ニセモノ公主、官吏になる。

アナマチア

第1話

「いやぁああああ! お母様ぁああああ!!」


 母――シェン氏の身体がゆっくりと後ろにかしいでいく。


 太刀たちの軌道に沿って、あたりに飛び散った真っ赤な血が、純白の雪と混ざり合う。


 その光景は恐ろしくも美しく、まるで、狂い咲いた梅の花びらが舞い散る姿に似ていた。そうして血と雪の花びらは花見客を酔わせるように、甘く爽やかな香りを撒き散らしながら、沈氏の命と共に散っていった。


 ――初雪が降った日。


 第四公主――白欄花バイランファの人生は谷底に落ちた。





 物々しい足音が幾重いくえにも響き渡り、鎖を束ねたようなジャラジャラという鎧の音が、欄花と沈氏の部屋――朧月堂ロンユエタンに向かってきていた。


 欄花と沈氏は、二人で震える身体を寄せ合い、門が叩かれるのをじっと待っていた。


 しかし、門が叩かれることはなかった。


 数十人もの衛士えじたちによって、切り刻まれ、蹴り倒され、あっという間にただの木片へと変わり果ててしまったのだ。


「何事です!? ここが沈婕妤しょうよのお部屋と知っての狼藉ですか!?」


「無礼な! ここには、第四公主の欄花様もおわすというのに!」


 侍女たちが口々に喚き立てると、睨みを利かせる衛士たちの間から、巻物――黄色地に金糸で刺繍が施されている――を持った太監たいかんが姿を表した。


 陛下の御前に仕えている太監が、『聖旨せいし』と書かれた巻物を広げた。そして聖旨の内容が口頭で伝えられる。


「陛下の勅命ちょくめいを伝える。『婕妤、沈氏は、厚顔にも不義密通を行い、第四公主をバイ氏の娘であると偽った。また、その事実を十五年に渡り隠匿していた。その罪は重く、称号を剥奪し庶人しょじんとなし、終生、朧月堂に幽閉する』」


 が、その内容は事実無根の驚くべきものだった。


「……私が、陛下の娘では……ない……?」


 欄花が呆然としている間に、沈氏が太監に追いすがる。


「わたくしは密通などしておりませぬ……っ! 欄花は正真正銘陛下のお子でございます!」


「それは私が判断することではございません。私は陛下のご意思をお伝えしたまで。あまりしつこくなさるようならば、その場で切り捨ててもよいとのご命令です」


「そんな……! 嘘だわ……! 陛下がそんなことをおっしゃられるはず……っ」


 滝のように涙を流し、髪を振り乱して反論する沈氏を見て、太監は払子ほっすを一振りした。


「――誰か」


 太監の指示に従った衛士が、太監にすがりついたままの沈氏を、荒々しく引き剥がそうとする。


 しかし、沈氏の意思は強く、太監から離れようとしない。そうしてしびれを切らした気の短い衛士の手にかかり、沈氏は亡くなった――。




(お母様が死んでしまった)


 だというのに、欄花は沈氏を弔うことも許されず、ひとり朧月堂ロンユエタンに幽閉されている。


 付き人は宮女ひとりだけ。あとの者はすべて殺されてしまった。王を欺いたという罪で、九族皆殺しも避けられないだろう。


 欄花は第四公主を語ったといういわれのない罪によって、身分を剥奪され、死ぬまでこの部屋から出ることは許されない。


「……太監も官女も日和見だもの。どうせすぐに、食事や衣服やら手を抜き始めて、人知れず餓死することになるんだわ……」


 ……そうなるくらいなら。


 欄花は、扉の横に置物のように突っ立っている官女に声をかけた。


「ねえ、あなた。頼みがあるのだけれど――」


 そうして、官女に用意させた毒杯を煽り、欄花は十五年の短い生涯に幕を下ろした。



 ――はずだった。

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