依頼編③ 仇打ち
第7話
「‥‥お願い、します」
変色した傷だらけの腕を差し出される。
「このお金で、あの男を」
シワの寄った札束を押し付けながら、何の躊躇いもなく膝を折って地面に頭を付けた。
「殺して、くださいっ」
元は綺麗な人だったのだろう。
二十代前半の若い女性だった。
それが過去形であるのは、彼女があまりにも痛々しい身なりをしていたからだ。
このお金を貯める為に、一体どれだけその体を捧げてきたのか。
次第に価値がなくなり、痛めつけるだけの玩具に成り下がっても復讐心を糧に身を削り続けたのか。
『お金が大切ですか?』
「‥‥え?」
『私が依頼を受ける条件を、お忘れですか』
「‥‥いえ」
『あなたにとって、自分の命を懸けるくらいにそのお金が大切なのですか?』
「‥‥いいえ。でも、私の大切なものは何も残っていないのです」
「‥‥」
「私の全てを差し出し、人生を賭けてでも幸せにしてあげようとした娘は、穢らわしい男によって酷たらしい目に遭って殺されました」
「‥‥」
「何も、出来なかったんです。命よりも大切だったのに、肝心な時に何もしてあげられなかった」
「‥‥」
「だから、せめて報いを。あの優しい子を残虐に殺したあの男にっーー」
『その代償は?』
「この額で足りないのなら、どんな手を使ってでも稼ぎます!私の命だって捧げます!だから、だからどうかっ!」
『ーーなら、記憶を』
「記、憶‥‥?」
『あなたが身を削ってまでお金を集めたのは、娘様の無念を晴らす為でしょう』
「‥‥」
『だから、今も尚あなたを突き動かし苦しめ続ける娘様の記憶を差し出してください』
「そんな‥‥こと。忘れるだなんて」
『忘れるのです。今すぐには無理でも、いつか』
「‥‥」
『その覚悟があるのなら、依頼は引き受けさせていただきます』
「‥‥」
『出し惜しみすることが何よりの証拠です。大金を用意すればいいという話ではありません、対価が他でもないあなたにとって命を懸けるほどに大切なものでないと意味がないのです』
「‥‥」
『私に拘る必要はありません。対価が払えないのなら、そのお金で他の殺し屋にご依頼下さい』
「‥‥分かり、ました」
「‥‥」
「忘れます。‥‥今すぐは無理でも、男への憎しみと娘への懺悔と共に」
「‥‥」
「あなたが、ジャンヌダルクが、この怨みを晴らしてくださるのならっーー」
◇
道の先から男が歩いてくる。
こんな真夜中に無用心にも一人で、呑気に鼻歌なんて歌いながらほろ酔い気分を楽しんでいるようだ。
フードを脱ぐと、能具である〝カラーリング〟を使用して、髪色と瞳の色を茶色に変え、笑顔を貼り付けて闇の中から姿を現した。
「お兄さん」
「ーーあ?なんだぁ?」
罵声にも近い低いトーンの声色ではあったが、私の姿を見た途端に男の瞳の色が変わる。
全身を舐め回すように眺めると、やがてニヤッと獣じみた顔で笑う。
「へぇ、なかなかいい女じゃないか」
「お兄さん、お金持ち?」
「あ?」
「私ね、お金に困っているの」
男の腕に抱きつきながら、上目遣いで見上げる。
露出させた胸元を押し付ければ、鼻の下を伸ばして息遣いが荒くなるのを感じた。
「ーーだから、ね。幾らでなら買ってくれる?」
「ーーこの俺が女如きに、金なんて払うわけねぇだろうがっ!!」
廃墟に誘い出した男はすぐさま凶変したように高笑いしながら、私を地面に投げ飛ばして襲いかかる。
「散々遊んだ後に、高値でオークションに出してやる。尤も、それまで原型を留めていたら、だけどなぁ?ギャハハハっ!!」
「‥‥」
「この前は楽しかったんだぜ?職を探しているっていう見てくれのいい女がいてなぁ?男と会話するだけで数万稼げるって教えてやったらすぐに食い付きやがった」
〝主〟の人間であれば、公衆の面前で一般人を拉致したところで罰則があるわけでもあるまいし、敢えて遠回しに誘き出したのは少女の心さえも弄ぶ為か。
「組織内でマワシタ後も散々痛め付けたが、手足を切り落としてもなかなか死ななくてよぉ。途中で精神崩壊したのが残念だったが、必死に許しを乞う姿が傑作でな」
