第三話

「おはよう」

「おはよう、クライル」


 三日後の朝、すこし大きい制服にそでを通した私は、門の外に待ち構える幼なじみに微笑みかけた。

 授業の途中で目覚めたあと、学院での講義のためにシャルノンが席を立つ。するとアニタが紅茶とお菓子を持って入ってくる。紅茶はもちろんオールド・ミストで、お菓子はレモンアイシングのケーキだった。

 そうして私は二度見た夢と同じ日常をくり返し、謹慎明けの朝を迎えた。

 かつて、偉大な魔導師がひとつの国の時をとめた――というおとぎ話を聞いたことがある。もしかしたら時間をあやつる魔法や呪いが実際に存在して、それが我が身に降りかかったのかもしれない。

 それとも、そんなおおげさなものではなく私が同じ夢をくり返し見ているだけなのかもしれない……。


「送って行こう」

「……ありがとう」


 私はクライルの申し出を受けて、差し出された手をとった。

 三度目の朝、私は徒歩をあきらめて馬車を選んだ。クライルと向き合って座ると、彼はじっと私の顔を見つめていた。痩せたね、とでも言うのだろうか。


「すこし、痩せた」


 完全に先を読んでしまった。私は「そうみたいね」と答えて、ひざに置いた自分の手の甲をなでた。

 馬車のなかでのクライルと私の会話は夢とほとんど同じだった。途中、まさかこの馬車が人をはねはしないかと不安になったものの、幸いにして杞憂きゆうに終わった。

 馬車は校門前に乗りつけて、私はとうとう学院までたどり着いた。

 普通に登校しただけなのに、ひどく疲れた。


「なにかあったら必ず相談してほしい」

「ありがとう」


 クライルの手をとって馬車を降りる。クライルは私の指先を握ったまま離さなかった。


「絶対。必ずだ」


 門前払いも効いているし、ディオの件を私が相談しなかったせいもある。つまり、信用されていないのだ。

 クライルはつららのように鋭い瞳で私を見つめた。私があいまいに微笑むと、指先を握る手にぎゅっと力がこもった。


「約束するまで離さない」


 登校する生徒たちの視線が私とクライルに集まっている。校門のまんなかでひどい悪目立ちだわ。


「ええ、約束する」


 しかたなくそう答えるとクライルは私の指先にキスをして、やっと解放された。


「おはよう、エリーゼ」

「おはようございます、アレクシス様」


 聞き覚えのある声にぱっと振り向くと、アレクシス殿下だった。白銀の髪が朝陽を反射してきらきらと輝いている。

 アレクシス・ル・ロラン王太子殿下。

 王太子に与えられるロランの称号は「夜明けの光」を意味する。アレクシス様の髪はまさしくその名の通りにまばゆく神々しい。アレクシス様は温厚なヘーゼルグリーンの瞳を優しく細めて、私を見つめていた。

 王立学院では「貴賤きせん上下の別なく学問に打ち込むべし」という創立理念にもとづいて、原則としてお互いを名前でよび合うよう指導している。その結果、父とキャストリー侯爵のように生涯の友を見出す人もいるし、うまく相手に取り入ったり派閥を形成したりする人もいる。

 しかし表向き貴賤なく見えるだけで、腹の探り合いが存在しないわけではない。とはいえ、二年以上の学院生活を通じてアレクシス様がいかに温厚篤実なかたか理解したので、彼に対して身がまえる必要はない。

 アレクシス様については大人しく闘争心に欠けるという評価もあるが、すくなくともいまの時代に激しい気性で好んで戦禍を招くような王が立つよりずっとよい。


「ようやく会えてよかったね、クライル」

「はい」


 にこにこ微笑むアレクシス様に、クライルがあまりにも素直にうなずく。


「門前払いするお気持ちもわかります。こんな目立つところで……」


 アレクシス様のうしろに控えていた近衛騎士のひとり、カティア様がため息まじりに私の気持ちを代弁してくれる。カティア様はティターニア子爵家の一人娘で、数少ない女性騎士のひとりだ。すらりとした長い手足に、燃えるような赤い髪を高くひとつに結って凛としたたたずまいだが、目もとはとても優しい。

