第2話 序②

 新入りらしい憲兵は、傷痕だらけのゼウの顔と身分証明書を険しい顔で何度も見比べていた。

 いつもの顔馴染みの兵士ならすぐに通してくれるのだが、まぁ仕方がない。とにかくゼウは身なりに気を使わないし、無口で弁が立つタイプでもない。王都の門番として、この男を不審人物と認識することに何も間違いはない。

「目的は、食料とエーテルの納品か?」

 ゼウは小さく頷く。

「積荷は特に問題ありません」

 後ろでゼウの巨大な荷車のチェックをしていた別の憲兵が手を上げた。

「納品が済んだらすぐに帰ります」

 ゼウはボソボソと呟いた。商いをするための正規の手続きは済んでいる。後ろめたいことは何もない。

「……よし、通っていいぞ」

 憲兵が道を開け、ゼウは荷車を引いて王都カサレアへ入国した。

 快晴の空の下、城下街の市場はいつも以上の賑わいを見せていた。レストランや雑貨屋で露店の準備をしているところもある。来週から始まる討伐祭は、年に一度の国を挙げての一大イベントだ。

 石畳みの大通りを車が行き来している。エンチャントアローのエーテルを燃料に動くウッド・モビール。見た目は馬車のキャビンに近いが、馬車よりも数倍速く動く。

 銅製の薄いパネルを耳に当て、遠く離れた場所にいる相手と連絡を取り合っている人間もいる。特定の相手のエーテルを記録させて通信ができる端末らしい。車も携帯端末も、「魔道具」と呼ばれるライフラインのひとつである。

 行き交う街の住人たちは、ゼウの荷車が通ると声のトーンを落として道を譲った。露骨に不快な視線を向ける者も少なくない。

「……………」

 この世界では、魔物から採取できる魔力のことを「エーテル」と呼ぶ。

 魔物も魔力も古くから存在するが、魔力——エーテルに依存した社会構造は、ここ数十年の間に急速に発展したものと考えられる。私が眠りにつく前までは、人間は薪から火を起こし、水車で動力を得て、馬車で移動する技術しか持っていなかった。

 魔物は有機生命体ではなく、魔力の結晶体にすぎない。その体が朽ちる時、放出される魔力を貯蔵し、社会を発展させる動力へと転用する術を人間は身につけたのだ。エーテルを注入して作動するアイテムは「魔道具」と呼ばれ、火や水と同じように、人々の生活の中で重要なインフラとして機能するようになっていた。

 魔力社会が画期的だったのは、複雑な構造を持つ産業的な機関全般が、電気や蒸気などの外的資源に依存しない点にあった。車も、明かりも、火を起こすことも、全ての「魔道具」の活用に必要な燃料は、個々人が肉体に宿すエーテルだった。その魔力の供給や補給を、人々は魔物を討伐することで補ってきたのだ。

 事実、魔道具は便利だった。個人に内包された魔力を動力源として用いる社会は、どれほど産業が発達しても大地も海も空も汚染しない。源泉たるエーテルを供給する魔物たちは無限に沸いてくるので、魔力が枯渇することもない。魔物たちが家畜や人間を襲い、喰らって同化しようとすることも、社会にとっては都合がよかった。

 だが、この規模の社会構造の革命が完全に成されるには、半世紀では足りなかったようだ。現在この世界には、火や水、石炭を利用した従来のエネルギー産業と、エーテルを社会基盤とする魔道具産業のふたつが混在している。

 魔力を操れる者と、操れない者。

 ゼウを異端者として見る者が多いのは、彼の身なりが傷だらけだからという理由だけではない。ラグナ大陸の南部に位置するこのダリア王国周辺では、今やエーテル産業の方がインフラとして優勢だという背景がある。この国では、魔力を操ることのできない人間は価値が低いと見なされるのだ。