「‥‥」
「お前はどうすっかな、そんだけの美貌の持ち主なら手元に置いて家畜にするのも悪くないかもな」
「‥‥」
「死ぬまで可愛がってやるよ。死んだ後も、死体愛好家にでも高値で売りつけてやる」
拷問して吐かせるつもりだったが都合が良い。
服を引き裂かれて乱暴に触られても顔色一つ変えないことが癪に触ったのか、顎を掴まれて顔を上げられた拍子に頬に爪が食い込んだ。
「おい、何とか言えや。恐怖のあまり気を失ってんじゃねぇだろうな。ふざけんじゃねぇぞ、折角の楽しみが半減するだろうが!」
流れ落ちた血が床に染みを作る。
「‥‥もういい」
「あ゛?」
「知りたかった情報は、貴方が勝手に喋ってくれた」
「何訳のわかんねぇこと言ってんだっ!」
髪を鷲掴みにされると、そのまま頭を地面に叩きつけようとする。
ーーだが。
「ーー何っ」
血管の浮き出た腕を掴んで冷たく見据えれば、僅かながらの動揺が窺える。
無理もない。
男は恐らく、酔いが回っているせいもあり殺す勢いで腕を振り上げたというのに、小娘相手に軽々と止められたのだから。
「今、私を殺そうとした?まだ犯してもいないというのに」
「‥‥っ」
「貴方今、酔っ払っているでしょう?」
「だったらなんだ!」
「困る」
「ああ!?」
「これから痛め付けて殺すのに、始まる前から正気を失われていたら話にならない」
「調子に乗るな餓鬼がァ!」
振り上げた脚を躱すと、髪を耳にかけて男が今付けたばかりの傷が治る光景を見せつけた。
「‥‥ま、さか」
暴れられても面倒だ。
動けないよう、素早く両手両足を折ると、男の断末魔が静まり返った廃墟に響く。
すぐに喉元まで布を押し込めば、ぐぐもった呻き声が上がる。
「この程度の痛みで、悲鳴を上げないで」
「‥‥この、化け物っ」
布を吐き出すと、カラーリングの効力が消え銀髪と黄金に戻った瞳を前に、憎悪を込めて睨みつけた。
どうやら、まだ悪態を吐くくらいには余裕があるらしい。
「酔いは、覚めた?」
「どこの回し者だ。殺し屋だったら、こんな回りくどい殺し方は死ねぇはずだ」
「知って、どうするの。仕返しでもするの?貴方は、ここで死ぬのに」
「‥‥」
「指を一本ずつ。まずは手から」
取り出したナイフで指を切り落とせば、目をひん剥いて悶絶した。
「もう一本」
「‥‥ま、待て!待ってくれ!話を聞け!」
「‥‥」
「ふ、復讐だか何だか知らないが。お、俺を殺すと同類になるぞ!」
「‥‥」
「金ならやる!地位も!俺が殺した奴らの遺族にもだ!」
「‥‥」
「だ、だから殺すな。こ、殺さないでくれっ‥‥」
「‥‥」
「頼む」
「どうして?」
「は?」
「楽しいんでしょう?」
「‥‥何が」
「楽しいから、殺したのでしょう?」
少しの間を開けながら数本切る。
今度は舌を切らないように、布を押さえていた。
「私は貴方と同じことをしている。だから同類なのは当然のこと」
折れた足で無様にも逃げようとする男。
具現化させた大剣を目と鼻の先に突き刺せば、流石に怯んだのか動きを止めた。
「‥‥ジャンヌ、ダルク」
これ以上の会話は時間の無駄でしかない。
喉を潰そうとナイフを掲げるが、男はひたすらに喋り続ける。
「この聖人気取りの悪魔が。今の自分の姿を客観視して見ろ。どこからどう見ても、悍ましいだけの人の皮を被った化け物だ」
「‥‥」
「世間でどれだけ持て囃されようと、俺を殺した時点で、お前はただの人殺しだ」
「‥‥」
「今に見てろ。いずれ化けの皮を剥がされて、迫害の果てに溺死することになるだろう」
「‥‥」
「この世界のどこにも、お前みたいな化け物の居場所はねぇんだよ!」
何がそんなに面白いのか。
狂ったように笑い出す男の喉を、害虫でも殺すように潰した。
「羨ましい」
死とは。
なんて、甘美な言葉なのだろうか。
「罪人でありながらも、死を迎えられる貴方が、とても」
◇
人としての形を失った肉塊を冷淡に見下ろす自分は、今しがた手を下した男と何ら変わらない。
