第一章

第一話

 焼けただれた亡骸なきがらを抱いている。

 なぜ、とつぶやこうとしたのに、かすれて言葉にならなかった。熱風のせいで喉が焼けてしまったのだろう。もはや私はうめくことしかできなかった。

 呆然と見渡すと、あたり一面、焦土だった。

 老人か若者かもわからない焼け焦げた黒い死体がそこらじゅうに転がっている。まだ火が残っているのか、地平のきわが赤く輝いていた。

 華奢なむくろを抱く私の腕も、皮膚がほとんど焼け落ちて、生きているのか死んでいるのか、果たしてそれが私の腕かもわからないほどだった。

 私が抱いている少女の遺骸いがいはまだ状態がよく、髪も容貌かおだちも残っていた。ただれた頬に張りついた亜麻色の髪をはがそうととして、しかし、手がふるえてどうにもならない。


「どうして」


 そのとき、私の声がした。すこしれた、でもはっきりした声だった。

 ちがう。私の声なのに、私ではない。私の喉は焼け焦げて、うめくことしかできないのだ。

 顔を上げると、裸足のが立っていた。腰ほどまである長い真夜中色の髪が、どこかで燃える炎を照り返して、赫々かっかくと輝いていた。


「どうして?」


 私の目の前に立ったは、もう一度はっきりと言った。見ひらかれたラベンダー色の瞳は、私ではなく、私が抱いた骸を見つめていた。


「できない……」


 ぐったりとした少女の唇から、小さな声がもれた。力なく垂れていたはずの腕が弱々しく私の肩に触れて、すすまみれの亜麻色の髪の隙間から、虚ろな瞳がゆっくりと私を見上げた。


「わたしには、できない」


 さっきまで物言わぬ骸だった華奢な少女は、死体らしさを残したぎこちない動きで、頬に細い涙を伝わせて声を詰まらせた。焦点の合わない目が私の瞳をまっすぐ見つめているように感じた。

 そんな少女を見下ろしながら、私はぼんやりと、焼けただれてしまう前の彼女はどんなに可憐だったろう、と思った。

 視界の端によごれた素足が映り込む。ふたたび顔を上げると、すぐそばに私が立っていた。私は無表情に私を見下ろしていた。私の前に立った私は、右手に握った短剣を振り上げた。


「私がやってあげる」


 刀身が炎光を反射して、赤く輝く。


「うっ――!」

 

 びくりと身体をひきつらせて、目をひらいた。細くひらいた窓の向こうで、のどかな春の陽ざしを浴びながら小鳥たちがピチピチとおしゃべりしている。

 視界に飛び込んだ机も、机の上の本も、レースのカーテンも、どこも焼け焦げてはいなかった。


「おはようございます」


 真横から無機質な声がした。はっと振り向くと、長い前髪で両目を隠した陰気な家庭教師の姿があった。


「ごめんなさい、居眠りしたみたい」


 自分の失態に、額に手をあててうなだれる。

 目の前にひらかれているのは『アルセレニア興国史』の九十八ページ、そしてとなりには家庭教師とくれば、そう、まだぼんやりとした頭でも個人授業の途中だと理解できた。

 授業中に居眠りするなんて、そんなに疲れていたのかしら。


「みたい、ではなく居眠りですね。ご自分のお名前はおわかりですか」

「そこまで寝ぼけてないわ。エリーゼ・ミュフラート・レ・アシュテンハイン。ハルマン伯爵令嬢を階段から突き落としたで謹慎中よ」


 シャルノンの皮肉に、私はため息まじりの自虐を返した。

 この陰気な家庭教師シャルノン・テシアとは私の物心がついて以来、十数年のつきあいである。うららかな陽ざしがなにもかもを輝かせるような日和ひよりでも、シャルノンはうす暗い。猫背に雨雲をびたりと貼りつけて、湿った土のにおいすらしてくるようである。

 それでも、伸びっ放しの癖っ毛をうしろでひとつに束ねるようになってから、すこしはましになったのだ。とはいえ長い前髪で目もとを隠しているせいで、こげ茶色の髪が余計に重々しく見える。いっそ切ってしまえばいいのに、そうはしたくないらしい。そろそろ三十路かそこらになったのではと思うが、ぱっとしない容姿のせいか、はたまた理屈っぽい性格のせいか未だに浮いた話のひとつもない。

