依頼編① 恋人殺し

第4話





陰湿な空気の漂う、人気のない墓地。



墓石の影に身を潜ませていると、恐る恐ると黒い装いの人物が現れる。






「‥‥あなたが、ジャンヌダルクさんですか?」




肯定の意を込め、世間ではジャンヌダルクの象徴とされている大剣を具現化する。



自身の身長と変わらないくらいの剣を常に所持して彷徨く訳にもいかず、普段はとある能力者が開発した擬似空間に物体を収納する指輪、通称〝ストレージリング〟に収納している。



希少価値のある指輪に、大剣を見せられて少しは信用出来たのか、胸を撫で下ろしながら距離を縮めた。






『依頼内容を聞きましょう』




変声機を使って尋ねると、固唾を呑むのが分かった。







「あなたへの依頼は他でもありません」




震える手で服の裾を強く握り締めながら、吐き出すように続ける。









「私の、最愛の恋人を」




切実で深い悲しみを背負った悲痛な声だった。








「殺してほしいんです」


「‥‥」


「一つ、確認してもいいでしょうか」


『構いません』


「あなたは、〝能力者殺し〟ですか?」




〝能力者殺し〟



噂は聞いている。



惨殺が趣味で、人の生き血を啜る灰色の髪の双剣使いの化け物だと。



その正体は人狼か、或いは吸血鬼かと、所謂都市伝説のような扱いをされているようで大して気にも留めていながったが。







『〝能力者殺し〟ではありませんが、能力者を殺したことはあります』


「‥‥そう、ですか」


『何故そんな質問を?』




周囲を念入りに確認すると、胸に手を当てて自身を落ち着かせるように息を吐く。








「ーー彼は、能力者なんです」






〝能力者〟



または〝被験者〟とも呼ばれる存在。



その実態は、かつて〝主〟によって大規模に行われた〝人体強化計画〟ーーつまり〝人体実験〟の被害者だ。



しかし、人智を超えた力を持ちながらも〝能力者〟とは差別用語として使われることが多い。



〝成り損ない〟なんて呼ばれ方もあるくらいだ。



能力が不完全すぎる上に、力に対して対価が大きすぎるのだ。



超人的な力を得るというよりも、あくまで生まれ持った人間の身体能力を人為的な力で底上げしているに過ぎない。



一例としてこんな話がある。



ある者は千里眼を手に入れたもの二度目の使用で失明し、ある者は一度だけ記憶を消す能力を持ち得たが、消した相手の記憶を自分に移すだけという致命的欠陥を持ち、ある者は炎を自由自在に扱う力を一瞬だけ得たが、能力の行使後炎が体に燃え移って焼け死んだという。



