第21話




闇に染まり、眠ったように静かな街は次第に人の気配や足音に呑み込まれていった。



廃れた街の路地裏を歩いていた私は、背後から走ってくる2つの足音に耳を傾けて振り返る。



若い男女の疲弊と恐怖で歪んだ顔を見た途端、付けることを躊躇っていた白い仮面を被った。





「ーーた、助けて下さいっ!」



藁にも縋るように、助けを求められる。






「追われてるんです!」


「彼女のお腹の中には、子供がいて!」




必死さの中にも、見え隠れする違和感。



不自然に膨らんだお腹に、言葉の割には特別気遣った様子のない二人。





『逃げたいのなら、逃げればいい』



追手らしき黒装束集団が、視界の奥に映る。






『助ける義理はないが、巻き込まれた以上手を出さずにはいられない』




数多の銃弾を切り裂きながら逃亡を促せば、男女は礼を言わずに駆け出した。








『ーージャンヌダルクっ‼︎』




剣を具現化させた途端、一人の男が集団の中から飛び出してきた。



『転移』と男が唱えると、手にした銃に〝獅子〟の刻印が現れる。






『‥‥能力者』




男の相手をしているうちに、黒装束の集団が男女を追い掛けていくのが見えたが止めることはしない。



能力者がいるということは、〝主〟の一員に違いない。



不思議と洗脳されている様子はないが、銃に迷いがないことから無理強いされているとは思えない。





『おい』


『分かってます。けどっ』


『下がれ』


『嫌です。それに、能力のない俺に価値なんてーー』




その瞬間、何が起こったのか理解することは出来なかった。



男と私の間に割り入ったその人物は、加勢するわけでもなく、能力者を無傷で気絶させたのだ。



片手で男を抱えたまま、戦う意志のない様に立ち尽くす他ない。







『何のつもりだ』




私の存在に気付いてない筈がない。



試しに声を掛けると、道の隅に男を寝かせて向き直る。








「それは、こちらの台詞だ」




機械音から、生身の男の声へと変わる。







「お前は一体、何の目的で動いている」




その声は、どこか聞き覚えのあるものだった。




確か以前にも、同じことを聞いてきた男がいた。




「助けるつもりがあるなら、俺を無視して追いかけていただろう。それに、攻撃を防いだだけで反撃はしてこない」




銃を向けながらも、一向に撃つ気配がない。






「お前には、戦う気がない」


「‥‥それは、あなたも同じ」




声も姿も、偽る必要はない。



男は私の正体を知っている。



私もまた、男を知っている。






「行動原理が少しも見えてこない。ジャンヌダルクは、依頼を受ければ誰彼構わず助けるんじゃないのか?」


「彼らは私がジャンヌダルクとは気付いてない。気付かせるつもりもなかった。それに、依頼を受けていたのは一時の気の迷いに過ぎない」


「‥‥」


「助ける義理はない。ただそれだけのこと」


「‥‥」


「私はただ、彼らの逃げ道に偶然居合わせただけ。巻き込まれる覚えはない。あなたと、戦うつもりもない」



複数の視線を感じる。



やがて現れた男たちの物々しい雰囲気は、彼らの独特のものとは違う。





「異端者を殺せ!」




男たちの肌に刻まれた龍の紋章。



異端と正式に公表された今、私にとってこの世界で安全な場所なんてない。



唯一の逃げ道は、自らの意思で捨て去った。



手配書すら回っているというのに、構わず至ることで〝主〟のアジトに襲撃をかけていればジャンヌダルクからの宣戦布告と判断されて当然だ。



その為、僅かな間でも姿を現せば所構わず即座に襲撃される。



数十人に囲まれながら、大剣で銃弾を跳ね返していると、狙ってもいない男が短い声を上げて他に伏せった。



横目で確認すれば、彼が銃を構えていた。



手を貸してくれるとは思わなかった。



ただの些細な気まぐれか、彼は数回加勢すると能力者の男と共にいつの間にか姿を消していた。



