第3話

 事件はぺぺの軒先で起きた。

「やめてください!」

 ゼウの眼前にサーベルの切先をちらつかせる兵士に向かって、イリアが声を張り上げる。

 ゼウを取り囲む数人の男たちのマントには、鷲のマークの紋章があった。王国が誇る「ダリア騎士団」所属の騎士たちだ。要人と王宮の警護を任務とするエリート集団がこんな下町に姿を見せるとは、珍しいこともある。

「ゼウさんはゴーダ商会さんに納品に見えた業者さんです! 怪しい人じゃありません!」

「しかし、討伐祭前なのでね。我々には領土内での尋問が法律で認められている」

 ゼウは両手をだらしなく上げたまま、微動だにしなかった。こういう事態には慣れっこだった。

「お前たち、手荒な真似はよさないか」

 連中の奥から、隊長らしき男が声を上げた。

 落ち着いた所作から貴族らしい優雅さが滲み出ている。すらりと長い手足に、なにより顔がいい。

 ゼウも顔の傷さえなければ、本来はこの男に負けないくらい、整った顔立ちをしているのだが。

「ジュデさん」

 イリアはほっと息を吐き出した。彼女が男の名前を呼んだ瞬間、ゼウの目がほんの少し開いたことに気づいたのは私だけだろう。

「すまない、ゼウ・アンダーソン」

 ジュデと呼ばれた男は、部下から手渡されたゼウの身分証明書を見た後、頭を下げた。

「部下たちの無礼をお詫びする。君の腰にある短剣が目についてしまったらしい。来週の討伐祭は国王が直々に観戦されるので、我々としても警備を厳重にせざるを得ないんだ」

「ゼウさんはナイフの所持を許可されてます。その身分証明書に記録されてるはずです」

 イリアがぷりぷりと抗議する。なぜイリア嬢がそのことを知っているのかと私が思っている間に、ゼウは黙って私を鞘ごと腰から外すと、素直にジュデへ手渡した。然るべきところへ出品すれば小国が買えるほどの値がつく私を、そんな簡単に手渡すなんて……。いくら私でも泣いてしまうぞ、ゼウよ。涙なんて出ないけど。

 ジュデは私を鞘から半身ほど引き抜き、刃渡りを凝視した。ゼウに魔力の素養がないせいで、今はなまくらに近い私を品定めするとは。さすがは騎士団の団長クラス、できるな、この男。

「女子供の護身用だな……」

 ぼそりと呟いて、ジュデは私を隣の部下へ手渡した。前言撤回。見る目ないわ、こいつ。バーカバーカ。

「悪いが、職務質問にお付き合いいただきたい。よろしいか?」

 なおも抗議しようとするイリアへ、ゼウは目を細めて首を横へ振った。それでイリアは、諦めて振り上げていた手を下げた。

 ゼウが裏手へ連行され、姿が見えなくなる。さてどうしたものかと思案していたところへ、イリア嬢が飛びかかるように兵士から私を奪取した。

「な……⁉︎」

 不意を突かれた兵士が声を上げる。

「これは私が預かります!」

「何考えてる! ダメに決まってるだろう!」

 私としては、こんなむさ苦しい男に雑に扱われるくらいなら、イリア嬢が所持してくれた方が断然ありがたい。

「さっきの男が危険人物だった場合、その短剣は重要な証拠品になる! 返せ!」

「違います! これは私のです!」

「はぁ⁉︎」

「ゼウさんに貸してたんですぅ!」

「この……証拠はあるのか。証拠は⁉︎」

「う……」と、イリアは言葉に詰まった。

 やれやれ、無鉄砲なお嬢さんである。

「あるんだろうな、当然?」

「あ! だ、だめ!」

 兵士はイリアから私を取り上げると、意地の悪そうな表情で鞘から私を引き抜こうとした。だが、半分も抜かないうちに、その動きを止めてしまう。

「む……」

 兵士の手元を覗き込んだイリアは、勝ち誇った笑顔を浮かべた。

「ほ、ほらね! 私のお店のものでしょう⁉︎」

 私の剣身の根元には、「カフェテリア・ぺぺ」の文字が刻まれていた。


「なんだかわからないけど、助かっちゃった」

 店内に駆け込んだイリアは、私をぎゅっと抱きしめた。

 甘い香りがする。

 いやいや、違う。決していやらしい想像をしているわけではない。

「この短剣、お父さんがゼウさんにあげたのかな?」

 悪いがもう、「ぺぺ」の刻印は消してしまった。

 イリアはエンチャントアローだ。それは触れられただけでわかる。私が声を出すべきかどうか迷っている間に、イリアは私を鼻先に近づけて匂いを嗅ぎ始めた。

 匂いを嗅ぎ始めた?

