二十年前の事件

 ホテルのロビーは一時立ち入り禁止となった。


 巡査部長ポーラは事故当時の現場に居合わせた人々から状況を聞き、

 「とりあえず、カルロ氏の件は事故ってことで間違いなさそうね」

 とシャンデリアを見つめながらつぶやいた。


 「あんな大きなもの、わざと落とそうなんて誰も考えないもの」


 「ちょいと刑事さん」

 ジェイソンがポーラに近づいて、

 「もしもカルロを殺した奴が、なにか……霊的なもんだとしたら、刑事さんはどうするね?」


 ポーラは肩をすくめた。

 「そいつは法で裁けないから、私の出る幕じゃないわ。仮に令状が出て手錠をかけたとして、霊ならすり抜けるちゃうわね」


 「では、ここに来たのはクローク・ルームでの幽霊騒動を信じて、というわけではないのだな」


 「もちろんよ、どうしてそんなことを聞くの?」


 「いやなに、あんたみたいな刑事課の者が、ただの事故現場に急行するのはどうも不思議だと思ったのでね」


 「さっきも言ったけど、ホテルの運営体制に問題があるんじゃないかって、前々から情報があったのよ。それに……」


 手帳を開いて、以前に書き留めたものを確認してから、

 「ホテルの関係者が数名、行方をくらましているの。直近では解雇された副支配人が自宅に帰っていない。ただ、このホテルから離れた場所で目撃例が多数あったから、クビになったショックで家に帰らないのではないかと──」


 カルロの仕業だな、とジェイソンは思った。おそらくは悪魔の命令で副支配人の影を操り、死を隠し通したに違いない。


 ジェイソンは親切心から、

 「ああ、そいつは見たことが——」

 と口走った。

 が、慌てて言葉を引っ込めた。


 「えっ、見たことがある?」


 「ああ、いや……」

 カルロと悪魔の仕業だ、などと説明したところでどうしようもない。人の霊魂を操ることは罪に違いないが、その裁きの判定は警察ではなく、自分の領分であることを今更ながらジェイソンは思い出した。


 ポーラは未だに怪しんでいる。

 面倒な事態になってしまったとジェイソンは感じつつ、

 「なあ、マックスよ。どうだったかな……」

 と弟に助けを求めた。


 が、いつの間にかマックスはロビーを離れていた。





 * * *




 「やはり、消えているな」


 マックスは事務室に入り、カルロの心臓が入っていたバッグを開けて、中身が空であることを確認した。


 ──悪魔との契約が続いている……あいつはそう言っていた。そして担保としていた心臓が持ち出されている。カルロの魂も、おそらくは悪魔のもとに呼び出されたに違いない……。