連絡は奴らの間で共有されているだろう。



この場からすぐに立ち去らなければ増員が来てしまう。



路地裏を通って去ろうとすれば、物陰から伸びてきた手に拘束される。



頭に銃を突きつけられても、不思議と防衛本能は働かなかった。







「‥‥どうして、加勢を?」




壁に押し付けて拘束する黒装束の男。



フードの中から覗く、ガラス細工のように澄んだ水色の瞳。







「お前に用があるからだ」


「‥‥拘束されなくても、逃げない」


「信用出来ない。それに、〝前科〟もあるだろう」




知らぬ間に、ストレージリングを奪われていた。



ーーこの男は、本当に一体何者なのだろう。



隙もなく、人間味もなく、得体がしれない。



真正面から戦って勝てるかも怪しい。



異様だ。



数キロ先からの視線も気付くというのに、この男に関しては間近に迫っていても気配を感知できない。



「今更、こんな仮面を付けたところで意味があると?」




男から仮面を外されても抵抗しなかった。



壊すわけでも奪い取るわけでもなく、ただ手に持ったまま私の反応を見ているだけで、その行動の真意は読み取れない。



黄金の瞳に銀色の髪。



そんな異形な姿を目の当たりにしても、男は態度を変えない。






「正体を隠したいなら、白装束と大剣を別のものに変えろ。仮面で隠せるのは、精々お前が〝女〟である事実だけだ」


「正体を隠すつもりはない。それに、勝手に敵が寄って来るから、探す手間が省けて良い」


「正気か?」


「正気なら、初めから主を敵に回さない」




おそらくこの男は、主の反勢力の有力者の一人だろう。



敵対するのは好ましくないが、大人しく逃す気も無さそうだ。



ストレージリングが無くとも、体のあらゆるところに武器は仕込んであるが、男に太刀打ち出来そうなものは精々爆発物くらいしかない。



しかし、こんな狭い場所で爆破させようものなら男の身も保障できず、幾ら治せるとしても能力の消耗が激しい。



「どうしたら、解放してくれる?」


「お前の目的を言え」


「目的を言えば、内容問わず解放してくれる?」


「少なくとも、この場ではな」


「‥‥顔を、見せて」


「は?」


「あなたの顔、見せて」


「‥‥」


「顔も知らない人に、話せない」


「脱がせろ」


「え?」


「手が塞がっている」




両手を拘束していた彼の手が、首元に移動していた。



右手では銃、左手では首を。



僅かでも逃げる素振りを見せれば、即時に頭を撃ち抜くか首を折られるだろう。



解放された手で、彼のフードに触れる。



見たことがあるのは空色の瞳で、知っているのは〝カナセ〟という名前だけだ。



警戒されないように静かに捲れば、あの日見た星空のような金色の髪が現れた。



美しく、気高く、それでいて強者であるが故に孤独な獅子のようだと思った。






「満足か」


「見せて、良かったの?」


「今更だろ」



「私の目的は、あなたとーーいえ、〝あなたたち〟と同じ」


「‥‥」


「〝GRIMM〟の崩壊」


「確かに、正気じゃないな」




彼はあっさりと拘束を解くと、仮面とストレージリングを返してくれた。






「‥‥猫に誑かされていないだろうな」


「猫?」


「いるだろ、黒くて性悪なやつが」


「‥‥」



どうやら彼は、私とヨルの繋がりを知っているようだが、肯定も否定もするわけにはいかない。



認めさえしなければ、私のせいでヨルに被害が及ぶことはないだろう。





「約束通りこの場は見逃す。だが、次は容赦しない」


「待って」





フードを被り、背を向ける彼の服の端を咄嗟に掴んで引き留めていた。






「‥‥おい」


「どうして」




聞かずには、いられなかった。



なぜ気になるのか、自分でも分からない。







「どうして、〝能力〟を使わせなかったの」




〝能力者〟でありながらも、あの青年ほど自我があるのは珍しい。


 

