

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