そもそも、能力を行使する前に自滅する者の方が多い。何故なら、大抵の者は力を投与された時点で人格崩壊を起こした後錯乱してショック死するからだ。



仮に生き残ったとしても、待っているのは生き地獄でしかない。



能力者を製造していた研究所は全て破壊され実験は凍結されだが、当時生き残った能力者は今も存在する。



その利用価値は、莫大だ。



壊れるまで戦闘兵器として使うもよし、能力者の生き血を定期的に吸収させることで、人智を超えた力を道具に宿して行使できる〝能具〟の糧としても使えるという優れものだ。



今の世の中では、そんな能力者を欲しがる組織も少なくない。



能力者を然るべき機関に引き渡すだけで、一生裕福に暮らせるだけの報酬が貰えるということもあり、懸賞金目当てで狙う者も少なくはない。



〝能力者狩り〟という、能力者を捕まえる専門の組織もあるという。



つまり、能力者は能力だけが危険視されるのではなく、関われば関係者として被害を被るかもしれないという恐れから厄介がられる存在でもあるのだ。


最愛の恋人というほどの相手を殺す理由。



対象が能力者と聞いただけで、ある程度の予想はついた。





「ジャンヌダルクは能具使いだと聞いたので、不快にさせてしまったらすみません」


『‥‥いいえ』


「その言葉を聞けて安心しました。やはり、あなたにしか頼めない」


『‥‥』


「私は彼に恨みがあるわけでも、死を望んでいるわけでもありません」


『‥‥』


「彼がどれほどの〝罪〟を犯したとしても共に背負い、共に滅びる覚悟はあります」


『‥‥』


「彼となら、地獄だろうがどこだろうが死ぬまで付き添う所存です」


『そこまで断言できるのなら、何故依頼を』


「彼は、ーー日向ひなたは、胸が苦しくなるくらいに優しい人なんです」


『‥‥』


「数少ない自分の食べ物を、名も知らない貧しい子供に与えるようなお人好しなんです」


『‥‥』


「そんな彼だからこそ、一刻も早く殺して欲しいんです。能力者殺しのような、私利私欲で惨殺されることは私が耐えられません」


『‥‥』


「救世主と謳われるあなたになら、彼を殺されても仕方ないと割り切ることが出来ます」


『‥‥私は、救世主などではありません』


「それでも、世間からすればあなたは救世主です」


『‥‥』


「悪意に満ちた死神の鎌ではなく、幾度なく悪を捌いてきた聖剣で」


『‥‥』


「‥‥ただの自己満足だと理解しています。あなたが実際に善人であるかどうかは関係ありません。私はただ、彼に少しでも報いてあげたいのです」


『‥‥』


「‥‥結局、何もしてあげられなかったから‥‥」


『‥‥』


「話が逸れてしまいましたね。申し訳ございません。依頼遂行の為、事の経緯をご説明致します。少し、長い話になりますがお付き合い願います」













早くに母親を病で亡くし、二人暮らしの父親は私が邪魔なようだった。



常にいないものとして扱われ、家にも殆どいない。



今の世の中には珍しく、纏まった収入はあるようだが母の墓を作ることもしなかった。



母親の顔すらまともに覚えておらず、父親に対しても特に思うことはなかった。興味が無いのは、私も同じだ。



物心ついた時から感じていたことだが、私は人より感情が乏しいのかもしれない。



一時期は短所のようにも感じていたが、今にして思えばそうでもなければ生きていられなかったのかもしれない。



ーーそして、珍しく父親が帰って来ていた日に、それは起こった。



深夜、部屋で寝ているとやけに玄関が騒がしく目を覚ましたのだ。



声の正体が複数の男のものであることと、何かを壊すような音に、反射的にベットの下に身を潜めた。



そして、暫くして強盗と思わしき男達が私の部屋へと入ってくる。



‥‥変わり果てた姿の父を連れて。



幸いなことに早く気付いて移動したこともあり、布団から体温が消えていて怪しまれることもなかった。



それから三日ほど、男達は家に居座り続けた。



私は必死に息を潜めながら、父親が腐敗していく様子を強盗達がいなくなるまで目の前で見続けていた。


『怖かっただろう。辛かっただろう』




母の働いていたレストランのオーナーにツテがあったのが不幸中の幸いだった。



同情する様に抱き締めて慰められたが、やはり涙は出なかった。



強盗に入られたことは恐ろしかったと思うが、父親が殺されたことには何の悲しみの感情が湧いてこない。



呆然としたまま後始末を全て葉山はやまさんにやってもらい、流されるままにレストランに居候させてもらうことになった。



腐敗臭が鼻に染み付いていること以外は、依然となりも変わらないように感じる。



やはり私は何かが欠落した人間なのかもしれないと改めて思った。



レストランで働かせてもらいながら貯金をして、あくまで他人の葉山さんにこれ以上迷惑を掛けるのは悪いと思い一人暮らしを始めた。



葉山さんは凄くいい人だ。



凄く反対されたけれど、店の近くに住み一人では絶対に出歩かないことを約束させられた。



そして、天涯孤独となってしまった私を心配して、必ず送り迎えをしてくれている。



必要ないとは思いながらも、恩があるので邪険にすることは出来なかった。



一人暮らしを始めた日に、私はナイフで自分の体に大きな傷痕を付けた。



あの日、父親が殺されても泣くこともできなかったことで、一人で生きていくことを決めたのだ。



自分の身は自分の身で守るしかない。

 


