DEMISE ー終焉を司る女神ー
佐倉梨子
第1章 煌星ノ刻
邂逅
第1話
少女は絶望していた。
この世界は、これほどまでに残酷なのかと。
見知らぬ男達に連行されている自分は、さながら死刑が執行される前の罪人のようだ。
そんな皮肉が浮かぶが、あながち間違いではないことに嘲笑が漏れた。
これからのことを考えれば、今この瞬間にでも殺された方がマシなのかも知れない。
頭上では、人の気も知らず眩しいくらいに月が輝きを放っている。
ーーまるで、自分を嘲笑うかのように。
心を持たぬ月えさえも、この愚か者を侮辱しているのか。
目障りだーー。
少女は恨めしげに月を睨んだ。
月がこんなに眩しいのは、真夜中だというのに電灯一つなく、廃れた建物が無造作に並んでいるせいだ。
街と呼ぶには、あまりにも質素すぎる。
だが、廃れているのはこの街だけではない。
どこも同じだ。
平和な場所なんて、この世界には存在しないのだ。
「おい、さっさと歩け」
この世の全てから目を背けるように俯いて歩く少女に痺れを切らした男が、背中を強く蹴飛ばした。
視界に火花が散ると背中が焼けるように熱く、あまりの痛みから反射的に蹲る。
固いアスファルトに、少女の吐き出した血が無惨に飛び散った。
「おいおい、大事な商品だろ?」
「大事な商品だぁ?壊して捨てるだけのオモチャなんて、新品だろうが中古品だろうが変わんねぇだろ」
「そうは言ってもよ、綺麗なものほど穢しがいがあるってもんだろ。ボロボロにするためのオモチャをボロボロの状態で売りつける気か?」
「‥‥面倒くせぇな」
吐き捨てるように言い放った男は、今だ倒れたままの少女の髪を掴むと無理やり引きずって歩き出した。
同行人が呆れた声を出すが、男を止める気はさらさらないようだ。
「こんな大した金にもならねぇことに時間を割く暇はねぇ。最近は名もなき集団だの、ジャンヌダルクだの、ワケの分からねぇ連中に邪魔されっぱなしで上の気が立ってる」
「ジャンヌダルクねぇ。そんなやつ本当に実在するのか?」
「俺も半信半疑だ。大剣で戦うとかいつの時代だよ。銃弾すら切り刻むらしいぜ。ーー馬鹿馬鹿しい。現実逃避しすぎて現実と空想の判別もつかなくなったゴミどもの虚言なんて聞き流せってんだ」
「ははっ、確かにな。本当に実在するってなら逆に見てみたーー」
唐突に言葉を失った男が、口を開けたまま立ち止まる。
「何間抜け面晒してんだ」
少女を引きずっていた男が不審がり、その視線の先を辿る。
そしてーー。
「嘘‥‥だろ」
荒唐無稽な存在を前に、信じられないとでも言いたげに唇を震わせながら目を見開いた。
ビルの屋上から伸びた影。
白の外套を見に纏う何者かが、粛として佇んでいた。
音もなく、気配もない。
人であるかも定かではないほどに、姿が見えない。
こうして視界に入れても尚、不気味なほどに存在感を感じられない。
白を纏うその様は、まるで幽霊か或いは死神のよう。
そして、唯一目を引くのはその手に持つ大剣だ。
時代錯誤且つ異形な様に正体を窺えることもなく、言葉を失ったまま固唾を呑みことしかできない。
「ジャンヌ‥‥ダルク」
やがて、冷たい夜風が吹き抜けると同時に静かにその名を口にした。
そして、まるでそれが合図とでもいうように、ビルから一瞬にして人影が消える。
「おいっ!どこに行きやがった!」
「早く探せ!」
途端に我に返ると焦ったように、次々と銃を構え出す男達。
だが、電灯もない暗闇の中で音も無く消えた人物を探すのは安易ではない。
ーー逃げるなら、今しかない。
固唾を呑み込んだ少女が、意を決して逃亡を試みると、突如視界が闇に包まれた。
周囲から音が止む。
声が、出ない。
得体の知れない、人かも分からない生き物から視界と口を塞れている状況があまりに恐ろしかった。顎は震え、歯と歯が噛み合わずにヒュッと喉が鳴るだけだ。
布越しに伝わる何者かの陶器のように冷たい手の感触に恐怖という感情に支配される。
『危害を加えるつもりはない』
