第16話




強い風に吹かれながら、大きくなったルツの背中を眺める。



二人乗りのバイクは、いつの間にか山奥を走っていた。






「ルツの、バイク?」


「〝secret service〟だよ」




〝secret service〟



それは、至る所に駐車されている烏の紋章の印字された車やバイクを自由に使えるサービスだ。



独自のネットワークと繋がる端末さえ購入すれば、誰でも鍵を開けることが出来る。



足を付かせない為、利用している人は多いと聞く。



一見怪しくもあるが、あのヨルが利用しても問題ないというくらいだから間違いはないだろう。



 




「‥‥名前、なんて呼んだらいいかな」


「名前?」


「ジャンヌって、謂わば役職名みたいなものだし、ジャンヌの本当の名前じゃないよね」


「‥‥」


「読んでほしい名前とか、ある?」


「‥‥別に」


「そっか。なら、もし嫌じゃなかったらおれの呼びたいように、呼んでもいい?」


「なんて、呼ぶの?」


「え?」


「呼ばれたら、返事をしないといけないから」


「そう‥か。そう、だよね」




照れ臭そうに頭を掻くと、やがてはにかむように笑い普段は見えない八重歯を覗かせる。









「〝ルナ〟」





ーー月、か。


私には、程遠い名前だ。




「ルツ」


「うん、気付いてる」





人の、それも複数の気配がかなりのスピードで近付いてくる。



避ける暇もなく、あっという間に数台のバイクに行手を囲まれた。






「よう、こんな夜中に山奥で逢引きか?」



数多の種類の武器を所持した、如何にもといった男達が下品な笑みで唾を飛ばしながら笑う。






「逢引きって‥‥。それ、死語って知ってるの?オッサン」


「何だガキか。後ろに乗ってんのは女ーーだな」




白の外套は目立つかと思い、ルツから借りていたパーカーのフードを深く被り直し、顔を見られないように下を向くが、フードを掴まれ無理矢理外そうとされそうになる。






「汚い手で彼女に触るな」




運転を疎かにすることなく、器用に男の手を叩くと「ルナ、しっかり掴まっていてね」と静かに耳打ちした。






「口だけじゃなく物分かりも悪い奴みてぇだな。さっさと女を置いて失せろや!」




男が逆上して叫ぶと同時に、速度を倍以上に上げて距離が大きく開いた。







「下ろしてくれたら、私が奴らを」


「大丈夫、任せて」




背後目掛けて煙幕を投げると、颯爽と夜の道を駆け抜けてく。



まるで背中に羽が生えたように、風を切って、どこまで遠くへ。



巣立った雛鳥が、まだ見ぬ大空へ駆けて行くように。








ああ、こうやって巣立っていくんだ。



ルツは、もうとっくに巣から旅立つ準備を終えている。



私という枷が決心を妨げているだけで、もう一人で行けていけるだけの力を持っている。



その枷から解き放ち、後押しすることこそが、私のルツに出来る、最後の役目。



人足が途絶え、廃れた港町。



青いブルーシートの上に、ガラクタ同然の商品らしき物を乱雑に並べただけの市場の一角で、私の手を引いていたルツがふと足を止めた。






「おばあさん、おばあさんってば」


「‥‥何だい。今日はもう店はもう閉めちまったよ」


「それより、おれのあげた毛布はどうしたの?」


「風で飛ばされて海に流されちまったのさ」


「もう、何やってるんだよ。仕方ないなぁ」




アルミシートを被って横になっていた、白髪混じりの素っ気ない老婆はルツと顔見知りのようだ。






「新しい毛布を買ってくるから代わりに店を開けてよ。ルナはここで待っててね」

 



古びた長机に並ぶガラクタ同然の代物。



名前の書いてある使い古された筆箱や解れかかったズボンなど、お世辞にも商品と呼べるような物は見当たらないが、古びた本がずらりと並ぶ中で、一冊の本が目に留まった。












ゆめかな世界せかいへ〟



黄ばんだり破れていたり落書きが書いてあったりと、タダでも売れないであろう中古本の中でこの一冊だけが異質だった。



シュリングも外されておらず、変色も変形もしていない。



手に取ると重みがあって、なによりも目を引くのは、水彩画で描かれた煌びやかで鮮やかで幻想的な夜空と星と海の表紙だった。



「何か見つけた?」



毛布を手にしたルツが絵本を覗き込む。





「ーーこれは」




驚いたように声を上げると、オッドアイの瞳を瞬かせる。






「欲しいの?」

 



欲しい?



