第十七話(3)

 翌日にはさっそく、ディオがくだんの地図を用意してくれた。

 昨日起きたのニュースはあっという間に学院内に広まり、生徒たちは朝からその話題でもちきりだった。うわさによればサフィアン教授が学院長に呼び出されて聴取を受けて、騎士団の警備隊による自宅捜索まで行われたのだとか。生徒が倒れたのはサフィアン教授が用いた毒草のせいだとか、調合した薬品のせいだとか、とにかくサフィアン教授が犯人として扱われているようだった。

 学院長には昨日のうちにシャルノンが魔術陣のことを報告したはずだし、教授の処分に関する正式な発表もないから、憶測が独り歩きしているだけだろう。

 それとも事実を隠蔽いんぺいするために、誰かが意図的にうわさを流したのかもしれない。中庭に魔術陣を描いた人物は、学院内に自由に立ち入れる立場にある可能性が高い。おそらく教員か生徒のなかにいるはずだ。


「サフィアン教授が気の毒ですね」


 昼休み、リリー不在の温室で、私は手に持ったサンドイッチを見つめながらつぶやいた。

 リリーは体調不良で欠席だった。神殿の使者がわざわざ校門で私を探して教えてくれた。いわく、軽い頭痛などがあり、疲労がたまっているようなので大事をとって休養するということだった。

 昨日得た情報に関しては、放課後にお茶に誘ってすでに共有してある。そのときもすこし疲れているように見えたから本当に体調が悪いのだと思うが、このところ神殿やオルバド侯爵に探りを入れてもいたし、心配なので夕方お見舞いに行くつもりでいる。


「具合を悪くした生徒の様子は?」

「グレゴール様以外お休みでした。グレゴール様はぴんぴんしていらしたけど、アドラー先生にうかがったらみなさましばらくはお休みだろうと。お気持ちの問題もあると思います」

「グレゴール……シシル男爵家の?」

「ええ。ゴリラです」


 アレクシス様の質問に答えながらグレゴール様のあだ名を用いると、アレクシス様は苦笑いしてみせた。

 唯一復帰したグレゴール様はあだ名の通り筋骨隆々とした体躯の男子生徒で、魔法のセンスはからきしだが体力だけはずば抜けている。卒業後の進路として、すでに騎士団の警備部から熱烈なオファーが届いているそうだ。

 ちなみに昨日もグレゴール様だけは自力で帰宅したそうで、アドラー校医が本当に異常なまでの体力だと戦々恐々としていた。


「子爵家や男爵家の魔力量で耐えられないとなると、城下に流れたらとんでもないことになる」


 ディオがつくってくれた地図をひらいて、アレクシス様がつぶやく。


「明日、シャルノンを連れて城下を見まわってみようと思います」


 明日と明後日は週末なので学院は休校だ。私は陣を書き換えられるシャルノンをともない、ディオと手分けして城下を見まわる予定になっていた。


「殿下」


 入口の外側で見張りに立っていたデニス様が大股で歩み寄ってくる。そのあとを暑苦しそうな黒いローブをまとったディオがよたよたとついてきた。

 ディオはぜえぜえと肩で息をして、顔色も真っ白だった。いまにも倒れてしまいそうだ。


「お、遅かった」


 よほど急いで駆けつけたのだろう、ディオはあえぐように言って咳込んだ。ただそのひと言で、なにが起きたのかだいたい予想がついた。


「心配、ったから、見まわって……」


 朝、顔を合わせて地図を受けとったあと、ディオの姿は学院内から消えた。おそらくひとりで町を見まわっていたのだろう。

 私とアレクシス様はすぐに立ちあがって、よろよろしているディオを支えながら彼をベンチに座らせた。ディオは魔法のセンスはずば抜けているが、体力はない。


「時限式だったんだ。昨日の陣は、記述がまちがっていたせいで一日ずれて起動した。いくつかは閉じたけど、ぼくひとりじゃ間に合わない。たぶん、地図に印をつけた場所、ほとんど全部にあると思う」


 ディオは途切れ途切れになりながらそう訴えた。アレクシス様がすぐに地図を広げる。ディオが書き込んだバツ印は城下町の全体に散らばっていた。


「いま、城下は……」

「ばたばた人が倒れて混乱してる。学院内にも何か所かあるみたいだ。大騒ぎになってるよ……」


 やっと呼吸が落ち着いてきたらしい。ディオは青白い顔を上げて言った。

 せんどころか、圧倒的な先手をとられてしまった。瘴気毒による症状は一般的な治癒術や薬品では効果がうすい。光魔法による浄化がもっとも効果的だが、光魔法の使い手は限られている。地図の印を見る限り、対処できる人間よりも病人のほうが格段に多いし、神殿も対処しきれないはずだ。


