5




夜を駆ける何者かの影が、月光に照らされて映し出される。



意識を取り戻すと、自分を抱える見慣れた男をぼうっと見上げた。






「‥‥ヨル?」



譫言のように呟けば、紫がかった黒髪から感情の見えない黄色の瞳が妖しく光る。






「駄目だよ、ジャンヌちゃん」



どこかわざとらしい声に、作りものじみた軽薄な笑み。






「僕の言いつけは、ちゃんと守ってくれないと。もう仕事を振り分けてあげないよ」



猫のような目を三日月型に細め、冷え切った光を宿す。






「‥‥ごめんなさい」


「謝るくらいなら最初からしないことだね。次同じことをしたら、分かるかな?」




誰よりも冷酷で、甘さなんて持ち合わせていない男だ。



少しでも利用価値がないとみなされれば、あっさりと捨てられるだろう。







「それにしても、君はつくづく悪運が強いよね。僕に拾われたのもそうだけど、よりによって〝彼〟と出会ってしまうなんてさ」


「‥‥」


「反動で僕の言葉すら理解できているのか怪しいね。まあいいよ。君の安全は雇い主である僕が保障する。少し休んでいるといい」


「‥‥ごめん、なさい」





最後の力でそう答えると、少しだけ体の力を抜いた。



そっと目蓋を閉じるが、寝ることはしない。




ーー否、出来ないんだ。



血で染まった情景が、黒で塗りつぶされた記憶が、己を蝕み犯そうとする。



それはまるで、安穏に浸ることは許さないと言わんばかりに。





薄暗い路地裏に降り立つと、その一角にひっそりと建っている建物に入った。



暗闇に包まれる室内を、男は電気も付けずにスタスタと進んでいる。



足を止めると、慣れた様子で地下室へと続く扉の施錠を外した。



そこには小さな部屋があり、無機質なベットが一つだけ置いてある。





「はい、いつもの」




ベットに寝かせると、男はいつものように錠剤を渡した。







「治療は‥‥まあ、君には必要ないか。もう傷口は塞がってるみたいだし」


「‥‥」


「一応着替えは置いておくよ。君の好きにするといい。それじゃあ、おやすみジャンヌちゃん」




返答を聞くことなく男は部屋を出て行った。



その際に、ガチャリと施錠を掛ける音がするが気に留めたりはしない。



わざわざ用意してくれたからと、血で濡れた服を着替えようとするが、薬を飲んだ直後に強烈にやってくる睡魔に抗えなかった。



うつらうつらとしながら、首から下げた十字架のネックレスを握りしめた。



こうして休息を取るのはいつ以来だろう。



ただただ無我夢中に奴らを相手に剣を振るってーー。



血の匂いが今も鼻に残っている。



肉を切る感触が消えない。



命乞いする声、劈くような悲鳴が耳から離れない。





『魔法をかけてあげるよ。〝夢を見ない〟魔法を』




‥‥今だけは。



この瞬間だけは、何もかもを忘れてひと時の休息を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る