まさか、私が物を欲しがるはずがない。



そんな自我は残っていないのに。



それでも、手放すことなく本を眺めていれば見兼ねたルツが「ちょっと借りるね」と受け取るとレジに置く。






「これ、頂戴」


「高いよ、絶版だからね」


「知ってる。しかも新品未開封だなんてよく仕入れたね」


「物に執着しない人には価値なんてあってないようなものだからね」


「それでぼったくったわけか。やるな、ばあさん」


「こんな市場じゃ宝の持ち腐れだからね。無くなって清々するよ」


「家宝にでもすればいいのに。文字が読めなくてもイラストだけで楽しめるって話だし」


「老眼で見えないんだよ」


「ふーん。なら今度は老眼鏡でも買ってきてあげるよ」




じいさんに連絡すると少し離れた距離にいるルツを眺めていると、おばあさんから何かを渡される。






「持っていきな。毛布のお礼だよ」


「それはルツがあげたもので‥‥」


「着たら喜ぶよ、あの子が」




包の中には、何やら服が入っているようだった。



「さあ行こう。じいさんが愛想を尽かして帰っちゃう前に」





上機嫌なルツが、手をとって走り出す。



今日はやけに手を繋いでくる。



まるで、私が離れて行かないよう繋ぎ止めるように。



買ってもらったばかりの絵本を抱えながら、ルツの後に続く。



人に物を貰うなんていつ以来だろ。



自分の立場を思えば受け取るべきではないのだろうが、突き返したところでルツを悲しませるだけだ。



理由はどうであれ、己の罪の贖罪のために不用意に他者を傷付けてはならない。



そう思うこと自体が、私が捨てきれなかった人間である証であり、罪深いのかもしれない。



それでも、今はルツの望み通りに振る舞うことが私の役目だ。



なら、〝その時〟が来るまで、ルツの偶像であろう。






ふと頭上を見上げる。



いつの間にか霧が晴れて、月がよく見える。






ーー今夜は、満月だ。




静まり返った港に、一台のクルーザーが停泊している。



年配の厳格そうな男性が呆れたよう降りてきた。






「‥‥遅いぞ」


「ごめんって、今度釣りに付き合ってあげるから」


「付き合ってやってるのは寧ろ俺のほうだろ。餌の虫にも満足に触れなかった癖に」




会話から二人の気安さが窺える。





「それで、その娘がそうか?」


「うん」


「まさか、実在していたとはな」


「ひっどいな、当たり前でじゃん」


「いいからさっさと乗れ。本来ならこんな時間に船は出さないんだぞ」


「はいはい。ルナ、隙間あるから気を付けてね」



先に船に乗り込むと、滑るからと手を貸してくれた。







「ルナは船は初めて?」


「ーーううん」


「だよね。ちょっと残念だけど、こんなオンボロ船じゃ感動もあったものじゃないよね」


「文句があるなら落とすぞ」


「冗談だって。このくらいでイライラしてたら長生きできないよー?」


「お前は長生きしたいなら、その生意気な口をどうにかしないとその内刺されんぞ」



それからも上機嫌なルツが機関銃のように話し続けていた。無口な男性は操縦をしながらも偶に会話に入り、私は相槌を打つ程度だった。






「騒ぐだけ騒いで寝るとは、相変わらずガキだな」



出航してから1時間が経過すると喋り疲れたのか、コテンと下げた頭を私の肩にのせてそのまま眠ってしまった。



寝心地が悪いのか身じろぎするため膝を貸すと、私の膝を枕代わりに落ち着いてしまったルツの髪を撫でれば気持ち良さそうに微笑んだ。






「話を聞いてる限りじゃ、坊主の想い人かと思っていたが杞憂だったみたいだな。仲の良い姉弟にしか見えん」


「そう、ですか」


「ーーなあ、アンタ」



ホットミルクを手渡してくれた男性が、目を細めながらどこか遠くを見る。









「〝こっち側〟の人間だろ?」


「‥‥」


「匂いがする。幾多なく戦場を潜り抜け大勢の人の死に目に会い、その身を血で染め上げた人間の特有の死臭が」


「‥‥」


「俺も〝そちら側〟にいたからこそ、自然と見えて、感じ取ってしまうんだ」


「‥‥」


「‥‥なあ、老害の戯言と思って適当に聞き流してくれ。アンタは、正義だの悪だの、そんなものが本当に存在すると思うか?」


「‥‥」


「仮に存在するのなら、その境界線はどこにあると思う?」


「‥‥」


「生きる為に罪を背負うことは愚かか?罪の重さを恐れ、抗いもせずに身が朽ちるのを待つのが賢明か?」


「‥‥罪も罰も、人が人である為に決めたルール。だから、人であることを望むのなら、唯一無二の尊き命を奪ってはならない。人である証を、他でも無い人が損失させてはならない。人一人殺めた時点で、例外なく人理じんりからは外れてしまう」


