第18話
戦闘に突入する前から、嫌な予感はあった。
私は刃をヘルティモの右眼から引き抜き、魔力が滴る切先を鼻先へ突きつけた。
だが——。
「さぁ、そろそろ喋ってもら……」
う……と私は額へ手を当てた。
深層へ追い込んでいたイリアの意識が、私を押し退けて表に出てこようとしていた。戦闘の高揚感に、イリアの精神が引っ張られているのだ。
《ゼウさん……》
破壊衝動に、桃色の波動が混ざり込む。
待て。
待て待て待て!
落ち着け、イリア。
この流れはマズい!
《ゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさんゼウさん……》
私とイリアの思考のほとんとが、あっという間にゼウのあんな姿やこんな姿で埋め尽くされてしまった。
——この娘、普段からゼウのことしか考えてないのか⁉︎
「ちょ……フ、フラちゃん⁉︎」
魔力が噴水のように垂れ流しとなった私の刃が、再びバスタードソードへと形を変えた。
せつなく淡い妙な気持ちが込み上げてくる。
鍔の辺りがキュンキュンする。
おふ……だ、ダメだ。
このままでは、私もゼウのことを異性として好きになってしまう……!
「キディッ!」
「うふふ、チャンスねぇ」
キディは楽しそうに両腕を真上に向かって振り上げ、極大の黒い魔力を撃ち上げた。天井を突き抜けた魔力球は部屋から姿を消し、次いで発生した上層からの爆発音に船内全体が激しく縦に揺れ始める。
「これはちょっと、脱出しないとヤバいかも……!」
この揺れ方では、ヒナの銃口も定まらない。
私が剣先を振り下ろすよりも先に、ヒナの射撃から逃れたジャスパーがヘルティモの頭部を拾い上げ、刃は床を虚しく斬り裂いた。
「く……! 待て!」
追の一撃は真正面に来たキディのバリアに阻止された。先ほどよりもバリアの層が分厚い。揺れはさらに激しくなる。
「今日はワタシたちの負けね。あなたたち、素晴らしいわ。おかげでもっと強い個体を産むことができる」
「産む、だと……?」
いよいよ踏ん張りが効かない。これ以上は無理か。
私とイリアは低空のバックジャンプでヒナの隣まで後退した。その隙に、ジャスパーがヘルティモの頭部を玉座でぐったりしているアシェッドの側頭部から同化させているのが見えた。
「フラガラッハ……君こそが僕たちの最大の障害だ。それがよくわかったよ。ちゃんとパパたちにも伝えなくっちゃね」
潰れた右眼の奥に、憎悪の光が燃えている。
ヘルティモが再びアシェッドの体内へ沈んで消え、アシェッドの双眸に無機質な精気が戻った。
「アシェッドにはもう利用価値がないんじゃないのか?」
「さぁ、どうかな。私の魔力への執念と裏の人脈を侮らない方がいい」
アシェッドは玉座の前に転がる、頭部と両手を失ったヘルティモの残骸へ手を向けた。空中へ浮かび上がった足と胴体だけのマリオネットを、壁際で気を失っているジュデへ投げつける。
「ジュデはもう必要ないのでね。遊んでやってくれないか?」
ヘルティモの体は、ジュデが持つ聖剣・リゼルへ飛び込むように自らを貫かせた後、スライムのように刃の中へ溶け込んだ。
直後。
白目を剥いたままのジュデの体がビクンと跳ねる。
「さぁ、リゼルよ……」
壊れてしまえ——。
「おゴォ……」
細身だったリゼルの剣身がグレートソードの大剣にまで膨れ上がり、代わりにジュデの体全体が急速に萎んでいく。
暴走したリゼルが、ヘルティモだけでなくジュデの魔力も吸収しているのだ。
「オ……ぉォ……!」
頭髪は抜け落ち、頬骨や肋骨——体中のあらゆる骨格が浮き彫りになっていく。やがて皮膚は干からび、背中から隆起した骨が鎧とマントを弾き飛ばした。
「スばらシイ! コれで、ワ、わタシも、お、ォ! パぐ、レの、え、エラば、れタそンザ、いニぃぃ……!」
それでもジュデは、恍惚とした声を上げた。
その姿はウィザードの連中にはほど遠く、薄氷の意識を持っただけの魔物に過ぎない。
だが、同情はしない。こいつらは、関係のない多くの人間を巻き込んだ。
「いいだろう、叩き潰してやる……!」
私はもう一度剣を構えた。
飛行艇の寿命は残りわずかなようだが、ここで連中をまとめて葬っておかない手はない。
「はあぁぁ……!」
精神統一でコントロールを私の指揮下に戻す。
だが、イリアの内側から洪水のように溢れ出てきたのは、またしても闘争本能ではなくけしからん妄想だった。
〝ん……どうですか、ゼウさん……?〟
〝ぁ……気持ち、いいです……イリアさん〟
イリアが上で、ゼウが下だった。
「イぃリアああァァァーッ!」
このじゃじゃ馬娘がああぁぁーッ!
