第14話
「うわぁ、これは酷いですね」
「‥‥」
「散々にヤられてるじゃないですか」
「‥‥」
「なんかめっちゃ綺麗な子ですね。それはもう見たこともないくらいに。‥‥可哀想に、今の世の中見た目が良くてもいいことなんて一個もないですからねぇ」
「‥‥」
「あれ、上着なんて掛けて抱き上げてあげるなんてやっさしい〜。助けたところでどうせ精神がぶっ壊れてるだろうに。どうせなら、俺にその優しさを分けてくださいよ〜」
「‥‥」
「‥‥あ痛っ!両手が塞がってると思って油断してたら足で脛を蹴られた!」
「一々解説するな。どうでもいいが、さっさと撤退するぞ」
「そうですね。アジトも殲滅しましたし、影に預けてさっさと帰りましょう」
「この女は別件だ」
「あれ、影に預けないんすか?」
「言っただろ、横入れがあったと」
「ああ、何か苛々してますもんね、カナセさん。急とはいえ、珍しく召集に遅れ掛けましたし」
「任務中に名前で呼ぶな」
「はーい。なら002、横入れってなんですか?」
「依頼だ。捕えられた女を元の居場所に戻せだと」
「あー、そりゃあ影には渡せないですね」
「‥‥」
「でも、何か違和感無いですか」
「ああ」
「わざわざ元の居場所にって普通言わないですよね。うちの内部事情でも知っていない限り」
「‥‥ようやく眠ったか」
「え、今なんて言いました?」
「何も言っていない、幻聴だ。耳鼻科にでも行ってこい」
「ええっ、絶対嘘ですよね!?しかも無駄に罵倒されてるし、酷いですよカナセさん〜」
◇
ただ時が経つのを待っていた。
能力が回復する頃合いを待ち、万が一能力者であることが気付かれないように〝再生〟の力が発動しないよう抑え込んでいた。
恐らく数日と経たずに敵襲が来て、その混乱に合わせて〝再生〟を使い逃げ出そうとしたが、予想より傷が多すぎてすぐには動けずにいるところに、何者かが現れたのだ。
ーー凄く、いい香りがする。
どこか懐かしいような、優しくて温かい香りだ。
張り詰めていた緊張が、研ぎ澄ましていた神経が、自然と和らいで次第に力が抜けていく。
上手く耳が聞こえず、感覚も掴めず、視界が定まらない。
目を凝らしても、見えるのは黒を纏った人影と、透き通った空色の瞳。
その色を、私は知っていた。
時空が歪む、瞼が重くて、意識が遠のく。
それは、いつものように反動で意識を失う時とは何かが決定的に違かった。
夢を見ずに、強制的に数日眠り続けるヨルの薬を飲んだ時とも違う。
‥‥ああ、これは。
かつて、私が〝人間〟であった頃に、生理現象として毎日味わっていた感覚だ。
長いこと、忘れていた。
これは、〝眠い〟という感覚だ。
遠くで声がする。
素っ気ないようで、気心の知れた会話が。
「それで、今日はどこに行っていたんですか」
「お前には関係ないだろ」
「関係大ありですよ!カナセさんのことだから女はないでしょうし!だってカナセさん、マジで性欲なさそうというか、中性的というか、あんまり性別を感じないというか」
「何が言いたい」
「人間というカテゴリーを逸脱して、神の領域なんですよね。容姿も戦闘能力もそうですけど、ああでも〝あの人〟に比べたらまだ人間味がある方ですよね。まあ俺、実物を見たことはないんですけど」
「‥‥」
「何でしたっけ。素手で首を引きちぎったりとか、受けた銃弾を生身で跳ね返したとか」
「それは幾らなんでも誇張しすぎだ」
「ははっ、そうですよね〜。無能力でそれはあり得ないですよね」
「後半だけだがな」
「え、じゃあ素手でってのはマジですか」
「ああ」
「うっげぇ。正直気持ち悪いですよそれ。猛獣かなんかですか。ああでも、だから〝龍〟なんですね」
「‥‥」
「他にも能力者殺しもいますし、うちって化け物みたいな連中がーー」
「おい」
「え、何ですか?」
