魔剣は口を挟みたい
楠アキ
第一章 デートまでの長い道のり
第1話 序①
これは私が、主の愛の営みを目撃するまでの物語——。
◯
野営地の遥か前方の森林地帯から隆起するように土煙が立ち上がり、周囲の大地を振動させた。
高樹林よりもさらに高く、巨大なドラゴンタイプの魔獣がこちらを見下ろしている。
優に人の三倍はある。二足歩行の巨竜はこちらを脅威と認め、金切音のような鳴き声と共に右腕を振り下ろした。
「いくぞ、フラガラッハ!」
「誰にものを言っている!」
勇者は私を前方に構えて迎撃態勢をとった。
「ファング……!」
私——魔剣・フラガラッハは妖しく煌めき、纏わせた真紅のオーラが剣身を太く大きく肥大化させた。
魔力による形態変化。勇者は豪速で迫り来る巨大な竜の振り下ろしにあわせ、下方から縦回転の捻転を加えた斬撃を見舞った。激突音が突風を巻き起こした後、押し斬られたドラゴンの巨腕が空へ舞い上がる。
踊るように体の捻りを横方向へ切り替えながら、勇者はトゥーハンドソードと化した大剣で竜の右脚を横一閃、切断した。
片脚を失ったドラゴンが大きくぐらつく。勇者はさらに体の捻転を逆方向へ変え、大きく踏み込みながら渾身の回転斬りをドラゴンの側面から叩き込んだ。
魔力で構成された肉体といえど、質量はある。腹部から斜めに両断され、断末魔の悲鳴を響かせながら倒れ込んだドラゴンは大地を激震させた。
やがてドラゴンの肉体は形を失い、ぬめりを伴った漆黒の液体へと変化していく。
ラグナ大陸最北端に巣食う魔竜との死闘。
あぁ、これだ。
「死なないで、アーク!」
「マリア! ずっと……ずっと好きだった!」
この生死をかけた血湧き肉躍る闘争。
勇者とヒロインのじれったいラブロマンス。
これこそが伝説の魔剣である私に相応しい闘いの舞台なのだ!
——。
大根を切る音で我に返る。
切るというのか、切らされているというのが正しいのか。
私の柄を握る男——ゼウは、短冊切りで整えた大根を私の刃渡りに乗せて、煮立つ隣の鍋の中へその大根を流し込んだ。先日王都で新鮮な発酵食品が手に入ったので、今夜はミソスープを作るつもりらしい。
ゼウ・アンダーソン。
二十四歳。中肉中背。無口で目つきは穏やかだが、顔からつま先まで、身体中に刻まれた無数の傷跡とのギャップが異様な存在感を醸し出す。
勇者と魔王の死闘の後、当時のラスト・ダンジョンで数百年の長きに渡って眠り続けた私は、このゼウ・アンダーソンによって引き抜かれ、蘇った。
私が目覚めたのは偶然ではない。世界中に散らばる他の聖魔神器たちもまた、時を同じくして息を吹き返しているのだ。
古文書に曰く、世界に危機が訪れる時、聖魔神器は目覚める——。
選ばれし勇者と共に、再び冒険の旅が始まることを、私は予感した。
だが、その予感が的中することはなかった。
「……………?」
何かを感じ取ったのか、ゼウは手元の私をじっと見つめている。
そうだ、ゼウ。あの朽ち果てたダンジョンで、お前が私を引き抜いたことには意味があるのだ。
さぁ! 我々二人で、世界を救う冒険の旅に出かけよう!
ゼウは私の刃の先端にひっついていた薄い大根の切れ端をつまみ上げると、満足そうに鍋の中へ放り込んだ。
——なああぁぁぁーんでだああぁぁぁーッ!
私は叫びたかった。
私は魔剣。「伝説」の魔剣。人語を解する。喋れるのである。それだけではない。大剣から細身のロングソードまで、持ち主の剣技にあわせて自在に刃を変化させることもできる。流し込む魔力の出力を上げれば、ダイヤモンドを両断することさえ可能なのだ。
……まぁ、魔力を扱える人間が持ちさえすれば、の話だが。今は刃渡り五十センチ程度の、ダガーサイズの短剣でしかない。
その時、大きな地響きと共にキッチンが縦に揺れた。郊外にある山の裾野に建てられた粗末なログハウスである。釜戸と鍋は無事だったが、木製の戸棚から調味料がいくつか落ちる。
周辺の木々から鳥たちが一斉に飛び立っていく。ゼウは私を腰の鞘へ真横に納めて、裏口から外へ出た。
「グルるるぅぅ……!」
ゼウを見下ろすように、悪鬼はこちらを見下ろしていた。
トロルか。王都が張り巡らせた領土結界を超えてきたということは、相当な魔力を秘めているようだ。いいぞ、武装強化ができないのは気に入らないが、相手にとって不足はない。さぁ、ゼウよ! 私を抜剣して立ち向かうのだ!
「グ……ガ⁉︎」
私の高揚をよそに、次の瞬間にはもう、トロルはその場で前のめりに倒れ込んでいた。腰を落としたゼウが前方へ掌を突き出している。腹部へ掌底を叩き込んだのだ。
「すまないな……」
絶命し、漆黒の沼へと形を変えたトロルの前にしゃがみ込み、ゼウは両手を合わせて頭を下げた。
ゼウ・アンダーソンは武術家である。
私は、拾われる相手を間違えたのだ。
—————
のんびり更新予定です。
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