第5話

「これ、差し入れですっ」

 イリアから手渡された包みに、ゼウはポカンと口を開けた。

「携行用のお菓子、作ってみたんです。あのぉ〜、ほら、お仕事してる人用に、お店でもテイクアウトメニューで出そうかなと思ってて、ですね……試食してくれるとうれしいかなって……。よかったら、お腹が空いた時にでも食べてみてください」

 おそらくほとんど取って付けた話なのだろう、言い訳を並べ立てながら、イリアはもじもじと目線を逸らした。これを届けるためだけに、わざわざ壁の外まで来たのか。

 ヒナはイリアの後方から顔を覗かせ、ヒューヒューと口だけ動かしてゼウを囃し立てている。

「じゃあ、あの……遠慮なく、いただきます」

 ボソボソと呟くゼウの声が聞こえたらしい、イリアははにかんだような笑顔を見せた。

「討伐祭、がんばってくださいね! 終わったら……夕食、待ってますから……」

 一度リンクした影響からか、私はイリアの機微の変化が気になっていた。

 笑顔の奥に翳りが見える。ゼウはそのことに気づいているだろうか?

 事件についての事情聴取の後、ゼウからの警護の申し出を、イリアは断っていた。眠らされた後の記憶が一切ないらしいイリアに、ゼウもまたそれ以上強くは言わなかったのだが、彼女の態度は誘拐されかけたという事実と矛盾していた。

 街中で身の危険に晒されたのだ。攫われる理由について覚えがないにしても、警戒をしないというのは解せない。

「そろそろ、よろしいですか?」

 ヒナが準備をしている屋台の脇で待機していた男が、ゼウとヒナの間に割り込んだ。

 胸当てにロングソードで武装している。快活そうな顔立ちと、まっすぐ力強い視線。名をアルトというらしい。

 アルトの胸当てには、ダリア騎士団と双璧をなす軍隊「レオ師団」の象徴であるライオンのマークが刻印されていた。

 取り調べを担当した憲兵に、ゼウが頼んでイリアの護衛に当ててもらった人物だった。理由を問われても誘拐の顛末を知らないゼウには「魔物に襲われないように」としか答えられず、「王都の中には魔物がいないのだから安全だろうが!」と言い張る憲兵と押し問答になった。そこでゼウが騎士団長「ジュデ」の名前を出したところ、王都への確認の後、このアルトが派遣されたというわけである。

 若いが、動きに無駄がない。

 ——できるな、こいつ。

「無理を言ってごめんなさい」

「構いません。私のことはお気になさらず」

 アルトはゼウを直視すると、にっこり笑ってゼウの右手を両手で取った。

「ゼウ・アンダーソンさんですね? お会いできて光栄です」

「?」

 頭にクエッションマークを浮かべたままのゼウに、アルトは声のトーンを落として耳打ちした。

「母がヒルビリーの出身なんです。レオ師団に入団してからはあまり帰れてないんですが、アンダーソンさんの勇名は、オレの生まれた地区では聞かない日はありませんでしたから」

 ヒルビリー……「田舎もの」と名付けられた地区は王都の外れにあり、魔力の素養がない者たちのほとんどはそこで暮らしている。ゼウは毎年の討伐祭でそれなりのスコアを出すので、ヒルビリーの間で英雄視されていたとしても不思議ではない。

「ラーチェルさんのことは任せてください。本当はダリア騎士団の方から人が回せればよかったんですが、討伐祭の警備で人手不足で。隊は違いますが、ジュデ隊長にもきつく言われているので、彼女はこの身に代えてもお守りします」

「ありがとう」

 ゼウはアルトの手を握り返した。

「ふーん。王都の連中なんてキザな差別主義者ばっかりだと思ってたけど、ちゃんとしてるやつもいるじゃん」

 王都外壁沿いの交易街道。わずかに舗装されただけの道をウッド・モビールで走り去っていくイリアとアルトを、ヒナは艶っぽい視線で見送った。

 祭りの賑わいからは少し離れた場所に位置する、ここは討伐祭ベースキャンプの最西端である。

「名家出身のエリートが多いダリア騎士団と違って、レオ師団は実力主義らしいからな。傭兵上がりの人間も多いと聞く。良くも悪くも、思想が偏っていないのだろう」

 私のご高説も無視して、ヒナは可愛らしく口をつんと尖らせたままだ。まさか、ハイスクールの男子に振られたばかりだというのに、また男に惚れたわけではあるまいな?