「そろそろシャワーでも浴びてこい」
「カナセさんが先に入ってくださいよ。せっかくなら湯でも張って。さっきはその子を連れてたせいでまともに浴びれなかったでしょ?」
「いいから入ってこい」
「え〜、今テレビ見てるのに」
「湯に浸かったら1時間は上がってくるな」
「‥‥何で時間指定?」
「《上》に連絡を入れる。お前はうるさいから邪魔だ」
「ひどい!カナセさんのいけず〜!」
人の気配が消えた。
今のうちにと目隠しをずらして、拘束されている手錠を外そうとする。
何故かバスローブを着ていて、毛布まで掛けられていて、体に不快感もなかった。
どこかの宿泊施設の一室で、二人分のベットとソファーが一つあるくらいの簡易な作りだ。
部屋自体は広くはなく、二人のどちらか片方でも戻ってきたら逃亡は難しいだろう。
幸い、窓の近くのベットに寝かされている為、逃げること自体は難しくなさそうだ。
ただ、特殊な作りをしている手錠を外すのに苦戦する。
音を出さずに神経を使いながら力技でどうにかしようとするが、不自然なくらいに力が入らない。
両手が使えないくらいは大した問題ではない。
足は自由が効く、ならばいっそこの状態のまま窓から飛び降りればーー。
「その状態で飛び降りたら、無様に地面に叩き付けられて死ぬだけだぞ」
いつ、からーー。
声を掛けられるまで、気配に気付かないなんて。
咄嗟に逃亡を図ろうとするが、背後からから羽交い締めにされてベットに押し付けられて身動き一つできない。
「力が入らないのは犯されたからじゃない、薬のせいだ」
「‥‥」
「安心しろ、身体に害はない。暫くすれば効き目がなくなる」
ーー何だ、この男。
敵意だとか、威圧感だとか、そういった感情を何一つ感じない。
危機的な状況だというのに、防衛本能が鳴りを潜めたまま一切働かない。
「おかしな女だな。あんな目に合ったというのに、悲鳴の一つも上げないのか」
〝転移〟で持続時間を無理矢理延長させたカラーリングを使っているから、髪色も瞳の色も茶色のままだ。
それでも、あまり顔を見られるのは不味い。
今更声を上げるのはわざとらしい。なら、極力この男に情報を与えないようにするのが最善だ。
トラウマで声を失った、とでも勝手に解釈されれば好都合ではあるが。
「口がきけないふりか?この状況で真っ先に逃げようとするだけの精神力のあるやつが、口もきけない状態だとは思えないが。今も、体を震わせもしていないだろう」
生憎と、この男はそう容易くはないようだ。
「貴様、何者だ。何の目的で動いている」
彼の言い回しからして、どうやら一般人とは思われていないようだ。
「答えろ。依頼はあくまで〝元の居場所に戻す〟ことであって、お前の身を守ることではない」
〝依頼〟
何のことだろう。
まさか、私がジャンヌダルクであることに気付いてーーいや、証拠は何も残していないからその可能性は低い。
唯一考えられる可能性は、彼が私の〝素顔〟を見たことがあって、ジャンヌダルクであることを事前に知ったいたことだ。
ーーまさか。
あの日の夜、素顔を見られた男の正体をヨルは知っている様子だった。
知っていて、私に見た事実を隠すように誘導した。
つまり、ヨルと深い関わりがあって、尚且つヨルよりも高い身分であることが考えられる。
なら、私を助け出すように仕向けたのはヨルだ。
依頼というのは私を助けさせる口実で、依頼主はヨル以外の誰かーーつまり、一人しか考えられない。
どうするべきだ。
私の推測通りであれば、彼に危害を加えるべきではない。
けれど、彼がこのまま私を解放するとは思えない。
私を元に戻すという依頼を承諾しているのなら、危害を加えることがあっても少なくとも殺しはしないだろう。
それでも、能力のコントールも上手く出来ない状態では、回復を抑えることができない。