能力者など一般的には利用され、弄ばれ、いつか己の能力に食い殺されるだけの存在だ。



彼は、少なくともあの時だけは、青年の命が溢れていくのを防いだのだ。 



二人の会話からして、ただの部下。それも元は同じ人間でありながらも、世間では下等生物扱いされる〝能力者〟だというのに。




能力者を受け入れる人なんて、同じ能力者かその前提を上回るほどの情を相手に持っているかのどちらかに限られる。





「あなたは能力者を、哀れだと思う?」


「‥‥能力者を、憐れみの対象だと認識したことは一度もない」


「‥‥」


「能力を所持するだけの器を、偶然持ち合わせただけのただの人間だ」


「‥‥」


「だが、その偶然を、呪いだと忌み嫌う風潮は理解出来なくもない」


「‥‥」


「‥‥妙だな。能具使いのお前が、何故能力者の扱いを気にする」


 


能具を使う為には、定期的に武器に能力者の生き血を吸わせる必要がある。



それはつまり、私が能力者を殺しているという事実が含まれるわけで。






「いや、能具使い〝だから〟か」




私が彼を標的にしたと思われても仕方がない。






「アレは近いうちに使い物にならなくなる」


「‥‥」


「〝再生〟の能力者でもなければ、寿命も残り僅かだ」


「‥‥」


「あいつを能具の糧にする対価よりも、俺たちを敵に回す損失の方が大きいだろう」




否定したところで理解されない。



私の言葉を信用するだけの信頼関係は皆無だ。






「これ以上敵を増やしたくなければ、身の程をわきまえろ」


「‥‥」


「お前のような単独で得体の知れない異分子を排除しようとするのは奴らだけではない」



「‥‥殺さなくて、いいの?」




忠告する意味が、あるのだろうか。




今この場で私を殺せば済む話だというのに。






「どうして、見逃すの」


「言っただろ。今回だけだと」


「違う」


「‥‥」


「これが初めてじゃない」


「‥‥」


「それに、私の目的を知ることがあなたの利益になったとも思えない」


「‥‥」


「‥‥分からない」





ああ、頭が回らない。



ここに来て反動が来たのか、頭にモヤが掛かったような状態で自分が何を口走っているのかも分からない。






「どうして、殺さないのか。どうして、まるで‥‥助けるようなことをする、のか」


「‥‥」


「あなたが、分からない」




私と関わっておきながら、害を及ぼすことも、何かを強要することもなく。



川が流れるように、交わることもなくただ通り過ぎるだけの存在が異質に思えてならない。








不意に視界が傾いて、思考が停止する。



瞬きを繰り返すとやがて、空色が間近で私を見ていた。







「おい」




誰かが何かを言っている気がする。



その何かが、私を包み込んでいる気がする。






何かを言おうと口を開くが、声になることもなく意識と共に消えていった。














耳を掠める波の音と潮の匂い。



闇に染まった海は、底なしの沼のようだった。



酷く息を切らしながら、決して離すことのないよう〝何か〟を強く握り締めている。







しかし、どれだけ目を凝らしても繋ぐ手の先には何もない。








感触も、姿形も。



存在さえも感じ取れないというのに。







夢から醒めるその瞬間まで、手を離すことはしなかった。









「やあ、おはよう」




目を開けて真っ先に視界に入った黄色の瞳に眉を寄せる。



締め切ったカーテンの隙間から差し込んだ光が映し出すのは、見知らぬ部屋に、見知った顔。



まるで記憶喪失にでもなったように、自分の状況が理解できずに反射的に頭を抑えた。



そこで、反対側の手が何故か彼の腕を掴んでいることに気がつく。



どおりで距離が近いわけだとすぐに手を離せば、何がおかしいのかヨルが肩を揺らす。






「どう?気分は。珍しく魘されてはいなかったようだけど」


「‥‥説明して」


