第十話(1)
謹慎が明けてから、私はいつも通り学院にかよった。そうして誤差くらいにしか変化のない毎日をくり返して、今回も学院パーティーと同日に、自邸で夜会を
「せっかくのパーティーなのに、どうしてその格好なの」
「はあ。仲間内の気軽な食事会だとおうかがいしたので」
一番乗りで
「さすがにひどすぎるわ。ジェーン。お父様の服があったわね。どれを着せてもかまわないから、この人をどうにかしてちょうだい」
「かしこまりました。シャルノン様、どうぞこちらへ」
ちょうどエントランスにいた使用人に声をかけて、シャルノンを託した。シャルノンはちょっと肩をすくめて、けれど抵抗せずにジェーンに従って客間に入って行った。
「こ、こんばんは」
シャルノンの姿が客間に消えてから、次にやってきたのはリリーだった。前回はアレクシス様のほうが早かったから、順番が若干変わったようだ。リリーは淡い黄色のドレスをまとって、学院パーティーへ行ったときほどではないにしろ緊張しているようだった。
今回、私はリリーと一緒にドレスを選んで、自分と彼女のものを一着ずつ仕立てた。私はリリーがすすめてくれた以前と同じオーシャンブルーの布を選び、彼女には春色のイエローのドレスをすすめた。
いまの私はリリーのために無邪気に若草色のドレスを選ぶ気にはなれなかった。
――ひとの気持ちを踏みにじりたくはないもの……
アレクシス様が本当は誰を想っているのか、確信はまだ持てない。
しかし、自覚してみると、彼とひんぱんに目が合うことに気づいた。ふと視線を向けて目が合うと、アレクシス様は何食わぬ顔で優しく微笑む。
「こんばんは。とても似合っているわ。きれいよ、リリー」
「そ、そ、そんな。エリーゼさんほどではないです」
私が微笑みかけると、リリーはいつものはわはわという鳴き声をあげながら、謙遜して両手を振った。
「やあ、エリーゼ。楽しい夜になりそうだね」
「わざわざお越しいただいて、ありがとうございます」
頬を染めたリリーのうしろから黒い外套を羽織ったアレクシス様とクライルがやってくる。外套の下は、アレクシス様は白地に金の刺繡をあしらった盛装、クライルは近衛騎士の制服だった。以前と一緒だ。
クライルは私のドレスを見てちょっと驚いた顔をして、なにも言わずに視線をそらした。機嫌が悪いわけではなくて、照れているのだ。
はじめは私も照れくさかったが、そろそろ慣れてきて、照れているクライルを可愛らしいと思う余裕さえ生まれた。
「それはリリーと一緒に仕立てたドレスかな?」
「はい」
「きれいな青だね。どこかで見た色だ」
そう言って、アレクシス様はいたずらっぽく笑う。しかしよく見るとその瞳がさびしそうにも見える。
何度もくり返しながら、私はクライルの瞳と同じ色のドレスを幾度も仕立てたが、アレクシス様はいつも色をほめるだけで似合っているとは言ってくれない。
「リリー。よく似合っているよ。見ちがえるようだ」
「あ、あり、ありがとうございます」
アレクシス様にほめられて、リリーが恥ずかしそうにうつむく。リリーに向けられたアレクシス様のまなざしはとても優しかった。
「デニスにはカティアを迎えに行ってもらったよ」
「まあ。それは楽しみですわ」
アレクシス様の視線が私に移ったので、私は美しいヘーゼルグリーンの瞳を見つめ返しながら笑った。くすりと笑った私を見て、アレクシス様が目を細める。すこしさびしそうで、でも慈しむようなまなざしだった。
私は三人を広間に案内して、そのあとカティア様とデニス様が到着した。
「エリーゼ様。本日はお招きいただきありがとうございます」
落ち着いたボルドーのドレスに身を包んだカティア様がドレスのすそを持ち上げて会釈する。今日のカティア様はいつも高く結っている髪をおろして、温厚でもの静かそうな令嬢に変身していた。
以前は彼女も近衛騎士の制服で参加したが、リリーの練習にもなるからと今回はドレスをすすめたのだ。
そして貴族令嬢然としたカティア様のとなりに、不自然なほど背すじを伸ばしたデニス様が立っている。デニス様はクライル同様騎士服だった。
「今日はさすがに剣はお持ちでないわね?」
「ええ。落ち着きません」
私がからかうと、カティア様ははにかむように笑った。でも、そう言うカティア様よりも、となりのデニス様のほうがそわそわしているみたい。