こんな欠落した人間だ。今更殺されたところで未練はないが、体まで好きにされるのはごめんだ。



その一心で、自分の身を切り付けた私は異常にすら思えた。




『遅くなってしまったし、雨だから送って行くよ。もう少しで終わるから待っていてくれ』


『いえ、大丈夫です。置き傘を使います』


『だが』


『いつも送っていただいて本当に感謝しています。これ以上迷惑を掛けてしまうのは申し訳ないので、今日くらいは一人で帰ります』




何か言いかけようとしていたが、葉山さんがスタッフに声を掛けられるのを見計らって素早く頭を下げて店を出た。



土砂降りの中を傘を差して歩いところで、一瞬でずぶ濡れになってしまった。



帰り道の路地裏に人だかりができている。



無意識の内にヒソヒソと話し込むわりには動こうとしない通行人の目線の先を辿ると、そこには汚れ切った灰色の病院服のようなものを着て、壁に背凭れ掛かっている男がいた。



訳ありなのは一目瞭然だ。



生死も定かではなく、ボロ雑巾のように傷だらけの男に『大丈夫ですか』の一言も声を掛けるものはいない。



無理もない。



皆、一日を生きるだけで精一杯なのに、他人を気遣う余裕なんてない。



生きることすらままならない腐った世界に、救いを求める方が愚かだ。






『ぅう‥‥あ゛ぁ』




呻き声と共に男が動くと、悲鳴が上がり人だかりが消えた。



人が逃げた先に助けを求めるようにして手を伸ばすと、やがてうつ伏せになって地面を這うようにしてもがくように前へと進む。



しかし、力尽きたのかすぐに動かなくなった。



ーーもういい。



もう、こんな人生なんてどうでもいい。



いつか朽ちる日を待ちながらただ息をしているだけの日々に、何の意味があるのか。



同じだ。



今の私は、腐敗臭を漂わせながら腐っていった父親と大差ない。



ーーなら、いっそ終わらせてやる。



こんなくだらない人生に終止符を打ってやる。



『‥‥あの』


『‥‥』


『‥‥あのっ』




傘を差し出しながら、男の顔を覗き込むようにして屈む。



骨張った肩を擦るが、硬く閉ざされた瞼は微動だにしない。






『‥‥ぁ‥‥あ』



ひとまず生きていることに胸を撫で下ろすが、目が虚で、目の前にいる私を認識しているのかも定かではない。






『私の声が聞こえますか?』


『‥‥ぁ‥ぐ』



掠れ切った苦しげな声に咄嗟に水を差し出すと、突然怯えるように後ずさった。






『ただの水です』




まるで、凶器でも突き付けられたかのような反応だ。



動かない足を引き摺ってまで逃げようとしている。







『言葉を理解できますか?危害を加えるつもりはありません』




先に水を飲んで無害であることを証明するが、態度に変化はない。



もしかして、人そのものが怖いのだろうか。



それに、違和感がある。



まるで、言葉を言葉として理解していないような。



このご時世、文字を書けないことはおかしいことではないが、言葉そのものを理解していないとなると別だ。






『もしかして、どこかから逃げて‥‥?」



再び倒れ込んだ体を支えながら、水を口元に寄せる。





『飲んで下さい』


「‥‥」


『お願いです。あなたを、助けたいんですっ‥‥』





自分でも信じられないような言葉だった。



父親が死にゆく時も、生きてほしいとも助けたいとも思わなかったのに。



見ず知らずの男相手に、どうしてこんなにも心が揺さぶられるのか。



いつか葉山さんにそうしてもらったように、落ち着かせる為に抱き締めると涙に濡れた男の瞳が私を映し、何度か瞬きを繰り返した。






『け‥‥て』


「‥‥はい」


『‥‥たす、けて』





路地裏で、この世の全てに怯えながらも、男は救いを求めていた。



こんな成りでも必死に生きようと、助かろうとしていた。



ーー私とは、違う。



やがて堰を切ったように水を飲む男を支えながら、雨か涙が瞳から零れ落ちていった。







厄介事に葉山さんを巻き込むわけにもいかずに、体を支えると彼が少しずつでも自力で歩いてくれたお陰で何とか家まで連れてくることができた。



隙間風の入る畳4畳の空間に彼を横たわらせると部屋の殆ど埋まってしまった。



食事は起きてからにして、せめて清潔にしてあげようと服を脱がせるとあるものが目に留まる。






『‥‥これは』




右肩辺りにある〝F〟の刻印。



これは恐らく、〝被験者〟である証だ。



