第八話(2)

 あんなに憂鬱だったのが嘘のように、学院パーティー当日まで楽しい毎日が続いた。危機を乗り越えたという安心感で浮かれていたのかもしれない。


「とてもお似合いですわ」


 編んで結い上げた私の髪に仕上げの飾りを差しながら、鏡越しにアニタが微笑んだ。私は落ち着かない気分で手を揉みながら「ええ」とだけ答えた。

 リリーにああ言ってしまった手前、私はそれほど必要でもないドレスを一着新調することになった。リリーと一緒に布を選びながら、私はいつものように暗い色ばかりを眺めていたのだが、彼女のすすめで普段なら選ばないあざやかな色に決めてしまった。


 ――これはどうですか?


 リリーがまず私にすすめたのはパステルブルーの布だった。淡い色は似合わないからと断ると、彼女が次に手に取ったのは明るくあざやかなオーシャンブルー、このドレスの布である。


「派手すぎないかしら」

「いつも地味なせいでそうお感じになるだけでは?」


 なかなかひどいことを言って、アニタはやはりにこにこしていた。


 ――そう、浮かれていたのよ。


 リリーが選んだ色がなにを示すか、気づかないわけではなかった。けれど、そうね、たまには明るい色もいいかしら、なんて知らんふりの気どり顔でこの青を選んだ。


 ――パステルブルーはクライルの髪、オーシャンブルーは瞳の色だわ。


 浮かれていただけで深い意味はないけれど、クライルは気づくかしら。気づいたら、どう思うかしら……。


「ねえ、やっぱり別のドレスを……」

「お嬢様。お迎えがいらっしゃいましたよ」


 ノックが私の言葉をさえぎる。ため息をついて観念すると、私は鏡台前のスツールから腰を上げた。


「いってらっしゃいませ」


 アニタがドアをあけて、励ますように送り出してくれる。落ち着かない気分でエントランスへ向かうと、いつもの騎士服姿で前髪を上げたクライルがそっぽを向いて立っていた。


 ――堂々としていれば、乗り切れるわ。


 私は気恥ずかしさを胸のうちに押し込めて、階段を下りた。


「クライル」

「ああ……」


 クライルが振り向いて、口をつぐむ。

 彼は無言で私の手をとり、階段を下りきるまで手を引いてくれた。


「はじめて見るドレスだ」

「リリーと一緒につくったの」

「そうか」


 短い言葉をかわして、私たちは邸を出た。陽はすっかり落ちて、静かな春の夜が広がっている。

 門の前に馬車が二台停まっていて、手前の馬車のかたわらに、やはり騎士服姿のカティア様とデニス様が立っていた。

 そよ風に乗ってふわりとハリエンジュの香りがした。どこに咲いているのだろう。


「いい夜だね」


 馬車のそばへ歩み寄ると、アレクシス様が手を差し伸べてくれる。その手をとって馬車に乗り、私は緊張でがちがちに固まっているリリーのとなりに腰を下ろした。


「久しぶりで、私も緊張しているよ」

「ええ、私も。リリーほどではないけれど」


 アレクシス様と私の軽口は、固まったリリーには届かなかったようだ。リリーは私と一緒につくった若草色のドレスをまとって、いつもおさげにしている亜麻色の髪をおろし、ゆるく巻いていた。

 車内は窓枠と扉に魔法ガラス製のダイヤ型のジェムランプがとりつけられていて、ろうそくを数本灯した程度にうす明るい。緊張してうつむいたリリーは、ランプが落とした陰影のせいかいつもより大人びて見えた。

 四人乗りの馬車に最後に乗り込んだのはクライルだった。カティア様とデニス様は後続の馬車に乗るのだろう。うす暗い密室でそれなりにムードがあるといえばあるが、せっかくの機会もデニス様では活用できないだろうという気がした。

