第9話
見てくるといいと、彼は言った。
無力な私が招いた結果を、その目で見届けてこいと。
いつものようにカラーリングで変装すると、とある町の外れにある古びたレストランを訪ねた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
「‥‥あの」
人の良さそうな男性が、席に案内しようとするのを遮る。
「如何なさいましたか?」
「‥‥実は、人を訪ねに」
「うちのスタッフでしょうか?」
「はい、日菜さんという女性の方です。以前大変お世話になったので、お礼にと伺ったのですが」
「ーー申し訳ないのですが、場所を変えてもよろしいでしょうか?」
爽やかな笑顔を浮かべていた男性は、途端に表情を無くした。
「お忙しいところ申し訳ございません」
「いえ」
「‥‥」
「日菜とは、親しかったのですか?俺の知る限り、日菜には友人はいなかったはずですが」
「親しい、というほどではありません。物騒な人等に絡まれているところを助けてもらって、その後に少し話をしただけです」
「そうですか」
「‥‥」
「わざわざ訪ねて来てくださって申し訳ないのですが、日菜はもういません」
「退職されたんですか?」
「いえ、実は先日亡くなりました」
「‥‥そう、ですか」
「殺されたんです。ーーあの忌々しい男に」
その声色からは、強い憎しみのような負の感情を感じた。
「あの男、とは?」
「能力者ですよ。気の弱い日菜につけ込んで、死に追いやった張本人」
「‥‥」
「あいつが現れなければ、あいつがいなければ日菜は俺のものになっていたはずなのに」
「‥‥」
「糞みたいな男に捕まって、哀れにもロクな治療さえさせてもらえずに見殺しにされた日菜の母親を俺は愛した」
「‥‥」
「日菜はあの人によく似ている。俺の為に残された、あの人の生き写しだ」
「‥‥」
「幸運に見舞われて、あのロクでなしが殺された時は神に感謝をしたよ。これで誰にも邪魔されることなく、日菜と愛し合うことができると思ったのに」
「‥‥」
「ーーあの男が、能力者の分際で俺の日菜を誑かして連れ去りやがったっ」
ガタガタと貧乏揺すりを始めると同時に、歯軋りが聞こえ出す。
「すぐに後を追いかけて、能力者狩りに何度も通報してやった。それでも、害虫のように逃げ惑うから、大人しく投降すれば日菜の身の安全を保障すると奴らに脅迫させれば大人しく従った」
「‥‥」
「これでようやく終わると思ったのに、散々優しくしてやった俺を裏切って日菜はあいつの後を追いやがった」
「‥‥」
「そして、能力者狩りと能力者殺しの抗争に巻き込まれて殺された」
「‥‥」
「ーーだが、これは報いなんだよ。俺を裏切った日菜への」
何を思い、裏切りという言葉を使うのか。
この男は、どこまでも自分だけの世界で生きている。
「精々、あの世で俺を選ばなかったことを悔やめばいいさ」
狂ったように笑い出した男を、軽蔑するだけの資格はなかった。
あの日、依頼を遂行していれば。
あの日、彼の洗脳を解いて無駄な希望を与えなければ。
彼女だけはきっと、生きていられただろう。
彼女を死に追いやったのは、他でもないーー私だ。
◇
啜り泣く声に誘われるように、鉄格子がむき出しの小さな家に足を踏み入れた。
背中を丸めて、何かを握り締めて泣き続ける女性に声を掛けるが反応がない。
「‥‥あの」
何度目かの声掛けで、泣き腫らした虚無の瞳が向けられる。
「どなたですか?‥‥もしかして、娘の友達ですか?」
「写真を渡しに」
「写真、ですか?」
「はい」
焼け焦げた写真を渡すと、女性が目を見開いて震える手で握り締めた。
可愛らしいあの少女の写真。
あの男の持っていたものと、同じ写真。