 前髪に隠れた目もとを見つめていると、シャルノンがかすかに首をかしげた。


「でも、突き落としていませんよね」

こまかい男ね」


 私が指摘にけちをつけると、シャルノンはふうん、と鼻でため息をついた。

 私――エリーゼ・ミュフラート・レ・アシュテンハインは、ハルマン伯爵令嬢を中央階段から突き落としたかどで一ヶ月の謹慎を申しつけられている。しかし、シャルノンが言ったように、私は実際には彼女を突き落としていない。

 あの日、ハルマン伯爵令嬢、ミモザ・ネーシュ・ラ・ハルマンは自分で足を踏み外して勝手に階段を転げ落ちた。そして私はとっさに手を伸ばして、けれど彼女をつかみ損ねた。角度によっては私が彼女を突き落としたように見えたかもしれない。

 ミモザ様はそれなりの高さから転げ落ちたが、幸いにも足をくじく程度で済んだ。

 この不運な事故を、ミモザ様は、アシュテンハイン辺境伯令嬢に突き落とされたと主張した。そして、もともと私を快く思っていなかったのであろう一部の令嬢たちが証人ぜんとしてミモザ様の擁護にまわった。

 いつもならきっぱりと反論するところなのだが、このときはそうもいかなかった。

 ドゥーゼ子爵令嬢、名前はたしか、フィリア様だったはずだ。大人しくて目立たない、けれど誠実そうな女性だったと記憶している。フィリア様はちょうど階段を降りてきて、ミモザ様が私を罵倒する場面に出くわした。そしてミモザ様が勝手に転がり落ちたのも、伸ばした私の手が空を切ったのも、すべてをその両目に収めていた。

 フィリア様は、ぎゃあぎゃあわめくミモザ様と、それをとり囲んで騒ぎ立てる令嬢たちからすこし離れて立っていた。彼女はいまにも「ちがいます」とさけび出しそうな顔をしていた。温厚で控えめな性格で、しかし正義感の強い人なのだろう。

 ゆえに、彼女が私の無罪を主張する前に、私は罪を認めなければならなかった。もしあの場でフィリア様が真実を口にしていたら、いまごろ彼女は令嬢たちからの攻撃の的になっていただろう。善良な彼女が残りの学院生活を針のむしろですごすことになるなんて、そんなの可哀そうだわ。


「損な役まわりですね」

「そうでもないわ。おかげさまで一ヶ月、愛想笑いから解放されたもの。それに、ほら、身から出たさびというやつよ」

「アメジストは錆びませんよ」


 陰気で憂鬱ななりをしているくせに、シャルノンはときどき気の利いたことを言う。

 いつだったか、私の暗い菫色すみれいろの髪を、旅の詩人が「夜を飲み込んだアメジスト」とうたった。それからアメジストは私を象徴する石になった。

 黒はもちろん、暗色の髪はめずらしくない。けれど私のような暗いヴァイオレットはあまり見かけなかった。

 父はブロンズ、母は紫の差した銀、弟は父とそっくり同じ色だから、家族のなかで私だけが異質といえば異質だった。ただ菫色の髪は母方の家系の特徴でもあるし、私をとりあげた助産師によれば


「奥様の祖母にあたるかたが黒髪ですから、その影響でしょう」


 ということだから、まるきり突然変異というわけではないらしい。

 私の髪は光を受けるとファセットカットをほどこした宝石のように輝いた。ゆえに旅人はアメジストというたとえを用いたのだろう。めずらしい色味の、しかもきらきらと輝く髪は自然と人目を惹いた。そういう理由で幼いころの私は言葉通り人々の羨望の的だった。


「不吉な色だわ。その子はいつか、破滅をもたらすでしょう」


 ひとりの女性がそう言いだすまでは。

 エレイン元王妃――彼女は預言師の子孫で、そしてアルセレニアで最も美しい女性とよばれた人だった。

 私が五つか六つのころだったと思う。同年代の王子の誕生日パーティーかなにかで、私は辺境伯の父とともに登城した。そしてはじめてエレイン様に会って、その言葉を賜った。

 うわさはまたたく間に国中に広まった。幼い日の私は羨望の的から一転、猜疑さいぎのまなざしにさいなまれるようになった。

 つり目がちの顔だちと気の強さで、私は昔からお高くとまった印象にとられやすい。気に入らないと感じる人もいただろうし、羨望はねたそねみと紙一重だ。私をもてはやしていた貴族たちは手のひらを返したように私を嫌悪するようになり、私はあっという間に国中のきらわれ者になった。