 「悪魔よ、これ以上の犠牲者は出させんぞ」


 カルロの影を追わねば、マックスは駆け足にエントランスへと向かった。




 * * *




 「おお、戻ってきたか!マックスよ、今までどこに……」


 「……兄さん!」


 駆け足をピタリと止めて、ジェイソンのもとへ。そして、


「私は悪魔にとどめを刺しに行く。カルロの影を追ってな。悪魔の居場所を知る方法があるとすれば、カルロについて行く以外にない」


 「な、なに!よし、分かった。私も向かうぞい、案内を──」


 マックスはジェイソンの肩に手を置いて、首を横に振った。


 「どうしたマックス?早くいこう。カルロの行方が分からなく……」


 「悪魔は私の娘を欲しがっているんだ。堕落した魂だと決め込んで」

 そう言いながら、ロビーの端に置かれた椅子に座るジーナを見つめる。


 ──あのひとは、自分はケイティだと言った。しかし、どうしてもリンダのような気がしてならない。


 「兄さん、あのひとを守ってやってくれ」


 「待て、状況がよく飲み込めんが──」

 ジェイソンはマックスの目を見つめた。強く見つめ返す視線の中に、揺るがないものを感じ取った。


 こうなっては頑として意見を変えないのが、マックスである。


 「気をつけろよ……弟よ」


 マックスは深く頷き、エントランスから外へと飛び出していった。




 * * *




 「あなたの弟さん、どこへ?」


 マックスの走り去っていく姿を見ながら、ポーラがジェイソンに尋ねた。


 「ちょいと野暮用でな」


 「幽霊退治の続き?」


 「……まあ、そんなところだ」


 「じっとしていられない性分ね、あれは。落ち着いている外見とは裏腹に」


 ポーラはそこで遠い目をして、

 「二十年前も、ああやって必死に何かを探してたわね、現場で」


 ジェイソンは目を丸くした。

 「二十年前、というと……」


 「私がまだ駆け出しの頃、ある事件が起こった。当時八歳の女の子が母親を撃ったの。状況証拠からそう推測された。でも当然、その父親は認めなかったわ」


 「そうか、あの事件を知っていたのか」

 ジェイソンもまた、記憶を掘り起こそうとするように遠い目をする。

 「世間は狭いな」


 「こんなところで居合わせるなんて、ほんとにそう」


 ポーラはコートのポケットに手を突っ込みながら、

 「マックスさんには申し訳ないと思っている。きちんと解決できていないもの。いろいろと不可解な点が多くて、捜査に当たった誰もが困惑したのよ。そもそも八歳の子供が護身用の拳銃の引き金を引くなんて、普通じゃ考えられない。固くて大人の女性でも一苦労するのに。だから、誰かが撃ったその後、娘さんの手に握らせたと私たちは考えた」


 ジェイソンは頷いた。表現の違いこそあれ、何者かがリンダに乗り移って引き金を引いた、それは兄弟が散々考え抜いたことだ。


 ポーラはポケットから電子タバコを取り出すと、口にくわえてフッと白い煙を吐いた。


 「……そして、その普通の考えでは糸口もつかめなかった。リンダって名前だったかしら、彼の娘さん。結局、彼女も見つけ出すことができないなんて。たとえ仏の姿であったとしても……やだ、失礼したわ」


 ジェイソンの険しい視線に気が付いて、ポーラは言葉を切った。


 ジェイソンは眉間にしわを寄せたままの表情で、

 「……ところで、ここは禁煙場所ではないかな、刑事さん」




 * * *




 空がゆっくりと赤く輝き始めていた。夕刻が近づいている。

 湖の上には、オレンジ色の太陽の光がキラキラと反射して、マックスの顔に照り付けた。


 サングラスを貸してもらえば良かった、そう後悔しつつ、マックスは目を細めてカルロの影を探した。


 「夕闇に影が伸びると見えにくくなって厄介だ。急いで見つけなくては……おっと、あれは」


 桟橋に繋がれた小舟の一つに、薄くなった黒い影が乗り込んでいる。


 マックスがその影を見いだした途端、ゆっくりと小舟は桟橋から離れた。


 「あそこか……すぐに後を追わねば」


 夕日の眩しさに目を細めながら、マックスは桟橋に向かった。

 影から目を離さなかったために、周囲から白い霧が立ちこめてきたことに気が付かなかった。




 * * *




 しばらくして、ジェイソンのもとにエリックが近づいてきた。


 「あの、ジーナの奴を見なかったですか?」


 「ジーナ嬢か、先ほどからあの隅の椅子に」


 誰も座っていなかった。いつの間にか、ジーナは姿を消していた。


 「どうしたの?」とポーラ。


 エリックは不安げな表情で、

 「ジーナがどこにも見当たらないんです。何か飲み物が欲しいと言うので買ってきたのですが、その間に……」


 「トイレじゃないの?」

 とポーラは部下に目で合図を送った。

 制服の警官は駆け足にトイレに向かった。


 「あの女優さんも、じっとしていられないのかしらねぇ」


 そう言いながら手帳をめくり、ジーナについて書き留めた箇所を確認する。

 「ジーナ・ウィン。本名はケイティ・ウィン。隣町での舞台のために、今夜ここに宿泊……」


 そう言いながら、ポーラはこめかみをペンでトントンと叩く。

 「なにかを思い出しそうなのよね。ケイティ、どこかで聞いたような……」


 「それは、二十年前の時ではないのか?刑事さん」とジェイソン。


 「二十年前の?」


 「マックスの向かいに住んでいたんだよ、ミズ・ウィンは。父親はヘンリー・ウィンという名前だったはずだ」


 「ヘンリー……おかしいわね」


 ポーラは頭を傾けながら、記憶を探っていく。


 「ヘンリーの娘さんは確か、マックスさんの事件よりも前に亡くなっていたはずよ。病院で」


 「それは……どういうことだ?」


 「マックスさんに関わる情報は、一応すべて調べていたから間違いない。事件よりちょうど一か月前、入院先でひっそりと息を引き取っている。その際、父親のヘンリーは『あいつはまだ生きている!』と暴れていたはず。娘の死を受け入れられないのは、分かるけど——」


 「ポーラさん」

 とトイレを探しに行った警官が戻り、

 「見当たりません、どこにも」


 その時、ジェイソンに嫌な予感が走った。


 「……マックスが!」


 杖をかなぐり捨てて、ジェイソンは足を引きずりながら外へと飛び出した。

 


 

 


 

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