夢で逢えたら

 ——契約をしよう。俺はお前の魂が気に入った。カルロのもなかなかだが、お前の魂ほど堕としたいものはないよ。

 本当は心臓ごと白い妖精にくれてやるつもりだったが、そうだな、カルロのを代わりに渡すよ。そうすりゃ願い事が叶うかもしれんぜ?さすがに死人を生き返らせるのは難しいだろうが、この夢の世界で生き続けたらいいさ。


 マックスは考え込むように俯いていた。

 悪魔が、最後の一押しとばかりに続ける。


 ——そうだ、あの二人にまといつく死の影を消してやるから、ちょっと見て来いよ。なに、ほんのサービスだ。契約を取るためには、営業マンは必死なのさ……。


 ふっと、自分の手から嫌な気配が消えた。

 マックスは悪魔に言われるがまま、ゆっくりと扉を開けた。


 居間に戻ると、パンケーキの甘い香りと優しい光に包まれた二人の姿があった。

 テーブルについて、パンケーキにメープルシロップとバターをつけて食べている。


 「あら」とエレナが気が付いた。


 リンダは、恨めしそうにマックスを見つめた。


 「もう、パパが遅いからパンケーキが冷めちゃったわ」


 「そうか、でも……」


 リンダは怒って、

 「そんなに新聞が好きなら、新聞でお腹を一杯にしたらいいのよ!私はもう作ってあげませんよーだ!」


 「ごめんごめん」

 マックスは慌てて、娘の機嫌を取る。


「でも美味しそうだよ。お前の作ったものだから、きっと冷えてもいける」


 リンダは、ふふん、と鼻高々に笑う。

 エレナが、「ほら座って、あなた」と促した。


 マックスは椅子の背もたれに手をかけた。二人に近づいても、死の影は訪れなかった。


 「エレナ、リンダ……ありがとう」


 マックスは静かに席に着く。三人は朝食を食べ始めた。




 * * *




 ——目を、覚ましなさい。


 ん、誰の声だ?


 ——目を覚ましなさい、早く。


 どうして?


 ——礼拝堂へ行く時間よ。


 礼拝堂?どこの……ああ、あの懐かしき土臭い建物。


 ——聖歌の時間に遅れるわ。


 そうそう、日曜日だって言うのに、聖歌隊に入ったせいで朝早くに起きる羽目に……本当に、ミサは嫌だったな。


 「ジェイソン!」


 ハッと目を覚ます。少年ジェイソンは、高鳴る胸を押さえて、ベッドから飛び出した。


 これは……幼い日の自分?


 「15分で準備しないと、遅刻するわよ。そうなったら、誰よりも恥をかくのはあなたですからね!」

 扉の向こうから母親の怒鳴り声、ジェイソンは懐かしさを感じるとともに、条件反射のように母親に口答えする。


 「分かってるよ、母さんは黙っててよ!」


 着替えながら、ジェイソンは隣のベッドでまだ寝ている弟を恨めしそうに眺めた。


 「ちぇ、聖歌隊に入ってない奴は気持ちよさそうに寝てやがる」


 悔し紛れに、マックスを起こしてやろうと布団を引っぺがす。

 が、マックスは起きる気配が無かった。


 「おい、マックス!起きろ!」


 マックスは真っ白な顔をして、目をつむったままであった。


 「マックス?」


 顔を近づける、寝息もたてていない。


 「母さん!マックスが変!」


 「何言ってんの、支度はしたの?」


 「それどころじゃないんだよ、マックスが息をしていな……」


 母親がジェイソンの前に現れた。

 肩を大きくいからせて、ギラギラとした目つきをジェイソンに向けている。左手に包丁、右手は背中に隠し、真っ赤に染まった前掛けを付けていた。


 「母さん?」


 「お寝坊さんはね、役立たずなの。だから食べてやるしか価値はないの」


 そう話す母の口から、たらたらと血が流れ出た。そして、右手に隠していた物をジェイソンの目の前に放り投げた。


 ごろり、ごろり……と転がり、ジェイソンの足元で止まった。目が合った。父親の頭だった。


 「父さんっ!」


 「その怠け者みたいになりたい?」


 「ジェイソンも切ってもらえ。清々する」と父親の生首がニヤリと笑った。


 「や、やめてよ!二人とも……」



 「さあ、朝食の時間だよ!」

 母親がギラリと目を光らせ、ジェイソンに飛びかかる。


 「うわあああっ!こんな少年時代は送ってないぞ!」


 ジェイソンは逃げまどいながら、弟に懸命に呼びかけた。


 「起きろ、マックス!起きてくれぇー!」





 * * *




 朝食を終えると、リンダが「今日はあたしが洗ってあげる」と食器をよいしょと持ち上げて、流し台まで運んだ。


 「大丈夫かい?」


 「大丈夫、パパはコーヒーでも飲んでなさい!」


 エレナが、リンダの姿を眺めながら、そっと囁いた。

 「あの子ね、実は今日初めて成功したの」


 「成功?」


 「パンケーキをひっくり返すのを。綺麗な円とは言えないけど……あなたに食べて欲しいって、ずっと練習していたの」


 「そうだったのか……」

 人知れず一生懸命練習するリンダを思い描く。


 エレナはマックスの手を取った。

 マックスは死の影が移らないだろうかと手を引っ込めたが、


 「あなた、大丈夫?」

 とエレナは両手に包み込むように、マックスの手を握った。 


 「ここ最近、私たちを気遣っていたわね。何が見えていたか知らないけど、言葉にしてくれなくちゃ」


 「エレナ、済まなかった。でも……」

 マックスを包むエレナの手は、柔らかい光に照らされたまま。

 「もう、心配ないよ」


 エレナに、そして食器を一生懸命に洗うリンダに微笑みを送った。


 「……ねえ、あなた。話し合いたいことがあるの」


 エレナは思いつめたような顔で、それでも話さなくてはと意を決して、

 「夢だろうと現実だろうと、あなたの気持ち、とても嬉しいわ。私たちを守ろうとして、何もかも背負って……」


 一瞬、静寂が二人を包んだ。食器を洗うリンダの鼻歌が居間リビングを縫うように流れた。


 「でもね……私、分かったの。リンダは守られてばかりのやわな子じゃない。パンケーキを上手に焼けるまで何回も何回も練習していたように、ずっと闘っている」


 「エレナ、まさか私の夢ここに、来てくれたのか……」


 ずっと、あのソファに縛られているものと思っていた。


 「私はいつでも、あなたの傍にいるわ。でも、本当のあの子は現実にいる。夢の中で幸せに暮らす子供なんかじゃない。だから、お願い……」


 ……——目を覚まして、マックス。

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