「カラカ遺跡のことは、何かわかったか?」

 ようやくこちらを見たヒナは、首を横に振った。

「新聞に出てた以外のことはなんにも。ド田舎だから、魔物の襲撃にでもあったんじゃないかって、そんくらいしかわかんない。あそこって、フラちゃんに縁のある土地なわけ?」

「まぁ、少しな」

 カラカ遺跡。

 あの小さな洞窟の奥には、唯一肉体を持った魔物の遺骨の一部が埋葬されている。「埋葬」と言ったのは、死してなお魔力が残留した影響で、完全に消失させることができなかったからだ。その魔物を私と共に討伐した勇者であっても、である。

 とはいえ、残ったのはただの骨の一部にすぎない。未熟な者が近づけば多少気分が悪くなる程度で、当時の学者たちが調べても、それ以上の害は観測できなかった。だから祠の奥深くに封印されたのである。

 仮にあれを誰かが持ち出したのだとしても、利用できるような価値はないはずだ。

「……?」

 私の声が聞こえないゼウは、私とヒナのやり取りに首を傾げていた。いつものことだ。

 その時、王都の城壁内から大きな歓声が上がった。外壁上部に設置された巨大なディスプレイを、討伐祭の参加者たちが一斉に振り返る。

 眼前に広がる王都北部の大平原が、これから始まる討伐祭の主戦場となる。目視で確認できるだけでも相当数の魔物が魔除けのフィールド一枚隔てた向こう側を徘徊している状況で、直線一キロの距離に並ぶ参加者たちがそれらに背を向ける光景は壮観でもあり、どこか間抜けな瞬間でもあった。

 ディスプレイには公室からダリア王が手を振っている様子が映し出されていた。人当たりはいいが気の弱そうな初老のその男は二世にあたり、お世辞にも政治能力が高いとは言えない。この国の財政を支えているのは、討伐祭に代表される豊富なエーテル資源の採集と近隣諸国への輸出産業であり、国王はほとんどお飾りに過ぎない。実際にダリア王国の執政を取り仕切っているのは、国王の隣に佇むアシェッド・サーペンタインである。

 国全体のエーテルを管理・研究する魔力省のトップだ。細身の長身に、高い鼻。メガネの奥の冷たい瞳からは、ほとんど感情が読みとれない。

 そのアシェッドが口を開いた。

《皆、知っての通りではあるが、この討伐祭で採集したエーテルの課税は免除される。これは王都民に限定されない。国外からの参加者にも適用される。我らがダリア王の御慈悲である》

 今度は外壁沿いの荒くれ者たちから歓声が上がった。高いからな、エーテルに課される税金は。

《今年は特に魔物の出没が顕著な年だ。北部平原の魔物の撲滅は、近隣国家と交易を行なう国民の安全確保の側面もある。催事ではあるが、国家事業の一端を担う自覚を持って、事に当たってもらいたい。諸君らの健闘に期待している。以上だ》

 アシェッドが下がると、王を挟んで逆サイドにいたジュデが前に出た。

《ダリア騎士団長のジュデ・ランバートです。討伐祭は一ヶ月の長きに渡りますが、王都の安全は我らダリア騎士団が保証します。事前告知通り、五分後に防衛線のフィールドを王都外壁沿いまで下げます。参加者各員は戦闘の準備をお願いします。誓約書に従い、命を落としても亡骸の確保・供養について、ダリア王国は一切の責任を持ちません。今一度、装備等確認の上、討伐祭への参加をお願いします》

 そこでモニターが暗転した後、五分間のカウントダウン表示に切り替わった。あのモニターもエーテルで動くらしい。便利な世の中になったものだ。

「雲の上に何かあんのかい?」

 各自が準備を急ぐ中、右上から野太い声が響いて、空を見上げていたゼウは振り返った。

 ゼウの身長の二倍はある人型のアーマー・モビール。エーテルで変異した大型甲殻類の背甲を加工し、繋ぎ合わせたマシンだ。主に建築土木の分野で使われることが多いが、魔物との戦闘で使用する者もいる。駆動系はやはりエーテルで賄うので、魔物と組み合うのにも有用だろう。

「いや……なんでもない」

 ゼウは言葉を濁した。

 上空にはフィールドで薄く歪んだ青空が見えるだけだ。

 ゼウが感じた違和感はなんだ?

