第28話 蜥蜴の尻尾切り

 後宮――夕暉宮せっきぐう


白蘭花バイランファ……っ、あの小娘ぇ……っ!」


 リウ賢妃が文机ふづくえの上にあるもの全てを、自分の両腕で薙ぎ払う。


 ガシャーン! パリーン!


 けたたましい音を立てて、高級なすずりや筆、陶磁器製の筆置きなどが床に落ちて割れる。


「フーッ、フーッ」


 目の前に物がなくなると、今度は立ち上がって飾り棚を目指し、そこに飾っている甜白釉てんはくゆうの壺を持ち上げた。それを見て顔色を青くした琴沙ちんしゃは、劉賢妃けんひの足元にへたり込み、しなやかな肢体に抱きついた。


「怒りをお鎮めください、劉娘娘ニャンニャン! お怒りは、御身体に障ります! それにその甜白釉の壺は陛下から下賜かしされた物……! それだけは壊してはなりません!!」


 激しく息巻いていた劉賢妃は、琴沙チンシャ諫言かんげんでハッと我に返る。そして甜白釉てんはくゆうの壺を持ったままガクリと膝から崩折れると、今度は劉賢妃が琴沙に縋り付いた。――膝から床に壺が転がっていく。


琴沙チンシャ……琴沙……どうしましょう……! これが最後の機会だったのに私は……っ!」


「劉娘娘ニャンニャン……大丈夫です。今回もきっと、殷貴妃はお許しくださいます……!」


「……琴沙……」


 二人で涙を流しながら慰め合っていたその後ろから、珍しく正装している軒虎シェンフーが、フンと鼻を鳴らして現れた。


「ハハハッ! ざまぁねぇなぁ」


 楽しくて仕方がないといわんばかりに笑う軒虎を、劉賢妃は涙で目を真っ赤に充血させ、鬼の形相で睨み上げた。


「軒虎……! お前……っ、何をしに来たの!?」


 劉賢妃の顔は化粧が剥がれ落ち、髪型は崩れてボサボサで、まるで鬼女きじょのような風貌だった。だが、軒虎は怯えることなく、だるそうに肩をすくめて見せる。


「何って、決まってんだろ? アンタのその醜い顔を見に来たのさ」


「もうここはアンタの居場所じゃないのよ! さっさと瑞祥宮ずいしょうぐうに戻りなさいよ!」


 唾を散らしながら喚いた劉賢妃に、軒虎は片眉を上げて、呆れた表情を見せた。


「なぁに言ってんだ? 俺はまだアンタの養子だぜ?」


「……なに? 何を言って、」


「あら、みっともない。謹慎中といっても、こなた達は陛下の女……常に身綺麗にしておかないと。ね?」


 劉賢妃の言葉を遮って軒虎の影から現れたのは殷貴妃だった。いつもながら若々しく、化粧も薄くほどこしてあるだけで、大きな翡翠の瞳が宝石代わりとなって華やかだ。その品良く可憐な顔をぼうっと見つめて、劉賢妃は首を傾けた。


「殷……お姉様……?」


「なぁに?」


「ど、どうしてここに……?」


「それはねぇ」


 殷貴妃がパンパンと手を叩くと、鎧を身にまとった衛士えじたちが、夕暉宮を踏み荒らした。


 衛士たちは腰にいていた刀を鞘から抜いて、抜身の刃を劉貴妃に向ける。


「こなたは陛下の命を受け、王妃殺害未遂の主犯、劉賢妃を捕らえに来たのよ」


「なっ……!」


「流石に陛下も、今回ばかりは看過することはできなかったみたいね」


 フフッ、と笑って、殷貴妃は扇子を広げて口元を隠した。


「ああ……本当に悲しいわ……妹妹メイメイ。まさかあなたが、王妃殺害などという恐ろしいことに手を染めるなんてっ」


 わざとらしく泣いてみせる殷貴妃を、軒虎は冷めた目で一瞥し、冷笑を浮かべて劉賢妃を見下ろした。


「ま。そう言うことだ。俺は母親の悪事を告発したってことで、陛下から恩情を与えられた。望みを一つだけ叶えてくれるそうだが、その為にはアンタを拘束しなくちゃならなくてな。……どのみち、後宮ここには逃げ場なんてないんだ。大人しく捕まってくれよ、な?」


「シェン……フー……! お、ねぇ……さ、まぁ……っ!!」


「あらやだ。そんな恐ろしい形相で、こなたを見ないでちょうだいな。この捕物劇を考えたのは、こなたではなくこの子――軒虎なのだから」


「なっ!?」


「こなたを恨むのはお門違いだわ」


「し、軒虎……なぜ……」


「あ? 何故もクソもあるかよ。もともとアンタは捨て駒だったんだ。……気づいてたんだろ? あと、今回の件に俺まで巻き込まれたらたまんねーからな。悪いが、蜥蜴の尻尾切りってやつだ」


 軒虎がパッと手を振ると、衛士たちは一斉に劉賢妃を捕らえにかかった。


 劉賢妃は、なんとか逃れようと両手をばたつかせながら軒虎を睨む。


「軒虎!!」


 しかし、所詮は非力な女。屈強な男の腕力にかなうはずもなく、後ろ手を組まされ、荒縄で締め上げられる。


 やめて、放して、と暴れる往生際の悪い劉賢妃を、軒虎は路傍の石を見るように眺めた。そして――


「いままで部屋ここに置いてくれてありがとよ。そんで、まあ、さようなら。だ」


 軒虎がくるりと背を向けると同時に、劉賢妃は荷物のように抱え上げられる。


「軒虎ーー!!」


 怒りと悔しさのままに軒虎の名を叫ぶも、軒虎はぴくりとも動かない。


 劉賢妃はうろうろと視線を彷徨わせて、涙でぼやける視界に殷貴妃の姿を捉えた。叫びすぎてひりつく喉をあえがせながら、


「おっ、お姉様……! おねえさまぁっ! 助けてっ。助けてくださいませぇっ!」


 と言って、ひたすら助けを乞うが、殷貴妃はにこにこと微笑むばかりで手を貸そうとはしない。


 ――本当にこれで終わるのだ。


 そう思った瞬間、とてつもない恐怖感と震えが、劉賢妃を襲った。


「――! ――!!」


 まともな言葉さえ吐けなくなってしまった劉賢妃は、衛士たちの迅速な働きによって、軒虎と殷貴妃の前から消え去った。そしてその場に残り、劉賢妃の軌跡を見つめていた琴沙に、殷貴妃がほっそりとした手を差し出した。


「琴沙。長い間、ご苦労だったわね。琴汐チンシーが待っているわ。さあ、瑞祥宮に帰りましょう」


 光を失った琴沙の両目が、『琴汐』の名前を聞いたことで、再び光を取り戻す。


(……あまりにも長い間、劉賢妃くぐつの側に居させすぎたかしらね)


 ――だが、まあ、大丈夫だろう。


「お前の双子の妹の琴汐が待っているわ。安心なさい。瑞祥宮に戻ってくれば、全てよ」


 そううそぶいた殷貴妃を見上げた琴沙は、こくりと頷いて殷貴妃の手を取った。その様子を、チラリと一瞥した軒虎は、


「やっぱり、後宮ここ伏魔殿ふくまでんだな」


 と、吐き捨てるように呟いたのだった。






 この日から数日後、劉賢妃は絞首刑に処された。そして亡くなった劉氏の養子――白軒虎バイシェンフーは、国王の命により、殷貴妃の養子となる。

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