依頼編② 裏切り者

第6話

「悪いな、こんな場所に呼んじまって」




路地裏の壁に背を預けた男がようやく口を開いたかと思えば、言葉の割には一切悪びれた様子はなかった。






「ジャンヌダルクは単独だと聞いていたが?」



私の隣に並ぶルツを警戒するように鋭い目線を向けた。






『今回の件は特例中の特例だ。こちらもそれなりに保険も必要なんだ。納得がいかないのであれば今からでも辞退してもらって構わない』




くくっと、喉を鳴らして男が笑う。





「こちとら素顔を見せ、正体を晒し、地声で話していると言うのに、そっちは姿だけでなく声も聴かせない気か」


『不満か?』


「いや、それだけの慎重さがあるのなら寧ろ信用に値する」


『‥‥』


「それにしてもやはり臭うな、この街は」




男がそういうのも無理もない。

ここは貧困に追いやられた世間から見ても、特に酷い貧民街だ。



ゴミに埋め尽くされた地面にはありとあらゆる生き物の転がり、蠅が集っている。



その中には、人間と思わしき残骸もあった。







『‥‥こんな場所に呼んだのはお前だろ』


「お?何だ、どんな手だれを呼んだのかと思いきやかなり若いみてぇだな」




『そんなだから君は甘いだよ』と誰かが聞いたら小馬鹿にされそうな失態を犯したルツは、静かに舌打ちをした。






「ガキか、それも男。気を付けたほうがいいぞ。お前みたいなタイプは先走って自滅するのがオチだ」


『ツレが失礼をした。本題に入ろう。わざわざ直接面会を求めたくらいだ。相当切羽詰まっているのだろうからな』


「ああ。さもなければ、こんな裏切り行為はしない」



「依頼だが、一人、拐ってきてほしい奴がいるんだ」


『‥‥』


「『検討違いだ』とでも言いたげだな。まあ聞け、対象は一般人。相手にするのは〝主〟だ。だからこそ、他でもないアンタに依頼した」


『‥‥あなたは』


「ああ、ご存知の通り〝主〟の一員だ」


『組織を裏切るつもりか?』


「本気で裏切るつもりだったら、わざわざアンタに依頼したりしない。それに極秘にしなければならない事情がある。俺の立場もそうだが、攫う相手との関係性を知られるわけにはいかない」


『それほどのリスクを背負うほどに、その対象に価値があるのか?』


「‥‥ああ」


『その関係性とやらは何だ』


「‥‥そこまで話す必要が?」


『本来であれば、主側の人間の依頼は受けない。これでも譲歩している。それとも、これがジャンヌダルクを炙り出す陰謀でないという証拠でもあるか?』


「依頼を出す段階で組織の情報を売っている。その裏付けが取れたから請け負ったのだろう。にも関わらずその言い分は、流石にこちら側が不利すぎないか」


「‥‥分かった。なら、こっちも情報を提示してやる」




止める暇もなく、深く被ったフードをルツが颯爽と脱いだ。







「ほう、これは珍しいものを見た」




男はルツの瞳を見て意味ありげに笑う。







「アッドアイか」


「見れば分かるでしょ。で、どうなの?単独が基本のジャンヌダルクが同行人に選んだほどの人物だ。その素顔には、それなりの価値があると思うけど」


「お前みたいなガキに価値があるとも思えんが、ジャンヌダルクの同行人となれば別だな。それに、正体を表すのを止めようとしたところを見る限り、捨て駒でもなさそうだ」




些細な動作で関係性を見破るとは、抜け目のない男だ。







「これを」



渡されたのは一枚の写真だった。



そこには可愛らしい少女が笑顔で映っていた。




 


