第22話

 イリアをゼウに任せて、私は仰向けに倒れたまま呻き声を上げているジュデへ歩み寄った。

 パグーレたちの傀儡にされた人間の成れの果て。頭髪は抜け落ち、体は人外の翼を含めて痩せ細っている。

「あァァ……ヴぅぅぅ……」

 もはや、何を口走っているのかもわからなかった。

 許すつもりはない。

 だが、私はジュデに向かって手をかざした。

「ジャッジメントレイン」

 ジュデを中心に地面から発生した円筒の白い魔力がジュデを包み込み、悪しきエーテルを取り除いていく。翼はもげ、黒い体躯に赤みがさす。

「あなたには訊きたいことがある。連中を招き入れた罪は償ってもらいます」

 ダメージまで回復してやるつもりは毛頭なく、肉体は老人のようにしわがれたままだが、これで人間には戻ったはずだ。

 ——後はイリアの方……。

「ゼウさん……」

「え……? あ! す、すいません」

 私が振り返ったのと、我に返ったゼウが慌ててイリアから離れたのはほとんど同時だった。

「あの……本当に、すいません」

「いえ、そんなこと……」

 二人して顔を赤くしたまま、ごにょごにょと俯いてしまう。

「……怪我は、大丈夫ですか?」

 しばらく経ってから、ゼウはイリアの顔を覗き込むように言った。

「こんなの、全然平気です。フラガラッハさんとヒナちゃんに、助けてもらいましたから」

 イリアはまた、にっこり笑顔で顔を上げた。きゅっと両手を握り締め、小さな震えを隠しながら。

「あの……」

 ゼウは困ったような表情のまま、じっとイリアを見つめていた。

「……?」

「いえ……その……」

 何かを言いかけては、口をつぐんで何度も逡巡する。

「ゼウさん……?」

「もし……。あの……もし、違ってたら、すいません……。うまく言えなかったら、ごめんなさい……」

 イリアを見つめるゼウの瞳に、深くやさしい色が帯びた。

「辛い時は、しんどいって……言っていいと思います。言ってください。経験あるから、俺……。無理に笑うと、心が、ダメになるから……」

「え……?」

「俺、話とかうまくないし……食事とか、気の利いた場所とかもわからないから……だから、つまらないと思ったら、俺には言ってくれていいですから」

「……………」

「で……でで、デー、ト、の前、に……それだけは、先に言っておかなきゃと思っ……」

 て——の口のまま、ゼウの動きがフリーズした。

 ゼウをまっすぐ見つめたまま、イリアはぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。

「い、いいイリアさん……⁉︎」

 雫はとめどなく溢れ、イリアの顎を伝って胸元を濡らしていく。

 泣いていいよ——と。

 誰かにそう言ってほしかった。

 私には、それをイリアに言う資格がなかった。

「わだし……」

 戦闘では全く動じないゼウが、おろおろしながら両手を上げたり下げたりしている。

「わだじ……ず、ずっと……ざびし、ぐで……ごわ、ぐ、て……。自分なんが、いなぐだ……たっ、で、いい、んじゃ、な、ないが、て……ずぅと、おも、思っでて……」

 鼻水まで流して、イリアは子供のように泣きじゃくった。

 イリアは、泣き方すら知らなかった。

「わだ……わだじ、も、デーど、じだ、い、でず。う……ぅ……ゼヴざ、んと、い、一緒に、いだ……いたい、です」

 イリアはゼウの左手を抱き寄せると、なおもわんわんと泣き続けた。

 あぁ、そうか。

 泣き方以外にも、イリアに教えていないことがあった。

 うれしい時にも、涙はこぼれるのだ。

「づま、ら、ない、と……どが、ぞんな、ごと、い、言わな、いで……。わだ、じ、だて……た、たのじ、み、に、じで、だ……でふ、がら……」

「うん……」

 ゼウは目を細めて、なだめるようにイリアの両手の上に右手を重ねた。