「シャルノンを見つけてくるわ」

「クライル。彼女と一緒に」

「ま、待って」


 動き出そうとした私たちをディオが制止する。


「陣を閉じてまわってもいたちごっこだ。ポレット導師はまちがいなく神殿についてる。それで、おそらく陣はそれぞれ賛同者や神官たちに紐づけられて、個人から魔力の供給を得ている。これだけの数の魔術陣を同時に発動したら空気中の魔法力は必然的にうすくなるから、個人の負担が増えるはずだ」


 あわてて一気に言ったせいで、ディオの呼吸がふたたび上がった。彼は数回深呼吸してから提案を続けた。


「ほとんどの魔術陣の維持は二、三日が限界だと思う。先にポレット導師を拘束して、思い切って神殿の叛意はんいを追求したほうがいい。あきらかに国家の安全をおびやかしてるよ。これを王家の……アレクシス殿下の責任にされたら手遅れだ。これから神殿はまちがいなく民心を集める。こっちが悪者にされる前に、向こうのせいってことを主張しないと」

「……以前の熱風邪はもっとゆるやかに流行しました。今回はたたみかけてきたのではないかと」


 ディオが息を切らせて必死に意見すると、クライルが静かに口をひらいた。

 前回、神殿が熱風邪を流行させるころには、アレクシス様は不在だった。だが今回はちがう。ディオが言うように、神殿はあえて危機的状況をつくりだし、その責任をアレクシス様に背負わせることで失脚を狙おうとしているのだ。

 一歩まちがえば神殿側が反逆罪に問われる可能性もあるし、リスクは大きい。しかし、虎穴に入らずば虎子を得ず、諸刃の剣を掲げて一発逆転の勝負に出たにちがいなかった。


「お城は?」


 私ははっとしてディオを見た。神殿がたたみかけてきたとしたら、陛下の身が危ない。

 ディオは首を横に振った。


「ぼくの研究報告には含んでない。でも、ポレット導師が報告書を読んだなら、彼女は陣を敷くべき場所を見つけられる」

「……わかった」


 アレクシス様がうなずいて、私たちを振り返った。昨日私たちがシャルノンから聞いた話は、昨夜のうちにアレクシス様にも伝えられたとカティア様から聞いている。

 アレクシス様はわずかに表情を強張らせていたが、いつものようなおだやかさと落ち着きを失わなかった。


「私は城にもどってイリア・ポレットの身柄を押さえる。エリーゼ、君はリリーの無事を確かめてほしい。可能ならリリーを連れて君の邸で待機してくれ。城内が片づいたらシャルノンを向かわせる」

「わかりました」

「クライル、デニスはエリーゼの警護と補佐を。エリーゼとリリーを無事にミュフラート邸へ送り届けたあとは、クライルはミュフラート邸に待機、デニスは城へもどって子細を報告してくれ。それからディオ、君の知識を借りたい。一緒にきてくれるかな」


 ディオがこくこくとうなずくと、アレクシス様は私に向かって地図を差し出した。私が地図を受けとると、彼はすぐにきびすを返した。


「行こう、カティア」

「はい」


 アレクシス様とカティア様が歩き出して、ディオがあわてて立ちあがる。顔色はあまりよくないが呼吸は落ち着いたようだ。


「あの、き、気をつけて」


 ディオは私の身を案じる言葉を残すと、小走りでアレクシス様たちを追って温室を出て行った。


「私たちも行きましょう」


 クライルとデニス様を順に見やって、お互いにうなずきあう。

 温室は敷地のはずれにあるので、学舎の騒ぎは届かない。温室内には午後の陽ざしが満ちて、切迫感とはほど遠いのどかな空気がただよっていた。いったい外がどんな状況なのかまるで想像がつかない。

 温室を出ると、かすかに学舎のほうからざわめきが聞こえてきた。研究棟と学舎を結ぶバラのアーチをくぐって渡り廊下までくると、景色が陽炎かげろうのようにゆらめいて見えた。瘴気によるよどみかもしれない。

