第十六話(2)

「エリーゼさんが毒を飲んだあとの話です。棺に納める直前に、遺体が忽然と消えてしまったんです。棺のまわりに魔力の残滓ざんしがあって、だいたいの検討はつきました。もちろんおおやけにはなっていません。あなたは事故で命を落として、ひっそりと埋葬されたことになったんです」


 リリーは淡々と事実を語った。ぞっとしない話だった。私はディオに視線をもどしたが、いまの彼に狂気じみた様子はない。

 しかしさっきの質問にうなずいたということは、そうなのだろうし、やはりディオには過去の記憶があるのだ。


「以前、ディール教授が拾ったメモですが、あれは不完全ですが死者蘇生の陣でした」


 とり分けたスイーツを一通り平らげたシャルノンが、フォークを置きながら口をはさんだ。必死に記憶を手繰たぐって、たしかに、そう言えばそんなことがあったかもしれない。そのメモを見せながら、シャルノンが死霊術について講義してくれたような気がする。


「死霊術を用いれば死者の蘇生も可能です。しかし蘇生と言っても、再生できるのは肉体だけで、虚ろで従順な人形が出来上がるだけ。それを蘇生とよべるかどうか、意見が分かれるところです」


 ディオはシャルノンの言葉をじっと聞いていた。そして観念したように首を横に振った。


「ぼくは、君が君だから好きだったんだ。まちがってた。ぼくの思い通りになる君は、君じゃないのに」


 うなだれたディオには敵意も狂気もない。しかし彼は叶わぬ恋を嘆いて自殺をはかり、それが失敗に終わると心中をくわだてた。そして心中をあきらめたのちは私の死体を愛玩しようとしたというのだから、身の毛がよだつような話だった。愛情ゆえと言われても、執着の度がすぎている。


「ぼくは……ぼくは、まちがってたんだ。だから、今日は、君に謝りたくて……でも、本当はもう一度ほんものの君に会いたくて……」

「顔を上げて」


 不器用なディオに演技ができるとは思わなかった。彼の示す愛着には、正直おそろしいものがある。それでもいまは向き合うしかなかった。彼は新しい未来へのカギを握っているのだ。


「エリーゼ」


 私がディオに歩み寄ると、クライルが咎めるように私をよんだ。私は聞こえないふりをして、ディオに右手を差し出した。


「いまのあなたとなら、また友だちになれると思う」


 行き着くところまで行って求めていたもののむなしさを悟ったのだとしたら、賢く勤勉な彼なら、くり返さないはずだった。私は私が知っているディオと、自分の直感を信じることにした。

 ディオは迷っているようだった。握手をしようかするまいかとまどいをあらわにして、しかし手を引っ込めた。ディオはうつむいたまま首を横に振った。

 私は強引に彼の手を握った。


「あなたの協力が必要なの」


 青白い顔をしているから指先も死人しびとのように冷たいかと思ったら、そんなことはなかった。彼の白く細い指先には控えめなぬくもりがあった。

 ディオはひどく驚いた顔を私に向けたあと、にわかに顔色に血の気をとりもどした。そしてふたたびうつむいて、ひどいへっぴり腰になった。いま目の前にいるのは、まちがいなく、私がよく知るかつてのディオだった。