機械的な声が、耳元で鳴る。
人の声にしてはあまりに無機質だ。変声機のようなものを使っているのか。
喋り方も人物像を特定させないようにわざと淡白にしているらしい。
ーー浮遊感がする。
固く瞑っていた目を開くと、何者かの肩に担がれていた。
『大丈夫。掴まって』
そんな心情を察したのか機械的ではありながらもその声は少し和らいで聞こえた。
だが氷のように硬直した体は、未だに動かず。
冷たいながらも気遣うような手つきで声の主の背中へと腕を回される。
「‥‥ジャンヌ、ダルク?」
近くの建物の屋上に着地すれば、建物同士の間を飛び越えながら駆け出した。
頬に突き刺さすような冷たい風を受けながら、衝動に耐えるようにその体にしがみ付いた。
『‥‥確かに、そう呼ばれている』
噂には聞いていた。
近頃、ジャンヌダルクという正体不明の何者かが〝
都市伝説のようなものだと思っていた。
あの男達が言うように、このどうしようもなく腐り切った世界に救いを求めた人々が作り出した空想上の人物だと。
『自分から名乗ったことは一度もない。いつの間にかそう呼ばれていた』
「わたしを、どこにつれていくの?」
仮にジャンヌダルクが実在していたとして、こうも都合良く救いの手を伸ばされるものか。
この世界は甘くない。
それを身をもって知っている。
自分がこんな目にあったのも、ただ助けを求めてきた人に手を貸しただけ。
今にして思えば、その行動はあまりにも浅はかだった。
結局助けようとした人はその場で殺され、結果的に無関係な母を巻き込んだだけの愚か者を一体、誰が好き好んで助けるとーー。
『待っている』
「え‥‥」
『あなたの、母親が』
耳を、疑った。
「‥‥お、お母さんっ。お母さんは、無事なの?」
尋ねた声は震えていた。
『命に別状はない。でも、右目は治らない』
「治らないって‥‥」
『失明している』
頭を殴られたような衝撃に、少女は言葉を失った。
『骨が何本か折れている。そんな体で、あなたを助けるために走り回っていた』
ーー自分は、なんて馬鹿なことを。
他人を助けようなんてエゴに取り憑かれ、自分の力量すら理解していなかった。
泣く資格なんてないと分かっていながらも、溢れ出した涙は止まることなく、声を上げて泣いていた。
『‥‥大切なものがあるのなら』
いつの間にか警戒心すら忘れ、機械音の中で見え隠れするその人の本来の声に安心感すら覚えていた。
『あなた〝は〟まだやり直せる』
意味深げな物言いをすると足を止め、ビルの屋上の倉庫の裏へと身を潜めた。
耳を
『階段を降りたら、出口から真っ直ぐに走って』
「あなたはっ‥‥」
『敵を引きつける。あなたは、自分の身を守ることだけ考えて』
「でもっ」
『大丈夫、逃げられる。敵の狙いは私。あなたに割く人員は作らせない』
落ち着かせるように頭を撫でると、少女の返答も聞かずに隣のビルへと飛び立った。
やがてジャンヌダルクを追い銃声も一緒に遠ざかっていった。
僅かな間だけこのまま逃げてもいいのかと罪悪感が芽生えるが、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと心に決め、言われた通りにビルの階段を駆け下りた。
◇
どれくらいの時間が経っただろう。
逃した少女が、松葉杖を付いた母親に泣きながら抱きつく姿を一目見ると、より遠くへと敵を引きつけるために駆け抜けたジャンヌダルクからは疲労の色が窺える。
何十という数の敵を倒しても、未だ減る様子はない。
元から目をつけられていたのだろう。こちらを誘い出す為に敢えて人目に付くところで少女を連行していたに違いない。
無理もない。
ここ最近、奴らを相手に手を出し過ぎた。
衝撃や風で外れないようにと固定しているフードを今一度深く被り直す。
あの親子を逃がす為にもここで引くという選択肢は存在しない。
荒い息を吐きながら、繰り返される銃撃に耐えながら反撃していく。