 私たちは校舎を経由せずに正門まで庭を通り抜けた。途中、うずくまった生徒とそれを介抱する教員や生徒の姿がちらほらと見受けられたが、昨日の薬草学の授業のときと同じように、倒れた生徒はあくまで全体のうちの少数にとどまっている様子だった。

 正門前には帰宅しようとする生徒たちが集まっていたが、馬車の手配ができず混乱しているようだった。


「かまわないわ、歩きましょう」


 私たちは雑然とした正門前を抜けて、オルバド侯爵邸がある東区に向かった。王都では王城と学院を有するエリアを中央区として、中央区寄りの東西の区画に貴族たちのタウンハウスが建ち並んでいる。ミュフラート邸は西区なので、オルバド侯爵邸は我が家とは反対方向だ。

 ちなみに王都の東南の一角は神殿区とよばれて、アルセレニア中央神殿のほか神殿が運営する治療院や養護院、神職関係者の住居などが集中している。そのため神殿区に近い東区には、古くからの神殿派貴族の邸宅が多い。


「南の空が曇って見えますね」


 城下の通りには出ずに、私たちは邸宅地に沿った道を進んだ。先頭を行くデニス様がそう言ったので、私も南の空を見上げた。

 北と東西は晴れているのに、城下町が広がる南の空だけうっすらと黒いまくのような雲がかかっている。それだけでなく、黒っぽいもやで町全体がかすんでいるように見えた。


「あれが瘴気なのかしら……」


 つぶやきながら、ぞっと背すじを冷たいものが這った。ディオが地図につけたバツ印は城下町のいたるところに散在していた。ひとつひとつの魔術陣から漏れ出る瘴気は微量でも、複数の陣が敷かれているとしたら、範囲的に濃度が高くなる可能性も十分ある。

 あのもやが瘴気だとしたら、城下町には学院内の比ではない濃度の瘴気がただよっていることになる。

 瘴気は地上から失われて久しく、私も実際に目にするのははじめてだった。書物から得た知識しかないが、瘴気毒の末期症状は腐敗で、生きたまま肉体が腐り落ちて行くのだという。魔力耐性を持たない人々が高濃度の瘴気を浴びれば、体調不良どころではなく、命を落とす可能性があるのだ。

 しばらくすると城下町の住人と思しき男性が地面に座り込み、道沿いに並んだ花壇に背をもたれている姿が目に入った。腕にぐったりとした幼い子どもを抱えている。見渡すと、男性と同じように座り込んでいる人や道に横たわっている人もいるようだった。

 瘴気を逃れてここまでやってきたのかもしれない。しかし駆け寄ったところで安否の確認しかできないし、彼らに寄り添っていたら侯爵邸にたどり着けない。


「すぐに殿下が策を打つ。いまはリリー様のところへ」

「……ええ」


 私のとまどいを察したのだろう。クライルが私の背中に手を置いた。

 この通りだけでも異様な光景だった。城下町はもっとひどい有様だろう。無力感と憤りが混じり合って息苦しい。


「まるで戦場だ」


 足をとめずに歩き続けながらデニス様がぽつりとつぶやいた。

 私たちはそのまままっすぐオルバド侯爵邸へと向かった。侯爵邸の門前に、神殿を象徴するオリーブの刺繍がされたコートを羽織った神殿兵が二人ほど立っている。オルバド侯爵は神殿長としてリリーの身柄をあずかっているから、その警護のために神殿兵に門番を務めさせているのだろう。

 門番にアレクシス様からの用事でやってきたことを伝えると、彼らは騎士服姿のクライルとデニス様をちらりと見やってから私たちを邸内へと通した。私ひとりだったら門前払いされていたのかもしれない。


「リリー様でしたら、今日は神殿へ……」


 母屋をたずねた私たちを迎え出たのは、ふくよかで、人のよさそうな年配のメイドだった。彼女はとまどいがちにそう答えて、かすかに視線を泳がせた。


「体調がすぐれないと聞いていましたが」

「ええ……私どもも心配しております」


 私は、おどおどと困惑するメイドを見つめた。彼女は私に見つめられていることに気づくと、わずかに逡巡してからそっとこちらに身を寄せた。


「このところ夜になると微熱と頭痛があるようで……お医者様は異界からきた影響だろうとおっしゃるのですけど、日ごろ明るく振る舞っていらっしゃるぶん、弱った姿がおいたわしくて……。今日は朝から具合が悪いのに、神殿でおつとめがあるからと旦那様が無理に連れ出したんです」