「みんなそろったし、乾杯しましょうか。リリー、シャンパンは大丈夫?」
「はい。……あっ、いえ、私、いまは十六才だから、未成年でした」
私のひと言で、控えていたアニタが人数分のグラスをトレンチに乗せて近づいてくる。リリーにたずねつつ視線をグラスに移した私は、彼女の返答に首をかしげながら振り返った。
「大丈夫です、リリー様。アルセレニアの法は飲酒に年齢制限を設けていません」
そう言いながら広間に入ってきたのが誰なのか、一瞬わからなかった。
お父様のシャツは痩せ型のシャルノンにはすこし大きくて、けれど色あせたローブよりずっと小綺麗だ。ぼさぼさだった髪もジェーンが
「シャルノン?」
驚いたように言ったのは、アレクシス様だった。それにリリーが「シャルノンさん?」と続く。
「シャルノン。びっくりするほどまともだわ。普段からそうしていればいいのに」
「普段からまともなつもりですが」
私が正直に言うと、シャルノンはいつもの仕草で肩をすくめた。
シャルノンの素顔は思っていたよりも若く、クライルよりはやや大人びているが二十代半ばほどのデニス様やカティア様とそう変わらない年ごろに見えた。もうすこし年を食っているはずと思い込んでいたから意外だった。しかし相変わらず猫背ではある。
「乾杯しないんですか?」
まじまじと見つめていると、シャルノンが眠そうな顔で言った。私は「そうね」とつぶやいて、アニタに目配せした。
「今夜は友人同士の小さな集まりです。みなさまどうぞ、肩の力を抜いてお楽しみください」
全員にグラスが行き渡ってから、私は簡単な口上を述べてグラスを掲げた。リリーが慣れられるようにと食事は立食ふうにして、夜会はいつものランチのようになごやかにすすんだ。リリーの緊張もすぐに解けていつもの笑顔がもどってきた。
ダンスの話題になると、以前と同じようにデニス様とカティア様が見本を見せた。足をもつらせたデニス様をカティア様が勇ましく抱き寄せて支えたので、面白くてみんなで笑ってしまった。デニス様はひどく恥ずかしそうで、けれどカティア様はそんなデニス様を見て楽しそうに笑っていらして、とてもよい雰囲気だった。
椅子を引き寄せて傍観者に徹したシャルノンは、私たちの様子を一歩離れて観察しながら黙々とデザートを口に運んでいた。
そのあとはアレクシス様がリリーを誘って、手本がわりに私とクライルも向き合った。クライルのリードは相変わらず完璧で、けれど今日はいつもよりすこし強引だった。ちらりとリリーの様子を見ると視線がまじわる。彼女の動きはひどくぎこちなくて、しかし必死に学ぼうとしているようだった。
アレクシス様はリリーを優しく見守っていて、いえ、むしろかたくななまでに私から目をそらそうとしているような、そんなふうに見えなくもなかった。
「エリーゼ」
ささやいたクライルを見上げると、めずらしく強張った顔をしていた。
「すこし、ふたりで話したい」
「ええ……」
謹慎が明ける前にクライルに会ったからか、夜会にシャルノンを誘ったからか、なにがきっかけかはわからないが新しい展開だ。
すこし風にあたってくると断りを入れて、私はクライルと一緒に広間を出た。
「お茶をいれる?」
階段をのぼりながらクライルに聞くと、クライルは「いや」と短く答えた。沈黙に妙な緊張がただよっているのを感じながら、私はクライルをともなって自室へともどった。
お茶もないのにテーブルに向き合ってもおかしいから、バルコニーに出ることにした。窓をあけると冷たい夜風がハリエンジュの香りを運んでくる。
クライルが欄干に片手を添えて、落ち着きのない様子で庭を見渡した。
「どうしたの」
クライルのとなりに立って、私は彼の整った横顔を見上げた。
「……」
クライルはなにも答えずに庭を見下ろしていて、ふうとひと息ついてから意を決したように振り返った。
「十八になるまでに君の気持ちが変わったら、婚約を解消する約束になっている」
「……え?」
クライルの顔を見つめたまま間抜けな声を出してしまった。こんな甘い香りの心地よい夜に、別れ話でもはじまるのだろうか。にわかに不安が込み上げて、私は自分の胸もとに手をあてた。
「婚約って……私と、あなたの?」
