第36話 初夜 

 シェン氏の死から一年が経ち、喪が明け、新年を迎えた吉日。


 齢十四になったばかりの王太女――白蘭花バイランファと、第三王子――白軒虎バイシェンフーの婚儀が執り行われた。


 ここジン国では、弔事は赤、 慶事は白となっているので、そこかしこに白い布が垂れ下がっている。


 新郎と新婦に、国王から与えられた新居――蜜月堂みつげつどう洞房しんしつで、婚礼の儀が終わろうとしていた。


 蘭花は全ての髪を複雑に結い上げ、七宝――金・銀・瑠璃るり玻璃はり・しゃこ・瑪瑙めのう・珊瑚――で髪を飾り立てて、魔除けとして白蓋頭はくがいとうを被った状態で寝台に腰を下ろす。


 「第三王子殿下。面紗めんしゃをお取り下さい」と、介添えは言った。


 軒虎は別の介添えが持ち上げた盆から、白い称心如意しょうしんにょいを手に取り、蘭花が被る蓋頭に如意の中腹まで挿し込むと、できるだけ高く取り去った。


 婚儀は早朝から行われているが、二人が顔を合わせたのは、この時が真実始めてだった。


 「軒……いえ。旦那様……」と、美しく化粧を施された蘭花の微笑みは、まごうことなき天女のようであった。恥ずかしそうに、ふふふと笑う愛しい蘭花を、軒虎は今すぐ抱き締めて寝台に押し倒してしまいたい衝動に駆られる。


 だが、残念ながら儀式はまだ続く。


「新郎、ご着席」


 介添えに言われ、軒虎は蘭花の左側へ座った。軒虎の心臓は、口からまろびでてしまうのではないか、と心配になるくらい強く早く拍動している。


 「誓いの杯」と、介添え人が言う。


「第三王子殿下。王太女殿下。誓いの杯をどうぞ」


 言って差し出された盆の上には小さな金の酒杯が二つあり、二つの足同士が白い糸で結ばれている。


 「……運命の白い糸だわ」と、蘭花は表情をうっとりさせる。


 軒虎は二つの杯を手に取ると、片方を蘭花に渡した。蘭花は頬を桃色に染めながら、顔の前で杯をかかげた。軒虎も笑顔でそれにならい、二人は同時に杯の中の酒をあおった。


 空になった酒杯を盆の上に戻すと、次は盆の上に餃子と取り皿、湯匙を乗せたものを差し出された。


「末永くお幸せに。餃子をどうぞお召し上がり下さい」


「子孫繁栄の願いを込めてございます」


 二人は器と湯匙を受取り、お互いに微笑んでから餃子を口にした。小さな口で餃子を一口食べた蘭花は、大きな瞳をパチクリさせて、軒虎と介添えたちを見回した。


「生煮えだわ」


 すると介添えたちは笑顔になり、


に通じる、王太女殿下のお言葉です」


 と言って、わあっと喜びに湧き上がった。


 蘭花は顔を真っ赤にし、軒虎から顔を背けて、器と湯匙をお盆の上に置いた。その姿を見て、軒虎はますます愛おしさがつのるのを感じる。


「それではこれにて」


 儀式に使用した道具を持った介添えたちが、スススと後ろに後退していく。そして、洞房の外へ出ると、二人の介添えの女が白の帳を何枚も下ろしていった。それから介添えたちは、美しく二列に並ぶと、両膝をついて上体を前に倒した。


 「第三王子殿下。王太女殿下。おめでとうございます」と言って、静かに下がっていく。


 軒虎と蘭花は横目でお互いを見合い、プッと吹き出して笑った。


「軒……いえ、旦那様。私、とても疲れてしまったわ」


 そう言って、蘭花はコテンと軒虎の肩に頭を寄せた。軒虎は同意しながら幞頭ぼくとうを脱いで、近くの卓子に置いた。そして――


「小蘭。疲れているとこ悪いが。……ここからが本番だぜ?」


 蘭花は自分を見つめる軒虎の瞳が情欲に濡れているのを見て取り、コクリと頷いて、豪奢な婚礼衣装に手を掛けた。


「待てよ、小蘭」


 そう言って、衣を脱ごうとした蘭花の手に軒虎の手が重なる。蘭花はそのさり気ない接触に、ポッと頬を赤く染めて、上目遣いで軒虎を見上げた。すると、自分と同じように、ほのかに頬を染めた軒虎の真剣な瞳と視線が交わった。


脱衣それは夫の俺の役目だろ?」


 甘く囁かれた蘭花は、あっ、と小さく声をもらして大人しく手を引っ込めた。


(恥ずかしげもなく、自分から衣を脱ごうとするなんて……軒に呆れられてしまったかしら……?)


 蘭花は内心不安に思ったが、チラッと盗み見た軒虎の表情は真剣そのもので、どうやら心配しすぎだったようだと胸をなで下ろした。すると、


「最初で最後の初夜だっていうのに、小蘭は随分と余裕そうだな」


 と、軒虎に言われてしまい、蘭花の顔は真っ赤に染め上がった。


「なっ、何を言うの軒! 余裕なんてあるわけないじゃないっ」


 蘭花は熱を帯びた頬を両手で押さえ、羞恥で潤んだ金色の瞳を軒虎に向けた。蜂蜜のようにトロトロにとろけた瞳を目の当たりにした軒虎は、ゴクリと生唾を飲み込んで、蘭花の顔に自分の顔を近づけた。


(あ……私、軒の妻になって初めて口付けられるんだわ……)


 蘭花は胸の前で両手を握りしめ、軒虎の息遣いを感じながら、ひんやりとした薄い唇を受け止めた。ただ皮膚と皮膚が軽く触れ合っただけなのに、蘭花の背筋はゾクゾクッと快感に粟立った。


「ちゅ、ぁ、はぁ……軒……んぅ」


「ぴちゃ……ちゅっ、はぁ……っ、どーした? 小蘭……んっ」


 蘭花の問いに、軒虎は口付けることを止めない。蘭花は脳内も口腔内もトロトロにされながら、軒虎の口内に差し込んでいた舌を引っ込めた。それに対して軒虎は、口の端からこぼれた唾液をぺろりと舐め取って、残りの残滓は親指の腹で拭い取った。


「なんだよ、小蘭。せっかく気持ちよかったのに」


「口づけなら毎日してるじゃない。……お願いよ。早く私を、軒の本当の妻にして……」


 そう言って蘭花は訶子したぎ姿になった。未だ発展途上の肉体であるものの、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる美しい肢体に、軒虎の赤い瞳は釘付けになった。

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