「これ以上はダメ、フラちゃん! 脱出!」
ヒナはピンを抜いた小型の投擲弾を部屋の中央に投げ込むと、むおぉと頭をかきむしるイリアの手を引いて室外へダッシュした。連絡通路へ飛び出し、剥き出しになっている船外へ手すりを超えてジャンプした直後、玉座の間が大爆発した。
「うっ……わ……!」
ヒナとイリアは爆風で飛行艇から引き離され、星が煌めく夜空から自由落下を始めた。
「どうする、ヒナ!」
「任されて!」
ヒナが腰の細いストリングを引っ張ると、背中から小型のハンググライダーが青い翼を広げた。
「つかまって!」
コントロールバーにうつ伏せの姿勢をとったヒナは、イリアの手をバーの中央へ導いた。後ろ向きにぶら下がる形になる。
「あの……ごめんなさい、フラガラッハさん」
イリアの口から、イリアの言葉が出た。爆発の衝撃で、意識が完全に覚醒したようだ。
「かまわん。どのみち敵陣のど真ん中だった。もし船内に他の増援がいたら、対処しきれんかったかもしれん」
気球部分を中心に激しく炎上しながら、飛行艇は緩やかに落下を始めていた。ステルスはもはや機能していない。
「やったかな?」
「無理だな。あの程度で倒せるなら苦労はない。だが、あの飛行船を撃墜できたのは大きい」
ハンググライダーは飛行艇から反対方向へ離れるコースをとっている。
「連中、なんのためにあんなものを用意したと思う?」
ヒナは前を見ながら眉をひそめた。
「あたし、王宮のてっぺんからこの子で接近して、最後はワイヤー伸ばして引っ掛けたんだけど……」
「それがどうした?」
「なんかね、よじ登ったら格納庫みたいなところでさ、見たことない型のアーマー・モビールがたくさん並んでたよ? それどころじゃなかったから、あんまり確認しなかったけど」
飛行艇は雲よりも高い位置を飛んでいたが、まだ王都カサレアは遠く目視できる位置にある。海からの南風をうまくいなしながら、ヒナはぐんぐん高度を落としていった。
ありがたい。魔力で固定しているとはいえ、イリアの握力でこの状況はあまり長くもちそうにない。
「あの……」
地表が近づいてきたあたりで、イリアは申し訳なさそうに言った。
「どうした?」
「見ましたよね? わたしの、そのぅ……妄想というか、なんというか……」
「……………」
「なんですか、その間はっ⁉︎」
「まぁ、なんだ。想像なんてものはしょせん前頭葉の産み出した幻にすぎんからな。細部はぼやけていたし、よく覚えておらん」
声は随分激しいようだったが……言わないでおくことにする。
イリアは顔中を真っ赤に染めて、瞳をうるうるさせた。
「あぁ〜もぅ、どうしよう……恥ずかしくて死にそう」
しかし、なるほど人間というのは裸でああいう行為をするらしい。俄然興味が湧いてきた。
「えぇ〜なになに? イリアさんどんなこと考えてたの? フラちゃんが負けちゃうくらいの妄想ってなに?」
「ダメ! ヒナちゃんにはまだ早いから!」
ヒナは普段からイリアのカフェに通っているらしいので、仲はいいようだ。
だが、談笑は遠距離から飛来した衝撃がヒナのハンググライダーの翼を直撃したことで引き裂かれた。
「うわッ⁉︎」
「きゃあッ!」
鋭利な刃物で切られたように、ハンググライダーの片翼が中程まで切り裂かれている。
「真空波か。この攻撃は……」
飛行艇が墜落していった方角から、翼を広げた人型の怪物がこちらへ迫っていた。
右手には同化するようにリゼルが握られ、魔力で構築された黒く濁った肉体の内側には、人間の骨格が透けて見える。
ジュデは完全に魔物へと堕ちていた。