 ささやいて、メイドはすっと身を引いた。侯爵邸の使用人たちもリリーにすっかりほだされているらしい。


「そうですか。では、神殿をたずねてみます」


 私たちは侯爵邸を離れてそのまま神殿へ向かうことにした。

 メイドの言う通り、リリーはたしかに体調不良で、しかしそのために学院を休んだわけではないようだ。リリーの具合がよかろうが悪かろうが、オルバド侯爵は彼女の身柄を神殿に移す必要があった。彼らの計画にはセフィーラの存在が不可欠だからだ。

 ディオの地図を見ると東区から神殿区の数か所にもバツ印が書かれているが、このあたりの空気によどんだ様子はない。オルバド侯爵邸から神殿へ向かう道にも城下から逃れてきた弱った住民たちの姿があるばかりで、貴族やその邸宅ではたらく使用人たちは無事のようだった。

 神殿が近づいてくると、下級神官たちが治療や避難を求める住民たちを誘導する姿が目についた。おそらく彼らはなにも知らないのだろう。女神に仕える者として、目の前の人々を懸命に救おうと必死だった。

 神殿前の広場はすでに人であふれていた。起き上がれずに寝かされている人、うずくまっている人、泣きさけぶ子ども、そのあいだを白と若葉色を基調としたローブをまとった下級神官たちがせわしなく行き来している。

 ここが王都なのかと疑いたくなるほどに、目の前に広がる光景はさながら戦場の様相をていしていた。


「大丈夫、セフィーラさまが治してくださるわ」


 若い女性の神官が、横たわった母親のそばで泣きじゃくる子どもをそう励ます。たしかにリリーの光魔法なら瘴気の浄化は容易たやすいはずだ。

 セフィーラは女神の化身を意味する言葉で、つまりリリーは女神と同質の魔力を持っている。人の身体である以上無尽蔵とはいかないが、歴代のセフィーラは王族を超える魔力量を有していたというし、彼女も同様だろう。

 ただ、ひとつ気がかりなのは……


 ――私に残っている女神さまからもらった残りの力すべてを使って、一度だけ時間をもどしてもらったんです。


 リリーはそう言っていたはずだ。もしセフィーラとしての役目を果たすために与えられていた女神の力を使い尽くしてしまったのだとしたら、リリーに残っているのは本来の彼女が持つ魔力だけなのかもしれない。

 熟練の神官でも浄化魔法は日に十数回が限界だという。リリーが女神から与えられた魔力を失っているとしたら、広場に集まったこれだけの人をすべて癒すのは無理がある。


「突っ立っているだけで、いいご身分だな。これだから騎士団は役に立たない。戦争しかできない野蛮な連中め」


 座り込んだ老年の男性がまわりに聞こえる声でつぶやく。

 神殿の過激な信徒のなかには騎士団の解体を唱える集団もあって、彼らは平和のために武力を捨てるべきだと強く主張している。

 多くの大型魔獣が駆逐され周辺諸国との衝突も減ったいま、騎士たちの主な仕事は警備や治安維持で、戦時中と比べれば目立った活躍の場はない。ゆえに騎士団を縮小すべきだという声も出てきているが、魔獣による被害がまったくないわけではなく、特に辺境ではいまだに町や村が襲われる事例もあるし、世界から戦争が消え去ったわけでもない。

 たとえば私の故郷アシュテンハインととなり合う、軍神を主神とするノシュバルト王国ではノシュバルトによる世界全土の統一が教義に含まれている。アルセレニアが軍備を縮小したり国力の衰えを見せれば、彼の国はいまが好機と攻め込んでくる可能性もある。王都から見える景色だけがこの国のすべてではないのだ。

 しかし原因が瘴気である以上、治療においては神殿に軍配が上がる。いまの状況は騎士団の無能感を民衆に植えつけるチャンスにちがいなかった。


「いったんもどろう。簡単には会わせてもらえない」


 クライルの言う通りだった。オルバド侯爵は意図があってリリーを神殿に連れ去ったのだから、容易にリリーを引き渡しはしないだろう。それにこれだけ現場が混乱していては、押し入ったところで悪目立ちしてしまう。

 城下町の空はあんなにも暗いのに、目の前にそびえる神殿は青空を背負っている。私は入口の頭上に刻まれた女神の横顔のレリーフをながめながら、リリーの無事を願うことしかできなかった。