「へぇー、なかなか可愛いじゃん」


「お前にはやらんぞ」


「は?‥‥まさか」


「俺の娘だ」


「似てなさすぎでしょ」


「うるせぇよ」


「それで?別に自慢する為に見せたわけじゃないでしょ」


「ああ、そいつは今回の誘拐の対象だ」


「‥‥は?」


「先日、俺の所属する組織のボスに拐われてな」


「‥‥は?」


『偶然か?』


「まさか。うちのボスは女好きでな。見た目の良い女を攫っては壊れるまで玩ぶのが趣味なんだ」


「‥‥下衆が。なら、こんな与太話してる暇ないでしょ」


「いや、早すぎても逆に疑われる。内部の仕業だと知られれば、俺の部下も巻き込むことになる」


「それでも親かよ」


「血の繋がりはあるが、縁は切ってある。そもそも父親は死んだと教えられて育っているからな、他人も同然だ」


「なら、なんでそこまでして助けるんだよ」


「さあ?今更情でも芽生えたんじゃねぇのか」


「他人事かよ」


「だから、そう言ってるだろ」


「‥‥」


「飢えに苦しみ、がむしゃらに生き残ろうと惨めにも這いず回った末路が今の俺だ。とっくに見放されている。極秘に金を送っているが汚ねぇ金だ。使いたくもないだろうが、綺麗事を並べて娘を飢え死にさせるわけにもいかないから受け取らざるを得ない。‥‥恨みこそ募るが、感謝なんてしねぇだろ」