 しかしそのパーティーからしばらく経って、エレイン元妃の子で第一王子だったアルヴィン殿下が夭逝ようせいした。その年は王都でひどい風邪が流行って、それが原因だと聞いている。

 幼い王子を亡くしてから、元妃は予言とも妄言ともとれる言動をくり返すようになったという。そして夭逝したアルヴィン殿下に代わりやがて王位に就くであろう第二夫人の子、アレクシス殿下を手にかけようとした。

 異変を察した近衛騎士たちがエレイン元妃を取り押さえ、アレクシス殿下はご無事だった。しかし気の触れたあわれな王妃は処罰の裁断を待つ間に急死した。死因ははっきりしておらず、自裁ではないかとささやかれた。

 この事件をきっかけに、エレイン元妃の信用は地に落ちてしまった。彼女は狂人として扱われ、世間はそんな女の予言などあてになるものかとエレイン元妃を否定した。その結果、幸か不幸か私に関するも波が引くように静まって行った。

 しかし一度転覆した船は、そう簡単にもとにもどるものではない。

 そのころにはすでに国中にうわさが広がっていたし、一度芽生えた嫌悪はそう簡単に消え去らない。あれからもう十年以上経っているが、私を不吉なものとしてうとむ人々は依然として存在する。

 そして、きつい顔だちは成長とともに美貌ととらえられるようにもなった。私からすればおだやかで優しげな容貌ようぼうにあこがれるのだが、いまの私の容姿は年ごろの令嬢たちにとっては羨望、そして妬みと嫉みの対象らしい。

 そういった複数の要素をもって、残念ながら、私は好かれるというよりも、常にややきらわれがちな立場の人間なのである。


「被害者はむしろあなたでしょうに」

「そういうとらえかたもできるでしょうね」


 シャルノンが続けた言葉を聞いて、私はため息まじりに歴史書を閉じた。わめき散らすミモザ様を思い出したせいで、うんざりした気分になっていた。


「お疲れのようですね」

「昨日、よく眠れなかったの。いやな夢を見た気がする」

「今夜の授業はやめましょうか」

「大丈夫よ。精霊学の百十五ページから。よろしくお願いします、先生」


 シャルノンは「はあ」とはっきりしない返事をして頭を掻いた。冴えているのか寝ぼけているのか、いずれにせよ変わり者ではある。

 彼は私の家庭教師だが、国に仕える優秀な魔導師であり、王太子殿下の教育係のひとりでもあり、また近年は教員として学院の教壇にも立っている。今日はこれから学院で精霊学の講義があるはずだから、個人指導の時間は終わりだ。こう見えて多忙な人なのである。


「そういえば、クライル様が門前払いを嘆いていました」

「当然だわ」


 私はきっぱりと言い切って、立ちあがったシャルノンに向き直った。

 クライル・フェレル・ド・スマルト伯爵。私の婚約者であり幼なじみだ。フェレル家は代々アルセレニア最高位の騎士に与えられるキャストリー侯爵の称号を継承する格式高い家柄で、クライルはその嫡男ちゃくなんである。ゆくゆくは彼はキャストリー侯爵となり、あまり実感はないのだが、私はその夫人になるらしい。


「体裁があるでしょう。謹慎中なのよ」

「では、あと三日の辛抱とお伝えしましょう。手紙などあれば届けますが」

「私がラブレターを?」

「書きませんね」


 シャルノンは無表情に言って、軽く肩をすくめた。

 クライルのお父上であるキャストリー侯爵と私の父アシュテンハイン辺境伯は、青年時代に剣の腕を競った友人なのだという。武術を通じて親友となったふたりは、それぞれに息子と娘が誕生したら子どもたちを縁づけようと約束したらしい。

 クライルは私より三つ年上で、いまはもう、ひと足先に成人している。つまり遅れて生まれた私は誕生した瞬間にクライルの許嫁いいなずけとなり、それから十七年を生きてきた。