「コ、こロ、ス……!」
二撃目が来る。
「イリア!」
「はい!」
イリアは下から上へ剣を振るったが、可視化できない攻撃にタイミングが合わない。ざらついた手応えが切先に触れ、どうにか直撃を逸らしたジュデの真空波は、イリアの左肩を掠めてからハンググライダーのサイドバーを切断した。
ヒナは完全にバランスを失った。
「あぎゃあァァァーッ!」
「どうした、ヒナ⁉︎ 被弾したのか!」
「ローンがまだ残ってるのにぃぃぃーッ!」
心配した私がバカだった。
「奴の狙いは我々だ。降りるぞ、イリア!」
まだ地表まで三十メートルはある。
「い、いきます!」
イリアは意を決してコントロールバーから手を離した。
「後で! 後で戻るからぁぁぁーッ!」
「わかったから、それ以上壊さないようにしろ!」
ちぐはぐな動きで遠ざかっていくヒナのハンググライダーを見送っている暇は、私とイリアにはなかった。
慣性の法則に従って、イリアは斜めに落下していた。高度は王都カサレアの王宮よりもさらに高い。
私はイリアの肉体にダイブしようとしたが、意識がうまくリンクしなかった。緊張や恐怖は、私という存在を異物として無意識に跳ね除けるからだ。
時速換算で約八十キロ。地面に激突するまで二、三秒しか猶予はない。地表はすでに目前まで迫っている。
「思いきり剣を振れ、イリア!」
「はい!」
斬量ゼロの薙ぎ払いを地面に打ち込み、力技で落下の衝撃を相殺する。
落下地点が北部平原のど真ん中だったことが幸いした。横薙ぎの一撃は数メートルの土煙を生み、痺れるような衝撃と共にイリアの体を斜傾から真横へ押し上げた。
「魔力で防御しろ! 骨が砕けるぞ!」
背中から地面に激突する直前、イリアは魔力で全身をコーティングした。
「あぅ……ッ!」
派手にバウンドした後、私を大地に突き刺してブレーキをかける。
両脚のラインに砂埃を残して、イリアの体はようやく停止した。
「よくやった。大丈夫か?」
「な、なんとか……」
息を吐き出したイリアの表情が強張る。
ガーゴイルとなったジュデが、イリアの前に静かに着地した。二本の角が生えた頭部には人間だった頃の面影が残っているが、吊り上がった口の端からはよだれが滴り、知性があるのかは疑わしかった。
「ぱ、グレ、の……のの、おうニぃ……!」
先程の状態を鑑みるに、私がイリアの意識の主導権を握るのは得策ではない。ほんの数秒でも隙を見せれば、真空波で細切れにされて終わりだ。ヒナが戻ってくるのを待っている余裕もない。
イリアがやるしかなかった。
「ちょうどいい。実地レッスンだ」
剣を構えるイリアの両手から緊張が伝わってくる。
だから私は、一言口を挟んだ。
「これが終わったら——」
「え……?」
私の提案に、イリアは目を丸くする。
「い、いいんですか? そんなの、迷惑なんじゃあ……」
「その方がゼウもヒナも、私もよろこぶ」
イリアの体から畏れが消え去り、私の意識とのリンクをわずかに取り戻した。
「だからまずは、この場を切り抜けるぞ。私の主になろうというのだ、自力で倒して、ゼウにもう一度デートを申し込みに行かなければな」
「やってみせます!」
リゼルとジュデの両方に、血管のような筋が無数に走る。
「イリア。わかっていると思うが、ジュデはもう……」
「大丈夫です……」
イリアは大きく息を吸い込み、私を中段で構えた。
「こロ、ス……! シ、しネえぇ…!」
「お断りします! わたし、しつこい男性は嫌いですから!」
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