 馬車がゆっくりと動き出す。

 正面のクライルに視線をやると、カーテンを閉じた窓を見つめてそっぽを向いていた。


「どうしたんだい?」


 顔をそむけたクライルに、アレクシス様が声をかける。


「いえ……」


 クライルはめずらしく口ごもって、片手で口もとを覆った。暗くて顔色までわからないが、調子が悪いのだろうか。


「具合が悪いの?」

「いや……」


 心配して聞くと、彼はこちらをちらりとも見ずに、そっぽを向いたままうつむいた。そうして、小さくため息をついて手を下ろし、ひざの上に置いて握った。


「なんでもない」

「そう。私に言えないことなのね」

「……」


 やっと正面を向いたクライルをからかうと、彼はむすっと顔をゆがめてまたそっぽを向いてしまった。なんなのかしら。

 アレクシス様がいたずらっぽい顔をした。


「君のエスコートはクライルでよかった?」

「ご機嫌を損ねてしまったようだわ。デニス様にお願いしようかしら」


 私はちょっとした皮肉を利かせてクライルの様子をうかがった。いつもなら「だめだ」と言うのに、今日はだまって口を引き結んだままだった。

 学院パーティーは学院の生徒であればパートナーの同伴なしでも参加できるし、ドレスコードとして制服の着用も認められている。もちろん男子生徒も女子生徒もほとんどが着飾ってするが、そのくらい気軽な催しだ。

 パートナーの同伴もまちまちだが、パートナーに関しては血縁のきょうだいか現役の騎士であれば、学院生でなくてもともなうことができる。いろいろな伝手を駆使して、同伴者として若手の騎士を招く女子生徒もいると聞くから、つまり、若者の出会いの場としても機能しているのだ。

 クライルは近衛騎士としての職務の一環でパーティーに同行するわけだが、どうせ一緒に入場するのだからエスコートしてもらうほうが自然だろう。もちろんデニス様でもかまわないけれど、そうすると仲たがいだなんだとうわさくらいにはなるかもしれない。

 パーティーの頻度は基本は三か月に一回だが、それとは別に年末と年度初め、学院の創立記念日などにも開催されるから、年間七回程度は実施されている。

 参加するもしないも自由なので、私は人づきあいが多いほうでもないし、学院長のあいさつがある創立記念日と年末以外は誘われれば顔を出す程度にとどめていた。たしか、アレクシス様も創立記念日以外はほとんどご欠席だったはずだ。そしてダンスの時間になるとふらりとお姿が見えなくなるのだとうわさ話に聞いたことがある。