 幼少期にはクライルをミュフラート家であずかっていたし、幼いころから家族ぐるみでつきあっているから、すくなくとも私にとっては婚約者というより兄のようなものである。


「それでは、少々席を外します」


 シャルノンは律儀に頭を下げて部屋を出て行った。それとほとんど入れちがいに、アニタがお茶とお菓子を持ってきた。


「お嬢様。お茶をお持ちしました」

「ありがとう。オールド・ミストね。いい香り」


 歴史書から手を離し、私は窓に面した机から部屋のなかほどにある丸テーブルに移動した。

 アニタは私が幼いころからミュフラート家に仕えている使用人で、シャルノン同様長いつきあいだ。

 二年ほど前、十五才になる年に、私は王立学院に入学するため故郷のアシュテンハインから王都のやしきに移り住んだ。その際に世話係としてアニタをともなったのである。

 たしか私と十才くらい離れているはずだから、いまは二十代の後半あたりだろう。王都で暮らすようになってずいぶん経つが、アニタが垢抜ける様子はまったくない。

 彼女を田舎くさいと言う人もあるだろうが、生まれ育ったのどかな港町を思い出すから私は好きだし、そのままでいてほしいとも思う。アニタは必要以上に若々しくもなければ老け込んでもおらず、シンプルな焼き菓子のような素朴さが私にはちょうどよいのだ。


「今日はお嬢様のお好きなアイシングケーキを」


 紅茶の香りに包まれながら、私はアニタが置いた砂糖がけのケーキを見つめた。ひどくなつかしい心地がした。

 レモンアイシングのケーキはアニタの得意なお菓子のひとつで、私の大好物だ。


「あなた、アイシングケーキのお店を出せばいいと思うわ」

「まさか」

「流行りの店よりおいしいもの」


 切り分けられたケーキにフォークを入れると、外側の砂糖がシャリッと小気味よい音を立てる。アニタは私の言葉を受けてからすこし考えて、「そうでもありません」とまじめな声で言った。


「華やかな都では流行りません。お嬢様の専門店でいるほうが安泰かと」

「ふふ」


 さわやかなアイシングケーキを口に運びながら、アニタの言葉に思わず笑ってしまった。

 シャリっとしたアイシングとしっとりとしたケーキがなんとも言えず心地よい。スモーキーなオールド・ミストとの相性は抜群で、ぼんやりした頭が冴えて行くようだった。


「それじゃあ、明日も食べたい」


 いたずらっぽくアニタを見上げると、彼女は「はい」と微笑んだ。

 上品に切り分けられたケーキはあっという間に終わってしまった。去年の誕生日にクライルが贈ってくれたスミレ模様のティーカップに口をつけて、私は南向きの明るい窓を眺めた。

 午後の陽ざしに包まれた窓辺で、灰色の小鳥がガラス越しにきょろきょろと様子をうかがっている。

 私はケーキのかけらが残った皿を持って席を立った。細くひらいた窓枠をそっと押す。小鳥は飛び立つことなく、尾っぽを小刻みにゆらして私を待っていた。

 彼、いいえ、彼女かもしれないけど、この小鳥とはすこし前からおやつを分け合う関係なのだ。


「どうぞ」


 私は小鳥の足もとにひとかけのケーキを置いてやった。


 ――被害者はむしろあなたでしょうに。


 ケーキをついばむ小鳥を眺めながら、さきほどのシャルノンの言葉を思い返す。

 ミモザ様はあの日、興奮した様子で私が彼女の兄をたぶらかしたとののしった。心あたりがあったからこそ、私は足をとめて彼女に向き直った。

 ミモザ様の兄、ディオ・ネーシュ・ド・ハルマン伯爵令息はとても内向的な青年で、学院内で孤立していた。ディオとは初年度から学級が一緒だったので、顔を合わせればあいさつをしたり、困っているなら手を貸したりした。それから二年間、私たちはよき友人として学院生活をともにした。

 ディオは賢く、特に魔法学に関する知識は飛びぬけていて、授業のほかに個人で研究を進めていたほどである。きゃんきゃん吠える小犬のようなミモザ様とは真逆に、緑陰りょくいんを思わせるまじめで物静かな青年だった。