 厄介者を見るような視線に追われながら、私たちは神殿をあとにしてミュフラート邸へと向かった。路傍ろぼうにうずくまる人の数はさっきよりも増えて、それでも手を差し伸べたところで気休めの言葉をかけることしかできない。安易に神殿へ誘導するわけにもいかず、ただ黙々と歩きながらおのれの無力と無情を受け入れるしかなかった。


「それじゃあ俺は殿下のところへ。リリー様のこと、報告しておく」

「ああ」


 ミュフラート邸の門前でデニス様と別れる。

 母屋に向かってクライルと並んで歩きながら、私はふうとため息をついた。無力感と焦燥が胸もとでざわついてひどく不快だった。けれどわめいたところで事態が好転するわけでもなし、いまは待つことしかできないのだ。

 ぽん、とクライルの大きな手が私の頭をなでた。見上げると、クライルはただまっすぐに正面を見据えていた。


「お嬢様」

「城下は大変な騒ぎだわ。邸のなかは変わりない?」


 迎え出たアニタに、私はつとめて冷静な声で聞いた。アニタは深刻そうな表情で「それが」とささやいた。


「ジェーンとコリンが買い物に出ていたんです。途中でジェーンの具合が悪くなったようで、コリンに支えられて帰ってきました」

「コリンは大丈夫なの?」

「ええ。すこし胸やけがするようだと言っていましたが……」

「無理をさせないようにして。原因は瘴気よ。感染症ではないから安心して」

「瘴気?」


 ほっとした顔を見せながら、アニタが日常生活ではおおよそ耳にしない単語をくり返した。


「ジェーンの様子を見てくるわね。シャルノンがたずねてくるはずだから、彼がきたらよんでちょうだい」

「承知しました。……あの、瘴気が原因ということは、治療は……」

「すぐにはできないわ。そうだ、マークヒースがあったらせんじてもらえる? 浄化作用があるから、気休めくらいにはなると思うの。コリンにも飲ませてあげて」

「かしこまりました」


 アニタに指示を出してジェーンの部屋へと向かう。アニタは去り際にちらりとクライルを見て軽く頭を下げた。城下の様子をコリンから聞いているのだろう。さすがに小言を言う状況ではないとわかっているようだった。

 ジェーンのもとをおとずれると、彼女と部屋を共有しているイヴリンが付き添っていた。ベッドに仰向けになったジェーンは目を閉じて眠っているように見える。呼吸は荒く、熱があるのか火照った顔をしている。しかし彼女の体は小刻みにふるえていて、指先は氷のように冷たかった。

 ほどなくしてアニタがマークヒースを煮出した薬湯をもってきて、イヴリンがジェーンを抱え起こしながら薬湯を口に含ませた。ジェーンはやっとの思いでティーカップの半分ほどまでの薬湯を飲んで、ふたたびぐったりとベッドに横たわった。

 マークヒースは神聖性をもつ植物で、古代から魔除けや解毒に用いられてきた。瘴気に対してどこまで効力を発揮するかわからないが、しばらくするとジェーンのふるえがすこし収まったようにも見えた。


「このにおいは、マークヒースですね」


 イヴリンと一緒にジェーンを見守っていると、ほどなくしてシャルノンが到着した。彼は部屋に入るなりそう言って、ジェーンの眠るベッドに歩み寄った。


「適切です。薬湯だけでなく、いても効果的ですよ。薬湯は少量でもかまいませんので、数時間おきに飲ませると浄化効果が持続しやすくなります」

「は、はい。わかりました」


 シャルノンの言葉を聞いて、イヴリンがほっとした表情を浮かべる。

 イヴリンはこの邸の使用人のなかでは最年少で、まだ十四、五くらいのはずだった。同室のジェーンによくなついていて、ふたりがそろっていると本物の姉妹のように見える。

 シャルノンはしばしジェーンを見つめてから、彼女の額に手をかざした。うす緑の光の筋がシャルノンの手もとで陣をえがいて、そのまますっとくうに掻き消えた。


「魔力の流れを補助しておきました。あとはマークヒースがあれば、すこしずつ快方に向かうでしょう」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


 くすぶっていた無力感がほんのすこし減った気がする。感謝を述べると、シャルノンからはいつも通りの平坦な声が返ってきた。


「私の部屋へ行きましょう。イヴリン、ジェーンをお願いね」

「はい」


 シャルノンからは城内の様子について報告があるはずだし、人前で話すわけにはいかない。私はイヴリンにジェーンを託して、クライルとシャルノンとともに自室へもどった。

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