「でも、結果的にあんたの金で生き永らえてんなら感謝くらいしろよって思うけどね」


「お前も、人を愛したら分かるさ」


「そういうものなの?」


「そういうもんさ」


「‥‥」


「‥‥そろそろ時間か。それにしても残念だな。敵として遭遇したら、どんな手を使ってでもお前さんの素顔を暴いてやりたいところだったのだが」


『‥‥』


「そう警戒するな。当然そのつもりはない。ただ、あまりにもあんたから〝こちら側の匂い〟がするものでな」


「何それ、どういう意味?」


「正直なところ、ジャンヌダルクなんて、どんな聖人気取りの偽善者かと馬鹿にしていたが、どうやらあんたはそうじゃない」


『‥‥』


「今まで何人殺した?いや、片手で数えれるわけねぇな。軽く3桁は超えてるだろ?でもないと、そんなおどろおどろしい空気感は醸し出せない」


『何が言いたい』


「だってな、善悪問わず相当な人間から恨みを買っているだろ?」


『‥‥』


「あまりに死に纏わり付かれて、お前さん事態が死霊みたいになってんだよ。初見はあまりに正気がなくてな、一瞬人間なのか疑ったくらいだ」


「何が言いたいのが全然分からないけど、ジャンヌを侮辱するのはおれが許さないけど」


「そりゃ、小綺麗な坊主には感じ取れないさ。この感覚は同類にしか分かり合えないもんだ」


『与太話をするつもりはない。依頼は受けるからアジトの内部構造を教えろ』


「悪い悪い、余計な詮索したな」





男が立ち去った後、ルツが「胸糞悪い奴」と吐き捨てるように漏らした。






「‥‥あの男、ヤクの匂いがした」


「この町に用があると言っていたから、売人かも知れない」


「腐っている人間に追い討ちをかけるように快楽を覚えさせて金を絞り尽くす。さすがは主の一味だね」


「‥‥」


「おれの瞳を見た感想が『こりゃ金になるな』だからね。あれ、根っからの悪党だよ」


「それでも、子供を思う気持ちは本物だった。だから私が依頼を受けるのを止めなかったのでしょう」


「まあね。それよりどうかな。おれ、少しは役に立てた?」


「ありがとう、ルツ」




頭を差し出しながら目を輝かせるルツ。



頭を撫でるととても嬉しそうに笑った。



一見不適切に見えるルツの態度だが、こういう場所だからこそ意味がある。



ルツの能力。

私とは違う、自然発症型の異能。



〝人の心を読み取る力〟



言葉だけではなく、人の心の形を読み取ることも出来る。



しかし、それにはある程度の条件がある。



精神力の高すぎる人は、心を読み取ることも声を聞くこともできないのだ。



だからこそ、ルツの砕けた態度で親近感を沸かせある程度警戒心を解かせる必要がある。



怒らせたり動揺させたりするのも効率的だと、ヨルと同じことを言っていた知ればルツは怒るだろう。



ルツを同行させたのは私の意志ではなく、ヨルからの罰でもあったのだが相手が相手だけに連れてきて正解だった。






「あいつ散々見透かしたようなこと言ってきて気味悪かったけど、とんだ節穴だったね。ジャンヌがあいつと同類なわけないじゃん」


「‥‥いいえ、私は」





〝善悪問わず〟




無意識にその単語を思い浮かべながら、首から下げた十字架を握り締めていた。











アジトへの潜入は、依頼主の情報もあって拍子抜けなくらいにすんなりと達成した。



見つからないよう組織員に扮して最善の注意を払い、目的地である地下牢へと入る。






「酷いな」


「‥‥」



対象と思わしき少女は、変わり果てた姿で横たわっていた。



どんな悲惨な目にあったのかは一目瞭然で、あまりに生気がなく死んでいるのかと疑ったくらいだ。







「おれは他の牢屋を開けてくる」


「お願い」



膝をついて、少女に近づく。






「い、いやっーー」



人を過度に恐れ、錯乱しかけたところやむ終えなく気絶させた。







「‥‥ごめんなさい」




毛布で変色した体を包み込めば、抱えて立ち上がった。



冷気の漂う牢屋の中には、数十人の少女達が囚われていた。



目を背けたくなるような姿で生き絶えている者から、精神崩壊して目の焦点の定まっていない者、狂ったように鉄格子に頭を打ち付けている者と、一人として正気を保っている者はいなかった。





「どうする?助けるの?」


「鍵を開ける以外は何もしないでいい」


「そうだよね。逃げたければ自分の足で。おれたちは依頼以上のことはしないし、してはいけない。錠を外したのだって、あくまで対象を悟らせないためのカモフラージュだし」


「一生面倒を見る、或いは生きていけるだけの待遇を用意することも出来ないのに悪戯に手を貸してはいけない」




そう、いつかの恋人達も本来ならそうするべきだった。



ヨルから叱られるのも当然だ。




 