「うへへ……さすがにゼウさんの匂いはしないか」

 ……見なかったことにしよう。

「預かったはいいけど、どうしよう……別の兵隊さんに見られたら、またさっきみたいなことになるかな」

 イリアは私をまじまじと見つめながら逡巡した後、何かを思いついたらしく、キッチンの方へと駆けていった。

 数分後、私は柄の部分に可愛らしいピンクのリボンを付けられた状態で、イリア嬢の腰に収まっていた。

 ——いいぃやああぁぁぁーッッッ!

「ふふ、いい感じ♪」

 私の魂の叫びも届かず、イリアは満足気な表情で仕事を再開した。

 もうダメだ……この恥辱、もうお嫁に行けません。

「あ、そうだ。買い出し……」

 イリアはカウンターから肩掛けのバックを取ると店の外へ出た。やめてえぇぇー、これ以上恥ずかしい姿を人目に晒さないでえぇぇー!

 私が届かぬ想いを叫び続けている間に、その異変は起こった。

「……⁉︎」

 店のドアの死角から伸びた腕が、イリアの口を後ろから塞いでいた。そのまま素早い動作で、路地裏へ引き摺り込まれる。

 二人の屈強な男たちだった。一人がイリアを肩へ担ぎ上げた時にはもう、彼女は気を失っていた。手の内側にクオの実から作る強力な眠り薬が仕込まれていたようだ。人攫いにしては、体躯の割に動きに無駄がない。なんだ?

 男たちは裏手に停車していたウッド・モビールの後部座席へイリアを乗せると、即座に発進させた。

 マズいぞ、これでは街の外へ抜けるまで五分もかからない。

 ——やれやれ。

 ウッド・モビールは街の裏門を易々と突破した。門番の兵士が誰もいなかったからだ。

「金で買収されて持ち場を離れるとは、あっけないものだな」

「平和ボケしてるのさ」

「平原を迂回してから森へ入るぞ。準備はできてるな?」

 イリアが横たわっている座席のさらに後方に、黒いズダ袋が三つ積み込まれている。人が入りそうなサイズだ。

 なるほど、魔獣に食い散らかされたことにして、行方をくらまそうという魂胆らしい。

 なんにしても、イリア嬢の意識がないのは好都合だ。

「おい……」

 後部座席からの声に、助手席の男がギョッとした様子でこちらを振り返った。

「! ごはッ!」

 逆さにした私のグリップで頬を殴打された男の体が激しく倒れ込む。

「なんだ! おい⁉︎」

 運転席の男がハンドルを切るよりも素早く、私は下方へ百八十度、刃を一閃した。

 直後。

 ウッド・モビールは運転席と後部座席を真横に分断され、バランスを失った前後の車体はそれぞれ土煙を上げながら派手に横転した。

「ごほ、ごほ!」

「お前たちが何者なのかは知らないが……」

 着地したイリア嬢の体を通して、私は言い放った。

「試し斬りにはちょうどいい。尋問してやろう」

「この女、素人じゃないのか? 聞いてないぞ……!」

 車体から放り出された二人の男は、立ち上がりながらイリアを睨みつけた。

 実戦だ。

 私に憑依されたイリアの目つきは鋭く、私は堪えきれずにニヤリと笑った。


 懐から獲物を取り出した男たちは、ゆっくりと間合いを詰め始めた。伸縮式のトンファー・バトンと、大型のサバイバルナイフ。携行式の武器だが、どちらも強力な魔力を帯びていることがわかる。

 私は中段に自身を構えながら、実のところ困惑していた。

 ——この娘……。

 戦闘経験のない人間を無理矢理乗っ取ってコントロールしている影響で、私の本来の力はほとんど発揮することができない。

 にもかかわらず、尋常ではない魔力の渦が娘から私に向かって流れ込み、剣身を大剣へと変貌させていた。身の丈ほどのその刃は、バスタードソードと呼ぶのが相応しい。

 この魔力のポテンシャルは……。

 ——歴戦の勇者に匹敵するレベルだぞ!