「ある組織の建物の残骸から見つけました。持ち主を探して聞き込みをしていたら、ここに辿り着いたのです」
「‥‥私の、夫だった男のものです」
「‥‥」
「職を失って、〝主〟に入る為に家から出て行きました」
「‥‥」
「許せなかった。愛していたからこそ、私たちを苦しめている元凶である奴らに加担することが」
「‥‥」
「噂を聞いたんです。あの人の所属する組織が潰されたと。本当、だったのですね」
「‥‥」
「それだけのことをしたのだから当然の報いでしょう。道半ばで死ぬくらいだったら、どれだけ貧しくても私達と生きる道を選んでくれれば良かったのに」
「‥‥」
「あの男から渡される仕送りは、結局1円も使うことなく貯め続けました。とても使う気になんてなれませんでした。人様の幸せを奪ってまで手に入れたお金なんて」
「‥‥」
「こんなことになるくらいなら使ってしまえば良かった。働きに出ている最中に娘を連れ去られて、奴らの慰めものとなり自ら命を絶つほどの目に遭わせるくらいなら、もっといい暮らしをさせてあげればっ‥‥」
「‥‥」
「何よりも許せないのは、私自身なんです。あの男を頑なに許さず、その結果娘を自殺に追いやった自分が」
「‥‥」
「死ぬと知っていたら」
「‥‥」
「せめて、娘を助けてくれたことのお礼くらい、言えば良かったっ‥‥」
「‥‥」
「‥‥私も、すぐに後を追います」
「‥‥」
「もう私には何も残っていない。これ以上、こんな世界で生きていたくない。ーー私も、この家も、思い出も全て要らない」
徐に取り出したナイフを、首目掛けて掲げる。
「ーーごめんなさい。一人で死なせてしまって。せめて、一緒に死んであげられたら良かった」
やがて、同じ写真の遺影に優しく微笑み掛けると、勢いよく突き刺して自決した。
◇
「ったく、面倒かけさせやがって!」
「やめろって、もう死んでるんだから」
男達が、いつかの女性の亡骸をゴミのように建物の外へと投げ捨てた。
「結局のところ、どうなんだ?」
「知るかよ。真相なんてどうでも良い。この女の娘を殺してすぐに
「
くだらないのは、一体どちらなのか。
その程度で下がるような下らない株を維持する為に、疑わしいというだけで証拠もないのに憶測だけで一般人を惨殺する。
「そういえば聞いたか、あの話」
「ああ、ジャンヌダルクが〝異端〟だって通告だろ?」
「それもあるが、見せしめで遺体を晒してる方だ」
「ああ、そっちか」
「ジャンヌダルクは何してるんだか」
「尻尾巻いて逃げたんじゃねぇの?」
「あり得るな。神にも等しい俺らを完全に敵に回したんだからよ。男か女かも知らないが、聖女の名を語るなら神様には逆らうなってな」
遺体を土に返したところで、魂が浮かばれるわけではないと見過ごそうとした矢先のことだった。
聞き捨てならない話が耳に入ったのは。
『何の話だ』
咄嗟に男にナイフを突きつけて先を促す。
「何者だ!」
邪魔な男達を一掃すると、先端を僅かに刺した状態で問い詰める。
『答えろ、何の話だ』
「す、スラム街だっ!」
『どこのだ』
「場所までは知らねぇよ!」
『知っていることを全て話せ』
「〝主〟が、ジャンヌダルクを正式に異端と見做した」
『その先だ』
「手始めに、ジャンヌダルクが手を貸した者に鉄槌を」
『‥‥何だと』
「‥‥た、頼む!命だけは助けてくれ!この街からは手を引く、増員も呼ばないっ、だからーー」
自分が殺した遺体の前で、愚かにも命乞いをする男。
「あなたの命乞いを聞く義理はない」
◇
〝GRIMM〟
突如として現れ、即座にこの世界を支配下に置いた闇の組織。
侵略、略奪、蹂躙。
暴虐の限りを尽くし、富を独占し、組織に所属する者達以外を貧困に追いやった悪の権化。
全てを力でねじ伏せた独裁者。
人々は畏敬の念を込めて、〝主〟と呼んだ。