年齢は18前後。

私とさほど年齢差はないように見える。



手足は異常なくらいに細く、少し力を加えただけで簡単に折れてしまいそうだ。



今まで最低限生きていられるだけの食事しか与えられていなかったのだろうか。



噂には聞いていた。



能力者となってしまった者の顛末を。



洗脳を受け死ぬまで戦いの武器として戦場に駆り出されるか或いは、能具の糧として幽閉され死ぬまで血を抜かれ続けるか。



恐らく、彼の場合は後者だろう。



人間に対する怯えた方を見るに、とても人を殺したことがあるようには見えない。



そして、不自然なほどに彼の体には傷一つなかった。



発見した時は雨に濡れていた上に泥を被っていたから、傷だらけなように見えただけだろうか。



着ていた服はあちこちが破れて血が染み付いていたのに、それだけが釈然としなかった。





目を覚ました彼は、ベッドの端で身を守るようにして縮こまりながら、ガタガタと身を震わせて怯えていた。



無理もないだろう。



見知らぬ場所に見知らぬ人。



異常なくらいに人に怯える彼が今までどんな扱いを受けてきたのか、予想がついてしまう。





『お腹、空いたでしょう?』



怖がらせないように屈んで彼の目線に合わせると、ぎこちなく微笑んだ。



彼は私の顔を不思議そうにじっと見つめてる。



もしかして生まれて初めてかもしれない自分の笑顔が相当不気味だったのかと落胆したが、彼の目は〝そんな表情は初めて見た〟とでも言いたげできょとんと首を傾げていた。



やがて気を失う前の出来事を思い出したのか、彼の体の震えがおさまった頃を見計らって質素ながらも食事を用意すると、やはり不思議そうな顔をしながらも受け取ってくれた。



辿々しい動作で料理を口にすると、目を瞬かせながらまじまじと料理を凝視する。






『美味しい?』




言葉の意味が分からないのか、困ったように眉を顰めるが私の表情から何となく察してくれたのか何度も何度も頷いてくれた。



途端に空腹を思い出したように料理をかきこむと、時折むせながらも食べ終えた。



最後に出来立ての温かいスープを用意すると、味わうように目を閉じながら静かに涙を流していた。




それから少しずつではあるが、彼と意思疎通ができるようになった。



境遇のせいで推定の年齢よりかなり言動が幼く感じるが、その無垢さが荒んだ心を癒してくれていた。



当時は小動物のようで可愛らしく思っていたと伝えたら、彼は頬を膨らませて拗ねていたけれどその顔がまた可愛くて胸の中が温かくなった。





『名前、なんて言うの?』


『‥‥な、まえ?』


『今までどんなふうに呼ばれてたの?』


『‥‥な、まえ』




言葉はある程度は理解しているようではあるが、話すことは苦手らしい。





『1008』


『え?』


『1008って、よばれてた』


『‥‥それはね、名前じゃないんだよ』


『そう、なの?』




目を丸くして、首を傾げる彼がいじらしく、同時に彼を物のように扱っていた連中に怒りが湧いてくる。





『私はね、日菜ひなって言うの』


『ひ、な?』


『うん』


『ひな。ひなっ』




嬉しそうに何度も呼びながら、子供のようにころころ笑う。今までは自分を指すだけの言葉だったのに、彼に呼ばれるだけで宝物のように感じてしまうのはどうしてだろう。






『良かったら、私があなたの名前を考えてもいい?番号だと、呼ばれる時に寂しいかなって』


『うん、いいよ』


『ーー〝日向ひなた〟は、どうかな?』





キョトンとする彼に、紙に書いてあげると大切そうに抱き締めながら微笑んだ。








『‥‥あり、がと』




喜びに涙ぐむ日向に、あの日救われたのは私の方だったのかもしれない。







『おかえり、日菜』




仕事が終わると、店の外まで温かい笑顔を浮かべた日向がいつものように迎えに来てくれていた。



一年経つと、日向は平均男性くらいの身長まで伸び、会話も普通に出来るようになっていた。



読み書きは未だに得意ではないようだが、自頭が良いのか物覚えがとにかく早い。



単語と単語の組み合わせで有れば手紙も書ける上に、家事全般も得意でかなり助かっている。





『ただいま、日向』


『疲れたでしょ?一緒に帰ろう』


『いつも迎えに来てくれてありがとう』


『こんな遅くまでくたくたになるまで働いてくれているんだから、このくらいはさせてよ。それに、これからは日菜にもっと楽をさせてあげられるようになるから』