 そうその通り、という気持ちで私はカティア様の言葉にうなずいた。

 クライルが私を想ってくれるのはうれしいけれど、線引きは必要だ。


「すこしくらい見せつけておいたほうがいいさ。泥をかけられたのはエリーゼ様だけじゃない。クライルもだ」

「だからって、こんな目立つところで……」


 もうひとりの近衛騎士、デニス様がクライルをフォローする。カティア様は渋い表情で同じ言葉をくり返した。

 デニス様は先ごろ家督かとくを継がれて、いまはメルシェ伯爵となったと聞いている。日焼けした肌に、真昼の太陽のようなあざやかな金色の髪が印象的だ。

 王太子付きの近衛騎士はほかにもいるそうだが、役割分担があるのか学院に付き添うのは決まってクライル、カティア様、デニス様の三人だった。


「途中までご一緒しても?」

「もちろんです」


 アレクシス様が私に並んで、クライルがすっとうしろに下がる。

 アレクシス様は聡明でいて、とても温情のあるかただ。声をかけてくださったのは私への配慮にちがいなかった。


「悪役令嬢がアレクシス様と歩いてる……」


 ひそひそと誰かのささやき声が耳に届く。悪役令嬢……私のことかしら。

 アレクシス様がとなりで苦笑いした。


「ミモザ嬢たちが一生懸命流行らせていてね」

「光栄です。マリー侯爵令嬢もブリジット伯爵令嬢も妖艶な美女ですもの」

「なるほど。ちがいない」


 私が一世を風靡ふうびした戯曲と恋愛小説の登場人物を引き合いに出すと、アレクシス様はおだやかに微笑んだ。とは、ミモザ様もうまい言葉を考えたものだ。


「でも、ずいぶんきらわれてしまって悲しいですわ」

「君には私がいるじゃないか」


 アレクシス様がそう優しくおっしゃると、背中のほうで「ンンッ」とクライルの咳払いが聞こえた。殿下がくつくつと笑いをかみ殺す。


「いつでも頼っておいで、エリーゼ。君は私の大切な友人だ」

「もったいないお言葉です」


 うしろでデニス様の忍び笑いがした。バンッと人の身体をたたく音がして、デニス様が咳き込む。たぶんカティア様が背中あたりをたたいたのだろう。


「……ふふ」


 思わず私も笑ってしまった。ときどき首をもたげる憂鬱が嘘のようだ。

 アレクシス様はいずれ王位を継がれてこの国をお治めになる。その御世みよは、きっと光に満ちあふれているだろう。そう思いながらそっとアレクシス様の横顔を盗み見た。

 そしてそんな時代がおとずれるように、クライルが騎士として殿下をお支えして行くように、私は私にできることをしたい。心からそう思う。


「おや」


 教室へ向かって歩いていると、制服のえりに赤いリボンを結わえた女の子がきょろきょろと不安そうにあたりを見まわしていた。リボンの色は入学年で決まっている。第三学年の私は青色で、赤色はまだ入学したばかりの第一学年生だ。


「迷子かな。大丈夫?」

「あっ。あの。私……」


 アレクシス様が声をかけると、女の子は怯えたように立ちすくんだ。

 彼女はゆるく波打った亜麻色の髪をおさげに結って、悪く言えば子どもっぽく、よく言えばあどけない印象だった。いったいどちらのご令嬢なのか、はじめて見る顔だ。

 はじめて見る――そう、はじめて会ったはずなのに、彼女を知っているような気がした。怯えたこげ茶の瞳が私に向けられた瞬間、心臓がドキンと音を立てた。


 ――ただれた頬に貼りついた、亜麻色の髪。


 それを、どこで? どこかで見た気がする。

 思い出そうとして、でも思い出したくなかった。


「私も昔迷子になったんだ。教室へ案内しよう」

「あ、ありがとうございます」


 女の子が前屈するように勢いよく頭を下げる。まるで野うさぎのようだ、と思ってしまった。

 彼女の所作から、もしかしたら貴族のご令嬢ではないかもしれないという気がした。

 王立学院には身分による入学制限はない。入学試験に合格すれば誰でもかようことができる。ただし、相応の学力と入学金、そして魔力が必要だ。

 魔力または魔法力ともよばれる力は、自然界の魔法要素そのものを指すとともに、魔法要素を許容し操る能力のことをいう。主に遺伝で受け継がれ、先天的に宿るものだ。魔力はほとんどすべての人間が保有しているが、保有量や感応力には個人差がある。