「そうだ。アシュテンハイン卿は、君に望まぬ結婚を強いるつもりはない。君がいやだと言えば、解消できるんだ」
クライルの瞳は真剣そのもので、冗談を言っているのではなさそうだった。
私たちの婚約は、私が生まれてすぐに私の父アシュテンハイン辺境伯とクライルの父親のキャストリー侯爵によって取り交わされた。私が生まれたときだから、クライルもまだ三つかそこらだろう。それから十七年間、大人になるにつれクライルとの関係の変化にとまどいながらも、でも私にはクライルだけだと信じて生きてきた。
自分がひどく動揺していることに気づいて、私はそれがあらわれないようつとめて落ち着いた声で言った。
「はじめて聞いたわ。どうして、いま、私に?」
「君の気持ちを尊重したい。君が、もし……」
クライルは視線を落として「もし」とくり返した。
「別の誰かを……」
「まるで、そう言ってほしいみたい」
私は煮え切らないクライルの言葉をさえぎった。思ったより低い声が出て、ひどく冷たい響きになった。
――泣きそうだわ。
込み上げてくる感情を飲み込んで、私は唇を噛んだ。
もしかして、私はひどい鈍感なのかしら。クライルに愛されていると思い込んでいたけれど、本当はちがったのかもしれない。オーシャンブルーのドレスを見て、彼は照れていたのではなく、とまどっていた?
くり返すうちに、どこかでボタンを掛けちがったのだろうか。私は鈍感で傲慢だったのかもしれない。クライルの優しさに甘えて、与えられるばかりで、彼になにも返していない。
「そうじゃない」
クライルは感情を殺したような低い声で言った。
「なら、言わない」
私はうつむいて、ふるえそうになる声をなんとかこらえてつぶやいた。静かな夜だ。ささやかな葉擦れの音を聞きながら、私もクライルも押し黙っていた。
――いまさらクライル以外の誰かなんて……
あなたでなければいやだと、泣きわめきたい気分だった。
そしてそんな気分になってはじめて、私はクライルへの執着を強く自覚した。このひどくわがままな執着を恋とよぶのだとしたら、きっとそうだろう。
「……殿下は」
沈黙ののち、先に口をひらいたのはクライルだった。
「殿下は、君を」
それだけ言ってクライルは口をつぐんだ。彼がなにを言わんとしたのか、それだけで十分わかった。
私が勘繰るくらいなのだから、アレクシス様とずっと一緒にいるクライルがそう思ってもなんらおかしくはない。クライルの目にもそう映るのだ。
アレクシス様は優しくて、おだやかで、夜明けの光のようにまぶしい。人として、主君として、また友人として敬愛しているし、彼に愛される人はこのうえなく幸福だろうと思う。それでも、私は首を横に振った。
「あなたじゃなきゃ、いや」
「……」
「クライルじゃなきゃ、いやなの」
自分で言って子どものようだと思いながら、それを伝えるだけで精一杯だった。
なぜかと聞かれてもうまく説明できない。それは積み重ねてきた時間で、かわしてきた言葉で、簡単に言い表せるものではなかった。胸の奥にある、言葉では説明できない感情だった。
「俺だって……」
押し殺した声で言って、クライルは私をきつく抱きしめた。
「君じゃなきゃ、いやだ」
クライルのささやきが直接体に響く。私は彼の胸に頬を寄せて目を閉じた。彼が私と同じ気持ちなら、離れ離れを選ぶ必要はない。ほっとして、涙が出そうだった。
「結婚しよう、エリーゼ」
クライルはおだやかな声で、しかしはっきりと言った。私はゆっくりと顔を上げてクライルを見つめた。
部屋の明かりがバルコニーをうっすらと照らしていて、お互いの表情くらいは見て取れる。クライルは真剣なまなざしで私を見つめていた。
クライルの口からはっきりと求婚の言葉を聞くのははじめてだった。すこし前の私だったら、ひどくとまどっただろう。いまの私は思いのほか落ち着いていて、驚きはしなかったが、自分がどんな顔をしているかは見当がつかなかった。
クライルの言葉はストンと胸に落ちて、パズルの最後のピースがぴたりと収まったような、あるべきものがあるべき場所に落ち着いたような心地ではあった。
「君の十八の誕生日までまだ半年あるが、アシュテンハイン卿を説得する。在学中に結婚してはいけないというきまりはないし、法的にもなにも問題ない。予定がすこし早まるだけだ」
