第3話
薬を飲んで眠ると丸3日何があっても絶対に目が覚めず、起き上がるまでに1時間近く掛かってしまう。
けれど、いつもより意識が鮮明になるのが早かったのは、傍で寝入っているルツのお陰だろう。
夜目がきくこともあり、亜麻色の髪から辛うじてルツであること認識できたが、普通の人だとこの暗さでは何一つ見えないだろうに。
保護した当初は、酷く闇を恐れていて必ず明かりをつけて寝るようにしていたくらいだ。
地下室の鍵はヨルの持っている一本しかないから、彼が入れたに違いない。
「ルツ」
「‥‥」
「ルツ、起きて」
戻ってすぐに眠ってしまったから依頼の報告も終わっていないが、深い眠りについているルツに起きる様子はない。
それどころか、腕にぎゅっと抱きつかれてしまった。
ゆっくり休ませてあげたいところではあるが、暗闇に一人で置き去りにするわけにもいかず、起こさないようにそっと抱き上げると、通信機を使ってヨルに鍵を開けてもらうように連絡を入れた。
「こめんね、あまりにも突っかかってくるから鬱陶しくてさ。託児所代わりにぶち込んじゃった。まあ、ルツくん拾ってきたのは君なんだし分かってくれるよね」
「‥‥この子は、闇を恐れる」
「いつの話をしてるのさ。暗闇なんてとっくに克服してるよ。僕ら裏家業の人間は夜こそが活動時間なのに、そんなトラウマも克服できないようだったら仕事なんて出来ないよ」
「‥‥」
「あれからもう2年も経つんだ。身長だってそれなりに伸びたくらいだし」
「‥‥身長?」
ソファーに寝かせながら確認するが、身長に変化があったようには感じない。
「‥‥へぇ」
含み笑いするヨルに引っ掛かりを覚えないわけではないが、他人を不快にさせることを生業としているような男だからと追求はしなかった。
情報屋黒猫のアジトであるこの建物は、一見何の変哲もないバーの跡地だ。
昔は不定期ながらも営業していたらしいが、今はただの名残りで偶に訪ねてくる情報屋の客人にもて成しとして利用する程度らしい。
ヨルが手回しをしているようで、一度も客人とやらと鉢合わせになったことはなかった。
「そうだ、忘れないうちに渡しておくよ」
ヨルの用意してくれた味のしない軽食をとり終えると、故障していたネモフィラのイヤーカフを差し出される。
見かけによらず細工が得意なヨルの手作りで、超小型の通信機と発信機が組み込まれており、この有無で依頼の効率が格段に変わる。
「何、じっと見て。僕の顔なんて今更珍しくもないでしょ」
「どうして」
「うん?」
「どうして、私の居場所が分かったの?」
発信機もなく位置が特定出来ないのに、助太刀に入るタイミングが良すぎる。
「僕こそ聞きたいな、どうしてあんな何の利益にもならない依頼を、雇い主である僕を介さずに勝手に引き受けたのか」
「‥‥」
「2週間に一度は必ずアジトに戻って睡眠を取るって約束を破った困った部下を迎えに行くのは、雇い主としては当然な義務だと思うけどね」
「元々、個人の依頼に切り替えようと考えていたところだったから。あの親子は、ただのきっかけに過ぎない」
「へぇ、今更どうして?」
「‥‥」
「それならいつも通り、主の資金源だの会合だの密輸だのを妨害していた方が、よほど合理的だと思うけど」
「‥‥確かめたいことがあるから」
「それは、僕の知識では教えられないことなのかい?」
「‥‥」
「まあ、いいだろう。対価さえ支払ってくれるのなら口は出さないでおくよ」
「‥‥」
「ところで、一つ質問なんだけど」
「‥‥」
「もしかして、僕が助太刀に入る前に君が対峙していた何者かに顔を見られたりしていないよね?」
「‥‥」
「或いは、その相手の顔を見たりした?」
「お互いにフードを被っていたから」
「そうだよね。軽く小競り合いしたくらいで、顔なんて見える距離じゃなかったよね」
「‥‥いつから」
「ん?なに?」
「いいえ、何でもない」
〝いつか見ていたのか〟と尋ねたところで、ヨルは話を逸らすだけな気がした。
それでも、問いの内容から察することが出来たことはある。
ーー恐らく、私が対峙したあの男は何らかの、有力者だろう。
「君は賢明だね。良くも悪くも」
ヨルが何をどこまで知ってるかは分からないが、どうやら遠回しに口止めをされているように思える。
私が顔を見られたことも、あの男の顔を見たことも、本来ならあってはならないことで、決して他言してはならないと、ヨルの三日月型に細められた黄色の瞳が物語っているようだった。
「依頼の内容は移動しながら聞く」