「あなたの好きなマーマレードのケーキを用意したのよ」


 私はディオをシャルノンの向かいに座らせて、ケーキをとり分けるためにドレスのすそをひるがえした。クライルが怖い顔でディオの一挙一動をにらみつけている。

 改心したという表現が適切かはともかく、いまのディオは落ち着いていて、正常な判断力がありそうだ。私はちらりとリリーに目配せして、お互いにうなずき合った。


「おいしそう。私もそれにしようっと。アレクシス様もいかがですか」

「そうだね。いただこう」


 リリーが曇った表情のアレクシス様にぴょんと近づいて笑いかけると、アレクシス様は気をとりなおして笑顔を繕った。

 クライルが殺気立っているのはしかたないとして、私たちはできるだけ自然に振る舞うべきだ。


「聞きたいことがたくさんあるの。質問してもいい?」


 マーマレードジャムをはさんだケーキを差し出しながらたずねると、ディオはうつむいたままうなずいた。私は近くにあった椅子を引き寄せて、彼のとなりに座った。

 小皿を手にしたリリーがさりげなくシャルノンとディオのあいだの席に座り、丸テーブルの四人掛けの席が埋まった。


「そうね……まず、くり返していることに気づいたのは、いつ?」

「……」


 私がそう聞くと、ディオはおそるおそるリリーを盗み見た。リリーがひと口大に切り分けたジャムケーキにフォークを入れながら、こちらに顔を向けた。


「私を刺したあとですか?」

「……はい」

「ふうん。やっぱり」


 リリーは何事もなかったような顔でケーキを口に運んだ。


「あれから一度もあなたの姿を見かけなかったわ。ずっとなにをしていたの?」

「……全部、話すよ。最初から。そうじゃないと、ぼくもうまく説明できない」


 そう言ってディオは彼がたどった道のりをぎこちなく語りはじめた。

 最初から説明するために、彼はまず二年前まで記憶をさかのぼった。私とディオがまだ第一学年生で、よき友人だったころの話だ。


「ぼくの研究の話をしたよね」

「ええ。召喚術の研究よね」

「うん。あのころ、ぼく、異界への抜け道を見つけたんだ」

「異界への抜け道……?」


 ディオはうなずいて話を続けた。彼の説明によると、つまり、別の世界につながる穴のようなものを見つけたということだった。

 異界はあまた存在して、ディオが見つけたのはあくまでそのなかのひとつで、リリーがいた異界とはまた異なるらしい。


「その世界はずっと暗くてほとんど夜なんだけど、濃度の高い魔力がただよっているから、その光でうっすら明るいんだ。見渡す限り荒野で、人の姿はない。町らしき廃墟はあったから、文明が滅んだあとなのかもしれない。魔獣や古い生き物があちこちにいる。そういう世界なんだ」


 そう語るディオはどこか楽しげだった。ただ彼の説明から伝わってくる異界の景色に愉快な要素はまったくない。


「ちょうどいい洞窟があったから、ぼくはその場所に研究室をつくって、そこを拠点に研究をはじめた……」


 調子よく話していたディオがにわかに口ごもる。彼はちらりと私を見て、それからうつむき、そわそわと手を揉みはじめた。


「信じてもらえないと思うけど……ぼくは、君を好きで、でも、だから君とどうなりたいとか、そんなこと考えてもいなかった。君がずっと友だちでいてくれたら、それでよかったんだ。だけど、偶然、を見つけてから気持ちが変わった。君を誰にもとられたくなくて、ずっとぼくだけの味方でいてほしくて、あの石のせいだとわかってたけど、とめられなかった」

「火の石……」


 くり返すと、ディオのレッドアンバーの瞳がこちらを向いた。


「ぼくたちが知っている魔石は鉱石に魔法力が宿っている程度のものだけど、あれは魔法力のかたまりなんだ。魔力結晶って言って、見た目は宝石だけど魔法力そのものなんだよ。滅多に見られるものじゃない。そうだ、あとで見せてあげようか。すこしくらいなら大丈夫だから……」


 内向的なディオだが、研究のことになると饒舌じょうぜつだった。それは昔から変わらない。興奮気味に語ってから、ディオは我に返った顔をした。


「ご、ごめん……」

「もしかしてそれが『たそがれの石』ですか?」

「あ、そ、そうです。伝承の『太陽の石』と同質のものです。もしかしたら、あの世界には『凍てつく国ノスミリア』があったのかも。あの世界の文明は、火の石によって滅んだのかもしれないと、その可能性は十分あると思うんです」


 ディオは前のめりになってリリーの質問に答えた。

 ノスミリアというのはたしか、たそがれの石によって滅びた国の名前だったと思う。脳裏に、焦土の記憶がよぎった。ほんの数ミリの小さな宝石によってあの災厄が引き起こされたのだとしたら、ディオの仮説もあながちまちがってはいないのかもしれない。