クライルは私を見つめたまま、そう理屈を並べた。クライルはいつでも涼しい顔をしているが、それは顔だちのせいでもあるし、冷静と余裕のあらわれでもある。しかし、私がこんなにほっとしているのに、いまのクライルの表情にいつもの余裕はなかった。
それを不思議に思っているとクライルは困ったように眉をゆがめて、彼にしてはめずらしく弱気な顔をした。
「……余裕のない男はきらいか?」
「どうしたの?」
「……」
クライルはだまり込んで、ぎゅっと私にすがりついた。
「焦ってるんだ。殿下が君を望んだら、太刀打ちできない」
「アレクシス様はそんなこと……」
言いかけて、私は口をつぐんだ。アレクシス様が私たちを傷つけるような行動をとるとは思えないが、第三者の善意や悪意が絡めば、そうなる可能性も否定できない。もし正式に求婚されたら私にもクライルにも、もちろん私たちの両親にもなすすべはない。ささやかな抗議や説得を試みたとして、それが実を結ぶ可能性は限りなく低いと思われた。
しかしその前にクライルと結婚してしまえば、夫のある妻を略奪するというのはさすがに王室の醜聞にもつながるから、抑止力にはなるだろう。
「次の休暇にアシュテンハインをたずねるよ」
「私も一緒に行くわ。お父様を説得するなら、私の意見も必要でしょう?」
「うん……」
子どものようにうなずいてから、クライルは腕をゆるめてふたたび私を見下ろした。
「……」
「なに?」
「まだ、君の返事を聞いてない」
「私は……あなたとずっと一緒にいられたら、それでいい」
「つまり、結婚してくれる?」
私が遠回しな言いかたをしたので、クライルは念を押した。私は自分の腕をクライルの背中にまわして、顔を隠すように頬を彼の胸に押しつけた。
「はい……」
小さな声でうなずいた私をクライルはきつく抱きしめた。
私はクライルのぬくもりに包まれながら、胸に新しい未来への希望が
――この時間は、また失われるかもしれない。
リリーを守れなければ私たちはふたたび過去にもどる。私はおぼえているけれど、クライルは忘れてしまう。
「エリーゼ」
よばれてクライルを見上げると、彼は壊れものにでも触れるように、優しく私の頬をなでた。
「きっと、今日を一生忘れない」
そう言って、クライルは優しく目を細めた。とても幸福な瞬間のはずなのに、彼の言葉が氷の針になって胸を刺した。希望と不安がせめぎあって、ひどく切なくて、押し出されるように涙があふれてくる。
クライルはとても優しく、私のふるえる唇に口づけた。
――だって、忘れてしまうのよ。
こんなに優しいキスだって、彼は忘れてしまうのだ。
一度あふれたらとまらなくて、涙が落ち着くまで広間にはもどれなかった。クライルがアニタをよびに行ってくれて、崩れた化粧をなおしはしたものの、瞼は熱を持っているし声もすこし鼻声だ。
とはいえ客人をこれ以上待たせるわけにもいかないから、クライルと一緒に階下へもどると、案の定みんなが異変を察した顔をした。
「ど、どうしたんですか、なにかひどいことを言われたんですか!」
なかでもリリーはこちらが心配してしまうくらい青ざめて、なぜそんな発想になったのかクライルをにらみながら鋭い声をあげた。
「ちがうの。落ち着いて、リリー」
「でも!」
「うれし泣きなのよ」
私はリリーの細い腕にそっと手を置きながら、そう取り繕った。
「その……結婚することにしたの」
「え……」
ごまかしたところで意味もないので、ありのままを端的に伝える。リリーはぽかんとしてから「ええーっ!」と大声を出した。
「えっ、あっ、クライルさまと?!」
「ほかに誰がいるの」
「あっ、わっ、わー! おめでとうございます! よかった。ほんとに、よかったです」
おおげさに驚くリリーの丸い瞳から、今度はぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
「どうしてあなたが泣くの」
「だって……だって~、エリーゼさんがちゃんと好きな人と結ばれたからぁ~」
「おおげさね。ほら、目をこすったらだめ」
わんわん泣くリリーにつられて、思わず胸が熱くなる。それをぐっとこらえて、アニタが差し出してくれたハンカチを手にとり、リリーの頬をぬぐってやった。