 本当の自分の名前も知らなかった妹は、今初めて〝イリア〟になった。


   ◯


「あんのキザやろう、絶対フルボッコにしてやる!」

 ぜぇぜぇと息を切らしながら走ってきたヒナは、寄り添うイリアとゼウを見て足を止めた。

「はれ? ゼウにぃ来てるじゃん……なんかもういろいろ片付いちゃった感じ?」

「今一番いいところだ。そっとしておいてやれ」

 ヒナはふんと鼻息を吐き出し、私の柄にもたれかかった。

「フラちゃんじゃあるまいし、空気くらい読めるっちゅーの」

「ふ……そうだな」

「そういうフラちゃんは、いつもみたいに口を挟まなかったわけ? まぁ、結局ゼウにぃには聞こえないだろうけどさ」

「失敬だな。一流はいちいち小言を挟まないものだ。それに、イリアにはもう伝えておいたしな」

「? なにを?」

「それは後のお楽しみ」

 王都の方面が騒がしい。複数のウッドモビールが近づいてきている。

 いくつかの謎は残ったままだが、とにかくこれで、ダリア王国の動乱はひとまず落着しそうだった。


   ※


 玄関のドアを開けた時、ゼウは「カッチーン」と動きを止めた。

 よく晴れた昼下がりだった。雲ひとつない快晴。引っ越しをしてくるにはもってこいの陽気だ。

「イリア、さん……?」

「こ、こんにちは、ゼウさん」

 大型のバックを胸に抱えたイリアとドラウプニル——擬体はフィリアと言うのだったな——は、ペコリと同時に頭を下げた。

「へ……?」とゼウは間抜けな声をもらす。いいぞ、イリアが絡むとこの男は途端にポンコツになる。非常にいい傾向だ。

「あの……この間の騒動でカフェが全焼してダメになってしまって。フラガラッハさんが、それならゼウさんの家に来ればいいって、言ってくれて……」

「なるほどねぇ」

 ゼウの脇から顔を出したヒナが、ゼウの腰に収まっている私の鍔を小突いた。

「妙案だろう? ウィザードの連中はこれからも白魔法を狙ってくる。それなら、いっそ同居してイリアとドラウプニルを私とゼウで守った方が安全だからな」

「フラちゃんにしては上出来なんじゃない?」

 そうだろうそうだろう。

「もっと褒め称えるがよい」

「王都からここまで、疲れたでしょ? ウッドモビールの荷物は後でゼウにぃに運ばせるから、とりあえず仲に入ってよ」

 ヒナは私を無視してイリアとフィリアを手招きした。

「では、お言葉に甘えて……」

 フィリアは私に向かってじっと意味ありげな視線を送っていたが、ヒナに続いて中へ入っていった。

 なんだ? 聖魔神器同士、やはり私の存在が気になるということだろうか?

「お邪魔じゃ、なかったですか……?」

 イリアは上目遣いにゼウを見上げた。

 ゼウはブンブンと高速で首を横へ振る。

「とんでもない! 何もない家ですけど、それでもよければ」

 イリアはまっすぐな笑顔をゼウへ向けた。そのほほえみは以前よりもやわらかく、おだやかで、ゼウを照れさせるには充分だった。

「お世話になります」

 ゼウの口角が少し上がって、イリアもほんのりと頬を赤らめた。それはあの日の夕暮れにイリアが見た、彼女だけが知っているゼウの素顔だった。

 イリアが家の中に入った後、ゼウはふと私を鞘から抜いて目の高さまで持ち上げた。

「……ありがとう、フラガラッハ。イリアさんを守ってくれて」

 ぼそりと呟く。

「気にするな。当然のことをしたまでだ。お前は私の大切な……」

 アークをはじめ、かつて歴代の勇者たちが私に送った言葉を、私はゼウへ返した。

「友だちだからな」

 聞こえたはずはない。

 だが、ゼウはふっと笑って私を鞘へ戻すと、パタンと玄関の扉を閉めて家の中へ入った。

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