 男たちが先に動いた。

 二人は散開すると、わずかなタイムラグを作りながらイリアに向かって一足飛びに襲いかかった。たかが小娘一人にこの戦い方。

「うれしいね……!」

 左の男の方が速い。魔力強化で壊されない自信があるのだろう、男はトンファーをこちらの肩口目掛けてコンパクトな動作で振り下ろした。

「ファング……!」

 こちらは真下から切先を振り上げる。鈍い炸裂音が響き、はたして男のトンファーの方が中央からへしゃげるように折れ曲がった。

「な……⁉︎」

 エーテルを帯びた武器同士による戦闘は、魔力とフィジカルの乗算で決まる。肉体の強さだけで勝敗が決まるというわけではないということだ。

 上空へ武器を弾かれ、がら空きになった男の脇腹へ、捻転をたっぷり効かせた半回転の一撃を叩き込む。肉ごと骨が砕ける感触の後、男は蛙のような悲鳴を上げながらその場へ倒れ込んだ。「斬量」を限りなくゼロにしてやったのだ、数ヶ月は自力で食べることもできないだろうが、殺されなかっただけありがたく思え。

「セイバー……!」

 返す刀で、逆サイドへ横薙ぎのタイミングを合わせる。すでに振り下ろされていたもう一人の男の大型ナイフは、それで根元から切り離され、持ち手だけの哀れな姿になった。

「く、くそ……!」

「気をつけろ、今度は〝斬れる〟からな」

「ひ……!」

 剣線をVの字に走らせる。男の両手足はスライスされ、血が溢れ、胴体だけの哀れな木偶人形と化した。

「あ……ぁ……!」

 実際には、男の両手足は繋がったままだ。なまじ実力があるが故に、私の剣気で己の結末が先に見えた。

 腰が抜け、仰向けに倒れ込んだ男の顔の横へ、私は剣先を突き立てた。

「や、やめてくれ!」

「女一人に男が二人掛かり。殺される覚悟があると見なす。なぜイリア嬢を攫おうとした? 話せば気まぐれで助けてもらえる確率が上がるかもしれんぞ?」

「頼む! まだ俺たちはしくじったわけじゃない!」

「?」

 話が噛み合わない。

「……!」

 平原の先、森林部の入口付近に気配があった。

 だが、私はそれ以上その気配の痕跡を辿ることはできなかった。倒れた男の頭部が不自然に膨れ上がったからである。

「お……ごぉ……!」

 白目を剥き、苦しそうに呻きながら、男の体は全身が黒く膨れ上がり、人間とは別のものへと変貌した。

 魔獣化。

 だが、どういうことだ? 魔物が人間や動物を喰らい、同化することはある。だが、こいつは明らかに内側から変質した。

「ギャハッ!」

 背後からの一撃を、私は振り向き様に剣を盾にして受け止めた。だが巨獣のテールアタックを受け流すには、イリアの体は軽すぎた。数メートルを吹き飛ばされてしまう。

「ち……!」

 前方に残る両足のラインの後に、土煙が立ち込める。構え直したイリアの前方に、トカゲとカマキリの混合獣——リザードマンティスとなったトンファーの男が四つん這いで奇声を発していた。

 哀れな。可哀想だが、あそこまで同化してはもう助かるまい。

 ——仕方がない。イリア嬢への負担は大きくなるが、魔力の出力を上げるか……。

〝いや……〟

 イリアから私へ、感情の欠片が流入した。

 まさか、ありえない。閉じた意識を自分でこじ開けるなど。魔獣を目の当たりにして、意識が覚醒したとでもいうのか?

 ——落ち着け、イリア殿。死にはしない。この程度の相手、物の数ではないのだ。

 だめだ、トランス状態になっている。意識の濁流は一方的で、こちらからのシグナルを一切受けつけない。

 その時、イリアの左手のブレスレットが薄く発光していたことを、私は見逃した。

〝ゼウさんと……〟

「え……?」

〝ゼウさんと裸で◯◯◯って……〟

 ノイズ混じりの彼女の感情は、うまく読み取れなかった。

 主導権が移行する。イリアはマンティスを睨みつけながら、私の柄をきつく握り締めた。白いオーラが私の全身を包み込む。しかし、清らかさの中にいかがわしい波動を感じるのはなぜだ⁉︎

「×××して! ◇◇◇しちゃったりするまではぁッ! 死ねないのよッ!」

 雄叫びを上げたマンティスが、両腕を広げながら地を這うように接近する。両サイドから豪速で迫る黒い鎌をすり抜け、イリアは前方へ深く踏み込んだ。

 大剣は大地を抉りながらマンティスの長く強靭な顎をかち上げ、食い込む。両断には至らないが、裂かれた肉片からエーテルが吐瀉物のように溢れ、あたり一面を黒く塗り潰した。

 イリアは反動を利用して大きくワンステップ後退すると、私を右肩に背負いながら空へ跳躍した。高い。見事な身体強化だ。

 中空で、イリアの深層心理は再び私の中へ流れ込んだ。イリアとゼウがあられもない姿でくんずほぐれつしているけしからんイメージが走馬灯のように駆け巡り、妙な高揚感に包み込まれていく。

 ——これが、恋。

 これが人間の愛なのか!

