第20話
ゼウと私はじわじわと追い込まれていた。
アイスゴーレムを中心に一帯はすでに氷で覆われ、それでもゼウは細かいドライブを効かせながら、ゴーレムの打ち下ろしとバーミリオンの氷魔法を巧みに回避していた。
ゼウがペダルを踏み込む度、摩擦による水蒸気が自転車の後輪から火山のように真後ろへ噴出する。
「ちょこまかと……やりますね!」
王都の被害はこれ以上増やせない。後方に王国を背負うわけにはいかないから、ゼウは敵とつかず離れずの距離を保ちながら右へ左へ旋回を続けている。
だが、ゼウのペダル操作に車輪が追いついていない。バーストするのも時間の問題だ。
「フロストエッジ……!」
頭上から鋭利な氷の雨が降り注ぐ。
ゼウはさらに一段速度を上げたが、唸り声を上げたアイスゴーレムが両腕を地面に叩きつけ、周囲に無数の巨大な氷柱を撒き散らした。
鋭い棘を纏った氷の柱がゼウの前方を塞ぐ。ゼウは比較的滑らかな傾斜を見つけると、そこを踏み台にして大きく空へと駆け上がった。
——少し慣れてきた。
これで四射目。
「いきなさい!」
ジャンプの軌道が頂点に達した瞬間、私は引き絞っていたケルビムの弓矢をゴーレム目掛けて解き放った。
反動で自転車が後方へと弾かれる。魔力で具現化した矢は極大の白いレーザーとなって突き抜けた。それはゴーレムが防御に回した腕ごと頭部を貫き、圧搾したようにそこだけをくり抜いて消失させた。
手応えはある。私の魔法は充分奴らにも通用する。
だが。
「素晴らしい威力です! 当たれば倒せますよ。核に当たればねぇ!」
ゴーレムの頭部と腕に氷塊が産まれ、再生していく。
このゴーレムは、魔物というより人工的に作られた魔力人形に近い。体を形作っているコアを、バーミリオンが絶えず移動させているのだ。
「跳んだのは軽率なんじゃあないですかねええぇぇぇ⁉︎」
バーミリオンの頭上から、再び氷の矢が発射された。三本だけだが、その分内包されている魔力の量が桁違いだ。
「ゼウ様!」
ゼウはハンドルから両手を離して矢を迎え討った。
定まらない姿勢で、それでも二本はコンパクトな掌打で真下と真横から打ち砕く。最後の一本が顔面を直撃して、ゼウの頭部はのけ反った。
当たったのではない。氷の先端に噛みついたのだ。
「こいつ……!」
ゼウは噛み砕いた先端を吐き出しながら、落下する自転車のハンドルを持ち直した。
「
私が着地の衝撃を球状のバリアで相殺し、ゼウはまたペダルを爆速で漕ぎ始めた。
再生を終えたゴーレムが豪速で両手を地面に叩きつけ、氷の衝撃波がまた走る。苛立ちを見せ始めたバーミリオンの氷魔法による追撃も、ゼウは車輪を横滑りさせながら回避した。攻撃の余波で、私のブーツと髪の先端がパキパキと凍り始める。
ゼウはまだ、バーミリオンとアイスゴーレムを凝視し続けていた。
「ゼウ様! このままじゃジリ貧です!」
そこで、奇妙な現象に気づく。
ゼウの体が、発熱していたのである。私がしがみついている腰のあたりだけでなく、全身が火傷しそうなほどの熱を持っている。よくよく観察してみると、ゼウにだけは私や自転車にあるような霜や氷の後が一切ない。溶けて蒸発しているからだ。
「……終わりました」
「え……?」
ようやくバーミリオンとアイスゴーレムから視線を外したゼウが、私に耳打ちした。
やがて、その時は訪れた。
激烈な過負荷に耐えきれず、自転車の前輪がバーストした。ぐらつく車体にバーミリオンが放った氷の刃が直撃し、私たちはついに前方へ放り出された。
「きゃあ!」
空中でゼウに手を取られて尻餅をつくことだけは免れる。氷の大地になんとか立ち上がった時にはもう、そこから先の逃げ場はなかった。
自転車は氷のオブジェに変えられてしまっていた。
「鬼ごっこはおしまいです」
バーミリオンが胸の前で魔力を練り上げ始める。高密度に圧縮された氷魔法は、術者であるバーミリオンの指すら凍りつかせる極寒の球体へと変化していた。
ゼウは庇うように私の前を塞ぐと、腰を落として大きく息を吸い込んだ。
「無駄ですよ。この魔法は射線上の全ての物体を凍りつかせ、あらゆる分子の活動を停止させる。さぁ、ここまで手こずらせてくれたお礼です」
瞬間、凍てつく球体はバーミリオンの上半身よりも肥大化した。
「アブソリュート・ゼロ! 受け取ってくださあぁぁぁいッ!」
発射と同時に、バーミリオンの両腕が上空へ跳ねた。射出された魔力の結晶は豪速でゼウへと向かってくる。
「避けても構いませんよぉ⁉︎ その時はヨトゥンの剛腕が来ることをお忘れなく!」
「……それはもう
ゼウはぼそりと呟いた。
「あん?」
ゼウは元より避けるつもりがない。それはわかっていた。
わかっていたが——。
真正面から殴りにいくとは思わなかった。
「蒙」
ぶん殴る、という表現が正しい。
中段で腕を引き絞ったゼウは、大きく踏み込みながら掌打を氷の魔球のど真ん中に叩き込んだ。
ズンッ!