「いい機体だな。いくらなら売る?」

 ゼウの返しに、マシンの中央から顔だけ覗かせたスキンヘッドの男はニヤリと笑ってみせた。

「リースなんでね、ちょっと売れねぇな。お偉いさんは安全な場所からいい気なもんだが、こっちは生活がかかってるんだ。死ぬ気でやるが、死なねぇようにしねぇとな」

 ゼウは小さく笑って頷いた。笑顔が気持ち悪い。やはりこいつは笑うのが極端に下手である。

 そこで男は、ゼウの身なりに気づいて気の毒そうに見下ろした。

「あんた、その装備でホントに大丈夫かい?」

 男の言わんとしていることもわかる。ゼウは背中のバックパック以外は防具すらつけていないのだ。おまけに腰には可愛らしいリボンで装飾された短剣が一本。私に眼球があれば血の涙を流しただろう。もっと言ってやってくれ。

「さっきお偉いさんも言ってたが、今年は魔物の量が異常だぜ。にいちゃんも、そんな装備で無理だけはすんなよ」

 お先、と言い残して、男はアーマー・モビールを前進させた。城壁の向こう側まで、ほとんどの参加者は前に出ている。城壁沿いに残っているのは、チームで参加しているバックアップの人間くらいだ。討伐祭の期間は長い。外壁中央のベースキャンプで、フロントの人間の帰りを待つ者たちもいる。

「じゃあ、俺もそろそろ……」

 振り返ったゼウは、ヒナの屋台を見て上げかけていた右手を下ろした。

 いつの間にかヒナの出店には人だかりができていて、緊張感のない黄色い声が飛び交っていた。

「お腹が空いた時に一石二鳥、ヒナちゃん特製エーテル弁当、小腹が空いた時用のエーテルまんじゅうに、エーテルキャンディーもありますよ〜。今ならヒナちゃんとの仲良しツーショット写真撮影券付きですぅ♪」

「うおぉーッ! エーテル弁当ひとつッ!」

「こっちは全種類ひとつずつだッ!」

「ヒナちゃあぁーんッ!」

「みんな落ち着いてくださ〜い。うれしいけど、そんなにがっつかれたらヒナ困っちゃうぅ」

「……………」

 商魂逞しいとはこのことだが、死んだ魚のような目で屋台の方を見ているゼウが不憫である。

《時間です》

 カウントダウンが終わり、モニターに再びジュデが映し出される。魔除けのフィールドが、北部平原の彼方から境界線を狭めてくるのが見えた。

《それではこれより、討伐祭を開催……》

 ジュデが宣誓を終えるよりも先に、中央の辺りから炸裂音が響き渡り、外壁周辺の参加者たちの間にどよめきが起こった。

 斬撃が地面を走った。発生した地鳴りと烈風が前方にたむろしていた魔物の群れを斬り裂き、吹き飛ばしていく。

「はっはぁッ!」

 全身を重装甲の鎧で覆った髭面の巨漢が、振り下ろした大型の戦斧を肩へ担ぎながら豪快な笑い声を上げる。声が馬鹿でかい。ここまではっきり聞こえてくる。

「レオ師団」団長、バルトガ・フランクフルト。古式ゆかしい伝統的な鎧と、下手足から繰り出す小細工なしの唐竹割り。典型的なパワーファイターだ。

 面白い。ぜひ一手手合わせ願いたいところである。

《困りますね、バルトガさん。師団長ともあろう方が率先して祭りに参加されるなど……》

 モニター越しに叱責するジュデに、バルトガはまたも大声で言い放った。

「やかましいわ、ひよっこがッ! 団員はきっちり周辺の警備に回してある。魔物どもを駆逐してくれば文句はなかろう? 見ておるがいい、半月で狩り尽くしてくれるわ!」

 笑い声を上げながら、バルトガは平原のど真ん中へ向けてまっすぐ前進を始めた。

「おい、ヤバいぞ。このままじゃ取り分が減っちまう」

 色めき立った他の参加者たちがバルトガの後へ続き始める。千人を超える規模の人間が一斉に動きを見せ、王都周辺は一瞬で騒然とした雰囲気となった。

 ——まるで戦だな。

 人間と魔物の命の取り合いを見せ物として、王と民は安全な場所から高見の見物。魔物を一番討伐する戦士は誰か、賭け事まで横行するとも聞いた。

「……悪趣味だよ」

 ゼウはボソリと呟いたが、首を数回横へ振ると、両手を数回思い切り自分の頬へ押し当てた。ゼウもまた、ヒナの学費や生活費を稼がなければならないのだ。綺麗事だけでは生きられない。

「がんばってね、ゼウにぃ!」

 屋台から顔を出したヒナへ、ゼウは小さく手を振った。

「行ってくる」

 二度の屈伸の後、ゼウは駆け出した。

 この後、国家レベルの陰謀に巻き込まれることになるなどとは、ゼウも私も全く考えてはいなかった。

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