第11話





ーー煩わしい。



限界を迎えた体を引き摺りながら森林を彷徨うと、洞穴を見つけて身を潜めるべく足を進める。



その最中、嘔吐感に見舞われ大量の血を吐き出した。



毒々しいほどに赤い色。



他の人と何ら変わりのない、人間の血色。



居所を知られないように念入りに落ち葉や土で隠すと、鉛のように重い体を地面に放った。



寝返りどころが指一本動かせやしない。



忌々しいものだ。



バケモノでありながらも、中途半端に人の形を成している体が煩わしくてならない。



いっそのこと、瞳や髪色だけでなく体ごと異形であればよかったものを。



そうすれば、他者に気にかけられることも依存されることもなかっただろうに。



生憎、思い浮かぶ3人の人物は異形であったとしても臆すことなく接触してきそうではあるが。






特にルツはーーあの子は。



長いこと外界から切り離されて育ったせいで、幼子のように心が純粋だ。



芸術品のように扱われていながらも、人を殺める私の姿を見ても恐ることなくガラス細工のような瞳を輝かせていた。



あの日、あの時。



視線を交えることもなく、大人しく立ち去っていれば。



おぼつかない足取りで、必死に後を追いかけてくる少年を置き去りにしておけば。



もっと違う人生を歩めていたのだろうか。



心優しい誰かに拾われて、幸せになれていたのだろうか。



私のようなバケモノを親だと刷り込んだしまった哀れな雛鳥は、自分の翼で自分の意志で、正しい道へ飛び立てるのだろうか。




全身を針で貫かれたような痛みが走る。



今更、痛みなんて幾らでも耐えることができる。



寧ろ、痛まない時の方が少ないくらいだ。



それでも、体が動かないものはどうしようもない。



この身が滅びる瞬間まで、立ち止まることなく戦い続ければいいものを。



呪われたこの体が思い通りに動かせたことなんて一度もない。



力を使いすぎれば、重石を背負ったように融通が効かなくなり、反動が治るまで身を潜めるしかない。



普段なら、眠らなくても不都合なんてないのに、傷を負えば回復の為体力が削られて眠気がやってくる。



ーー眠りたくなんて、ない。



痛みに苛まれながら眠ってしまっては、夢を見てしまう。












‥‥いや、だ。




夢なんて、過去なんて、見たくないのに。












永遠に続く苦痛の中で、自分の中から何かが失われていくような錯覚を覚えていた。



喉が枯れるまで痛みを訴えても、絶叫しながら助けを求めても。



彼らからすれば、実験動物モルモットがのた打ち回っているに過ぎないだろう。



それどころか、悲鳴を上げれば上がるほどに痛みは強くなっていった。



ただの人間の身であれば、到底耐えることのできない痛みだ。



肉体の為に、精神が狂うほどの激痛。



いっそ死んでしまえたら、どれだけ楽なのだろう。



羨ましい、とすら思ってしまう。



一定の許容範囲を越えれば、絶命することのできる人間が。



死んでもおかしくないーー否。

死ななければおかしい痛みを。



何度も、何度も。

何度も何度も何度も何度も。



『助けて』と血を吐きながら許しを乞い、やがて『殺して』と泣き叫んでいた。






抗うことを選んだのは自分自身なのに。



他でもない自分の意志で、檻を出ることを選んだというのに。





こんな目に合っているのは、自分の弱さのせいだ。



それなのに、どうしてこんなに胸が張り避けそうなくらいに痛むのだろう。



まるで、大切なものを奪われたかのように。



心も体も、同じくらいに痛い。



それが痛みのせいなのか、他の何かなのか。

または、そのどちらもなのか。






やがて、考えることもできなくなっていた。



考えることをやめて、意識を切り離し。



ただただ、終わりが来るのを待ち続けていた。












記憶も感情も感覚も。



都合よく切り離せたらいいのに。



過ちは、己への戒めとして忘れることは許されないだろう。



それでも、足を引っ張るだけの不必要な過去なんて、消してしまった方が使命に没頭できる。



人間であった頃の記憶を失えば、バケモノとして、ただの殺戮兵器に成り下がれるのに。





『能力者だから人間じゃない?人間じゃなくて、化け物だって?君さ、それルツ君を前にしても同じことが言える?』


『能力を言い訳にしているだけだろう。ジャンヌダルクなんて呼ばれ慣れて忘れているかもしれないけれど、君は所詮能力を持っているだけ

の17そこらの少女に過ぎない』





ーー私は、ルツとは違う。



哀れな能力者達とも違う。



私の体に〝IF〟の刻印がないことが、何よりの証。












『君のカミサマは、僕だよ。だって君は、僕のーー』





穢らわしいだけの、醜い体。



被害者面なんて、出来るはずがない。



被害者面をするには、あまりに多くの人の命を奪いすぎた。



今までも、そしてこれからも。





このまま何の成果を上げられないまま朽ちることは許されない。



あまりに釣り合わないだろう。



地獄へ堕ちるくらいで、浮かばれる魂があるとは思えない。






もっと何か、大きなことを。



少しでも、〝主〟にダメージを与えられることをしなければ。







「‥‥あの子」




当てもなく街を徘徊していると、視線の端に黒猫が過ぎる。



見覚えがある、漠然とそう思って後を追えば見慣れた耳飾りに眉を顰める。



それは、黒猫である証。



ヨル以外が付けているところも見たこともないのに、何故猫が?



それにこの黒猫、どこかで会ったことがあるような。



「何チンタラやってんだ!早く酒持ってこい!殺されてぇのか!」


「そうカッカすんなよ。酒が不味くなる。まあ、気持ちは分からんでもないが」


「何でこの俺が待機組なんだ!納得いかねぇっ!」


「今夜の取引、かなりの量の〝ブツ〟が入ってくるらしいからな、上も慎重になってんだよ。寧ろ、変な責任背負わなくて良かったくらいだ。少しでもしくじったら一発でヤられんぞ」


「そりゃそうだが、一番納得できねぇのが、よりにもよって〝あいつ〟が呼ばれたことだ!次四冥王だの過剰に持ち上げられてるだけの、所詮はゴミ屑だろ!」


「配属先が下部組織の中でも底辺だしな」


「俺が待機で奴が重要拠点の守備を任せられるなんて屈辱でしかない!」


「しかも、総責任者って話だぜ」


「ふざけんなよ!ゴミはゴミらしく、ゴミだめでも漁ってろよ!」



 


黒猫が姿を消した先にあった酒場がやけに騒がしい。



酒に酔い、喚き散らす男達。



自分は〝主〟の一員だと高らかに宣言し、酒場でやりたい放題する様に従業員は恐縮していている。



飲み終わったビンを叩き割り、店中の食べ物を食い荒らし、恐怖に怯える若い女性の店員を捕まえて我が物顔で触るその惨状に眉を顰める。



話からして、恐らく武器の密輸、それもかなりの大規模な取引が今夜どこかで行われるらしい。



完全に酔いが回っているのなら、重要な機密情報を喋り散らすのを聞きながら拠点場所の情報を仕入れると、女性への行為が過剰になっていく男達の息の根を人知らずに止めて酒場を後にした。




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