第21話

「心を常にニュートラルに」

 呼吸を整えるイリアに、私は諭すように言った。

「主導権はお前にある。私の感覚を使って、剣技にお前の思考を乗せるんだ」

 まずは手本を見せねばなるまい。

 ガーゴイルへと変貌したジュデが、ゆらりと無造作にリゼルを振り上げた。奴の太刀筋の特徴は、初動作から斬り払いに至るまでの緩急にある。

「私の五感を感じろ! 来るぞ!」

「!」

 イリアが私の意識の片鱗を掴む。

 振り下ろしに入ったリゼルの切先がふっと歪んで消えた。

「今だ!」

「はい!」

 ギャリン! と重たい金属音が響いた。

 左脚を狙ったジュデの一撃を下段で受けたイリアの体が、一メートルほど後方へ弾け飛ぶ。

「はっ……はっ……」

 緊張によるストレスはあるが、ダメージはない。

 相手のリゼルは魔力がオーバーロードして異様な大きさの大剣と化している。それをよくぞ細身の体で受け流した。

「わかるか、イリア? 今のスピードが私やゼウが見ている世界だ」

「ゼウさんが、見ている世界……?」

「いや、私とゼウが見ている……」

「ゼウさんとおんなじ……」

「……………」

 面倒くさいことになりそうなので、私はそれ以上言及しなかった。

「ぎ……ギギ……!」

「気を抜くな、イリア!」

 ジュデは矢継ぎ早に三連撃を放った。

 イリアの意識に理想の体捌きを送り込む。それをイリアの思考と体がトレースするが、最適解には追いついてこない。二撃目までは受け流したが、最後の一撃は捌ききれず左の頬を掠めた。

「あぅ……!」

 一撃ごとに数歩、後退していく。

「大丈夫か⁉︎」

 イリアは答えなかった。

 頬から流れる血もそのままに、まっすぐジュデとリゼルの動きを注視している。

 呼吸はいつの間にか整っていた。

 ——この娘……。

「まだまだ来るぞ。剣の動きだけを追いかけるな。意識を俯瞰させて全体を見ることだ。感覚を固定せず、体の外側へ拡大させろ」

 イリアの動きには、目覚ましいものがあった。

 素人が私の感覚と記憶をなぞっている現状では、剣術は荒く無駄な動きだらけではあるが、それでもジュデの大剣に対応し、致命的な殺傷を避けている。

「ゼウさんに! 会うんだから……!」

 少しずつ、私の感覚にイリアの意識が追いつき始める。

「! ここッ!」

 音が変わった。

 腰が入った重低の摩擦音。ジュデの放った打ち込みを真っ向から迎え討ち、数センチ押し込まれただけで踏み止まる。

「! ギギぁッ!」

「ふんっ!」

 パワー勝負!

 イリアは鼻息荒くリゼルを押し切ると、そのまま踏み込み鋭い一太刀をジュデの胸部目掛けて薙ぎ払った。

 カウンターの一撃はバックステップで回避されたが、ジュデの胸元には真一文字の傷跡が残った。黒い血飛沫が舞う。ダメージは決して浅くはない。

「ガあァァあッ!」

 プライドを傷つけられたのか、ジュデはさらに剣速を上げてイリアへ斬りかかった。

「やらせません!」

 イリアの重心が前に出た。斬り合いの場において、その判断は正しい。

 強靭なふたつの刃が舞う。

 幾重にも斬り結びながら、イリアの手数が増え、上回っていく。

 それはイリアが異常な速度で学習していることの他に、もうひとつ要因があった。

 ジュデは弱くなっていた。

 ブレイドの魔力が上昇し、一太刀の威力が上がったとしても、体と呼吸、技の連携が揃わない限り、脅威には程遠い。それが斬り合いの中ではっきりわかった。

 仮にも騎士団の長を務めるほどの腕前だ。真っ当に技を磨けば、大陸に名を馳せる偉大な剣士になれたかもしれないのに。

 哀れなのはリゼルも同じだった。使い手を壊され、剣心が泣いている。

「はあぁッ!」

 唐竹割りを凌いだイリアが仕掛けた。

 横殴りの回転剣舞。ひと呼吸で四連撃!

 ジュデは三太刀目までを防いだが、そこからイリアは強引に軌道を変えた。下からすくい上げるような最後の一撃で、ジュデの左肘から先が宙を舞う。

 見事だ。軸足が地面から離れてさえいなければ。

「防御しろ、イリア!」

 ジュデはよろめかなかった。頭上へ弾かれた右腕のリゼルを再度打ち下ろしてくる。

「きゃあッ!」

 イリアは私の剣身でガードしたが、大地から片足が離れた状態では踏ん張りが効かない。巨大なハンマーで殴られたような衝撃に吹き飛ばされながら、それでもイリアは倒れることなく私の切先と両足でブレーキをかけた。

「こ、ロス……!」

 イリアが両断した左手がジュデの元へ戻っていく。切断面が結びついた直後、ジュデはもはや腰にない鞘の位置へリゼルを導き、腰を落とした。

「お前の剣術は猿のようだな」

「なんですか、それ⁉︎」

「褒めているのだ」

 私が魔力で体を強化しているとはいえ、バスタードサイズの刃に振り回されず、よく立ち回っていると言えた。

 体躯で劣る分を捻転で補う。それは、狭い範囲でコンパクトに体を回すことで打撃を加速させるゼウの体術に通じるところがある。彼女はそれを無意識に模倣している。本当に、よくゼウのことを見ているのだろう。