この世界の〝主〟だと、誰もが信じて疑わない。
正義も秩序も存在しない、欲に塗れた強者だけが生き残れる社会。
抗うものは、異端と見なされ迫害される。
意を唱えた者は次々と炙り出して抹殺され、誰もが心を殺すことが唯一の生きる道だと知った。
そんな、何もかもが狂っている世界。
「可哀想に」
「まだ子供じゃない」
「おい、誰か降ろしてやれよ」
「馬鹿野郎。同じ目に遭わされたいのか」
【ジャンヌダルクは異端である】
大きく刻まれた血色の文字に、龍の紋章。
それは、〝主〟のシンボルだった。
大衆の目線の先には、壁に杭で打ち付けられたいつかの親子の姿があった。
見るに堪えない姿に、吐き気を催している人も少なくはない。
時間が経過しているせいで、遺体は腐敗が進んでしまっていた。
〝宣戦布告〟
そんなことのために、この親子は殺されても尚辱めを受けているらしい。
「お、おいっ!何してーー」
「〝主〟を敵に回す気か!」
ナイフで杭を破壊すると、遺体を両肩に抱えて近くの建物へと飛び乗る。
強烈な刺激臭がするが気にも留めない。
罠であることは明白で、潜んでいた敵から襲撃を受けても手早く蹴散らした。
只ひたすらに、遠くへ向かう。
誰にも見つかることがないように、遠くへと。
降り出した雨の中、人里離れた山の奥で穴を掘っていた。
スコップなんてあるはずもなく、長めの木の枝で、人2人埋められるくらいの深さにするのに時間が掛かってしまった。
『お願いです、助けてくださいっ!』
傷だらけで、立っていることすら満足に出来ない女性は必死に助けを求めていた。
『何でもします!何だって差し上げます!価値があるのなら、この命だって捧げます!だからあの子を、私の大切な娘を助けてくださいっ!』
あの時、何と答えただろうか。
『必ず、救います』
そんな、罪深いことを言った気がする。
結果として、この親子を救うどころか、状況を悪化させただけに過ぎなかったというのに。
私と関わらなければ、少なくとも命はあっただろう。見せしめとして殺されることもなかっただろう。
穴を掘り終えると、死後の世界ではせめて一緒にいられるようにと手を繋がせて、万が一にでも掘り返されないように頑丈に埋めた。
もう用は済んだというのに、雨が止み終えるまでその場から離れることは出来なかった。
懲りもせず無意識に握り締めていた十字架のネックレスを外すと、壊すために力を込めた。
チリンと、風鈴の音が鳴る。
『‥‥どうか』
陽だまりのようにあたたかで優しい声が、耳の奥で蘇る。
その人は、いつも何かに怯え、謝ってばかりだった。
もう顔も思い出せないけれど、今しがた弔った女性に面影が似ているような気がした。
『私の分も、幸せに‥‥』
雨粒が目尻を伝い、涙のように流れ落ちる。
チェーンが掌に食い込むと同時に、膝から地面に崩れ落ちた。
ーー壊せるはずが、ない。
あの人が残してくれたものを、込められた想いを。
私という存在のせいで、苦しめて、追い込んで。
剰え、踏み躙って、殺してしまった人を。
邪険にすることも、拒絶することも。
‥‥私には、出来はずもないのだから。
ヨルの言う通りだ。
私は、本当の意味で人であることを捨てきれていない。
感情とは、記憶だ。
記憶を通して、感情は蘇る
記憶がある限り、生まれた感情を無かったことには出来ない。
依頼を受ける中、他者を通して、私はきっと過去の記憶の中にいた。
いつかの自分と重ねていた。
それを見透かしたヨルから、同情していると言われたのだろう。
要するに、私はーー。
〝人間だった頃の記憶〟を捨てることなく、大事に抱え込んでしまっていたのだ。
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