『どういうこと?』


『こんなおれでも雇ってくれるところを見つけたんだ」


『‥‥日向』


『今まで苦労させてごめんね。おれ、日菜を幸せにさせてあげられるように頑張るよ』





労るように、優しく包み込んでくれた日向の腕の中はおひさまの匂いがした。



なんて心地良いのだろう。



いつからか、日向の側が私の帰る場所になっていた。



日向が見つけた日払いの仕事は、一日中汗を流して働いても一食分になる程度の給料しか貰えないが、それでも雇ってもらえるだけでも運がいい方だ。



街を少し離れただけで、飢え死にした人の亡骸が転がっているような衰廃した世界だ。大切だと思える人と共にいられるだけで贅沢すぎるくらいだろう。






『おやすみ、いい夢を』




いつからか、私達は同じ布団で眠るようになった。



羽毛布団なんて高価なものがなくても、互いに身を寄せ合えばこうして体温を分け合うことが出来る。



例え隙間風の入る部屋でも、日向と過ごす夜が何よりの安らぎだった。







日向が働きに出てから一緒にいられる時間は減ってしまったけれど、前よりも生活に余裕が出てき働く時間も減らすことが出来て、細すぎて壊してしまいそうだと不安がっていた日向からも、最近ますます綺麗になったとお世辞まで言われてしまった。





『‥‥幸せだね』





寒さに悴む手のひらを繋ぎながら、日向が呟く。働き出して逞しくなった手に何故か緊張してしまうが心地よさは変わらない。




『ずっと、闇の中にいた。虐げられ、飢えに苦しみ、寒さに震えるだけの日々だった』


『‥‥』


『だから、こうして誰かと身を寄せて温もりを分け合うことができることが、心の底から嬉しいよ』


『‥‥私も、日向と出逢わなければ安らぎなんて知らないままだった。これからも、ずっと一緒にいてくれる?』


『うん。死が二人を分つまでずっと一緒にいよう』


『その言い方だと、まるでプロポーズみたいだね』


『そうかな?』


『うん』


『日菜はおれのお嫁さんになってくれるの?』


『恋人でもないのに、いきなりお嫁さん?』


『‥‥嫌?』


『嫌じゃない。私、日向のこと大好きだよ』





最初は弟のように思っていたけれど、今は違う。



男性らしく低くなった声に、逞しい体、私の名前を呼ぶ優しい声色。



何気ない気遣いや思いやりに胸が高鳴って、嬉しくなって。



今まで一度も経験がなかったとはいえ、日向を異性として意識していることは流石に自覚していた。







『ーー嬉しい。おれも大好きだよ、日菜』




日向は瞳に涙を溜めながら、満面の笑みを浮かべて私を強く抱きしめた。



日向の腕に抱かれながらあまりの幸福感に涙を流すと、この日々が永遠に続くことを心の底から祈った。







一緒にいられるだけでいい。



どんなに貧しくても、辛くても、苦しくても。



好きな人と、いつまでも一緒にいられればそれだけでいい。



日向以外は何もいらない。



モノクロだった世界を色付かせてくれた日向という存在が、今の私の全てだ。






『‥‥遅いな、日向』




いつもより遅い帰りに、落ち着かずに家の外をうろうろとしていると、日向が帰ってくる方角が騒がしいことに気づく。



何かあったのだろうか。



不安になって小走りで日向を迎えに行った。



道のはずれに見知った子供がいる。日向と仲の良い女の子。貧しくて、親にもまともに相手にされず、いつもお腹を空かせているから、優しくてお人好しな日向がよく自分の分のご飯を譲っていた。



その子の親と思わしき女性が、柄の悪い男達に詰め寄られると地面に頭を擦り付けながら許しを乞うようにして何かを叫んでいる。



しかし、男達の怒りは加速する一方だ。



〝有り金を全て寄越せ〟だとか〝主様に歯向かうとは何様のつもりだ〟だとかそんなことを口汚く罵っている。



そして、女性はあろうことか自分の子供を差し出した。



女の子が泣いている。何度も何度も、母親に助けを求めている。



しかし、母親は動かない。



男達が女の子を地面に叩きつけて、〝見せ様に殺してやる〟と叫ぶ。



そして私も、その一部始終を目の前で傍観しながら助けようとすることは出来なかった。



だって、知っている。



助けに飛び出したところで、私には何も出来ないことを。



人間というものが、どれだけ脆く、呆気なく死ぬ生き物なのか。



助けられない。そう、諦めて目を閉じようとした視界に、何かが飛び込んでくる。



 