「は……?」
摂氏二百七十三度。
全ての生物が活動を停止させるはずの球体へゼウの拳は沈み込み、ぐにゃりと形を変化させた。
「豪……!」
突風が逆流する。
ゼウの一撃は超威力のウォーハンマーだ。打撃を振り切ったゼウの前から、絶対零度の塊はバーミリオン目掛けて倍速で打ち返された。
「なんだとッ⁉︎」
ガードに動いたアイスゴーレムの右腕が、氷球に触れた瞬間凍てつき砕け散る。
バーミリオンは突き出した両手で凶悪な氷の豪速球を受け止めた。踏み止まったが、酷寒の衝撃波が嵐のように氷風を撒き散らす。
「なぜ奴は凍りつかない!」
ギギギと割れるような音が走る。バーミリオンは打ち上げるようにアブソリュート・ゼロを空の彼方へといなした。だが、バーミリオンの両腕もまた凍りつき、根元から崩れ落ちていく。
「く、そ……!」
まだ終わりじゃない。
バーミリオンは両目を大きく見開いた。
私が放った光の矢の砲撃が眼前を埋め尽くしていたからである。
「な……!」
ゼウが跳ね返した魔球を隠れ蓑にした、時間差なしの奇襲攻撃。極太の白いレーザー光線はバーミリオンの全身を貫き、突き抜けた。
ゼウの後方で、私は射撃を終えたケルビムの弓をゆっくりとおろした。
—どうだ……⁉︎
「が……ぁ……!」
頭部を含む左の上半身を消失したバーミリオンがよろめいた。
くそ、接触の直前で回避されたらしい。
「しぶとい……!」
「魔力が抜けていく! く、食わなければ……人間を……! 守りなさい、ヨトゥン!」
バーミリオンは弱々しい足取りでアイスゴーレムの肩から後方へと飛び降りた。
だが、ゴーレムは動かない。
「え……?」
何が起こったのか、バーミリオンにはわからなかっただろう。
絶対零度を打ち返した後、ゼウはすぐにアイスゴーレムへ向かって走り出していた。そのアイスゴーレムの腹部を突き破ったゼウが、落下中のバーミリオンの目の前に現れたのだ。
「なぜだッ!」
野太い悲鳴を上げながら、アイスゴーレムの全身が轟音と共に崩れ落ちていく。
ゼウは強引に縦回転を加えた踵落としで、バーミリオンを地面へ打ち落とした。
「がぁッ!」
背中からバウンドするバーミリオンの腹部に、ゼウのニーストライクが突き刺さる。
「う、ぁ……!」
吐血したバーミリオンは、ビクビクと体を震えさせた。
両腕と半身を失い、人間なら生きていられる限界値を超えている。それでも死ねない哀れな生き物は、下からゼウを激しく罵った。
「ありえない……なぜヨトゥンのコアの位置がわかる⁉︎ なぜ凍りつかないんだ!」
龍脈——と、ゼウは言った。
他者の魔力や生命エネルギーを狂わせ、あるいは活性化できるというのなら、それを自分自身にも適用できるということなのだろう。
ゼウはバーミリオンとアイスゴーレムの魔力の脈を観察し、その循環に自分の技と体を〝あわせた〟のだ。
「感謝する。初めて見る流れだった」
ゼウはバーミリオンの鼻先に湯立つような右の手の平を押し当てた。
「あ熱いぃッ!」
ゼウが腕を振り上げる。その拳はもう、凍ってはいなかった。
「待ってくれ! その特殊な体術があれば、私なら君に魔法を教えてやることができるかもしれない! そうすれば、君はもっと強くなれ……!」
ゼウの掌底による下段突きは、バーミリオンの頭部を完全に粉砕した。
「ひぐ……!」
重い震動の後、バケツの水をぶち撒けたように眼球や肉片が飛び散る。それらはすぐにエーテルへ溶化するとはいえ、なんの躊躇いもなくそれを実行したゼウを、私は初めて「怖い」と思った。
相手を殺害するという行為には、どれほど屈強な人間でもストレスは発生する。ゼウにはそれがなかった。
「すまないが……俺は妹の学費とイリアさん以外に興味がない」
立ち上がり、無惨な姿になったバーミリオンの死体を見下ろしながら、ゼウは無表情に両手を合わせ、頭を下げた。
やがて残ったバーミリオンの体がボコボコと膨らみ霧散した後、バーミリオンとアイスゴーレムに起因する全ての氷が一斉に砕け散った。
平原や外壁沿いの討伐祭参加者たち、ベースキャンプの四方で氷解していく氷柱は、鮮やかに夜空を彩った。
「氷漬けにされていた人たちは、なんとか生きているようです」
ゼウは私の擬体のところまで戻ってきた。
「ありがとうございます。いろいろ、助かりました」
ゼウは私に向かって丁寧に頭を下げた。
妹以外に感謝されるという経験が、私にはあまりない。どう返していいかわからず、なぜか私の頬はほんのりと熱くなった。
ゼウは私の傍で横倒しになっている自転車の前で片膝をついた。先ほどの戦闘で使用していた自転車だ。バーミリオンの魔法の直撃を受けて、前輪どころか車体まで駄目になってしまっている。
「あの……」
「はい……?」
「これ、治せますか? イリアさんを迎えに行かないと」
やはりこれで行くつもりらしい。
ゼウのつぶらな瞳に、私はコクコクと頷いた。
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