「ジャンヌ」


「‥‥」


「ジャンヌってば」




無意識のうちに鉄格子を凝視していたところを、不思議そうな顔をしたルツに肩に触れられて我に返る。







「そろそろ行かないと、人が来ちゃうよ」


「‥‥そうね」


「〝誰にも見つかるな、誰も殺すな〟って無理を言うよね」


「‥‥」


「その子持とうか?重いでしょ?」


「大丈夫。‥‥寧ろ、軽すぎる」





少女を抱えると、証拠を残さないように最善の注意を払いながらアジトから抜け出した。






「そういえば、今回の報酬は?何も受け取っていなかったけど」


「彼は事前に組織の情報を売っている。初めから依頼に見合うだけの対価は受け取っている」


「それもそうか。それにしても、今回ばかりは良いことした気がするからなんか気分がいいな」


「‥‥」


「いっつも人の腹の中を探るーーいや、おれの場合は覗くというべきか。如何に上手く立ち振舞って優位に立つかばかり考えてるから」


「‥‥」


「なんていうの?こう、純粋な人助けみたいなことするの、偶には悪くないかもね」


「‥‥」


「世間ではジャンヌを救世主みたいに崇めてるけど、分かるなぁ、その気持ち」


「‥‥」


「ジャンヌはさ、ジャンヌダルクとして存在するだけで人の心の支えになっているからね」





まず前提として、私はジャンヌダルクなんかじゃない。



都合が良いから肯定も否定もしない、型に嵌っているだけの偽物に過ぎないのだから。



それはさも、虎の威を借る狐のように。








そして、偽りに染まった虚像はそう遠くないうちに災いを招き寄せることになるだろう。








「人員の振り分け、流石におかしくはないですかね」




青年が先頭を歩く男に話を振るが、予想通り返事はなかった。





「戦力をニ分割ってのは分かりますよ。でも、こっちがカナセさんと俺の二人だけって、幾らなんでも負担が大すぎないですか?」


「上層部からすれば、お前はただの付属品扱いで頭数にも入っていない」


「確かに、俺は能力が本体みたいなものですけど。それなら尚更、カナセさんの方に戦力を回してもいい気が‥‥」




能力者を組織に入れるに際にかなり不利な条件を呑んだという噂だが、自分にそれだけの価値があったのか、正直なところ不思議ではあった。



戦闘においても、さほど頼りにされている実感は得られず、気にするなという方が無理な話だ。



それでも今の今まで追求できずにいるのは、恐らく男の地雷に触れることをそれとなく察しているからだ。






「〝転移〟」




銃を握る箇所に光が灯り、〝獅子〟の紋章が薄らと浮かぶ。



敵の本拠地に入る手前、迷いもなく僅かな生命力を削り能力を行使しようとするが、力を移し終える前に不意にゲンコツを食い不発に終わってしまった。







「‥‥カナセさん」



割と洒落にならない程度に痛む頭をさすりながら、何事もなかったかのように歩みを進める男を小走りで追いかける。







「毎回言ってますけど、手より先に口で言ってくれません?」




敵ならともかく、他でもない己の存在意義からの愛情表現(そう勝手に解釈している)だ。



一周回って慣れ親しんだ痛みは、もはやご褒美にも値する。






「お前は能力に頼りすぎだ」


「能力が本体なのに?」


「使う相手を見極めろ。この程度の相手なら、能力の残り滓に過ぎないお前自身でもそれなりに戦える」

 

「相変わらず高貴な見た目とは裏腹に辛辣ですね」





フードを被り直し、銃を構えて敵地に潜入すると、すぐさま敵に囲まれる。




「背中は任せる」




戦闘中でも変わらぬ冷静な声に、「人使いが荒いですね」と不敵に笑った。













「‥‥は、はは」



男は、目の前に突きつけられる現実に渇いた笑みを浮かべていた。



狂った様に鳴り響く銃声。



敵はたったの二人。



倒れていく部下達。



仲間が銃を構え応戦する中、自分だけ傍観を決め込んでいた。






「そう、か」




数発の銃弾を受け、野田内回るような激痛に声を上げることなく地面に伏せる。



自分の体から溢れ出る血を眺めながら、都合の良すぎる走馬灯を、光を失っていく瞳に映す。






「‥‥これ‥‥が、報い‥‥か」



こうなることは覚悟はしていた。



だがまさか、ここまで早いとは。




〝名も無き集団〟




そんな都市伝説じみた輩によって、死を迎えるとは。



情報屋に組織の情報を売り、ジャンヌダルクが依頼を遂行してすぐに奇襲を受けるとは裏で繋がっていたとしか思えないが、今となってはどうでも良いことだった。



働いていた店が〝主〟に潰されて職を失い、家族を飢え死にさせない為には悪事に手を染めるしかなかった。



妻と捨て、娘とは顔を合わせることもなく、手を汚しながら生きることだけに執着してきた人生がこんな幕引きだなんてもはや自業自得すぎて笑うしかない。



今まで散々娘と同じ歳の女を捕まえてはボスに引き渡しておいて、いざ自分の娘が対象になった途端、組織を裏切ってまで助け出そうとするなんて、都合が良すぎる話だ。



こうして報いを受けるのも当然だろう。



たかがジャンヌダルク一人の信用を得る為に、何も組織を壊滅させてしまうほどの情報を明け渡す必要はなかった。



そもそも、ジャンヌダルクに拘る必要性があったのかすら定かではない。



情報の裏付けが取れた時点で、情報を買い取る方法もあったというのに、そうしなかったのは他ならぬ自身がこの〝終焉〟を待ち望んでいたからだろう。



死後の世界でも来世でも、未来永劫、妻と道を交えることは出来ないだろう。



肉体が滅び魂だけになっても、娘に会いに行くことはしない。



それが、唯一の罪滅ぼしだ。







ーーだから、どうか。



これから娘に降りかかる災いは全て持っていくから。







‥‥どうか、どうか。



娘に、ささやかな幸福があらんことを。

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