「覚悟を決めろ。デカいのが来るぞ」

「わかってます!」

 イリアはスタンダードな中段の構えをとった。

「飛行船で私が使った技を使え。あれもゼウの体術からヒントを得た技のひとつだ」

 イリアは神妙な顔つきで頷いた。

 距離は約二メートル。ここはジュデの間合いだ。いなすか躱すか。後の先をとるしかない。

「ゼウさんと同じ技……」

 イリアの妙な呟きが気になった。

「死ぃネえェェ……!」

 ジュデの全身が蜃気楼のように揺らいだ。

 刹那。

 これまでで最速の真空波がイリアに襲いかかった。二連撃! 十字にクロスした斬撃がマッハを超えて飛翔する。

 中途半端な回避では吸い込まれる。

「見えた!」

 イリアの両の眼がカッと見開いた。

 直後。

 イリアの脳内を支配したのは、ゼウにやさしく抱きとめられるという妄想だった。

 ゼウの甘い体温が、生死をかけた戦闘の緊張感を塗り潰していく。

「バカ者——……!」

 真空波がイリアの鼻先に触れた。

 瞬間——。

 斜めがけの一閃。ジュデのクロススラッシュを、イリアの斬撃が斬り裂いた。

「! ば、ガぁッ⁉︎」

 斬撃が飛ぶのは魔力を帯びているからだ。それを上回る魔力と速度の剣圧をぶつければ、相殺することは理屈上は可能だが、ぶっつけ本番でやる阿保は初めて見た。

「雷撃……!」

 真空波を斬り落としながら、すでにイリアの体は沈み込んでいる。地面を舐めるほどの前傾姿勢。イリアは雷の速さでジュデに向かって突貫した。

 音が裂ける。激突の直前、リゼルは自らの意志で剣身をジュデの胸の前に掲げたように見えた。

「どおぉぉりゃあァァッ!」

 最大全速の突きが伸びる。

 この威力は、たとえダイヤモンドのタワーシールドであっても止めることはできない。強烈な炸裂音と共にリゼルは根元から砕け折れ、なおも威力はそのままに、イリアの刺突はジュデの胸骨を貫いた。

「がアぁァッ!」

「だあぁりゃあァァァッ!」

 イリアは貫通した刃を縦に掻っ捌いた。肩口から激しく黒血を撒き散らしながらジュデは吹き飛び、土煙と共に無様に転がった。

「はぁ……はぁ……」

「勝負ありだ」

 だが、イリアは小さく息を呑んだ。一時の静寂の後、ジュデがよろよろと立ち上がったからである。

 リゼルを失い、魔力の供給を失ったジュデの体は急速に痩せ細り始めていた。

「急所を外したな」

 今のイリアのコントロールなら、頭部か心臓に刺し込むことも充分可能だった。

「ごめんなさい……」

「かまわん。お前を救うのは、やはりあいつの役目だからな」

 私は左手から高速で迫るそれを見ながら言った。

「?」

「少し借りるぞ」

 斬量をゼロにする。

「こ……コ、ロ……」

 虫の息にもかかわらず、ジュデは近づいてきた。その執念だけは賞賛に値する。

 こちらに飛び掛かろうとしたジュデの前で、私はイリアの体を反時計回りに回転させた。しゃがみ込みながらジュデの両膝の裏をブレイドで叩き、強制的に地面へ膝をつかせる。

「ゔ、ぁ……⁉︎」

 今度は時計回りに跳ねながらやはり刃で顎を跳ね上げ、背筋をピンと伸びさせる。

「ガぶぅ……⁉︎」

「そのくらいの位置でいいだろう。時間がないからな、及第点だ」

 怒りで再びジュデが飛び掛かろうとした。次の瞬間——。

 ゼウとドラウプニルを乗せた自転車の前輪が「メコシャぁッ!」とジュデの頭部を直撃し、ジュデは真横に吹っ飛んでいった。

 その距離、実に数十メートル。

 どんな気分だろうな。人外に身を堕としながら、日に四回も吹っ飛ばされるというのは。

「ゼウさんっ!」ゼウの顔を見た途端、イリアは私を地面に突き刺し、手放した。

「……と、え? お姉ちゃん⁉︎」

 自転車の荷台に座るドラウプニルがゼウの腰に両手を回しているのを見て、イリアは表情を曇らせた。忙しい娘だな。

「無事でしたね、イリア。よかった」

「イリアさん!」

 ドラウプニルが荷台から降りると、ゼウは自転車を放り出してイリアに駆け寄った。

「ほぅ……」と私は感嘆した。あのゼウが息を切らしている。珍しいこともあるものだ。

「あ、やっ。これは、その……違うんです。服がボロボロなのは、ここに来るまでいろいろあって……」

 ロングスカートは破れ、顔には煤けた汚れが目立つ。イリアは恥ずかしそうに自分の全身を触りたくった。

「傷が……」

 ゼウはイリアの頬の切創を見た瞬間、泣き出しそうな表情で眉根を寄せた。

 ゼウがイリアに何を重ねたのか——想像に難くない。

「あの……待ち合わせの時間を忘れてたわけじゃないんです。なんかもうどこから伝えたらいいかわからないんですけど、話せば長いというかなんと……」

 イリアは最後まで言葉を紡げなかった。

 ゼウがイリアを抱き寄せて、両手で抱きしめたからである。

「いう、か……?」

 イリアは惚けたように口を開いたまま、頬を赤らめた。

 首と腰に添えられた指先から、確かにゼウの体温を感じる。

 この抱擁は、妄想ではなかった。

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