『ーー日向っ‼︎』



男達が銃を放ったと同時に、日向が間に割って入り女の子を覆い被さるようにして抱き締めた。



数多の銃を間近で受け、日向の体が崩れる。



喉が枯れるほど叫びながら、衝動的に日向の元へと走る。



しかし、距離を詰めるよりも早く、血だらけの体でふらつきながらも確かな足取りで立ち上がった。






『ーー悪いけど』





ーー私は、忘れていたのだ。



私にとって、日向は日向でしかなく。

日向以外の他の何者でもなく、失念していた。








『おれは、この程度で死なないよ』




血だらけの体が、目が眩むほどの光で包まれる。



絶え間なく溢れ出る血が、次第に収まっていく。






ーーそうだ。

‥‥そう、だったのだ






日向は、ただの人間ではない。



人の身でありながらも、人ならざぬ力を与えられた、被験者。







『ーーば、化け物っ‼︎』





生きる厄災と呼ばれ、存在するだけで、疎まれ、蔑まれ、迫害される忌まわしき生き物。



〝主〟の産み落とした負の遺産。



かつて、人間には過ぎた力を求めた愚か者の業を背負わさた、この世の全てから憚れる、悲しき能力者。









狂ったように続けて何十発と銃弾を浴びせるが、それでも立ち上がる日向に恐れ慄き、男達が一目散に逃げ出した。






『大丈夫?』


『い、いやっーー』


『‥‥花ちゃん』


『こ、来ないでぇっ!』




日向が心配そうに手を伸ばすと、自分を守るように頭を抱えて座り込む。



それは、命懸けで身を挺して守ってくれた相手にする態度では到底なかった。



仲の良いお兄ちゃんとか、命の恩人だとか、本来であれば最優先される前提が、恐怖により打ち消される。



挙句の果てには、自分を身代わりにした母親の名前を呼びながら駆け出していった。



その背中を眺める日向の瞳には、怒りも悲しみもない。



少し肩を落としながら浮かべた力のない笑みには、諦めの感情が含まれていた。



そして、虚無に染まった瞳で歩き出そうと振り返った瞬間、私の姿を捉えて硬直した。







『ーー日菜』



先ほどとは打って変わり、目を見開いて酷く狼狽しているのが伝わってくる。





『‥‥いつ、から』



何も答えない私に一部始終を見られていたことを悟ると、捨てられることを悟った子犬のように怯え、傷ついたように目を伏せた。







『‥‥ばれちゃったか』


『日向』


『ごめん、ずっと黙ってーー』


『日向っ!』




不自然に言葉を詰まらせると、血を吐き出して足元から崩れ落ちた。



慌てて駆け寄って抱きとめるが、病的に青白い顔色に冷や汗が流れて落ちる。





『いい‥‥んだよ。無理、しなくて』


『何を言って』


『怖い、でしょ。‥‥気持ち、悪いでしょ』


『そんなわけっ』


『だい‥じょうぶ。分かって、るから』


『‥‥何を』


『仕方、ないから。それで、日菜を軽蔑‥‥したり、恨んだりも‥‥しないから』


『‥‥』


『おれを、突き放しても‥‥いいんだよ』


『‥‥』


『‥‥早く、行かないと』


『‥‥』


『追手が、来る前に。この町から‥‥離れないと』


『‥‥』


『日菜にも‥‥町にも、迷惑を‥‥かけるわけにはいかない』


『‥‥』


『今まで騙していて、本当にーーごめん』


『‥‥』


『謝って、許されることじゃないって分かっている。でも、ずっと一緒にいたいって、好きだって言ってもらえて嬉しかった気持ちだけは本物だよ。それだけは信じてほしいなんて‥‥卑怯だよね』