 アルセレニア興国の祖、初代国王陛下は強大な魔法力を有していたといわれている。その血を受け継ぐ王族はいわずもがな強い魔力を宿し、王族に続く貴族階級の者たちもまた同様である。これが貴族とそれ以外の国民の大きなちがいだ。

 学院の入学条件は身分を問うていないが、庶民にとって、入試における魔力試験は高い壁になっている。そのため貴族以外の生徒は多くても学年に一、二名、ひとりもいない年もざらにあった。


「いいかな、エリーゼ」

「ええ。もちろんです」


 アレクシス様が私を振り返る。アレクシス様とは学級がちがうし、どのみちこの先で別れるのだ。


「では、行こう」


 それでは、といとまを告げようとした私をアレクシス様が温厚な微笑みで見つめている。


「……私も、一緒にですか?」

「始業までまだ時間もあるし、花もきれいだ」


 アレクシス様はにこにこしながら言った。気まぐれ、というわけではないだろう。

 私はミモザ様を謹慎させられていただが、アレクシス様と一緒に歩けば、つまり、王太子殿下は私の味方だと示すことになる。アレクシス様は私の立場の回復にひと役買おうという算段のようだ。

 お心遣いはありがたいが、と思いながら女の子を見ると、私とアレクシス様を見比べてひどくとまどっているらしかった。


「あ、あの。道を教えていただければ、ひとりで大丈夫です。おふたりのお時間をお邪魔しては、申し訳ないですので」


 彼女はたどたどしく、一生懸命言葉を選んだようだった。クライルがアレクシス様のうしろでまた「ンンッ」と咳ばらいする。

 私は思わず口もとを手で隠した。アレクシス様が「ふっ」と噴き出しかけて、同じように口もとに手をやった。


「ふたりの時間だなんて、とんでもない。正門でお会いして、ご一緒しただけですわ」

「えっ、あっ、すみません。並んでいらっしゃるお姿がとてもお似合いだったから……あっ、えっ、勝手にそう思っただけで、すみません」

「まあ。光栄です」


 にこりと微笑みかけると、女の子は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 もしかしたらこの子はアレクシス様のことも私のこともよく知らないのかしら。貴族でないとしたらありえなくもない。


「わたくし、しばらく屋敷にこもっていたので学院に顔を出すのは久しぶりなんです」

「そうなんですか。風邪が流行ってますもんね」


 頬に赤味を残した女の子は、私にいたわるような視線を向けた。その純真なまなざしに、窓辺をおとずれる灰色の小鳥を思い出した。


「ふふ、そうね。ご迷惑でなければ私もご一緒してよろしいかしら」

「迷惑なんて。も、も、もちろんです。あっ、私。小川さゆり……あっ、ちがう。リリーです」

「リリー様」

「あの、リリーでいいです。さま、ってつけられるの慣れなくて……」

「それなら私もエリーゼとよんでください。リリー」

「えっ、えっ、そ、そんな……」


 私は亜麻色の野うさぎの手を両手でそっと包んだ。


「私、あなたみたいなお友だちがほしかったの」


 そう微笑みかけると、彼女はまた頬を染めた。

 彼女の華奢であたたかな手がひどく愛おしい。リリーはこげ茶色の大きな瞳で私を見つめていた。大らかで飾らない、大地の色だ。

 彼女は私に押し負けて「はい」ととまどいがちにうなずいた。


「私も自己紹介をしても?」

「あっ、はっ、はい」

「アレクシスだ。よろしくね、リリー」

「はい。よろしくお願いします……」


 アレクシス様が手を差し出して、リリーがおずおずと握手する。ふたりの手が触れあった瞬間、かすかに光を帯びたのが見えた。アレクシス様も気づいただろう。

 リリーの魔力とアレクシス様の魔力が共鳴したのだ。


 ――彼女は、光に愛されている。


 春の回廊でリリーは光に包まれてはにかんでいた。それがまぶしくて、なぜか愛おしくて、胸がつぶれそうだった。

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