 私もダンスがはじまる前に中座しがちだから、アレクシス様が学院パーティーでどちらかのご令嬢と踊っている姿は見たことがない。


 ――でも今日は、リリーをエスコートするのよね。


 大騒ぎになるだろう、という予感がした。

 そして、だまりこくったクライルの横顔を眺めながら、私はほんのすこしだけさびしい気持ちになった。


 ――せっかく青いドレスを選んだのに。


 ほどなくして馬車は学院の正門の前で停まった。ちらほらと盛装の男女の姿が見える。

 クライルが先に馬車を下りて、視線をそらしたまま手を差し出した。私は無言でその手をとった。

 それに続いてアレクシス様がリリーに手を差し伸べる。


「足もとに気をつけて」

「は、はい」


 アレクシス様の手をとったリリーは、片手でドレスのすそをつかみながら、ぎこちない動きで馬車を下りた。

 可哀そうなくらい緊張しているけれど、これから先のことを考えたら、社交の場にも慣れておいたほうがよい。

 リリーはセフィーラの称号を持つ女性で、彼女の権威は王族に匹敵する。過去にセフィーラを伴侶とした王族も存在するし、アレクシス様とリリーの恋路に障害はないはずだ。

 シュゼット様の出奔から二年。やっとアレクシス様の心の傷を癒せる存在があらわれたのかもしれない。でも、問題はリリーのほうだわ。どう見ても鈍感そうだもの。

 私たちが会場のホールに向かって連れ立って歩き出すと、きゃあっ、と黄色い声があがった。


「アレクシス様だわ」

「本当!」

「誰とご一緒なの?」

「エリーゼ様よ……」

「このあいだ、おふたりが親密なご様子で微笑み合っていらっしゃるのを見かけたわ」

「うそ。それって」


 友人同士でやってきた令嬢たちだろう。声をひそめてはいるが、静けさのせいで丸聞こえだった。

 人はときに思い込みでものを見ようとする。微笑み合う私とアレクシス様を見かけたという女子生徒は、私たちのあいだにいるはずのリリーを見落としてしまっているのだ。

 やれやれと思いながら素知らぬ顔で足を進めると、クライルが「ンンッ」と喉を鳴らして自分の腕を差し出した。

 私はクライルの不自然にそらされた横顔を見上げて、その腕にそっと手をかけた。


「……怒っていたんじゃなかったの?」

「怒る理由がない」

「じゃあ、なぜ?」

「……」


 ゆっくり歩きながらクライルはちらりと私を見下ろして、ふいと視線を正面にもどした。


「そのドレス、いままでで一番、君に似合ってる」


 その言葉を吟味しつつ、私は視線を落とした。

 もう一度胸で反芻はんすうして、クライルの態度の正体にようやく気づいた。顔が火を噴いたように熱くなる。最初に顔を合わせたエントランスで、彼は青色の秘密に気づいていたのだ。


「これはリリーが……」


 とっさにリリーが選んだと言い訳しようとして、それを飲み込んだ。私はクライルの腕にかけた手にすこし力を込めた。


「……いいえ。自分で選んだの」


 すぐそばにあるぬくもりは、簡単に失われてしまうのだ。そんな意識が私の背中を押したのかもしれない。

 ホールの明かりが近づいてくる。まだ夜のなかに隠れていたくて、私は意図的に歩調を落とした。しかし抵抗むなしく、私たちはすぐにお互いの顔色が見分けられるほどのジェムランプの光にさらされた。

 クライルはすまし顔で前を向いていた。「クライル様だわ」とどこかの令嬢がささやく声がする。

 神経質そうな横顔はいつも通りで、でも、クライルの頬も耳もいつもより血色がよい。むすっと引き結んだ唇は、ゆがみそうになるのをこらえているようにも見えた。

 壮大な天井画と輝くシャンデリアに彩られたホールにはすでに多くの生徒が集まっていた。ちらほらと騎士団の制服も見える。

 生徒のほとんどは着飾るが、同伴の騎士たちは目に見えるステータスとして制服で参加する傾向にある。普段の勤務用の制服のほかに、式典用の正装の人もいるようだ。

 やはりここでもアレクシス様の姿を認めた女子生徒が黄色い悲鳴をあげて、それが次々に連鎖した。

 会場へ入るとクライルは職務にもどって、カティア様たちと並んでアレクシス様のうしろに立った。すると私は必然的にアレクシス様のおそばに立つことになる。アレクシス様をはさんで反対側にリリーがいるのに、令嬢たちの嫉妬のまなざしは私に集中していた。


 ――よくご覧になればいいのに。


 リリーが私にオーシャンブルーをすすめたお返しに、私は彼女に若草色の布をすすめた。


 ――あなたの大地のような瞳と、亜麻色の髪によく似合うから。


 私がそう言うと、リリーは照れたようにはにかんだ。彼女がその顔を私にではなくアレクシス様に向けてくれたら、ハッピーエンドが待っているのに。そんな勝手な願望を抱きながら、私はその布でリリーのドレスを仕立てるよう注文した。


 ――リリーは気づいていないでしょうけど、アレクシス様の瞳の色なのよ。


 リリーの振る舞いは洗練とはほど遠い。しかし彼女はセフィーラだから、彼女がどんな行いをしても、それが国民感情に反しない限り許容される。

 リリーの存在はいまだんだんと学院内に浸透しているところだが、そのうちアルセレニア中に広まって、そのころには彼女のファッションや振る舞いが国中に流行しているだろう。