『‥‥』


『化け物の身でありながら、人並みの幸せを手に入れたいなんて欲を抱いてしまったバチが当たったんだよ』


『‥‥』


『‥‥もう、大丈夫。能力の反動で一時的に動けなくなっただけだから、自分の足で立てる。だから、手を離してーー』


『嫌だ』


『日菜』




頑なに目を合わせようとはせず、今にも泣き出しそうな弱々しい声で強がって、必死に笑顔を浮かべようとしている。





『日向は、化け物なんかじゃない』


『ありがとう。そう言ってもらえると、少しは救われる気がする』


『違う、違うよっ‥‥』



同情も憐みも、今の日向にはきっと毒になる。



それでも、伝えなければならない。



伝えなければ、日向は私の元を去ってしまうだろう。





『知っていたの。あなたが能力者だって、出会ったその日には気付いてた』


『‥‥っ』


『体に刻まれた刻印。それは紛れもない、能力者である証でしょ』


『‥‥なら、どうして』


『どうでも良かった。あなたが能力者だろうが化け物だろうが、全部全部、どうでもいい』


『‥‥』


『言葉の綾でも綺麗事でもない。能力者であろうと、私にとっての日向は優しくてお人好しなただの人間よ』


『‥‥』


『私もね、ずっと言えなかったことがあるの。父親が病死したっていうのは嘘で、本当は‥‥強盗に殺された』


『‥‥そんなっ』


『目の前で殺されて腐っていく父を前に、私は泣くこともできなかった。さっきだって、あの女の子が殺されそうな場面に出会しても、どうせ助けられないって簡単に見捨てた。私は、そういう非情で欠落した人間なの』


『‥‥』


『そんな私だから言える。あなたは、自分が能力者だと知られて迫害されるリスクよりも、見知った女の子を助けることを優先するような、誰よりも優しい人間だって』


『‥‥』


『お願いっーー。能力者だからって、人間じゃないからって、仕方がないって決め付けて受け入れて。私から離れようとしないでよっ‥‥』


『‥‥おれ、は』


『日向が能力者なのは、日向のせいじゃないっ。だから怒っていいの、泣いてもいいの、能力者だからって、幸せになることを諦めないでいいの』


『‥‥いい、の?』


『うん』


『おれ‥‥は、日菜の側にいても、いいの?』




初めて出会った時に戻ったような、子供のような辿々しい口調だった。



ようやく交わった視線。



日向の瞳には涙が滲んでいて、縋るような目をしていた。







『愛してる』



冷えた頬を手のひらで包み込んで、そっと微笑むと優しく口づけた。



やがて、衝動的に搔き抱かれ、震える体に包み込まれた。






「私たちは、その日の内に街を出ました。けれど数日と経たずに見つかってしまった。彼は逃亡の過程で能力を使いすぎて次第に疲弊していき限界を感じたのか、潜伏先で遭遇した能力者〝狩り〟に自ら降伏したそうです」


『‥‥』


「彼は能力の代償で自分の寿命が長くないことを悟り、私を守る為に〝生きて〟と書かれたメモを残して姿を消しました」


『‥‥』


「私を生かす為に何も言わずに出ていったことは理解しています。それでも、諦めきれずに必死に彼の所在を探しました」


『‥‥』


「けれど、見つけ出した時にはもう、彼は私の知っている人ではなくなっていました」


『‥‥』


「逃亡したことで洗脳を受け、人を殺すだけの殺人兵器に成り果てていたのです」


『‥‥』


「こうしているうちにも、彼は自分の命を削りながら、人を殺め続けています」


『‥‥』


「能力故に、彼は簡単に死ぬことはできません。だから、他でもないあなたに少しでも早く解放してもらいたいんです」


『‥‥』


「優しい彼が、罪を重ねる前にーー」


『依頼内容は、対象を殺すことで間違いありませんか?』


「‥‥ありません」


『後悔しませんか?』


「それで彼が、少しでも救われるのならっ‥‥」




洗脳を解く方法は存在しないとされている。



主によって一度でも洗脳を受けた人間は、死ぬまで囚われ続ける定めだと。



『既に知っているかと思いますが、依頼を受けるにあたり、依頼主の〝大切なもの〟を対価としていただきます』


「はい」


『事前に身辺調査をしております。相応の代品を見繕うよりお願い致します』


「‥‥これを」




それは分厚い封筒だった。



中には、一般人にしてはそれなりの額が入っていた。





「彼が私に残したお金です」


『これは、あなたの大切なもので間違いありませんか?』


「‥‥」


『重要なのは金銭や希少価値のある物に限りません。このお金は、あなたの命にも等しい代物ですか?』


「‥‥いえ」


『ならば、もう一度問います。あなたの大切なものは?』






暫く考え込むと、震える手で花模様のヘアピンを差し出した。






「安物ですが、彼がくれた唯一の物です」


『分かりました。こちらで引き受けましょう』


「‥‥本当に、それで良いのですか?」


『構いません』


「‥‥」


『依頼の達成について通達を希望しますか?』


「‥‥」


『かしこまりました。では、後に通達を送ります。内容を見るかどうかはお任せ致します』



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