第25話 謁見
葬儀の指揮を担った
朝議が長引いているのか、国王の姿はまだない。
蘭花は粛々と立ったまま、金色の瞳をきょろきょろと動かした。
――陛下は浪費を好まない。
そのためか、王の執務室と言うには、室内装飾も少なく、非常に質素なものだった。
振り子のカチコチと鳴る音を聴きながら、蘭花は自分が記憶を取り戻した日のことを思い出した。
身支度を整えた蘭花は、卓上の四方に置かれた椅子に腰掛けた。残りの二脚には、すでに慶虎と
慶虎が右手を振ると、ひっそりと控えていた宮女が、三人分の茶を用意して部屋から出ていった。
結局、目覚めてから何も口にしていなかった蘭花は、
それを合図に、慶虎が口火を切る。
「――今回は殷氏に先手を打たれた上に、沈氏を失うことになってしまった」
一同は沈痛な面持ちで黙り込む。その空気を変えるために、蘭花は蓋碗の蓋を強く閉じた。カチン、という音に、二人の視線が蘭花へと集中する。蘭花は静かに視線を受け止めながら、卓上に蓋碗を置いた。
「その件について思ったことがあるの」
慶虎は片眉を上げて、卓上で指を組んだ。
「聞かせてもらおう」と言った、慶虎に向かって、蘭花はこくりと首肯した。
「……お母様を亡くしてすぐにこのようなことは言いたくないのだけれど……殷貴妃の本来の目的は、お義母様――王妃殿下を罠に掛けることだったのではないかしら?」
「何だと……?」と、慶虎は両目を見開いた。
「春節の宴の指揮をとっていたのはお義母様よ。そして、お義母様が手配なさった花火の火薬が原因で、あのような火災が起こった。……ということにすれば、罰を受けるのは劉氏ではなく、お義母様だったはず」
「ではやはり、殷貴妃は沈氏を排除する気はなかった、と?」
明全の言葉に、蘭花はふるふると首を左右に振った。
「……推測になるけれど、
――その結果、母は殺されてしまった。
蘭花は
「王太女殿下。もしや殿下は、あちらは一枚岩ではない、とおっしゃりたいのですか?」
蘭花は明全に向かって頷いた。
「……本来、お母様は、薬かそれに代わる何かで眠らされる手筈になっていたのかもしれないわ」
「何故、そう思う?」と、慶虎は首を傾けた。
蘭花は乾いた唇をひと舐めしてから口を開いた。
「とある者から聞いた情報なのだけれど、劉氏の侍女である
「ちょっと待て。……お前。その話を誰から聞いた?」
慶虎に問われ、蘭花の肩が僅かに揺れる。――蘭花の脳裏によぎったのは、軒の……軒虎の顔だった。
(……軒。何故、私に内部の情報を漏らしたの? もしかして、私に危険を知らせようとしてくれていた……?)
蘭花は奥歯を噛み締めると、ただ黙って
「だからお母様は、真の標的ではなかったということになるわ。……けれど、お母様が亡くなってしまった今。殷貴妃の計画が前倒しになる可能性がある。そしておそらく、次の標的は――」
「母上、か」
慶虎の言葉に、蘭花は「その通りよ」と返した。
「……それで? お前はどうするつもりなんだ?」
言って、慶虎は両腕を組んだ。
蘭花はごくりと生唾を飲み込むと――
「国王陛下のおなーりー!」
室内に響き渡る御前太監の声に、蘭花は思考の海から抜け出した。
慶虎と共に、床に両膝をついて上体を倒す。
「「国王陛下に拝謁いたします」」
空気が揺れて、国王が椅子に座った気配が伝わった。
「面を上げよ」
張りのある重厚な声に、蘭花の身体が緊張に震えた。顔を伏せたまま、慶虎と目配せする。二人は同時に、
「「感謝いたします」」
と言って、顔を上げて立ち上がった。
「慶虎よ。この度の采配、ご苦労であった」
慶虎は、両手の指を胸の前で組み、上半身を少し曲げた。――これを、『
「滅相もない。私はただ、
国王は豪快に笑うと、
「謙遜するでない。相変わらずおぬしは、遠慮深い性格であるな。好感が持てるぞ」
と言った。慶虎は拱手の姿勢を保ったまま、顔を上げてにこりと微笑み、再び頭を下げた。
「身に余るお言葉。陛下のご恩情に感謝します」
「うむ。楽にせよ。――して、蘭花よ。
蘭花は伏せていた金色の瞳を国王に向ける。
「はい、陛下。母は私にとって、己の命と同じくらい大切な存在でした。心の弱い未熟な私は泣いてばかりおりましたが、
そう言って、蘭花はふわりと母――沈氏を真似た微笑みを浮かべた。それを見た国王の纏う空気が、
言葉を詰まらせる国王に向かって、
「陛下……? どうなさいましたか?」
と、母のように甘やかな声をかける。
国王の目尻に光るものを見つけた蘭花は、追い打ちをかけるように、
「陛下。差し出がましいとは存じますが、よろしければ
言って、蘭花は近づいてきた御前太監に、母の刺繍が施された手巾を手渡した。それを持った御前太監は、国王の元へ戻っていく。
御前太監から手巾を受け取った国王の両目には、
「……これは、
「はい。生前、母が作ったものでございます」
「やはりそうか。……瑞香は、刺繍の名手であった。季節が変わるごとに、朕の衣を仕立ててくれてな」
「……存じております。母はいつも、陛下の身を案じておりましたゆえ」
国王は両目を閉じて大きく息を吸うと、
「――蘭花よ。お前の母の実家は没落して長い。母が身罷った今、お前は王太女という地位にありながら、何の後ろ盾もない危うい立場にある。……そこで提案なのだが、お前を王妃の養女にする、というのはどうであろう?」
「私が、王妃殿下の養女に……でございますか……?」
蘭花は、計画通りに事が運んでいることに安堵しながら、無垢を装って首を
「蘭花。お前は今年十三になったばかり。まだ幼いゆえ、理解できぬことも多かろう。……ここ後宮では、日々絶えず、醜い諍いが起きている。幼く無垢なお前を使って、良からぬことを企む者がないとは限らぬ」
「……王妃殿下の庇護下に入れば、そのような恐ろしいことから守っていただけるのですか?」
「もちろんだとも」と、国王は頷いた。
「瑞香と王妃は、実の姉妹のように仲が良かった。王妃の養女になれば、未だにお前のことを『ニセモノ公主』と愚弄する愚か者共も、口を閉じるであろう。……どうだ? この話を受ける気はあるか?」
蘭花は天真爛漫だった沈氏を意識して、国王の庇護欲を掻き立てるように、ぱあっと花笑んだ。
「陛下のご恩情に感謝いたします!」
そう言って、蘭花は床に両膝をつき、上体を倒したのだった。
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