「卒業を待つつもりでしたが、ハルマン伯爵のご子息のことなどもありましたので……」
私たちを見つめているアレクシス様にクライルがそう説明する。
たしかにディオの件についても、クライルとの正式な婚姻が成り立てばもう私は手に入らないとあきらめる……だろうか。
「ああ……」
わずかに間があってから、アレクシス様がうなずいた。
「そうだね。そのほうがいい。思いがけずよい知らせが聞けてうれしいよ」
「おめでとうございます」
アレクシス様はいつものおだやかな微笑みを浮かべて言った。それに続いて、カティア様がうれしそうに祝福の言葉をかけてくれる。
「式はすぐに? 忙しくなるね」
「いえ、一度アシュテンハイン卿にお会いしなければならないので、早くても夏ごろでしょうか」
「のんびりしていて花嫁の気が変わっては大変だよ。休暇をとってふたりで……」
「職務を放り出すわけには行きません」
アレクシス様の気づかいに、クライルはかたくなな口調で答えた。バルコニーではあんなに余裕のない顔をしていたのに、いまはその片鱗も見あたらない。「まじめなんだからなあ」とデニス様がちょっと呆れを含んだ声で言った。こういう融通のきかないところもクライルらしいといえばらしいが、厳しい表情にうしろめたさを隠しているようにも見えた。
私が十八になるまで待つという父との約束を破ることもそうだし、アレクシス様を出し抜いてしまったような気分になっているのかもしれない。クライルはまじめで融通がきかなくて、なにより卑怯をきらうのだ。
「彼女が私を見限るのであれば、その程度の男ということです」
クライルはアレクシス様と向き合って、はっきりと言い切った。アレクシス様がクライルを見つめながら口を引き結ぶようにして微笑みをつくる。
「ほんの冗談だよ。私は、君以上に彼女にふさわしい人はいないと思っているんだ」
すこしさびしげな、けれど優しいまなざしをするアレクシス様に、クライルはだまったまま会釈した。
そしてシャルノンはそんな私たちの様子を椅子に座ったまま遠巻きに眺めていた。
「それでは、名残惜しいけれど、私はそろそろ……」
「ええ。おひらきにしましょう。リリーのお化粧も落とさなくてはなりませんし」
「うえっ。そんなにひどいですか?」
いとまを切り出したアレクシス様に続いて私がちょっとリリーをからかうと、ホールの空気がふわりとなごむ。
やってきたときと同じようにアレクシス様はクライルをともない、カティア様はデニス様と一緒にエントランスを去って行く。私はシャルノンと、それから神殿からの迎えを待つリリーと一緒に彼らを見送った。
「あの……今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「私もよ。……ねえ、リリー。もしよかったら、今日はここに泊まって行かない?」
「えっ」
「せっかくだし、もっとお話がしたいわ」
まんざらでもない様子のリリーに追い討ちをかける。このままリリーを帰せば、彼女はまた私の目の届かない場所で命を落とすかもしれない。彼女の命をうばうものが事故なのか事件なのかはわからないが、帰さなければ、すくなくとも同じ状況は避けられる。
「あの……本当にいいんですか?」
「だめな理由があるなら、あきらめるわ」
なかなか決め切らないリリーに、ちょっとさびしげな顔で言ってみると「とんでもない!」と大きな声が返ってきた。リリーははっと口もとを押さえて「それじゃあ」とつぶやいてから、遠慮がちにシャルノンに視線を送った。
「問題ないでしょう。外泊についてはぼくが伝えておきます」
「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
ぱあっと表情を明るくするリリーに、シャルノンは相変わらずの無表情で答えた。そして彼は私にちらりと目配せしてすこしだけ首をかしげた。シャルノンなりの励ましにも思えたが、首をかしげるのは彼の癖のようなもので、深い意味はないのかもしれない。それでも問題を共有できる相手がいると感じるだけで、私の不安と孤独はいくぶんやわらいだ。
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