 しかも彼女がアレクシス様の寵愛を得て、また逆にアレクシス様がセフィーラの心を射止めたとなれば、アレクシス様を支持する人々は歓喜するだろう。神殿派の支持も取り込めるだろうから、政治的にも有利にはたらく。


 ――いえ。そんな打算を抜きにして、私はただ友人たちの幸福を願っているだけ……。


 どんな権力者も、リリーの意に反して彼女を利用することはできない。彼女は人でありながら、しかし女神であって、不可侵なのだ。それは私たちアルセレニア人に植えつけられたくつがえすことのできない宗教観である。

 セフィーラはアルセレニアを救済に導く。もし彼女にかせをつけたり、誰かが傀儡かいらいにしようとしたりすれば、アルセレニアに救いはもたらされない。

 ゆえに、表立ってリリーのうばい合いははじまらないし、どちらかといえば彼女は遠巻きにされがちなのである。

 言いかたを変えれば、賢明であればあるほど、必要以上にリリーに干渉しようとしない。足をすくわれたときのリスクが大きすぎるからだ。もし誰かがアレクシス様がリリーを利用していると声をあげてリリー自身がそれを認めれば、王太子といえど失墜はまぬがれない。

 私やアレクシス様がリリーと平然とつきあえるのは、ある意味怖いもの知らずで、打算がないからだ。

 私もアレクシス様もリリーを野うさぎのような女の子だと思っている。彼女のかたわらには草木の香るひだまりがあって、リリーと一緒にすごしていると、そこに寝そべって無邪気な子どもにもどっているような心地になる。