 王都カサレアで荷車を人力で引くゼウが、魔道具を扱う資格を持たないことは一目でわかる。

「さすが、今回もいい仕事をしてるな、アンダーソン」

 問屋の小太りの親父は、ゼウの積み荷を確認して舌鼓を打った。この男のように、商売の出来不出来で価値を判断する人間の方がまだわかりやすい。

「特に今回のエーテルは量も質も良さそうだ。どうやって仕入れたんだ? 穴場があるなら教えてくれよ。情報も高く買うぜ?」

 ゼウは小さく笑って首を横に振った。まさか夕食前にたまたま手に入ったとは言えまい。

 商いはどこも討伐際直前で羽振りがいい。いつもの一・五倍の買い値を、ゼウは肩掛けのバックパックへしまい込んだ。

「あー! ゼウさんだぁ!」

 ふたつ隣のカフェテラスから若い女性の声が響いて、ゼウは振り返った。バックパックから取り出したものを、咄嗟にローブの中へ隠す。

 イリア・ラーチェル。人気のオープンカフェ「ぺぺ」の看板娘である。ゼウをここまで動揺させることができるのは、彼女をおいて他にない。

 たれ目がちな眼がゼウをやさしく射抜く。パラソルの脇から差し込む朝日が、ポニーテールに結った彼女の黒髪を鮮やかに際立たせている。クリーム色をしたシンプルなロングスカートの制服は、おっとりした性格の彼女によく似合っていた。少し幼い顔立ちをしているが、イリアはゼウと同い年だ。

「今日はお仕事ですか?」

 開店の準備をしていたらしい、イリアはテーブルクロスをかける手を止めて、ゼウの傍まで駆け寄った。やわらかな笑顔を投げかけられ、「う……ぁ……」とゼウは言い淀む。

「の、納品です……。討伐祭が始まったら、街には入れないから」

「この後、お時間ありますか? 終わったら、寄っていってほしいです」

「い、や……。あの……すぐに帰らないと、その……」

 ごにょごにょとゼウの歯切れは悪い。

 嘘つけ、このやろう。開店前ならイリア嬢に声かけてもらえるから、この時間に来ることにしたくせに。

「だめですか? 開店してすぐなら、料理も早く出せますよ?」

「自分がいると、イリアさんの店に迷惑がかかります」

「そんなこと、ないのに……」

 イリアの瞳がわずかに潤む。

 彼女もまた、仕事中にゼウが来ていることに偶然気づいたわけではなく、カフェの入口から何度も顔を出して声をかける機会をうかがっていたことを、伝説の魔剣・フラガラッハは知っている。

 人間というのは実に面白い。この種族とのつきあいはもう数百年にも渡るが、どれだけ文化に変化が生じても、喜怒哀楽という感情表現は変わることがない。

 特にこの「恋愛感情」というものに、私は興味を抱いていた。恋だの愛だの、そんなくだらない感情が時に勇者たちに魔物を打ち破る不可思議な力を与え、時に為政者たちはそれがために身を滅ぼしてきた。数百年の時を経ても、いまだに明確な答えには行き当たらない。

 特に謎が深いのは、子作りの方法である。

 昔、パーティーの大賢者が熱心に読んでいた書物を盗み見て、生物的な方法は知っていても、実際にその行為を目にしたことはなかった。他の生物とは異なり、人間はそういった行為を他者には見せないものらしい。過去の冒険で勇者のパーティー同士が結ばれ、夫婦になった者もいたが、いざその時になると、私は部屋の外に放り出されてしまうのだった。

 翌朝、両者の間に流れる幸福とも愉悦ともとれる奇妙な雰囲気。なぜ一夜にしてああまで関係が変化するのか、ぜひその理由を目撃したいと私は常々思っている。

 知識の探究は、悠久の時を生きる私にとって最大の娯楽である。秘密の営みを盗み見したいなどというけしからん理由ではないことを、先に断っておく。違うったら違うのである。

 その意味では、ゼウとイリアは私にとって人間観察の貴重なサンプルと言えた。

「じゃあ、お弁当はどうですか? お父さん、最近テイクアウトメニューも始めたんです。けっこう好評なんですよ?」

 健気にも、イリアは人差し指をピンと立てた。

 ゼウが街の郊外で魔獣に襲われていたイリアと彼女の父親を助けたのは一年前のことになる。魔除けの鈴が効かないほど凶暴なケルベロスだった。それを鮮やかに屠り去ったゼウに城下街まで送り届けられて以来、イリアはゼウにほの字なのである。

 いかんいかん、下世話な言葉を使ってしまった。

「あ……じゃあ、それを、いただきます」

 ゼウの下手くそな笑顔にも、イリアはうれしそうだ。

「やったぁ! じゃあ、お父さんに言って、先に作ってもらいますね!」

「へ、へへ……」

 ダメだ、こいつは。

 私はゼウの腰をくすぐるように、わざと刀身を細かく振動させた。それくらいのことなら自力でできる。

「……⁉︎」

 ビクリと震えたゼウは、思わずローブに隠していた右手を前に出した。

「それは……?」

 イリアがきょとんとした表情でゼウの右手を覗き込む。その手には、透明なボトルに入った小さなひまわりの花が一輪、浮かんでいた。この頃王都で流行っている生花のインテリアだった。

「いや、あの……これは……」

 さっさと渡せ、阿呆。もともとそのつもりで持ってきたのではないか。

「ひまわり、好きって言ってたから。家の近くで、咲き始めてて、それで……」

 受け取ったイリアの瞳が、小さく揺れた。

「これ、私のために……?」

 イリアの頬が見る間に紅潮する。

 おぉ! いいぞ、ゼウ。後ひと押し!