「別にそんなに急がなくてもいいんじゃない?」
「3日も寝ていたから体が鈍っている」
「それなら地下室を使えばーー」
「悠長にしている暇なんて、ない」
「‥‥」
「そんな時間は、私には許されない」
「‥‥」
「戦わなければ、生きることも許されない」
「ルツくん、君のことを待ってたんだよ」
「‥‥」
「君が目を覚ます時に間に合うように、普通なら1週間は掛かる仕事を3日で終わらせてきたっていうのに、流石に薄情なんじゃない?」
「関係ない。私がルツにしてあげれることなんて一つもない。今までも、これからも」
今更、人間のフリをして誰かに情を抱くことは決してない。
散々人の人生を踏み躙っておいて、たかが一人のためにその足を止めたりしない。
全ては、宿命の為に。
◇
「可哀想に」
男は少女が出て行った扉を見ながら、口元に手を当てて意地悪くクスクスと笑う。
「あの言い分だと、君はまるで路上に転がっている石ころも同然だね」
「‥‥うるさいな」
背後の少年の苦虫を噛み潰したようなぼやきに、肩を上下に揺らす。
「いい加減独り立ちしないと、完全に見捨てられるのは時間の問題だよ」
「そんなこと、分かってるし」
「へぇ、そんな風には見えないけど?」
「おれは別に、ジャンヌに見返りを求めているわけじゃない」
「なら、普通そんな顔しないでしょ」
「‥‥チッ。それより、ジャンヌが顔を見られたってどういうこと?」
「ああ、聞こえてた?安心しなよ、確信がないから聞いたんだし」
「嘘つけ。あれは脅迫だよ」
「脅迫?人聞が悪いこと言わないでほしいな」
「不本意にもお前みたいな性悪のクソ野郎の側にいれば、心が読めなくてもそのくらい分かるんだよ」
「仮にそれが事実だったら何だっていうの?君如きに何が出来る?石ころの癖にさぁ」
「仕事を増やせ。可能な限り」
「‥‥」
「理由は、分かんだろ」
「いいよ。ちょうど暇を持て余していたところだし、無様に足掻く君の醜態でも余興くらいにはなるだろうしね」
◇
「おかりなさ〜い!カナセさんっ!」
忠犬の如く、部屋の入り口でタオルを持って出迎える紫紺の瞳の青年の姿に大きな溜息を吐く。
「‥‥いつから」
「気配がしたので!」
「‥‥」
「雨酷かったでしょう?雨も滴るカナセさんもいいですが、風邪を引かれるわけにもいかないので」
「‥‥」
「ていうか、何かありましたか?いつもは右足から入ってくるのに、今日は左足ですね。もしかして利き足変えました?」
何故勝手に部屋に入っているのかと追い出したいところではあるが、生憎と男は天敵と対面したこともあり頭痛に苛まれていた。
青年の無垢な瞳とあの忌々しい男の髪色が重なることもあり、今は存在そのものを無視することを決めタオルを受け取って風呂場へと進む。
「勿論、お風呂はバッチリ準備してますからね!」
数週間前より一回り小さくなった体でえへんと胸を張る青年に対して、男は全くの無反応だった。
それでも青年に気にした様子がないことから、元々返答には期待していなかったことが見て取れる。
「カナセさーん」
「‥‥」
「もう寝ちゃったですか?」
「‥‥」
「‥‥はぁ」
貴公子然とした容姿の男ではあるが、寝顔はどこぞのお姫様のようだ。
仕事のない日は途端に姿を消し、任務地で合流する事が殆どで、こうして同じ空間にいられるだけで特別だったりする。
男に拾われて数年経つが、未だに生態は謎に包まれている。
好きなもの、嫌いなものは愚か、どこで生まれてどうやって生きてきたのか、何故こんな暗殺集団のような組織に属しているのか、何一つとして知らない。
男の生態を観察することしか趣味がなく、長いこと行動を共にして感じたことは、まるで他人の人生を遠くから眺めてるように全てに対して無関心だということだ。
戦っている時も、青年が機関銃のように話しかけている時も、男の意識は全く別のところに向いている。
「ーー俺は」
いつの間にかぶかぶかになってしまった服の袖を捲ると、不健康な細い腕が露わになる。
何かに力を込めるように目を閉じると、やがて指先から肘までに鎖の刻印が現れて皮膚を覆い尽くした。
「後どのくらい、側にいられるのかな」
この刻印が心臓に到達すれば最期。
首から下げたロケットの中から、ビニールに包まれた一切れの紙を取り出す。
〝
男から与えられたその名は、青年には相応しすぎたのだ。
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