目に付く最後の一人を倒せば、ようやく銃声が止んだ。そして、一瞬だけ息をついた瞬間だった。
突如、体に衝撃が走ると安定感を失ったことで足を踏み外し、無抵抗な体がビルの屋上から急落下していく。
ーー迂闊だった。
いつもなら絶対にしないような失態だ。
敵を討ち漏らした挙句に、他者からの殺気を感知できないなど。
交わす暇もなく数カ所撃ち抜かれると、フードを固定しているつなぎ目が解けてしまった。
やがて落下しながらも気配を探り、対象を冷静かつ明確に体に仕込んだ小型ナイフを放って仕留めると衝撃に備えて目を瞑った。
そこに恐怖という感情はない。
ただ、受け入れるだけだ。
◇
その日、男は非番だった。
非番とはいっても、常に戦闘態勢に入れるよう準備している。
だからといって、こうして運悪く奴らと出くわしてしまえば流石に嫌気も差すものだ。
不幸中の幸いなのは、奴らの相手をしているのが男とは関係のない第三勢力であること。
大剣だけで大勢の敵を凌駕していることから噂に聞くジャンヌダルクのようだ。
介入する理由もなく傍観していると、最後の一人を仕留め損ねたジャンヌダルクが攻撃を受け、よりにもよって目の前に落下してくる。
見過ごすつもりだった。
今ここで死なれたからといって組織としては何の不利益もない。
寧ろ、得体の知れない、敵でも味方でもない輩が消える好機であった。
死にゆく瀬戸際だというのに、雨粒に濡れた葉から雫が零れ落ちるような無抵抗ぶりに眉を顰める。
地面に叩き付けられたその瞬間、ただの肉塊と成り果てるというのに生に執着が無いのか。
幾度なく死の瞬間を目の当たりにしてきた男からすれば、目の前で人一人死のうがどうでもいいことだった。
同情する余地もなく、道を塞ぐのであれば亡骸を踏み潰してでも通る気だった。
ーーしかし。
強風によりフードが外れ、隠された素顔が明らかになる。
髪がはらりと宙を舞う。
腰まで伸びた、月光を浴びて光り輝く銀色の髪は息を呑むほどに美しい。
一瞬だけ覗いた瞳は黄金色で、輝きに相反し酷く虚ろだった。
大人びていながらも僅かに幼さを残した顔からは血の気が引いており、病的なまでに青白い。
化け物と比喩されるほどの力を持っている者の正体が、こんな華奢な少女だと誰が予想できただろう。
男は反射的に両手を広げて、少女を受け止めていた。
そして、その少女の異常さに息を呑む。
その体は、あまりに細く、軽かった。
しんしんと降り積もる雪のように、触れれば簡単に溶けてしまいそうなほどに脆い。
今にでも事切れそうで、微かに繰り返す呼吸がなければ死んでいるのかと疑うほどに、恐ろしく儚いものだったーー。
「この辺りに落ちたそうだ!早く探せ!」
フードを被せながら面倒なことになったと溜息を吐く。
ただでさえ、近頃奴らの気が立っていることで被害を受けているというのに、その元凶を抱え込んでしまっている。
寧ろ、この少女を差し出せば少しは厄介ごとも減るのではないかと名案が浮かんだ。
ーーその時だった。
事切れたかのように気を失っていた少女が動いたと思えば、次の瞬間には容赦なく大剣で斬りかかってきたのだ。
瞬時に体制を整え、少女から距離をとり銃を取り出す。
数発撃ち込めば、少女が後方へと下がった。
だが、反撃しようにも大剣の重さに撃たれた右肩が耐えかねたようで、振り翳す度に血が吹き出している。
それでも、我が身が惜しくないと言わんばかりに怯むことなく真っ向から挑んでくる。
ーーそれはまるで、痛みを感じていないかのように。
流れ出る血はやがて少女の指先まで伝い、振りかざした剣の狙いが大きく外れ宙を斬る。
その隙をつき、無抵抗となった少女に容赦なく
銃口を向ける。
刹那、辺りが闇に包まれた。
黒い煙が視界を塞いでいる。
ーー煙幕か。
土壇場で何者かの助けが入ったようで、視界を取り戻した時には少女は姿を消していた。
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