「あの……」

 しばらくもじもじしていたゼウは、愛らしいイリアの視線に耐えかね、目を逸らしながら言った。

「妹が……いつもイリアさんにお世話になってるからって、作ったものなんです」


「ええぇぇぇーッ⁉︎」

 ヒナ・アンダーソンの呆れた叫び声がリビング中にこだまして、彼女は慌てて声をひそめた。

「なに、それ⁉︎ ゼウにぃ、あたしが作ったって言っちゃったの⁉︎」

「そうなのだ」

「だあぁぁー! 少しはきっかけになればと思って作ってあげたのに、何考えてんのよあの朴念仁は! 自分で買ったって言えって言ったじゃない!」

 わしゃわしゃと頭をかきむしって、特徴的なライトブラウンのツインテールが揺れている。

 ヒナ・アンダーソンは今年で十七歳になる。得意技はぶりっ子。勝ち気で凶悪な性格をしているのだが、王都のハイクスールでは気弱な美少女を演じていて、同級生や教師からは評判がいいらしい。

 学校の魔力テストでも毎回学年上位に入る彼女は、だから部屋の隅に立てかけられている私とも会話ができるのだった。

「しかしな、ヒナ。今回はゼウもがんばったのだ。私の手助けがあったとはいえ、イリア殿にプレゼントを手渡すことができたなど、大した進歩ではないか」

「フラちゃんはゼウにぃを甘やかしすぎ」

 かの有名なゼゼブ山脈のひとつ目の巨人をも斬り殺した伝説の魔剣に向かって「フラちゃん」はやめてもらいたい。

「見てよ、あれ。あの腑抜けた顔」

 ヒナは私のグリップを持つと、こっそり台所を覗き込んだ。

 釜戸の上でクリームスープがグツグツ煮立つのを気にも止めず、ゼウは「ぺぺ」特製の木彫りの弁当箱を、うっとりした表情で様々な角度からためつすがめつしていた。

 傷だらけの男がだらしない表情め空の弁当箱に想いを馳せる様子は、なかなか奇妙で恐ろしい迫力がある。

「ずっと触ってるけど、何してんだろ?」

「イリア殿の残り香でもあるのでは?」

 洗った後にそれはないか——と思い直したが、ヒナは「キモっ!」と小さい悲鳴を上げた。

「荒れておるな、ヒナ。好いた男子がすでに別の女子に手籠めにされていて腐る気持ちはわかるが、肉親に当たるのはみっともないというもの」

 ヒナは先日、失恋したばかりだった。

「は? 手籠めがなんだって?」

 ヒナは不機嫌そうに両目を吊り上げると、私を激しく鞘の中へ出し入れさせた。

「あぁーんッ⁉︎」

「あぁ! やめて! 乱暴にしないで! 刃こぼれしちゃう!」

「誰が毎日王都の情報教えてやってると思ってんのよ? あんまりちょーしに乗ってると、持ち手をリボンで可愛らしくラッピングしてやるから」

「! それだけは! それだけは堪忍して! 恥ずかしくて外出できなくなっちゃう!」

「わかればよろしい」

 はぁはぁと息を切らす私を、ヒナは満足そうにもう一度戸口の隅へ立て掛けた。

「しかし弁当とは、イリア殿も上手い手を考えたものだな。これでゼウも、器を返しにいく口実ができた」

「学校帰りにあたしがさりげなく提案したからよ。兄のために週三で想い人が働くカフェへ通う健気な妹。なんか買ってもらわないと割にあわないね、まったく」

「放課後に飲食三昧とは、不埒な学生だな」

「リボン、ほしい?」

「すいません……」

「真面目な話、亀みたいなにのろのろしてる場合じゃないんだけどな」

「なんの話だ?」

「イリアさんは人気者って話よ。引く手数多ってこと」

 ヒナは鶏肉を素手で捌き始めたゼウに視線をやって、ため息をついた。

「あたしのことなんて、ほっといていいのに……」

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