〝化け物〟
苦し紛れの死に際の捨て台詞は、男が思っているほどの効力はない。
臓物やら血やら肉の破片やらが飛び散った場所で、返り血を浴びて佇む今の自身の姿など、客観視しなくても化け物染みていることは理解している。
相手がどれだけ極悪非道であったとしても、人殺しを正義だとは思ったことはない。
生まれてきたこと自体が間違いな私が、正しい行いなんて出来るわけがない。
罪を罪だと理解しながらも、許しを乞うことも救いを求めることもしない。
生きている限り、死ぬまで罪を犯し続ける。
その覚悟は、とうの昔に決めている。
今更揺らぐことなど、ありはしない。
「ジャンヌ」
隣のビルに飛び移り、証拠を残さないよう廃墟ごと抹消する為の時限爆弾を設置してすぐのことだった。
「‥‥どう、して」
ここにいるはずのない存在の声がしたのは。
悪意もなく、
敵意もなく、
軽蔑もない、
宝石のように美しく澄んだ瞳。
「ルツが、ここに」
「ジャンヌ」
どこか諭すような、穏やかな声だった。
咄嗟に血だらけの手を背中に隠して、一歩後退する。
「見ていたの?」
「うん」
「最初から?」
「それより、早くここから逃げないと。爆発に巻き込まれてしまう」
「‥‥」
「帰ろう、一緒に」
差し伸ばされたルツの綺麗な手を、穢れきった手で触れるわけにはいかない。
「私が、怖くないの?」
「怖くないよ、少しも」
「‥‥」
「ジャンヌのことでまたあの陰湿ナメクジ野郎と口論になってさ。そしたらあいつが『その目で見てくるといい。君が崇拝する彼女の真の姿を』とか言い出したわけ。ジャンヌの仕事している姿を見て、おれを幻滅させる魂胆だったんだろうけど、この程度でおれたちの関係性は変化したりしないっての」
「‥‥」
「だからさ、一緒に帰って見返してやろうよ。あいつがどんな顔をするのか楽しみだな〜」
雛鳥の刷り込みのようなものだと、いつかヨルが言っていた。
物として扱われてきたルツを偶然にも救い出し、初めて人として扱った私を親のように認識してしまっていると。
人を殺したこともないルツが、あれだけの残酷非道な行いを目の当たりにしても尚、こうしていつものように微笑みかけてくれている。
それが、ルツの言い分が事実であることの何よりの証拠だった。
ーーこのままでは、いけない。
これ以上ルツと関われば、関わってしまえば、きっと取り返しのつかないことになる。
私を介した価値観がルツの中で確立してしまうようなことがあれば、ルツの未来を完全に閉ざす事態にもなり兼ねない。
例え相手が悪人であろうと罪人であろうと、人殺しを正義と思い込んでしまい、万が一にでもこの手を血で染めてしまってはもう遅いのだ。
触れられない。
触れてはいけない。
ルツの綺麗な手を、罪に塗れた私が穢してしまうわけにはーー。
「ーージャンヌっ!」
空気を震わせるほどの爆音に体が反応するよりも早く、浮遊感に包まれていた。
どうやら自分で設定した時間も忘れてしまうほどに、思索に耽ってしまっていたらしい。
気が付いた時には、世の全てに怯えて縋るようにしがみ付いていた頃よりも、随分と大きくなった腕に抱えられていた。
衝撃から守るように、強く抱き締められた腕の中で、無意識のうちに十字架を握り締めていた。
「‥‥ルツ、血が」
「大丈夫。残骸が少し掠っただけだから」
頬を流れる血を拭えば、安心させるように優しく笑う。
ルツは残酷なくらいに優しい子だ。
その優しさを、私は毒に変えてしまう。
「疲れてるよね。おれがアジトまで連れていくから、休んでていいよ」
私に尽くせば尽くすほど、ルツの中の何かが壊れていく。
真水のような心を、私という不純な物で染め上げてしまわないように、突き放さなければ。
すぐにでも、取り返しのつかないことになる。
私と深く関わった人達が、皆等しく破滅を迎えたようにーー。
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