 ――私が悪かったのかしら……


 そう考えて、私は首を横に振った。そもそも思わせぶりな態度をとったつもりはないし、彼は私に婚約者がいることを知っていたのだ。

 ディオの様子がおかしくなったのは第二学年の終わりごろだった。落ち着きなくそわそわしていることが増えたと思ったら、進級の折、彼は私に思いの丈を打ち明けた。

 もちろん私は彼の求愛をはっきりと断った。ディオのことは好きだし、大切だけれど、それはあくまで友人としてである。それ以上の関係を求められてもどうしようもない。

 ディオはあきらめるどころか、その日から私に対する執着をあらわにしはじめた。進級して学級が別れると、ディオは私を執拗につけまわしては、いかに私を愛しているか語るようになった。人が変わってしまったディオに困惑しながら、私はただ繊細な彼を傷つけないよう穏便に断り続けることしかできなかった。

 そんなある日、ディオの姿が見えなくなった。ようやくあきらめてくれたのかと安堵したのも束の間、私は例の中央階段で妹のミモザ様に詰め寄られたのである。

 ディオの姿が見えなくなったのは、彼がかなわぬ恋を嘆いて自殺未遂を起こしたからだった。それがミモザ様を憤慨させた理由だった。


 ――どうすればよかったの?


 ディオの身に起こった不幸をいきり立つミモザ様から聞かされて、私はひどく冷めた気持ちになった。そのせいでわずかに出遅れて、彼女の腕をつかみ損ねたのだ。

 ディオをまったく案じていないわけではない。しかし、私のせいで命を絶とうとしたというなら、彼の気持ちに応えればよかったのだろうか。どうやって?

 ディオもミモザ様も自分勝手だ、という気がした。そしてそう思ってしまう自分がひどく薄情に思われて、余計になにが正しいのかわからなくなる。


 ――気が重いわ。


 あと三日で謹慎が明ける。

 大騒ぎするミモザ様と令嬢たちに、教員も学院長もほとほと困り果てた様子だった。そこで私は自主的に謹慎を申し出て、その場を収めたのである。

 ああいうときの群れた娘というのは、どうしてあんなにもうるさいのだろう。あれからひと月、彼女たちはあの調子で私についての不名誉なうわさを吹聴しているにちがいない。


 ――どんな悪女に仕立て上げられているものやら。


 私はふう、と軽く息をついた。うわさくらいはどうということはない。もともと万人に好かれる性質たちではないのだ。

 ただ、どうすれば誰も傷つかずに済んだのか、そんな都合のよい答えなどないとわかっていても考えずにいられなかった。


「人間は面倒ね」


 ケーキを食べ終えた小鳥にそっと指を寄せると、小鳥はぱっと窓辺を飛び立った。

 そうね。私たちはおやつを分け合う関係で、それ以上でも以下でもない。人間同士もそのくらいシンプルならいいのにね。


「……」


 窓を閉めて振り返ると、アニタが浮かない顔をしていた。

 私が呪われた娘だとささやかれたとき、アニタはすでに我が家の使用人だった。とらえかたによっては今回の件もそれなりに理不尽である。ディオもミモザ様も一方的で、私の気持ちを置き去りにしたまま悪役にされてしまったともいえるのだ。

 とはいえ、あのときのほうがもっと理不尽だった。エレイン様のたったひと言で、生まれ持った髪の色を理由に私は国中から目の敵にされた。当時、根拠のない中傷は私だけでなく家族や使用人たちにまで及んだから、アニタも自分のこととしてよくおぼえているだろう。

 規模こそちがうが、今回のできごとはそんな理不尽のくり返しのようにも思えた。


「アメジストは錆びない、ですって」


 私はシャルノンがくれた言葉をアニタに投げかけた。アニタは顔を上げて私を見つめた。


「シャルノンもたまには気が利くわ」


 つとめて明るく言ってみせると、アニタは悲しみとも憤りともとれる複雑な表情を隠して微笑んだ。


「そうですね」


 あのとき、家族もシャルノンもアニタも、そして婚約者のクライルも、その父キャストリー侯爵も、誰ひとり私を責めなかった。中傷を毅然きぜんと受け流し、ときには反論してくれた。

 だから私は他人をおそれずに、私が私であることに胸を張っていられるのだと思う。

 ダイヤほど強くなくても、アメジストはもろくないのだ。私はゆううつを振り払って背すじを伸ばした。

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