「じゃあ、ディオさんのエリーゼさんへの異常な執着心は、たそがれの石が原因……」


 リリーが独り言のように言って口もとに手を当て、思案のポーズをとる。

 以前、シャルノンが火の力を持つ石は持ち主の思いを強めると言っていた。ディオの変貌へんぼうぶりを思うと、ささやかな愛情が石の持つ魔力によって増幅されてしまったのだと考えるほうがしっくりくる。


「……きっかけになっただけです。彼女に執着する気持ちがまったくなかったわけじゃない」


 うつむいたディオがぼそりとささやく。


「彼の衝動は、すこしわかる」


 そう声をかけたのはアレクシス様だった。振り返ると、アレクシス様は困り顔で微笑んだ。


「自分でもとまどったよ。いままでがまんできていたはずなのに、急に耐えがたくなった。あれでも自制できたほうなんだ」

「じゃあ、クライル様には絶対持たせちゃだめですね」


 リリーの身もふたもない物言いに、どこか納得するような妙な沈黙が満ちる。「ン゛ッッ」とクライルの咳払いが響いた。


「国が滅びそうですね」


 ぼそりとつぶやいたのはカティア様だ。声色に深刻な響きがあった。


「魔力は人の性質にも影響を与えます。クライル様が思いのほか直情なのは、火の魔力との親和性が高いからとも言えるでしょう」

「なるほど」

「俺の話はいい」


 聞き手に徹していたシャルノンがここぞとばかりに辞書の役割を果たす。感心するリリーに、食い気味にクライルが割り込んだ。


「異界に研究室をつくって、火の石を見つけて、それからは?」


 私が話の続きをうながすと、ディオは「それからは」とささやいて手もとのケーキに視線を落とした。


「君に夢中だった……でも、君は絶対に手に入らないんだと気づいてしまって、すごくつらくて……」


 ディオは途切れ途切れに自殺未遂から心中の発想にいたるまでの経緯を語ってくれた。

 自殺未遂に関してはほとんど事故のようなもので、研究で使うため自分の血液を採取する際にちらりと自死が脳裏によぎり、思いのほか深く手首を切ってしまった。しようと思えばすぐに止血できたが、それをせずにぼうっとしていたところを使用人が見つけて大騒ぎになったのだという。

 そして憤りを隠せないミモザ様が「エリーゼ様にたぶらかされたせいで」と友人たちに訴えたために、またたく間に自殺未遂としてうわさが広まってしまったのだった。


「そのときに死とはなにかを考えて……療養の名目で休暇ができたから、いろいろ調べてみたんだ。それで、そうか、一度死んで生まれ変わればいいんだと思って……」


 私たちが信仰する女神セフィは慈愛をつかさどっている。女神をとりまく物語のなかには結ばれなかった恋人たちを来世でめぐり合わせる話や、不幸な一生を終えた人間を来世で救う話があるなど、転生思想への肯定がみられる。今世苦しんだものは来世こそ救われる、それを女神の慈悲としてとらえているのだ。

 経典に明記されていない以上解釈に賛否はあるが、アルセレニアでは一般的には人は生まれ変わるものだと信じられている。


「でも、うまく行かなかった。そのあとは時間がもどって、とまどいはしたけど別の方法を試そうと思って……でも……」


 口ごもってディオはちらりとクライルを見た。クライルに軽くにらまれると、ディオはびくりと肩をふるわせてすぐにうつむいた。

 心中未遂のあと、ディオは方針を変えた。心中をあきらめて、かねてより興味のあった死霊術に手を出したのだ。しかし禁忌の術の研究は思うように実にならず、けしかけた魔獣もクライルの剣の錆になってしまった。

 その後、不規則な時間のくり返しに気づいたディオは死霊術の研究に没頭するようになった。そしてようやく禁忌の術を会得した彼は王城から私の死体を盗み出し、念願を成就させた。しかしその結果得られたのは永遠に満たされない空虚感だけだった。

 時はもどらなかった。私は帰ってこなかった。やりなおしたくてもやりなおせない。彼は自分に失望しながら泣き暮らしていたが、そこへ今日の招待状が届いて、いつの間にかふたたび過去へもどったことを知った――というのがディオの視点で見た今日までのひと通りだった。