 さしずめ私とアレクシス様は、野うさぎのかたわらにいこう小鳥のようなものなのだ。


「たいしたものよね。アレクシス様に取り入って、リリー様まで手懐てなずけるんだもの。エリーゼ様にはきっと怖いものなんてなにもないわ」


 悪口というよりも、感心したようなささやきがどこからか聞こえた。


 ――みんな、なにも見えていないのね。


 面白くなって、扇で口もとを隠す。リリーに手懐けられているのは、私のほうなのにね。


「リリー、なにかおいしいものをもらってくる?」


 体を固めて直立しているリリーに声をかける。いつもならよろこんでぴょんとはねるだろうに、可哀そうに彼女はふるふると首を横に振った。


「飲みものにしようか。気持ちも落ち着くだろうから」


 アレクシス様がデニス様に目配せして、デニス様が飲みものをとりに行く。私たちは会場の注目を集めながら、リリーのために壁ぎわに移動した。

 ほどなくしてデニス様が桃色のカクテルを手にもどってきて、私とリリーにグラスを差し出した。

 リリーは不安そうな面持ちで、ぎこちなくカクテルに口をつけた。


「おいしいっ!」


 と思ったら、彼女はぱあっと顔色を明るくして、まんまるの瞳をいつものように輝かせた。私もアレクシス様も、思わず笑ってしまった。


「デザートもたくさんありますよ」


 カティア様が優しく微笑むと、リリーが照れくさそうにうなずいた。

 そのうちに音楽が鳴りだして、ダンスの申し込みがはじまった。周囲の令嬢たちがちらちらと私たちの様子をうかがっている。アレクシス様と踊りたいのだろう。


「お手本を見せようか」


 アレクシス様がカクテルグラスを握るリリーに言ってから、私に向かって手を差し出す。カティア様がすっと私のとなりにやってきて、私の手からグラスを受けとった。

 踊るつもりはなかったけれど、アレクシス様のお誘いとなるとさすがに断れない。


「お手柔らかに」

「こちらこそ」


 アレクシス様の手をとりながら言うと、アレクシス様がいたずらっぽく笑う。そして「ンンッ」というお約束のようなクライルの咳払いが聞こえて、リリーがくすりと笑った。

 アレクシス様に手を引かれて進み出ると、人がさっと割れて、羨望と嫉妬のまなざしに包まれた。


「きれいな青だね」

「……ありがとうございます」


 私の腰に手を添えながら、アレクシス様はからかうように言った。お見通しのようだ。


「リリーにあの色をすすめたのは君かな?」


 アレクシス様は温厚でお優しいけれど、愚鈍ではない。鋭い質問を私はあいまいな笑顔でごまかした。


「彼女の瞳と髪によく似合う。まるで春の庭みたいだ」

「そう思ってすすめました」

「そうか」


 アレクシス様は美しいヘーゼルグリーンの瞳を細めて微笑んだ。そのとき、ふっと照明が落ちて、すぐにまた明るくなったが、そのあと真っ暗になった。アレクシス様がかばうように私を抱き寄せる。

 音楽がとまって、ホールにどよめきが広がる。しかしすぐに予備のジェムランプに明かりが入ってうす明るくなり、そのあとシャンデリアにも白い光がもどった。

 いつの間に駆け寄ったのかクライルとデニス様が私とアレクシス様を背にかばうようにして立っている。はっとして壁ぎわのリリーを見やると、彼女を守るようにカティア様が立ちはだかっていた。


「このあいだもあったのよ。照明の具合が悪いみたいね」


 どこからか、おっとりとした令嬢の声が聞こえてくる。

 デニス様とクライルが周囲に視線を配ってアレクシス様を振り返り、軽くうなずいた。問題ないということだろう。

 ホールに音楽がもどるが、さっきとはちがう曲だった。

 とまどいがちにパートナーの交代がはじまると、勇敢な令嬢が「あの」とアレクシス様に声をかけた。

 アレクシス様は一瞬困った顔をして、けれど「では、一曲」と微笑みなおした。


「クライル。君に譲るよ」


 そう言って私たちを振り返ってから、アレクシス様はダンスを約束した令嬢に向き直った。クライルを見上げるとぱちりとオーシャンブルーの瞳と目が合う。かっ、と顔が熱くなったので、思わず目をそらしてしまった。


「喉がかわいたわ」


 クライルから顔をそむけて、私はグラスが並ぶテーブルへ向かって歩きだした。ふたたび照明が消えて、音楽が消える。またか、というざわめきを聞きながら、私はとまらずに歩き続けた。


「だめ!」


 突然、リリーの高い声がざわめきを突き抜けて、ホールに明かりがもどった。足をとめて振り返ると、ヒールを脱ぎ捨てたリリーがホールを突っ切ってくるところだった。

 彼女の必死の形相に、人がさっと割れる。


 ――彼女の記憶はかなり混濁しているようです。なにか夢を見ていたくらいのうっすらとした感覚があるだけで、記憶としてはっきり残ってはいないようでした。


 不意にシャルノンの声が思い出される。

 リリーとカティア様の死を逃れて、私はすっかり時の円環を抜け出したと思い込んでいた。裸足で駆けてくるリリーはこのあとなにが起こるかを知っているようだった。


「そこから離れて! エリーゼさん!」


 バキン、となにかが欠ける音がして、私は天井を見上げた。


 ――シャンデリアが


 明かりが消えて、悲鳴と、ガラスが激しく砕ける音がした。すぐにさっきよりも明るい非常用のジェムランプが点灯する。

 シャンデリアが落ちる寸前、私は突き飛ばされて、大理石の床に倒れ込んだ。

 人の姿が十分見分けられる明かりのなかで、私はうつ伏せに倒れたリリーと、その上に崩れたシャンデリアを見た。


「リリー……?」


 ざわめきが消える。私は砕けたガラスの上にひざをついて、こちらに向かって伸ばされたリリーの白い手に触れた。彼女の手は力なく放り出されて、私の手を握り返す気配はなかった。


 「エリーゼ」と、クライルが私の肩を抱いた。


「っ、あ……」


 ふるえた音で息を吸う。その瞬間に、私は自分の部屋で、興国史の九十八ページの前に座っていた。

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