幾ら何でも、能力者であることを知られるわけにはいかない。
私が能力者であることを知っている、現時点で生き残っている人はヨルしかいない。
「‥‥何の用だ」
しかし、途中で男の拘束する力が弱まった。
「そんなに殺されたいなら後にしろ。今お前に構っている暇はーー」
電話でもしているのだろうか。
この距離だというのに、相手の声は聞こえない。
先ほどよりも数トーン低い声で、如何に相手を嫌っているのか聞き取れる。
「おい刹那、さっさと上がって女を監視してろ」
「俺カナセさんから言われた通り、泣く泣く1時間も風呂に入ってるんですけど!?」
「状況が変わった。1秒で出ろ」
「まだ体洗ってないのに!」
何はともあれ、逃げるなら今しかない。
男が立ち去るのを見計らい体を起こして腕を引き千切ってでも拘束を解こうとする。
ただでさえ体に力が入らないというのに、両腕を拘束された状態で飛び降りるのは幾ら何でも無謀だ。
腕ごと叩き付けて破壊しようかと思ったところで、不意に頬に夜風を感じる。
いつの間にか開いていた窓から、黒く小さい影がベットに落ちた。
そこには、鍵を咥えた黒猫が首を傾げて座っていた。
依頼を受けて能力者の恋人を殺しに行った街で、取引の情報を聞き付けた酒場の付近で遭遇した月の耳飾りを付けた黒猫。
まるで、私の行動を監視し、目的の場所へと誘導するように。
狙ったようなタイミングで、待ち構えていたかのように現れる。
今もそうだ。
器用に口に咥えた鍵で手錠を外すと、首に巻き付けていた風呂敷を広げる。
その中には、私が隠しておいたストレージリングが入っていた。
あまりに用意周到で、自然な動作で、不気味だと感じる間もなく突然現れては、全てを見透かしたような行動をする。
その様は、いつも作り笑いを浮かべた猫目の男と重なって見える。
ストレージリングから具現化させた白の外套を纏うと同時に、音もなく肩に飛び乗ってきた。
高さは6階ほど。
相変わらず体に力が入らないながらも、拘束を解いた両手と、なけなしの能力で強化した足で何とか建物から抜け出した。
視界が霞んで、よく見えない。
足がもつれて何度も転びそうになる。
冷や汗が壁を支えにしている両手に流れ落ち、滑りそうになる。
唯一の救いは、黒猫が道を示すように私の前を歩いてくれていることだ。
劣化で点滅を繰り返す街灯が、限界が来たのか完全に明かりが消えた。
それと同時に体が硬直して動かなくなり、地面に身を投げ出した。
「ジャンヌ」
優しい声だった。
こんな私を、慈愛に満ちたような声で呼ぶのは一人しかない。
「‥‥大丈夫」
今にも泣き出しそうなほどに弱々しい声と共に、小さいながらも力強い腕で抱き締められる。
震える声、震える体。
感極まったように、荒い息を整えながら言葉を吐く。
「もう、大丈夫だよ。ジャンヌ」
表情は見えない。
それでも、必死に強がって笑顔を浮かべようとしているような気がした。
「‥‥ル、ツ」
その光景に、既視感を覚えた。
あれは確か、ルツを黒猫に連れ帰った日。
地下室で休ませようとしたら、暗闇を恐れて縋るようにぎゅっと腕を掴んできたルツに、同じようなことをしたことがあった。
必要最低限の食事さえ与えられていなかったルツは、実年齢と比べて身長がかなり低かった。
幼子のように、私の胸に埋めて安心したように眠っていた子供はもういない。
いつの間にか、私の体を包み込めるくらいに大きくなっていたんだ。
「‥‥ごめん、ね」
無意識に溢れ落ちた言葉の真意は、私にも分からない。
私の言葉に体を震わせると、頷きながら更に強く抱き寄せられる。
黒猫は役目が終わったのか、音もなく消えていた。
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