「おぉりゃあぁぁァァァーッ!」

 前方へたっぷり二回転を加えた重力落下に乗せて、イリアは地上でのたうつマンティスへ渾身の斬撃を叩き込んだ。

 刹那——。

 ズッ! ドッ! と周辺の大地が激しく振動し、ブレイドを中心に巨大な白い魔力の円柱が発生した。それは断末魔の悲鳴ごと叩き斬られたマンティスを呑み込み、遥か上空の雲をも引き裂きながら天へと昇っていった。

 す……。

 すごい技出ちゃった……。

 えぇ〜なにこれぇ。こんな快感初めて。

「はぁ……はぁ……」

 イリアはそのまま、変異していくもう一人の男の方へと構えを向けた。こちらは爬虫類が主体のリザードマンタイプだが、先ほどのマンティスよりも口が異様に長い。

 踏み込もうとしたイリアの両膝は、そこでカクンと折れ曲がってしまった。

「え……?」

 魔力を使い果たしたのだ。コントロールがまるでできていない。私の剣身も短剣へ戻ってしまっている。

「キシャアァァァッ!」

 完全に異形の者へと姿を変えた男は、弱った獲物を前に歓喜の雄叫びを上げた。

 非常にマズい。イリアはすでに意識を失いかけている。対抗する手段がない。

 大口を開け、口内の鋭い無数の牙を剥き出しにしてイリアへ飛びかかろうとしたリザードマンは、しかし真横へ吹き飛び、激しく横転した。

 顔部にあたる機関があるわけではないが、私は安堵のため息を吐き出したい気分だった。

 ——遅いぞ、ゼウ。

「この状況……?」

 跳び足刀から着地したゼウは、暴れながら起き上がるリザードマンよりも素早くローブを脱ぎ捨て、イリアを抱き上げて大きく後退した。その残像を掴むように、リザードマンのバイティングが空を切る。

 ゼウの双眸が鋭く獲物を捕捉した。魔獣はさらに突進してくる。

「爆……」

 ゼウの眼前で、リザードマンの側頭部がボコホゴと膨れ上がり、醜く爆ぜた。先ほどゼウが蹴り込んだ部位だ。

「ギジャアァッ!」

 これだ。

 エンチャントアローではないゼウの徒手空拳が魔物に有効なのは、内部破壊を旨とする特殊な格闘術による。

 ゼウの打撃は、相手の魔力の循環を狂わせる。魔物にとってのエーテルとは、血液のようなものだ。血流を堰き止められれば、行き場を失った魔力は暴走・暴発する。

 魔力を扱えない人間が編み出した賢しい術のひとつだが、ゼウの戦闘を見るにつけ、なかなかどうして侮れない。

「ギャガゥッ!」

 怒り狂った黒い獣は、体を真横に躍動させ、尻尾を鞭のように振り回した。壁のように迫る強靭な尾による追撃を、ゼウは腰を深く沈めた中段突きの掌底で迎撃する。

 激突した瞬間、「ドゥッ!」とリザードマンの全身が縦に跳ねた。衝撃だけがゼウとイリアの後方へと抜けていく。テールアタックは掌底の一撃に阻まれ、その動きを停止していた。

「! ガ……ギャ……⁉︎」

 尻尾が側頭部とは比較にならないほどの大きさに膨れ上がる。その膨張は凄まじい速度で全身へと広がって、魔獣をただの黒い肉塊へと変化させた。

 悲鳴を上げることもできず、リザードマンは爆散した。

 漆黒のエーテルが小雨のように降り注いだ。ゼウはイリアを抱き込みながら地面に膝をつき、彼女を汚さないようにした。

「すまない……」

 黒い沼と化したリザードマンの残骸へ、ゼウは手を合わせる。

 イリアはその様子を、ゼウの腕の中から見上げていた。

「きゅーん」という音がどこかから聞こえる。あ、違った。イリアが自分の口から洩らしていた。頬は薄く紅潮し、ゼウを見つめる潤んだ瞳はバチバチと煌めいている。初めて知った、人間は恋というものをすると目から火花を出すらしい。

「え……? あ……」

 所謂〝お姫様抱っこ〟をしていることに気づいて、ゼウは慌てて目線を逸らした。エーテルまみれの地面へ降ろすわけにもいかず、目を泳がせている。

 いける。いけるぞ。

 この二人となら、かつてどの勇者も成し得なかったラグナ大陸の遥か彼方、遠く海を超えた先にあるというヨーフラシア大陸への冒険と、「人間の子作りを知る」というふたつの夢を同時に叶えられる。

 歓喜に打ち震える私の横で、イリアは「るびりぱや〜ん」とわけのわからない言葉を発していた。

 ……まぁ、ゼウに対するイリア嬢の挙動がおかしな気がしないでもないが……。

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