「こっちにいると時間がもどってしまうから、くり返しに気づいてからはほとんど異界にいたんだ。あそこにいれば影響を受けない。ただぼく自身に関しては、こっちへもどると記憶以外はもとにもどされる。ひどい有様だったから、それはよかったといえばよかったけど……」

「いろいろ突っ込みたいところはありますが、だいたい把握できました。とりあえずいまのあなたは正気みたいですね」


 にべもなく言って、リリーがふうと息をつく。ディオは申し訳なさそうにうつむいた。


「それじゃあ、あなたの姿が見あたらなかったのは異界にいたからなのね」


 そうたずねると、ディオはうつむいたままうなずいた。


「王都を襲った竜を召喚したのは、あなたではないのね?」

「新聞でニュースを読んだだけだよ」

「ディオさんの研究成果はオルバド侯爵に届けられているんですよね?」

「は、はい。最終的には……。でも、ええと……召喚術は陣と魔力がそろえば誰でも使えるので……」


 私とリリーの質問に交互に答えるディオだが、リリーに対してずいぶん萎縮しているようだった。人見知りもあるし、リリーのはっきりとした態度に気圧されているようでもある。

 おどおどとしたディオの様子がひどくなつかしく感じられた。


「火の石を誰かに譲ったりはした?」

「いまはまだ……これからオルバド侯爵が視察にきて、そのときほしがると思う。見た目は宝石だけど魔力のかたまりだし、いわくつきだからぼくはいつもとめるけど、欠片を勝手に持って帰っているみたい」


 ディオの返答に、私とリリーは視線を合わせてうなずき合った。これでたそがれの石の出処でどころがわかった。


「オルバド侯爵がたずねてくるのはいつごろですか」

「はっきりした日づけはおぼえていなくて……でも、視察の前にいつも伝言が届きます……」

「オルバド侯爵の手に石が渡るのを防ぐことってできます?」

「石の存在は報告してあって、大きさもこぶしくらいです。さすがになくしたという言い訳は通用しないかも……。見せないわけにもいかないし……」


 リリーに答えながら、ディオは握りこぶしをつくってみせた。


「石と言っても、実際は魔力の結晶なのよね……それだけの大きさがあったら……」

「ほんの欠片で国がひとつ滅びるわけですから、西の端から東の果てまで、世界をひとつ一瞬で焼き尽くせるでしょうね」


 こぶし大の赤い石を想像しながらささやくと、シャルノンが私が想像した通りの回答を寄越す。そして彼はめずらしく自分の意見を口にした。


「伝承が寓話だとすれば、たそがれの石は人の王の手に渡ることで破滅をもたらすと考えることもできます。ぼくとしては異界に眠らせておくのが一番だと思いますね」


 ほんとうにその通りだわ、と思いながら私は打開策を思案した。


「異界には竜や魔獣が跋扈ばっこしているのよね」

「うん……」

「竜にうばわれたことにしてはどう? 伝承でもそうだったわよね」

「それならごまかせるかも……」


 意外にも妙案だったようだ。オルバド侯爵が破片を持ち出さなければ、たそがれの石はアルセレニアには持ち込まれない。すなわちアレクシス様が石を手にすることもなければ、災厄からも逃れることができるはずだった。

 「決まりです」とリリーが身を乗り出した。


「絶対にオルバド侯爵に石を持ち帰らせないでください。失敗すれば、またエリーゼさんを失うことになりますからね。今度失くしたら、もう二度ともどってきませんからね」

「……わかりました」


 リリーが念を押すと、ディオは表情を強張らせてうなずいた。

 よくも悪くも、私とリリーはくり返しに慣れてしまっている。しかし、もう時はもどらない。これきりなのだ。


「ディオ。あなたも危険がないよう、十分気をつけてね……」


 どんな距離感が正しいのかわからない。それでも私は、私たちが友人だったころの、あのときと同じ気持ちでディオを見つめた。

 ディオはまぶしそうな目で私を見て、泣き笑いのような顔で微笑んだ。

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