「‥‥」


「‥‥あなたは、罪を償いたいのですか?償えると、思うのですか?」


「ガタが来て手を引いた身ではあるが、性根は変わっていない。罪滅ぼしなんて偽善ができるタチではない」


「‥‥」


「‥‥それでも、罪の意識は歳を重ねるごとに増していく。力が衰え、地位を捨てた今、この身に残ったのは、老いぼれた体では抱えきれないほどに重く、洗い流しようのない罪だけだった」


「‥‥」


「役目を果たしたら、隠居して気楽に暮らすつもりだった。その為に使い道のない多額な金で無人島を買ったが、失敗だったんだ。一人の時間が増え、することがなく、争いのない場所に身を置いてると妙に頭が冴えてきやがる」


「‥‥」


「懺悔したいとは思えないが、それでも考えてしまう。俺がこの場所を買うだけの金を集める為にどれだけの数の人間を死に追いやり、ささやかな願いさえも踏み躙ってきたのかを」


「‥‥」


「ぐるぐる、考えることもないからずっとそればかりが頭の中を駆けずり回る」


「‥‥」


「それで、遂にはヤクに頼ろうとしたところをコイツにぶん殴られてな。それでも、楽になりたいという思いは変わらない」


「‥‥」


「もう無理だ。俺にはもう、罪を背負って生きるだけの気力はない」


「‥‥あなたは」


「もう懲り懲りだ。ーーこんな、腐り切った世界は。悪虐の限りを尽くす事しか脳のなかったかつての愚かな自分にも」


「‥‥」


「坊主は良いやつだ。こいつの無邪気さで俺も随分と救われた」


「‥‥」


「だから、裏切らないでやってくれ。見捨てないでやってくれ。アンタの為に、無人島を買って幸せにしてあげたいと目を輝かせた坊主の夢を、叶えてやってほしい」












ーー何だろう。



温かくて、柔らかい。



安心する香りがする。



まるで、洗い立ての毛布に包まれているような、心地良くてずっとこうしていたいと思う。






「坊主」



揺れる感覚がなくなると、すぐに聞き慣れた声がして、手放していた意識が引き戻された。






「着いたぞ、起きろ」



いつの間にか眠っていたらしい。



固く閉じていた瞳を開けば、途端に息を呑んだ。





「ジャーールナ」




手を伸ばして、陶器のように白い頬に触れるが反応はない。



身を焦がすほどの美しい黄金の瞳は、そっと閉じられた瞼の中にある。



いつも気を張っている少女が、うたた寝なんて珍しい。



そもそも、寝ている姿を見ること自体が希少だ。



貸してくれていたらしい膝から身を起こすと、上着を脱いで少女の肩にかけた。






「さっさと降りろ。もうじき日付も変わるっていうのに、いつまで付き合わせるつもりだ」


「あ、ごめん」



寝ているところを叩き起こしたこともあり、流石に悪いと少女を抱えると足早に船を降りようとした。






「いっそのこと、閉じ込めてしまえばいい」


「え?」


「その娘をこの場所に連れてくるためだけに、危ない橋を渡りながら、今まで必死に金を稼ぎながら生きてきたんだろう」


「‥‥」


「だったら、何があっても絶対に手放すな。必要なものは全て揃えてある」


「‥‥」


「逃げるようなら、足をへし折ってやればいい。お前には、そのくらいの権利はあるだろ」


「無理だよ」




即答して達観するように笑うと、曇っている空を見上げて溜息を吐く。






「他でもない、この人だけには危害なんて加えられない。ましてや、自分の欲の為になんて死んでも無理だ」


「‥‥」


「‥‥この人は、俺の〝親鳥〟だから」


「‥‥」


「全ての始まりは、この人だった。今のおれを形成する全てのものは、彼女が与えてくれたものだ」


「‥‥」


「人格も、自我も、感情も、温かさも、優しさも、心も、全て」




突如として彗星の如く現れたその人に、ついていきたいと思った。



叶うなら、何処へでも、どこまでも、一緒に。






「彼女に与えられた人生で、彼女を害するくらいなら、おれは迷わずに命を断つよ」


「‥‥」


「全ては、彼女の望むままに」


「‥‥」


「おれの想いなんて、通過点にある弊害程度の価値しかないんだから。踏み潰される為だけに、地面に転がってるだけだよ」


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