「最後の記憶は?」


「‥‥あの人が」




そうだ。彼と話している途中で、意識が遠のいて‥‥。






「どうして、ヨルがいるの?」


「君が、よりにもよって彼の前で気を失ったりするからだよ」


「‥‥」


「いつかの夜と、全く同じような状況だね」


「‥‥」


「まあ、今となっては君が何をしようが僕には関係がないんだけど」




目の前に差し出された白い物体を、鉛のように重い体を起こしながら受け取る。





「僕の所有物である彼を無下にするような行為を、咎める権利はあると思うんだ」


「‥‥」


「僕が拾わなければ、今でも虚しく地面に落ちていただろうね」


「‥‥」


「駄目だよ。これは君が持っていなければならないものだ」




軽さに見合わず非常に頑丈な白い仮面。



息もしやすく、視界が良好な割に相手からこちらの容姿に関する一切の情報を遮断する巧妙な造りの仮面は、他でもない私の為だけに作られたものだった。






「これは彼のーールツくんからの餞別だろう?」


「私は」


「ルツくんだから、受け取ったわけじゃないって言いたいんだろ?」


「‥‥」


「これは今の君には必要なものだ」


「‥‥」


「そこに情はない」


「‥‥」


「ルツくんは君にとって、庇護の対象ではなくなったからね」




この仮面は、無人島に行くかなり前から、ヨルに頼んで特注したものらしい。



もしも私が戦う道を選ぶのなら、少しでも力になれるようにと。



呼吸がしやすく、圧迫感がない。軽くて頑丈で、私の素顔を必死に隠してくれる。



まるで、ルツ自身のようだ。





仮面を仕舞おうとしたところで、何かをずっと握り締めていたことに気がつく。



見覚えのない上着をじっと眺めていると、そんな姿を喉を鳴らして笑う。




「ーーなあに、それ。頑なに離そうとしなかったんだけど、どうしたの?」


「‥‥分らない」


「分らないのにずっと握り締めてたの?」


「これ」


「勿論、僕のじゃないよ」




だとすると、考えられる持ち主は1人しかいないわけで。





「〝彼〟は?」


「ん?誰のことかな?」


「‥…」


「なんてね。流石にシラを切るには君はあまりにも彼と関わりすぎた」


「‥‥」


「ああ、質問に答えていなかったね。彼なら君を僕に押し付けて去っていったよ」


「‥‥」


「そのまま引き取ってくれても良かったんだけどね。その方が、僕にとっても都合が良い」


「‥‥」


「ちなみにどう?君的には」


「‥‥何が、言いたいの」


「彼の元に、下る気はない?」


「‥‥本気で言っているの?」


「僕が冗談を言うような人間に見える?」


「‥‥」


「要するに君は、能力者であることを隠したんだろう?それなら、彼ほど適任な相手はいないよ。何せ、彼は自主的に能力者を配下に置いた異端者だからさ」


「‥‥」


「しかも幸いなことに、その能力者は近いうちに使い物にならなくなる。そこで君が彼の後釜に挿げ替えるってわけさ」


「私が組織に属さないのは、それだけが理由じゃない」


「うん、知っているよ、とは言っても、あくまで君から聞いた話から想定した限りではあるけどね」


「‥‥」


「それについても問題ないよ。だって彼らは、君1人が本気を出したところで亀裂さえ入らないような頑丈な組織だからね」


「‥‥」


「君が破滅に追い込んだらしいその組織は、所詮はたった1人の少女の力を持て余した挙句、自滅するような弱い存在だったんだよ」




まるで、全てを見てきたかのような言い分だ。



無理もない。感情も、記憶も、彼からすれば情報という商売道具でしかないのだから。



例え、ヨルがあの場にいたとしても、全く同じ言葉を掛けてくるだろう。








ーーあの日、あの場所で。




何もかもが消し飛んだ荒野に佇む私に、「残念だったね」と。まるで何の意味も成さない文字の羅列をなぞるように。

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